63.都市でのアプローチ
「影響を受けていても、ハラールではなくヴァルハラの領民。まして、ハラールの王は嫌われているからな」
耳元でささやかれて身をよじっても、その拘束からは抜けられない。子どもの前でひっぱたくわけにもいかないし、かといっていちゃつかれても困るんですけど。
『リディア様!!』『きれい!!』
腰を抱いてホールドしてくるファズーンに苦情を言えば、楽しんでいる。
「俺は好かれているぞ」
「そんなこと聞いてない! ……というか、ハラールの王様は嫌われているの?」
「そんなことに興味を持ってどうする?」
「あなたが、そう言ったから」
ファズーンはリディアを抱き直して、腰をかがめて背中の窪みに顔をうずめてくる。そんな不埒な格好しないで、子ども達の前で!
「子どもの前じゃなければいいのか?」
「いつでもどこでもしないで。そして誤魔化したでしょう。ハラールの王は?」
「女におぼれる爺さんだな。だが好戦的だ。寿命が近いからか成果をあげようと国庫を空にしてまで軍備増強を行い始めているから貧民が増えているようだな」
「ちょっと、その下まではだめだって、頭叩くわよ」
声が、身体を通して響いてくる。にぎやかな街ではかき消されそうな言葉には幾つもの重要なことが含まれていた。でもお腹周りに手を回されてリディアは後ろを振り向き焦る。埋める頭は、もう少しで尾骨に届きそうだ。
「腹が薄い。お前はなぜ太らない」
「腹囲を測らないで!」
「――お前はどう考える?」
リディアを引き寄せその太ももに頭を載せ、今度はお腹に顔を寄せる。これはやりすぎだ。こぎ手たちは布をかぶり表情を見せないが、どんな風に見ているのだ。同時に彼らにはこれぐらいの密着じゃないと声を隠すことができない。
「民はどこに逃げているの?」
「うちの国と、砂漠越えをするもの半々だ」
「砂漠越えは危険でしょ? ヴァルハラに逃げてこないのはなぜ?」
「正式には受け入れてない。間者かわからないからな。ただ勝手に集落はあちこちに作っている」
リディアが黙り込んでいても、あちこちで子供たちの、歓声は響いていた。
「手を振ってやれ。そんな表情では怪しまれる」
子どもたちが興味津々で見ていて、リディアは根負けしたようにそっと手を小さくふる。
喜んでまた手を振り返してくる子どもたち。
「これ、私がいなくなればどうなるの……」
「お前がいなくなれば、民は寂しがるな」
「――後宮の女性がいなくなるなんて日常茶飯事でしょ」
「お前は気に入られたな」
「なぜ?」
「あんなに喜ばん。民は、白い肌、金髪碧眼に憧れがある」
眉を顰めて露骨に首を傾げると、彼は皮肉気に笑う。
「後宮で女性達は、きみが悪いというけれど……?」
後宮ではよそ者を見る目で。興味を持たれているのは、その外見のせいだと皮肉ばかり。気にはしていないけど、けなす一つの材料になると思っていた。
「乙女は白い肌。守るメルクリッサ神は乙女に熱をあげたという。物語に出てくる姫もそんな容姿ばかり。そのせいか、憧れが強い」
「メルクリッサ神って……男性? だっけ」
「雌雄同体だ」
たしか、儀式の際に合体すると聞いた。
でもどちらの性にもなれて、人間の女性に熱をあげる神の話は多い。
「あなたも私の容姿にこだわっていたわよね」
「だからだ」
自分の容姿はさほどではないと思っている。後宮にいた女性達はリディアより容姿が優れていたものが多い。金髪碧眼で白い肌、その条件だけ。それだけでこのファズーンが民のように憧れるの?
「俺はこの目で母親に厭われた。前王に貫通したと疑われるのを恐れて」
「え」
不意にファズーンが呟く。
「俺が戦場に送られたのはそのせいだ。最も、ハラールから領土を多く奪い返し、民から俺の人気が上がったのが結果的には幸いした」
リディアは自分を抱く男を振り向く。そこは街に目をやり、リディアを見ず遥か彼方をへと視線を向ける男がいた。
「他の王子達は王宮でつぶし合いをして、結果的に成果をあげた俺が王位を継いだ。だが母が貫通していないと証明したジャイフの力添えが功を奏したのは間違いない」
「……」
リディアは乗り出していた身をよじらせてファズーンの話に耳を傾ける。
「ジャイフとは互いに容姿に悩む身。アイツが俺を擁立した理由はそこだろう」
「……本当にそう思う?」
リディアの問いに、彼は肩をすくめて笑うだけ。信じてない。
「と、ジャイフがそう言った」
ジャイフは謎だ。もし彼の最終目的はファズーンの王位ではなくリディアへの復讐だけならば? そこまで恨まれる覚えはないと言いたいが、記憶がない。かといってリディアのいた魔法師団もその理由を見つけられないみたいだ。
リディアは船から身を乗り出す。
水面はよどんだ碧。落ちないように支えるファズーンをそのままに見下ろしても魚はいない。
「塩湖だ。魚は住めない」
「へえ」
砂漠の中にできたオアシス、ではなくもともと海だった場所が砂漠になったのだとファズーンの王宮の図書室にある書籍から知った。
見上げれば、頑丈な石造りの建物がたくさんある。図書館都市と呼ばれるだけあり、ここは図書館が連なっているのだ。
どうして湿気を嫌う書が水路都市なのか。首をのけぞらせてみれば、遠くはるかにそびえたつ塔が見えてくる。
(あれが、ディアノブルの塔)
図書館都市の心臓。この都市の道は、ディアノブルの塔を支える根が硬化したともいわれている。この塔も、太古の時代は大樹だったと推測をする研究家もいる。
よく見れば、水底に建物が見える。ファズーンを振り返り説明を求める。
「建物がある――街なの?」
「今回の地震で見えるようになった。おそらく張り巡らされた根が崩れて晒されたのだと。だが、いくら潜らせても一向に水底の街にはたどり着けない。蜃気楼のような幻――塔が見せる記憶と学者どもは言うな」
リディアは腕を抱いて身体を震わせた。恐れと、それから言いようのない感情。
水底の建物は石垣の塔のようだ、窓がある。つなぐ橋もある、ファザードらしきもの、あれは半円のドームだろうか。よく見ようとすると水中に揺らいで消えてしまう。
「――懐かしい」
なぜそんな感情がわいたのか。
――行きたい。惹き込まれるように覗いていたら、ファズーンがリディアの肩を抱いていた。
「――行くな」
「……何を」
「まるで、そちらに行ってしまいそうだった」
行くな、なんて。飛び込むつもりもないのに。けれど胸に沸いた感情はそちらの幻影の街にいってみたいというものだった。そして、ファズーンの顔は眉が寄せられどこか不安そう。
「地上に、降りてみるか?」
伺うような、リディアの気を逸らすような声音。でも水底への怖いという感情は消えていた、嬉しくて頷く。
「――いいの!?」
「仕方あるまい。それほど身を乗り出せば、むしろ船上の方が危険だ」




