69.主(あるじ)の正体
「リディア!」
駆け寄ったディアンはその口もとに手を当てて、息をしているのを確かめる。脈も正常だ、熱もない。頭に外傷がないのを確認して、半身を仰向けにさせて軽く頬に触れて呼びかける。
うっすらと開いた目はリディアの特徴である新緑色の瞳だ。
「見えるか、リディア」
焦点があってるかと、指を立てる。
「痛いところはないか? 手足は動くか?」
「ディアン?」
ドキリとした、記憶が戻ったのかと思うほど、その目は昔のように自分を見すえていた、伸ばされた手を掴み、自分の頬に当てさせる。
「あの子が……来ちゃだめだって」
「……? 喋らないでいい」
「でも待ってる、本当は」
何を言っているかわからない。けれど今はいい、ディアンはリディアを胸へと抱き上げる。
塔の中は真っ暗だった、図書館というのに本さえも見えない。そしてリディアを抱き上げた瞬間に、自分たちは外に立っていた。一時的に入れてやった、という様子だ。
扉を振り返りリディアを胸に抱えたまま取っ手を扉を掴んでもビクともしない。だが焼かれた掌が激痛をもたらす。
とりあえず、軽く氷魔法をかけたが、うまく調節ができずに諦めた。でかい魔法をぶっ放すなら簡単だが、小さい魔法をちまちまかけるのは面倒で諦めた。
「すげえな、アンタ」
信用できない奴、そしてどうでもいい会話。戦場では腕が使い物にならないことなどよくある。片手が残ればまだマシだ。それで対応できる。が、そんなどうでもいい会話はエネルギーの無駄だった。
ファズーンはディアンが助け出し、抱き上げてきたことも何も言わなかった、だがそのまま連れ去ろうとすると、冷ややかに口を挟む。
「街医者に見せるのか? 粗末な宿に寝かせるのか?」
「お前たちは信用できない」
「ならば発作症状は?」
「こちらで何とかする」
最終的な手段はある、だがそれにはリディアからの協力も必要だった。解毒薬がなく痛みにさいなまれるリディア。こいつらはそれを楔にしているが、――それの肩代わりはできる。
ただリディアは記憶がなく、魔法が使えない、それがネックになっている。それでも、方法はあるのだ。
それをすることが別の意味でコイツに負担になるから、まだしていないだけ。
「どけよ、アンタの城ごと潰すぞ」
現れたシリルが四十五口径砲を肩に担いで、ディアン達の前に構える。撃てば本人も吹き飛ぶほどの威力だが、シリルの鍛えた身体はまったく動じないだろう。街をぶっ壊す、それは本当だ。
取り囲むファズーンの護衛兵も問題ない。このままリディアを連れて他国へ運ぶ、解毒薬、塔の執着、メルクリッサ神、全てがどうでもいい。
「……待って、ディアン、シリル」
胸元から掠れた声が響く。見下ろしたリディアは、ディアンの腕に手をかけていた。
「リディア、無理するな。このままお前を連れていく」
見下ろす金髪がふるふると揺れる。その頭を胸に抱え込んで、抑える。動くなと。
「私、ここに残る」
「何を――」
言いかけて口を閉ざす、いつもこいつはそうだ。中途半端を自分に許さない。問題の渦中から逃げない。だが、それを許すわけにはいかない。自分は、結婚してから甘くなったのかもしれない、昔はもっと厳しかった、でもそれでいい。
「違うの。あの塔をそのままにはしておけない。私は内部で方法を探す。シヴァからはディアン達が聞いて」
そしてもう一回降ろして、という。何かを決めた顔に、ディアンは顔をこわばらせる。拳を握る、コイツは本当に、いつもそうだ。そしてファズーンに目を向ける。
「一緒に戻る。でも私が、妻とか乙女とか、そんなのだからじゃない。必ず出ていく」
「ほう?」
面白いのか、そうじゃない、挑戦的な表情。ディアンは無表情を保ちつつも奥歯をかみしめる。リディアは、こういう相手の嗜虐性を煽ってしまう時がある。
「おい、ボス?」
シリルが砲を地面に置く、その際に振動が伝わってくる。三十キロ近い重さで地面にめり込んでいる。
どうする? と言外に問いかけるシリル、もちろん許すわけにはいかない。このままじゃリディアは毒に侵され、間に合わなくなる。奴らの神のなんたらにかつぎあげられる。
「黒髪の赤い目をした人を知ってる?」
「黒髪?」
「夢にいるって言ってた」
一人思い浮かんだのは、シリルも同様だった。リディアの生徒だった青年。確か夢見の一族だ。なぜアイツが?
「その人が、塔の主人を守っている。私じゃなきゃ起こせない。でも起こさないでくれって言ってるの」
「……じゃあ、起こさないでいいだろう」
リディアが相変わらずよくわからないことを言っている。意見、判断には明瞭な説明を求められる師団で、リディアも部下としてそれは心得て任務をこなしていた。
だが、時折本人の、何かある、を伝えてくる時もある。それは大抵当たる。
「今回のこと、全てがディアノブルの塔にある……解決しなきゃ」
そして再度、降ろしてというからゆっくりと立たせる。一応手を添えると、ちゃんと足を地面についた。
そしてリディアの手がディアンの袖をつかんだ。けれど、目はファズーンを見据えている。
「ファズーン。私は、この人が好き」
驚いた。人前では絶対に言わなかったリディアに言われて、こみ上げてきた何かがある。顔には出さなかった。リディアが掴む指をまるごと上から手を重ねる。そこに全ての気持ちを込めるように握り締める。
「だからあなたの気持ちには添えない、向かない。何かにされようと、記憶がなくても、何度でも好きになる」
「リディア」
やばい、と思った。身体が反応しそうになった、抱きしめて、キスをしたくなる。
(ていうか、してもいいんじゃねえか?)
と思ったら、リディアが振り向く。
「もし。私が、ファズーンと一緒に……寝ていても。嫌いになる?」
「なんだそれは」
「ふつうは、嫌になると思う。理屈はわかっても感情はついていかない、感情は気持ちに影響する」
「――碧妃はわかってるな。お前を抱けば、この男はいずれ諦める。いや、嫌悪を抱く」
「舐めるな」
ファズーンに言い放てば、リディアの手が震えてるのがわかる。手を引き寄せてその甲に口を寄せる。安心しろというように。
「だから、今連れ帰る」
ファズーンとリディアの間には完全な距離がある。やっぱりなぜ引き下がらないといけないのか。訳がわからない。
「私は、あの子を助けなければいけない、絶対に」
リディアはまずディアンに宣言し、それからファズーンにも周囲にも告げる。
「待っててね。必ず記憶を取り戻して、帰るから」
ディアン、とリディアが口内で名を呼び、言い聞かせてくる。そしてリディアの手が離れる。それを引き寄せようとしてできなかった。なぜかリディアの手がすり抜ける。
「記憶がなくてもお前だ」
「私は自分の過去を捨てたくない」
数歩進み、振り向いたリディアは、丁度ディアンとファズーンの間だった。
「魔法を使えなくていい。痛みもなんとかしてやる。塔のこともこっちで知らべる」
「魔法も取り戻す。痛みも、塔も全部解決する。そして戻るよ――ディアン先輩」
「リディア?」
決意をもち笑った顔は、前のリディアそのものだった。過去学校で後輩だった時から、先輩という呼び方は何度言っても直らないものだった。
ディアンと呼べと言っても、結婚しても相変わらずディアン先輩だった。
それが、今使われている。
あれほど微妙に思っていたのに、呼ばれて呆然として胸が熱くなる。何度でも呼べと言いたくなる。
「――お前、記憶が戻ったのか?」
少し寂しげに笑ったリディアは、首を振る。
「塔の中で見たの、昔の私を。そう呼んでいた。でも一瞬だけで、まるで映像を見せられたかのようだった。その記憶を私が自分のものだと自分の中で思いたい。だから前の記憶を取り戻して、それを私のものにする」
ディアンは、リディアの手首を引き寄せる。たたらを踏んで、転びそうになった体をそのまま受け止め、頭を抑え込んでキスをした。
ファズーンが剣を抜いたが、そちらを見ずに魔法で地面をえぐる。相手はただ足止めされただけ。
驚いたリディアが、一瞬離れようと挟まれた腕で押しのけてこようとしたが、んなのに自分に敵うわけがない。そのまま驚いたままの唇に舌をねじ込むと、力を抜いてされるがままになる。
(どんだけ、したとおもってんだよ)
抑えつけた頭の大きさも、手に絡めた髪の感触も、全て自分のものだ。感じる唇のやわらかさも。
毎日磨き上げられているのだろう、髪の艶も違うし、まとう香りも違う。綺麗になった。ただ痩せた、腰にまわす腕に隙間がある。
「おれは、このままお前を帰したくない」
「……うん」
リディアが照れて、下を向いている。
「でも、行かなきゃ」
そして、顔をあげたリディアは決意を示していた。いつもこいつは、決めたら止められない。
するりと腕の中から逃げた身体。
そして護衛兵が接舷した船に乗る。
「先輩と一緒に逃げたら、この塔を助けられないから。――待ってて。ううん、一緒に助けて」
よくわからないが、ディアンは頷いた。
そして、ディアンの横に目を向ける。
「シリルも。――ありがとう」
「――待てよ、お姫さん」
そこに、ずっと黙ったままだった赤毛のシヴァが前に出て片膝を折り首を垂れる。正直、重要なことを吐かせなきゃいけなかったが、この場のほぼ全員が存在を忘れていたと思う。
しかもこの動作、何をしているのか。敵意よりも、むしろ敬意。その向ける顔は――リディアだ。
ファズーンは不快を過剰なほど露にし、戸惑うリディアと、兵士たちが今度はシヴァに剣を向ける。
「何だ、貴様は。殺されたいのか」
リディアは「待って」とファズーンの前に出て、スラリとした右手をヤツの身体の前にだして動きを制する。強い眼差しだ、前のように強さを少し取り戻した、そう思う。
だが、ディアン達も構えた。リディアへの攻撃と、ファズーンとシヴァの動き。それぞれ何が起きても反応できるように。
「俺が話したいのはそこのお姫さんだ」
膝をついたシヴァが熱い眼差しを向ける。一方でリディアが眉根を寄せ戸惑いを見せる。シヴァの胸元で揺れるのは赤銅色の何の変哲もない古い型の鍵だ。
だが、何か変だ。素材が、見えない。この後吐かせようと思っていたが、塔と奴の関係、今それを奴が明かそうとしていると感じた。
「つまりだ、俺はアンタの従者だ」
「はあ?」
シリルが末尾をあげて不快な声を張り上げる。依頼のわりに協力もしない、事情も明かさない。
「貴様が俺の配下なのは知っている。が、自身もようやく認めたのか?」
ファズーンの居丈高な声に、シヴァは目を向けなかった。
「あんたじゃない。俺は塔の主の従者だ。だからお姫さんの従者になるんだよ」
「……私?」
皆が黙る。リディアが注目を浴びてグッとシヴァを見つめ返す。これまでは身じろぎして居心地悪そうに弱気に腰が引けていたのに。今は負けまいと目に強い光を宿している。これこそがリディアだ。
「そうだ……。塔の主に俺は従う。アンタが知るまで待ってた」
「どういう意味?」
「わかったんだろ。塔の主はアンタの娘だよ。リディア」




