65.図書館巡り
言葉少なに、リディアが目の前に立つと、先に侍従二人が進み出て大きなドアを開ける。先に入った二人が事情を話したのか、頭に黒い丸帽子をかぶった男性が進み出てくる。
「司書のマルタと申します。お探しの本を何なりとお申し付けください」
見上げれば、壁一面に天井まで本が並んでいる。書架台に並べて本をじっくり見ている者、奥のガラスで越しに写本している者、何冊も抱えて歩いている者、様々だ。
「お願いがございます。火気と飲食、写真撮影、館害への持ち出し、電子媒体への取り込みは厳禁でございます」
「記録もだめなの!?」
「いえ。手書きによる写本は許されております。電子の場合その光が障りますので」
「すごい……」
扉の奥が写本室だという。時代錯誤も甚だしい。――でも、その本の丁寧な扱いは嫌いじゃない。
リディアの反応とは反対にファズーンが露骨に嫌悪を示した。
「それを誰に言っている。俺は……」
「いいの、それほど大事なのよね」
書物は慎重に扱わなければいけない。難百年も前の本を自宅に持ちかえられるわけがない。でも、少し残念。
「原本が見られる?」
「場合によっては写本しか展示しておりません。すべて厳密に保管しております」
「……そう。仕方がないけど、少し寂しいね」
「は?」
文章は記録であり、著者の想い。誰にも見てもらえないのならば、頭の中にしまったままで、書き記す必要はない。せっかく書いたものがぽつんと仕舞われたままは悲しい。たとえ、その複写が表に出ていたとしても。
「――いいえ、なんでもない」
とはいえ、この世の中、目にするのはすべてが、複写されたもの。自分が閉じ込められているからだろうか、妙にメランコリックな気持ちを振り払ってリディアは歩き出して本の背表紙を眺める。
手前は初心者向け、時には本を読んだことがない子供や、読み書きのできない文盲向けの簡単な絵本のようなものがある。
上を見上げれば二階は重厚な革表紙の本、奥は装丁されていない資料群だとも聞いた。
リディアは、まずは絵本を手にする。字はこちらの地方のハラール文字。たぶん親が子供に読み聞かせる伝承みたいなものだろう。
「ねえ。一時間後にまた集合でもいい?」
「は? お前は何を言っている」
「好き勝手に見たい」
眉を寄せて意味が分からない、という顔をしたファズーンに、リディアはそれ以上言わなかった。壁に沿う螺旋階段の合間にもならぶ書籍たち。上の方に行けば、別の国の民間伝承になってしまうらしい。
とりあえずやはりハラール関係の伝承や魔神、という言葉がありそうな本を手にしていく。ハラール語からリディアの知る共通語への辞書も必要そうだけど、それはまた言語学の図書館に行かないと無理。
後ろからついてくるファズーンがリディアが選んだ本を手に取っていく。振り向けば、彼は結構大量にかかえている。
「へい……」
「かまわぬ。俺が持ってる」
そっと声をかけた侍従にファズーンはそのまま。踊り場にある椅子に腰を掛けて、リディアはそれを選別していく。すぐに読まないものは、除外だ。
「選んだ基準はなんだ?」
「カン」
「なんだ、それは」
「見てると、なんとなくわかる」
並んだ背表紙が告げている。本好きは、選ぶカンが鍛えられている。そこでチラ見をして興味を惹かれたら候補として取っておく。
最終的に絞らないといけないし、その作業が一番大変なのだけど、それも選ぶ楽しみだ。
「やっぱり借りられないのは不便――」
けっこう大量になってしまったし、部屋でゆっくり読みたい派なのだ。
「ならば、運ばせればいい」
上からのぞき込んで降ってくる声に、リディアは顔をあげた。真顔で尊大な顔。人の話、聞いてました?
「たかが本。俺が望むならば命じればいい。お前が望むならば叶えてやる」
「あのねえ」
リディアは彼に本を持たせていながら、突っ込むことに後ろめたさを感じながらもつい諭す。
「確かに不便だけど。それをする理由もあるの。希少本もあるし、痛みやすい。貸したら返ってこない場合もある。むしろ誰かがなくしていたら、今私は読めていない。読ませてもらえることをありがたがらないと」
融通が利かない、そうじゃなくて。
「自分がそこのルールに従わなきゃいけない場合もあるの。――理不尽な規則だと思う前に一回考えないと」
ムッとした顔に、リディアは笑う。その笑みに、彼は戸惑ったようだ。
「まあ、私のためなんでしょうけど。私は本が好きだから『たかが本』とは言われたくない。価値観の違いはあるだろうけど、それは言わなくてもいいこと」
「一体お前は何を言いたいのだ。何を、望むのだ。欲しいものは、なんでもくれてやるのに」
なんだか昔の誰かと被る。権力、お金を持っている人は、相手に金品で釣ることしか考えられない。悪いわけではない、それが自分の一番の魅力だと、他者にしか言えない、信じきれないのだ。
もちろん、それは一番重要だ。それがなきゃ生活できないし、お金がないことは人を病ませる。リディアが今、生活に困っていないのはファズーンのおかげだ。薬に関係なく彼に命の手綱を握られていると言える。
「また連れてきてもらえたら嬉しい。私は活字がないとダメなの」
宝飾品、お茶やお喋り、男の人から愛されること、それや権力に浸る優越。あくせく働くことに比べたらなんて優雅で幸せだろう。飽きたら趣味として芸を磨くこともできる。
一日中好きな読書をしていられる環境も素敵だろう。
でもそれをしても閉鎖的な空間にいて、むなしく感じる。ここを異常な空間だと思うのだ。
妃としては、それも務めなのだろうけど、自分には向いていない。
「もし許されるなら、あなたの部屋の本を貸して」
「……それがいいのか」
全くわからないという顔に、リディアは笑って近い顔に手を伸ばした。初めてこの人の年齢が知りたくなった、少し頼りなげな顔に可愛いと思った。
「会話はわかるのよ。でもハラールの文字が読めない。その勉強がしたい」
上階は北・中央諸国連盟の共通語と呼ばれる本が多い。自分はそこの母国語にしていたようだ。先ほど見てみたけれど、わかったのは北・中央諸国連盟の共通語の言葉ばかりの本が多い。
「なぜ学ぶ必要がある、知識を得て逃げようというのか」
またそんな疑うことばかり。自分が後ろめたいからでしょうとの指摘は止めた。その世界にいるのだろうから。
「勉強が趣味だから」
本に触れてはっきりわかった、自分は学ぶことが好きなのだ。
「お前はわからん」
「退屈なの。自分の記憶がないのも不安だけど、活字中毒なの。それなら学びたい」
「――わかった、俺の図書室の出入りを許す」
これで第一歩。行動の自由、知識を得ること、二つを手に入れた。
「で。図書館はもういいのか」
リディアが当てた手をそのまま握り掴むファズーンに心臓がはねた。ときめいたわけではなく、何かを悟られた気がした。
彼は甘い人間じゃない。でも、行動の自由、それもリディアの好きそうなものを与えているのだから、まだその時間を命一杯もらわなくては。
「今はゆっくり読めそうもないの。まずハラール言語を学ばないと。それには、言語学の図書館に行かないといけない?」
一つの図書館で済まないというのが不便だ。言えば、ずっと影のように従っていた司書が口を開く。
「それぞれの図書館は、地下通路で繋がっています。案内させましょうか」
「……へえ」
面白い。まるで根のように地上の道も枝わかれしているが、図書館も水路の中を根のような道で繋がっているなんて。
「初めての方は迷いますので、普通は地上で行き来しますが、そのうち方向がわかれば地下通路を使われます」
行ってみたい、してみたい、図書館めぐり。でもそれは一人でいい。他人はいらない。
それに、ディアンの視線を感じる。それに何とも言えない感情がわきあがる。後ろめたさ、だろうか。ファズーンと二人でいることは望んでいないのに、それを受け入れてしまって楽しんでいるように見えるのかもしれない。
完全な拒絶を示していなくて、まるで見せつけているようだ。嫌悪ではないけど、自分が嫌になりそうで、気分が落ち込んでくる。
「今回は、とりあえずいい、外にでる」




