77.もっとも怖い
「ジャイフ」
背後で俯くジャイフを呼ぶ声に感情は入らなかった。リディアを不明な方法ではあるが、確かに害そうとしたため蟄居を命じていたが、皇太后の命で釈放し、うやむやになった。
皇太后がジャイフをグレイスランドからどのように連れてきたのかは、わからない。ただいつの間にか居たという。幼い頃だったため自分の記憶も定かではない。
今まで気にもしなかったのは、なぜなのかよくわからない。実態がつかめないのだ。
見た目は己とさほど変わらないように思えるが、そんなに長くいたのであれば、皇太后と同じ年代なのか。
今は自分専用の星読みであり、神官としての出仕している程度。皇太后は自分の宮から出てこないため、ジャイフと会う機会はない。だが、それでも皇太后はまだジャイフを見放さない。未だジャイフは、皇太后の影なのかもしれない。
自分に忠誠を誓ってはいない。前は利害が一致している間は、裏切らないと思っていた。ヤツが望むのは、自分が今王座にいることだけ。好きなように術を振舞えることだけ。それさえ与えておけば、奴は裏切らない。
だが、本当の目的はリディアに対する怨嗟を晴らすことではと思い始めた。彼女は遠く離れた国の初見の女で、ジャイフがいたぶる理由が見当たらないのに。
それとも過去をさかのぼるほど恨むようなことがあったのだろうか。
リディア自身は恨みを買いそうな性格ではないが、後宮の様子からでも立ち回りが上手くない。周りが勝手に恨みつらみをぶつけていくようだ。事実、故郷のシルビスでも兄から虐待を受けていたようだ。
彼女の情報は少ない。魔法師第一師団にいたが、一年前まで未成年で情報は非公開。情報も出てこないから実力はさほどではなかったはず。せいぜい治癒を得意とする魔法が使えたという程度。なのに、悪評と共に歴代の中でも遂行能力がずば抜けて高い第一師団の団長――ディアン・マクウェルと結ばれた。
潜伏員も含ませれば一万人も二万人もいるという団員の中からディアンは、どうやってリディアを見つけたのだ。
「――碧妃の記憶を再度消すことはできるか?」
「ファズーン陛下?」
「記憶を消したのは、お前だろう。だが、本来の性根が出始めている。再度消すことは?」
神によって真白の乙女にされた等、信じてはいない。どのような方法かはわからないが、ジャイフの術によるものだとわかっていた。
「……可能、だとは考えますが、人格が崩壊する恐れも」
「キチガイになっては困るな」
残照がオレンジの木に影を落とす。すがりついてくるリディアはいつまでもなびかない、時折それが苛立ち、犯したくなる。ただ汗をにじませ苦しむ顔には愛しささえ覚えるのは、己に嗜虐性があるのではないかと感じもする。
痛みが治まり休む顔に手を出していないのは、自分が男として機能していないとさえ思わされる。
「薬により従わせる効果が出ていないのは何故だ」
「メルクリッサの儀式までには完了するでしょう」
夏至の日のメルクリッサの儀式は、あと五日後。そのあとで、リディアが変わるというのか。
「完了すればどうする」
「陛下の意のままに」
「つまりお前の意のままにできる、というわけか」
何をリディアにさせようというのか、意図が見えない。最初は構わないと思っていたが、本気になった今は、心まで従わせ、子を産ませたい。生贄にされてはたまらない。
「薬により幽鬼のようにまとわりつく中毒者になるのは願い下げだ」
「陛下になびくようになるかと」
(乗り気ではないな)
苦しませることに躍起になっているジャイフだが、ファズーンの言葉には積極性を見せない。儀式で何かをするようだが、現在それ以上はしないというよりも、できないという感じを受ける。
沈黙が降りると、廊下の先には、宰相が首を垂れていた。下から見上げる目がほの暗く、恨みを込めている。そろそろ紅妃にかまわないと本気で暗殺されかねない。
「薬で抑え込むのもいいが、痛みに苦しむ顔はもういい。早く終わらせろ、俺は寝所で啼かせるほうがいい」
端の宰相に、顔をあげるように手で合図する。
リディアを寝所で組み敷き下肢を広げ声をあげさえる。それをしたい。だが、思い浮かぶのは憂鬱そうな顔や、睨みつけてくる目だけ。笑顔一つこちらには見せてこない。
――リディアの笑顔が欲しい、そう思ったことに呆然とし動きを止める。
そんなことを女に思ったことなどなかった。何もしなくてもあちらからしてくる。作った、張り付けた笑顔は何度も見てきた。心からのものもあっただろうが、覚えてもない。
ねだる、しなだれかかる、誘惑される、そんな顔ばかり見てきた。
リディアの顔を浮かべながら、紅妃の父親に「行くと伝えておけ」と口先だけで告げる。
いつまでも政務以外のことに口を挟むな、と言いたいが、王座の選定が再度行われる可能性が出てきた今、敵に回すのも問題だ。
(とはいえ、俺が落ちれば、コイツももろともだが)
侍従長を指で呼ぶ。
「紅妃に、薔薇の香水と簪を贈っておけ」
「はっ」
「最上級の金剛石を薔薇で象り、赤珊瑚・黒珊瑚の枝、紅玉の実の簪だ。東の商人が先日見せに来ていただろう。あれだ」
それを聞かされて、宰相のメクダシの顔が緩む。
構われるほどに優越に浸る女。
滑稽だ。だが、それだけで優越に浸ることができる単純な女ならば、ふりだけをして味方にしておいたほうがいい。所詮、紅妃達が自分を愛せと画策する裏には、その愛よりも地位、金、栄誉を求めている。
だがあれらの欲望は果てしない。次には、支配欲、更なる男達からの崇拝、快感を求める。自分を弑して子へ王位につけて簒奪まで狙うから、たちが悪い。
謀反を企てるならば、公に殺せるのに、それができないから余計にたちが悪い。
紅妃は――己をこのような地位にした、産んだ母親を憎んでいる。母親を蹴落とした皇太后にすりよる。その様は、ぞっとする。
若き頃から、すり寄っていたが、その皇太后に奇行が目立つようになり、最近は足が遠のいているようだ。
だが、無視されることを皇太后は許さない。そのうち報復にでるだろう。
ここの女達は皆がおかしい。
またリディアの顔が見たい。時々彼女の前では、素直になれる。過去の話をしても、流そうとも、口先だけの世辞を言わない。
そのくせ自分が口説けばもの憂げになり、傍に行けば顔をしかめ、抱きしめれば警戒をする。常に距離は縮まらない。
もし、ジャイフがもう一度記憶を真白にしてやり直すならば、今度は力づくではなく優しく穏やかに、甘やかし、溺愛して扱ってみたらどうだろうか。
(結局は――同じか)
ならば、何度でもそれを繰り返したらどうだろうか。少しずつ方法を変えていく。それも楽しそうだが。
リディアに対してどう動くのか煽った。だが全員が尻尾を出すのは儀式の日だとわかっていた。
『あなたは裸の王様よ』
――信頼して、探らせる部下がいないのは痛い。
(碧妃の指摘はあたっていた)
今のリディアが欲しいのだと、既に自分が思っていることに気づいていた。
「ディアン・マクウェルを殺すことは可能か?」
同じく影のように背後に従っていたヘンシュに尋ねる。四十代後半の壮年だが、剣の腕は衰えていない。この国では、自分と並ぶ。調べさせた限りでは、マクウェルは魔法が主で、剣はほぼ使わないようだ。だが、実は使い手だと考えていてもよさそうだ。
ここは奴らが得意な魔法が使えない。正々堂々と勝負をする必要もない、そろそろ刺客を放ってもいい頃だ。
「――時期に寄りますな」
「いつだ」
「師団は暗殺業にも通じてます。祭儀の際の騒ぎに混じれるのが確実でしょう」
しかし、とヘンシュは続ける。
「グレイスランドと戦争になる覚悟もおありですか?」
「他の師団が出てくる可能性はあるのか?」
グレイスランドの魔法師団は第一師団から第五師団まである。第一師団、第二師団、第三師団、第四師団、そして第五師団。国の防衛や、攻撃を担うなど得意分野の違いはあるが、さほど仲は良くなく独立性の方が高いという。
「――グレイスランド国自体が脅威にさらされなければ、ないでしょう」
「だろうな」
「ですが、碧妃一人のために師団と闘う危険を冒すのは勧めません」
「リディアだけでも、アイツはあきらめん。そしてグレイスランド侵攻までの足掛かりとしてはいいかもしれない」
「――魔法師団は他国からの悪評もありますが、成功率、腕は確かに認められています」
「――ならば奴らの記憶を奪い、あきらめさせるのも手か」
これまで魔法など、さほど信じてはいなかった。だが、調べさせれば、魔法を用いての紛争解決能力は完璧に近い。この地だから奴らはうまく動けない。
「マクウェルを殺せば話は済む。それにはリディアを人質にとればいいだけ」
そうなるとまたジャイフの力を借りることになるが、ここ最近の様子を見ると、その力も不安定のようだ。それともリディアの力が勝ってきているのか。不意に黙るヘンシュに尋ねる。
「……何かあるのか?」
「その魔法師団ですが、第三師団の者が来ております」
ファズーンは陰りかけた陽に照らされた赤銅の眉をしかめた。次々と手の内の者を送り込んでくる。魔法など効かないというのに。
「第三師団は、防衛に長けていると聞きますが。普段は王都を守っているはず」
「それがなぜここに来る」
「不明です。本人は、副団長ローザリンデ・ヴァンゲルと名乗っております」




