64.観光
これまでで初めてファズーンに感謝した。いや、もちろん彼がリディアを拘束していたのだから、感謝はおかしいのだけど。
従者が先に下りて次にファズーンを引き陸に上らせるのを彼が断わる。
そしてまた従者がリディアに手を差し出そうとしたのを、ファズーンが止めて彼が自らリディアに手を差し出す。いらない、と言おうとしてやめた。
船は足場が不安定だ、そこで争っている場合じゃない。握られた手はリディアより体温が高く熱い、厚い掌は逞しくリディアの力なんていらなくて彼だけのけん引力で地上に持ち上げられる。
ただ腰にまわされた手に、胸がもやっとする。
「なぜそこで、顔をしかめる」
「なんでもない」
「俺が嫌か」
「――たぶん」
今度は彼が顔をしかめた。好かれたいと思ってたの?
攫ってきたのでなければ。ただリディアを保護し、助けてくれた相手だと思えば感謝もできただろう。けれど、勝手に妻にしたこと、閉じ込められていることには反発を覚える。
たぶん自分はそこまで大人しい人間じゃない。
彼はリディアの嫌みでもない中途半端な返事に顔をクシャりとゆがませて、豪気に笑った。日に焼けた顔が子供のように楽し気だ。なのに、女を狙う目は男性、そのギャップは気を付けなければいけない。
「いいな。少しは懐いてきたと思えば、カワイイものだ」
「……逃げ出そうと思えばできる、今なら」
「周囲を二十人以上の護衛がついている。それがわかっていなかった時点で、お前の負けだ」
「――」
リディアは黙って、顔をこわばらせた。ある程度戦える、けれどファズーンに剣の腕は負けている。そして護衛兵がそこまでいることも見抜けなかった。魔法師団という武力集団にいたのに、その能力はどこにいったのだろう。その能力さえも失われたのか、もとからなかったのかもわからない。
「そう暗い顔をするな。仮にも俺は王だ、どこで狙われるかもわからんだろう、そのためだ」
そして、リディアを両腕で抱き上げる。
「ちょっと!!」
グイッと胸を押し返そうとしたが、無駄だった。
片手に抱き上げて子供のように抱き上げたまま歩き出す、なにこの筋肉。太くて丈夫、年季の入った艶のある丸太の様。
ディアン達とは違った発達の仕方だ。あの人はあまり剣をつかわない、ファズーンは曲刀が得意ということは、腰を基幹として上腕を振り回す。
だからだろうか、腰回りが太い。でも腕が太いのは何かを持ち上げ、支える仕事でもしていたのだろうか。
「軽いな、まるで子供だ」
「降ろして。歩けます」
「ここで騒げば、街の見学は終わりだ」
「……」
黙ってしまうと、彼が口元を緩ませる。それはリディアを励まそうとしているのか。
「ここでほしいものは何でも言え。すべてお前のものだ」
その声を無視して、街の見学を優先する。
「街はどのような感じになっているの? 少し歩いて」
まるで木の根がそのまま道になっているかのよう。蛇行し繋がり細い道も太い道もある。その下の合間を滔々とした水がたたえられている。
道には柵もなく、その端々に店が開かれ、時には、何もないところから落ちそうなほど急斜面な道もある。
それでも皆が危なげなく歩き、活気がある。
「頭を隠せ、そなたのような髪と肌は珍しい」
明るい金髪は珍しく、白い肌の人間はさらにほぼいない。リディアは彼の言うように、フードを下ろす。彼も頭から頭巾をまけば、人ごみに紛れる。
「あなたは仮にも王族でしょ、こんなところを歩いて――」
ふっと感じたのは人の視線。それはあちら側から感じさせたような馴染みのもの。
(あの人達も、そばにいる)
ディアンや、シリル。彼らがわざと気配を知らせてきた、じゃなきゃリディアが察することはできない、唐突な現れ方。でも動く様子はない。あくまでも見守っているだけだ。
そして、彼らがリディアに今は動くな、と言っていることがわかる。
「奴らもいる、下手なことは起きぬ」
「それって、私を利用しているの?」
誰が、何の目的であろうが王としてのファズーンを狙いにくれば、彼らはリディアのためファズーンも守らなければいけなくなる。
「それを忘れて楽しめばいい」
「だからこそ、離れて欲しいのだけど――」
そう言いかけて、リディアは鮮やかに垂れ下がる布の海に歓声をあげた。紫を基調とした赤や青の蔦模様の刺繍、縁取りは金糸、鮮やかなショールの数々。
「こちらは布通り、奥は金通り、向こうは靴の通り、帽子をお探しでしたら――」
「ちょっと、降ろして」
前回は、王宮のすぐ隣図書館都市の入口前の宿だったから、中に入れたのは初めてだ。
興味を惹かれてあちこちに目をやり彼の胸を押し返すと、案外異論を唱えられずに、ストンと降ろしてくれた。足もとは、都市の人間と同じように親指に編んだ紐と踵を覆う革のサンダルを履いている。
日差しは強いが、水面から吹く風が涼しい風を吹き付けてくる。
あまりぺたぺたと足音を立てるサンダルは嫌だけれど、この暑さの中、靴は無理。
宮殿での細工した沓は、履くように強制されなくてよかった。あれは長く歩くようにはできていない。
リディアは周囲を物珍し気に見たあと、従者の説明をよそに、ひとつの建物を見上げた。積み上げた石は風雨で丸みを帯びて歴史を感じさせる。見上げれば、高すぎて上階が見えない。出入口は左右の石柱に挟まれて奥まっている。
壁には、葉の浮彫模様。
「薬草学の蔵書館だ」
「……」
向かい側には、同じく石造りの建物。その壁の模様は、月と星。
「あれは、天文学?」
「そうだ」
そして、ファズーンはリディアの横に立ち屈んで聞いてくる。
「どこか入ってみるか?」
「いいの!?」
ばっと振り仰ぐと、面食らった顔のファズーンがいた。すごく顔が近い、なぜそんなに近くにのぞき込んでいるのか。
「ちょっと近いんだけど」
「夫だ、何をいまさら。それに離れたら危険だ、一番お前を守れるのは俺だということを忘れるな」
「……攫われないように、逃げ出せないように、でしょ」
「違う。矢なり剣なり、お前ほどの華奢で小さな体ではすぐにやられてしまう。俺の体なら盾になってやれる」
目を見開きまじまじと見つめてしまうと、彼は視線を外さずに同じく見返してくる。確かにその体は大きく、リディアを抱き抱えれば矢を防げる。でも、王である彼がそんなことを考えるとは思わなかった。
彼は、リディアの意思を無視し、考えを知らないでいいという。なのに、いつもリディアを守ろうとしているのだ、尊大な物言いで、自分の意思を丸無視しているとはいえ。
リディアは目を伏せた。
「私は……あなたに思いを返せない。いつか出ていくと決めている」
「堂々巡りだな。お前は俺の子を宿す。それでもそう言えるか?」
「こんな後宮で育てるほうが危険でしょ」
子どもを作る気はない。それより前に出てきた言葉に彼は笑った。いつも通りの皮肉を混じ、リディアの回答に面白そうだ。だが、リディアの言葉に懸念の表情も浮かべていた。
「確かに。だが、お前の子ならば最優先で守る。その場を必ず提供する」
「ここが安全じゃないとあなたが自身が思っているのに?」
彼はリディアの右手を両手でにぎりしめた。
「その前に子作りだな」
先ほどの会話に戻ったが、彼は無理やり戻したと感じた。
リディアも彼の視線を振り切るように周囲の建造物を見渡す。
それぞれものを売る店は、無秩序ではなくその通りや一角にあるらしい。例えばスパイスを売る店は奥の裏道に、靴の通りは対岸に、たまに果物や野菜を売る店は点在しているが、やはり一番多いのは図書館だ。
入っていいと言われれば、どこにしよう。
「魔法の図書館はないの?」
「ない、図書館都市は魔法を一切否定している。それに、今のお前には必要ないだろう」
古今東西、全ての書物を蔵しているという図書館が、それを教える大学まである魔法の存在を否定して書物を持っていないのか?
「じゃあ、呪術。魔神関係、こちらの地方の民間信仰」
そこに紛れているかもしれない。それに、こちらの魔神についてしりたいし。
「お前は楽しむ、ということを知らんのか」
ファズーンは呆れたようにリディアを半眼で見て、それから侍従に軽く片手をあげ、示す。
「この通りを直進し、二つ目の角を右です」
またリディアを抱き抱えようとしたファズーンの手から逃れて、リディアは歩き出す。
「通りが見たい。逃げないから」
歩きながら街並みを見通す。真横は唐辛子をたくさんぶら下げたテント。袋に入った唐辛子の粉末を足元に売っていて、これをどうするのだろうと思う。
その先は、黒ずんだ木造りの建物で、入口に壺が並んでいる。のぞき込めば、正方形の引き出しが壁一面ならんでいる。カウンターで男性が客に紙袋を渡している、薬草か、薬屋だろうか。
(見たいな……)
自分の飲まされている薬のことを思いだし、喉を押さえた。まるで、何かが詰まっているような感じに、何度も唾を呑み込む。
飲まされている薬に対しては、キーファや彼の仲間が調べていてくれる。自分に薬を飲ませて従わせている相手と一緒にいるのは、おかしいのだろうか。それとも、ファズーンは本当に知らないのか。
魔神による呪い、魔神に記憶を奪われた、そんな都合のいい説明で済まされていいのか。
「入らないのか?」
「入る」




