53.黄妃VS魔法師団
立ち上がり、全身全力で振り向く。かたずをのみそこから目が離せない。
黄妃の長い爪が指した先の紗幕から、人影が現れる。リディア達がいる客間と控えの間の仕切る薄紫の布から、半身だけ見せた男性が佇んでいる。
心が震えた、言い様のない感情を覚えた。嬉しいよりも不安、寂しさ、どうしようという複雑な感情は何から来ているのだろう。それは、記憶を失った直後にはないものだった。
黒い戦闘服をまとった男性は、一度目を眇めて黄妃を見たあと、リディアに目を向ける。
「……ディアンさ」
「さんは、いらない」
黄妃から目を外した彼は、立ち上がりかけたリディアにきっぱりいい、目で制する。歩んでくる姿も目が離せない、少しずつ顔をあげていくと、彼はリディアの目の前にいて、途方にくれている自分の目の前で屈みこむ。まるで子どもに対するようだった。
しゃがみ込んでも、揺らがない体幹。
それでもまだリディアより座高が高い。手が伸びてきてなぜか怯えてしまうような気持がわいて少し肩が揺れたけど、それよりも彼を見つめていたいと言う気持ちの方が強くて、そのままでいたら彼はそっと額に触れた。
思っていたより優しかった。それから温かくて大きい手が前髪をかき上げる。
どうして彼は自分の額に触れているんだろう。
「具合は?」
ああそうか、彼は自分のことを心配しているんだ。不意に泣きたくなった。こんなのはなんでもなくて、弱っていたわけでもないし、何も感じていなかったのに。
彼に漏らしたくなった。でも、そんなのは自分じゃない。弱っていることを見せたくない。
「平気、で」
「ですは、いらない。そしてわかった」
彼は一度も目を離さないで、素早く言う。それは威圧的でも、凄みはない。でも普通だったら優しくないと感じるもの。
「お前の“平気”は、平気じゃない」
手が離れようとしている、温かくて守ってくれる手が離れていく。ただその手を離さないでほしいと思ってしまう。
すると、彼が頭を抱き寄せてくる。驚いてしまったけれど、その服の感触や、ジェニパーベリーとシトラスの香りを吸い込むと、動けなくなる。
「お前は目をつぶっていればいい」
気がつくと目を閉じていた。そんなに弱い性格じゃないのに。守られていちゃいけないのに。でも、その中にいたら、全部が安心する。
「リディ、大丈夫か? 辛かったら横になれよ」
そして、声を重ねて打ち消したのはファズーンの宝の山から姿を現したシリルという女性。
見た目は強面の戦士。女性なのに彼らの中でも一番筋肉が発達している。そして自分への眼差しは強く貫き痛いほど。でもその目は、案じるあまりの熱量があって、あまりにも自分を思っているとわかるから怖くない。
ただ彼女は自分の視線の強さに気づいたのか、リディアを怯えさせないように目元を和らげて近づいてくる。
「お前は薬に弱いんだ。無理せず水分とって体外から排泄しろ」
リディアは彼女に平気だと頷き、目の前に視線を戻しまだ気まずそうなディアンの手を握り返す。
「来てくれて、ありがとう」
その目が見開かれる。そう言われると思っていなかった、という顔だ。その顔に思う、嬉しいけど、仕方がない人だな、と。ふと思う。昔の自分の感情だろうか。
「……ああ。遅くなった」
「さすが、魔法師団の精鋭。お姉さまが襲われた翌日に来るなんて」
今度は、その上に黄妃が声を被せる。
「お前」
シリルは、綺麗に着飾った黄妃を見て鼻を鳴らす。
「男だな」
リディアも、キーファも黄妃の性別を見抜けなかったのに。ディアンも黄妃を当然のように見ていて驚いてないから、性別を見抜いていたのだろう。
「あら。この宮殿では誰にも気づかれてないのに。さすが第一師団、ディアン・マクウェルとそのお仲間。お会いしたかったの、初めまして」
「仲間じゃねーし。会いたくもなかったし」
「……仲間じゃないの?」
一緒に来たのになんだか棘混じりの声にリディアが不安げに問うと、彼女は座り込むディアンの間に身体をねじりこみ、上からぎゅうと抱きしめてくる。
「今はな。縁切った」
ディアンがしぶしぶと立ち上がり、息をつく。なんだか負けてしまう、そんな人ではないようなのに。
「――お前は何者だ」
シリルが黄妃に尋ねると、彼は扇を取り出して口元を隠す。可愛らしい笑顔だけど、時々黄妃は口元を隠す、口元が笑っている時でも目が笑っていない。
「いやだな。ファズーン陛下の妃だよ」
「アイツはそういう趣味とは聞いていないけどな」
「ここは後宮。なんでもありだよ」
「ついてんのか?」
シリルの直接的な言葉にも、黄妃はたおやかに笑って応じない。
代わりにリディアが答えた。
「そういう質問は、デリカシーがないと思う」
キーファが聞いたのと同じような意味だけど、キーファは間諜なのかという質問でシリルは――性器がついているのかというストレートな言葉。
後宮という特殊な場所では、何でもありかもしれない。けれど、一般ではハラスメント。
言えば、シリルは黙り、黄妃はリディアに向かいにっこり笑う。
「やっぱり僕、リディアのこと好きだな」
「……お前に好かれることは、騒動の種になるだろう」
彼女は足をつく。まだ身長は十二歳ぐらいの身長だろう。その足でディアンの前に立ち、下から上へと覗き込む。
「だって後宮は退屈。陛下のお渡りを待つしかない。でもリディアは面白いからね。こうして噂の魔法師団に会えた」
「死に際かもしれねえぞ」
シリルが背後から声をかけても、動じない。
「後宮だもの。いつ死んでもおかしくない、もう慣れた。どうせなら魔法で殺してよ、見てみたい」
まるでなぞかけみたいだ。後宮、後宮、後宮。黄妃の声は高く無邪気で楽し気で。紅妃のアルカイックスマイルとは違うのに彼も狂気をひそめているのだろうか。
「――死なせない」
リディアが口を挟むと、黄妃は振り向く。皆がリディアを振り向く。それらの視線を受け止めて、リディアは繰り返すように今度は動作で頷いて示した。
「黄妃も、海嬪も。助けてくれたから私も助ける」
「リディア……」
絶句したキーファにリディアは笑いかける。
「黄妃。あなたを殺させない。私も記憶を取り戻すし、あなたもここが嫌なら何とかする」
私なりに、とかではだめだ。この元凶は何?
「このまま記憶を失ったままにはしない。力を取り戻すよ」
キーファはリディアを見つめて、それから微笑んだ。その笑みがわからなかったけれど、まるでリディアの中になにかを探すようだった。ディアンがリディアを見下ろす、その口が開くのを見ていた。なんどもその口元を見ていた気がする。それは気のせいなのだろうか。
これから何を言い出すのか、何を命令するのか。それを伺い、察する。それに長い年月を費やしてきた気がする。
「お前のことは信じている。必ずやり遂げる、あきらめない。そして俺達も見捨てない。だから、信じろ」
リディアは見上げて頷いた。
「――いいね、リディアは」
黄妃の無邪気な声が響いて、続く。
「……仲間がいて」
その言葉に、わずかにリディアの中で警鐘が鳴りキーファが気配を鋭くした気配がした。
「黄妃――」
「――神殿か、もしくは魔神のことは知っているか?」
不意にディアンが黄妃に尋ねる。んっ? と無邪気を装い首を傾げる黄妃に、再度ディアンが尋ねる。
「魔神とメルクリッサ神のことを知っているだろう?」
「魔神って災いをもたらすものでしょ。会ったことはないし、しらない」
「メルクリッサ神は?」
「ジャイフにきけば? 神官長だもの」
「王宮での祭事は?」
「メルクリッサ神殿の祭事? 私達が参加するのは妃嬪と皇族の酒宴だけ」
そういえば、と付け足す。
不意に、ディアンを黄妃は見上げる。
「リディアにカワイイこと言われたからね。教えてあげる。紅妃はハラール砂漠の出身、ハラールの方が魔神を恐れているよ」
「紅妃の父親はここの宰相だろう?」
紅妃はヴァルハラの宰相の娘だ、それがどうしたと皆が思うと、黄妃は皮肉気に片頬をゆがめた。ディアンの問いには答えなかった。
「先ほどの献上品の件。紅妃は黒髪の黄色系の男性がお好きなの、中央諸国連盟のね。タフでクールで、そして俺様」
ディアンを見上げて妖艶な笑みを浮かべる少年がいた。
「あなたはとっても紅妃様のタイプよ」




