59.動く街
ディアンは、伸ばしていた右手を降ろし半身を折り曲げて息をついた。黒く硬い岩石の地面には己の汗がぽたり、ぽたりと落ち、染みを付ける前に太陽の熱で蒸発して消えていく。膝についた手を離し、ようやく顔をあげた。
ここまで魔力を持っていかれるのは、なかなかない。底なしとも人には言われる魔力の持ち主だったが、そんなことはない。限界だってある。かなり魔力を要する他の次元への干渉、魔界の大公に近い存在に対しての攻撃や制圧にはそれなりに準備して、魔力を溜めておく。
今回はその準備がなかったのもあるが、一番の消耗した原因はあの場の結界を破ったことだ。
「クッソ、リディア……」
勿論、リディアへの悪態ではない。今回のこと全てにだ。だが一番ムカつくのは、後手に回ってばかりの自分だ。
――とりあえず、彼女は助かった。けれど、かろうじて、だ。
過去に任務で彼女が傷つくのを見てきたが、本人が乗り越えるままにしてきた。
でもそれは彼女にその実力があったから。今その力がないのならば、自分が守ってやらなければいけないのに、思うようにならない。
召喚した魔界の騎士で正体不明な魔神をぶっ刺すことはできたが、消滅させることはできなかった。逃がした、おそらくジャイフの影の中に戻った。
――リディアの傍に魔法の守りは置けない。虫目は一日も持たない、魔力を帯びていない人工の監視カメラも駄目だ。
それでもサーチアイを飛ばし、己の探査力で彼女の魔力に異常がないかを見張る。さすがに後宮の女達のばかしあいにまで干渉するつもりはなかったが、今回はリディアの危機だった。
これまでジャイフの魔神には敵うことができなかったが、攻撃は見切った。実を言えば荒業でなんとかできる。ただ、アイツを殺したら解毒剤が手に入らなくなる、それから――謎を解かなきゃいけないと勘が告げる。
力でねじ伏せ奪うのではなく、絡み合った拘束を解きリディアを取り戻す必要があると感じる。
今回苦労したのは、魔神への攻撃じゃない。魔法攻撃に対するヴァルハラを守る障壁を破ることだった。
あれは――神の力に近い。
ディアンの国にも光の神はいる。自分達の魔法はその存在、光の神の属性から力を借りるもの。
(それと似ている)
魔神――もしくはメリクッサ神というものが、比喩や伝説ではなく本当に神でこの国を守っているのならば、別の神の力を借りている自分達の魔法をはじくのもわかる。
だが本当にそうなのか。こんな少ない情報での推測に納得がいかない。
――砂漠の砂煙にけぶる街を見下ろす。ここ周囲一帯は岩塩を多く含む砂漠だ。古くは海底だったとも言われ、黒くゆがんだ穴があちこちに広がり足場が不安定な海底に似たそこを、対熱、対魔効果のある重量ブーツで一歩、踏みしめる。
ディアンは、目に見えない存在との魔力のぶつけ合いで荒ぶる心を宥めきらないままの眼差しで目をやる。
ここからヴァルハラ宮はかなり遠く、見下ろす形になる。ハラールとヴァルハラはそれぞれ円状の街壁に囲まれているが、その円の真ん中の一部分は重なっている。
その領土上にディアノブルの塔がある。各領土には、それぞれの主城があり、周囲は水路の張り巡らされた図書館都市。ヴァルハラのほうは宮城を中心にアスタリスクの位置に妃達の宮殿があるが、ハラールは特に意味をなすような作り方がされていない。
(まるで印章だな……)
ヴァルハラの国だけで判断してもいいが、ハラールと重ねると円が二つ。その形は意味ありげだ。意味ありげなものは、たいてい印章と疑え、というのが持論だ。
古代、魔法の黄金期時代に使われていた印章という記号。今は、古語で誓願詞を唱え、六属性に働きかけ魔法を発現させているが、過去は言葉が通じない自然界の属性にも伝えるため印章という絵とも記号とも言えない何かを用いて魔法を発現させていたという。
が、千年前の戦争で魔法の大部分は失われ、印章の大部分は失われ、魔法の発現方法も大きく変わった。
魔法の始祖であり栄華を極めた天の国を治めていたアレスティア魔法に、現代の魔法は足元にも及ばないと研究家はいう。
そしてもう一つ、気になるのはディアノブルの塔の存在だ。
現代魔法を極めている魔法師団の団長である自分でさえも、この地のディアノブルの塔がアレスティア魔法の神髄だとは知らなかった。
ヴァルハラの街に左手を向ける。この掌の中で潰せそうな小ささ。少しずつしぼめ、力を込めれば、空気が振動する。周囲の小石が岩石から揺れ落ち、地面が震える。不穏な空気が砂漠に立ち込める。
遠目でもズッ、と街が揺れるのがわかる。
(このまま、潰してやろうか……)
振動が大きくなる、それに目を眇める。碧佳宮に目をやる、あそこに――自分の女がいる。
ずっと――待っていた。大きくなるのを、育つのを、その時になるのを。
アイツを、自分のモノにしてもいい時が来るのを。
なのに、今更攫われて、黙っていられるか。
それならば、全て壊して――しまえ。遠景が見える、地が揺れて人間たちが騒ぐのを。街の中、王宮。
その時、にぎりしめた拳の中で銀色が光る。日差しに反射して光るそれにディアンは大きく息を吐いた。目を閉じて、己の中の凶暴な獣を落ち着かせる。
リディアと揃えて買った指輪だ。婚約をすっとばして自分が勝手に買って送り、そして妻になった。――なって、もらった、だ。
こんな自分をリディアは選んでくれた。
そう思い、愕然とした。
シヴァに指摘された、リディアがファズーンと共寝していてもいいのか、それによる嫉妬はないのか、と言われたことを思い出す。その時沸き上がったのは、胸糞悪い、というもの。
相手にするのも馬鹿らしく、シヴァを埋めてやるべく拠点をぶっ壊した。
当たりまえだ、腹が立たないわけがない。
でも、自分の気持ちが揺れ動くのは――女が取られる、それにムカつくことじゃない。
――リディアに、捨てられるのが怖い。
「おい。リディごと街を潰す気か」




