54.紅妃の出自
「紅妃の母親は、前王の妾エーロ姫だ。エーロ姫はシヴァを産んだ後、宰相バハムト・インマルに下賜され紅妃を産んだ」
ちょうどその日に、戻ってきたディックの報告に各々は息をついた。それは安堵によるものではなかった。
複雑すぎる、面倒だ、そういう思いだ。別に他国の王族のことはどうでもいいし、珍しい話ではない、ただその王宮の揉め事にリディアが巻き込まれている。
「つまり、シヴァと紅妃は異母兄妹か」
「二人の仲がいいとは聞いたことはねぇな。そもそも接触している様子もない」
シリルとディックが互いの情報をすり合わせている。
「ファズーンの母親は正妃、皇后だ。つまり紅妃とファズーンに血のつながりはない」
それは一つ安堵すべきこと。紅妃の母親は妾だったが、前王との間に産んだ子はシヴァだけ。そのあと宰相との間に紅妃を産んでいる。
親族同士の婚姻は、王族や貴族間ならばないわけではない、だがこの国では推奨はされていない。現王であるファズーンと紅妃が兄妹婚ならば、経緯、二人の互いに対する胸中まで探らなくてはならない。それがないのは、一つの救い。
とはいえ、血のつながりがなくても、それに関わった者達の思惑が複雑に絡んでいる。
キーファが目を向けてもディアンは沈思して腕を組み、会話に加わらない。
「――ていうか、紅妃は前王の妾の娘。父親は宰相とはいえ下賜された上で産まれている。あのプライドの高そうな性格だ、相当屈辱なんじゃねえの? うらみつらみをリディにぶつけてきそうだ」
窓辺のシリルが窓の外を見下ろし話すのは見張りのため。ドア横に立つディアンは腕を組みくつろいだ様子ながらも外の気配を探っている。
ディックは椅子に座り、それを揺らしているが、この宿全体に遮蔽膜を張っている。それぞれ会話しつつ魔力と気を張りつめている、全く隙がない。
――キーファはそれらの気配を、その様子を学んでいる。経験値が違いすぎる。リディアはここにいたのだ。守ると言いながらも、キーファは彼女相手でもその高みに追いつけない。
さらに彼女は第三師団という守りに固い部隊にいた。近年リディアはそれを磨き、最近ではディアンでさえも、防御膜・遮蔽膜は敵わなくなっていたという。
記憶を失い、能力を失くした彼女を哀れに思わない。それはリディアに失礼だ。師団の彼らも同じ思いだろう。
――いつか、必ず取り戻す。能力も記憶も力もすべて取り戻し、元にいた場所に戻ってくる。甘んじない、それがリディアだと信じている。
だからこそ、キーファはこの中に彼女が戻って来れるように、戻ってきた時に役に立つ技能を一つでも多く得ようと努力していた。
「もう一つ。姫はその後、精神を病みハラール国に戻されて軟禁状態だったようです。こちらの国では、その名でさえも禁句だったと侍女にききました」
侍女は口が堅い女性だった。けれど、キーファが優しく微笑しとがめない、守ると安心させるとそっと漏らした。
(本当に綱渡りだ)
――ここでは周囲の情報を得つつ、己のことは漏れないようにする能力は必須だ。
苦手ではないが、キーファでえ薄氷を踏むような思いでいる。
もともとリディアは女性との会話が苦手なようだが、ここの女性達の悪意と罠を張り巡らす能力は更に上をいく。手ごわいどころか、下手すれば死に追いやる。
(だから、自分がいる)
――後宮での厄介ごとは全て引き受ける。
「何か、言い足りなそうだな」
キーファは頷く。
「すでに、察していると思いますが。宰相は、男色家というより小児性愛好家です。最も男児にかぎっているようですが」
シリルが手にしていたオレンジをかじり、窓辺からから地面へと投げる。黄妃が貢がれていたので悟ってはいたが、宰相は青年ではなく少年が欲しいのだ。
「紅妃の母親、エーロ姫は前王の妾であった自分が下されて、次に嫁いだ夫が小児愛好家。まあ、病む原因かどうかは不明だが、嫌にはなるわな」
「さらに、宰相は別の妾に一人子を産ませていますが、その存在は明らかにされていません」
「どっちもイケるのかよ」
「そのあたりも調べておいた方がよさそうですね」
「当事者の姫はもう死んでいたな。だが父親に当たるハラール現王はまだ健在、もう八十は超えてるだろ。ハラール王には四人の王子がいるがまだ王位継承者は決まっていない。八十の爺さんが死ねば、ファズーンはそのごたごたに紛れてハラールに攻め込む算段を付けてるそうだ」
「――孫のシヴァがハラール王位の正当性を主張して、指揮を執る可能性は?」
ディアンが目を開け、ディックに訪ねた。
「シヴァがリディを得れば、ヴァルハラ国の王位を奪還できる。そして全権を得て、ハラールに戦争をふっかけ両方の王位をぶんどるか……」
シヴァはディアノブルの塔の復活だけを願っているというが、両国の王位を狙える位置にいる。疑わないほうがおかしい。
「シヴァ・エーロ。その名で気づくべきだったな。ヴァハラの姓を捨て母親の名を自分に付けたのは、思い入れがありそうだな」
シリルが、うっとおしそうに言う。
シヴァは市井で軽業師まがいのことをして、王宮とは縁を切ったふりをしていた。だがその名を付けたという事は、何かの思いがありそうだ。
様々な思いを人物が抱き行動している。
――人の思いを察知するのはリディアの方が得意だ。
聞きだし、それをどうにかしようと心を開かせる。危ういがそれが人の行動をとどめたり予測するのに役立っていた。
それも彼女の魅力だった。危ういことをしないでくれるのはありがたいと思うが、同時に尊敬もする。こういう時に話を聞けないのが寂しい気もする。
自分では、そこまではできない。
シリルが、オレンジの二つ目を取り、キーファを見る。
「キーファ、お前が持ってきたリディの飲食物はどうだ?」
キーファは、まずジャイフが解毒剤として飲ませていた黄金の鍵を数滴彼らに渡していた。ジャイフは慎重で、杯も酌も一切自分が管理している。だが、彼女が飲む際に拭いた口もとの少量を手巾に含ませすぐに渡した。
「量がたりねーな。あれだけじゃわからなかった」
「そうですね」
揮発してしまっただろうし、仕方がない。
「これは彼女の一日の全ての摂取物です」
そしてキーファは小さな試験管をポケットに入れた袋を渡した。シリルが感心したように口笛を吹く。
リディアが朝起きた時にのむ水差しから、昼間のお茶から、食事全てのサンプル、間食、その他の水分など、全てを少しずつ拝借し試験管に詰めてきた。今日はここだけ、などでは解明できない。例えば、昼食後の茶に入れる場合もあるし、別の日には夕食に垂らす場合もある。その人物が同じ時間に同じものに入れる人物であれば助かるが、身近なものならばその時その時で変えてくる。
「よくやったな」
「こんなことは研究では当たり前です」
研究ではバイアスを除去する。しかもまだこれでは一日だけ、しかも昨日のものだ。揮発性のものならば一日で飛んでしまう。ただ数時間で消えるとリディアが食べるのに間があっては困るから、数時間程度は効能が残っていると考えられる。
「あとは、数日、最低でも三日は必要ですね」
三日というのも根拠はない。研究ならば何を基準に設定したと突っ込まれる。やるならば一週間は必要だろう。
「そういえば、これはリディアが紅妃にのまされていた“子宝の薬”の茶殻です」
ぐっ、という奇妙な息が漏れた方を見れば、ディアンだった。目を見張りそちらに目を向けると、彼は口を手で押さえ珍しく顔をそむけた。
「アイツ……」
ディアンの漏らした呟きに、素早くディックとシリルがいら立ちを見せる。
「あんだよ。リディアのせいじゃねーし、そもそもお前にも関係ーねえだろ」
「なんだよ、お前も欲しいってか?」
ボスには絶対服従の師団だが、リディアのこととなるとこの二人はディアンに容赦がない。攻撃するときは、協力体制も見せれば、別方向から連射を浴びせかける。が、今はそれに加わる時ではない。
キーファは静かに被せる。
「リディアは、ファズーンと一切の肉体関係を持っていません。侍女に調べさせ、ただの薬草茶だと言われているそうです。あの場で一度飲んだきりです。後は、俺が碧佳宮の侍女を買収し捨てさせています。その出し殻を持ってきました。もう一度中身を調べてください」
「――そう、か」
彼が漏らすのは複雑な声音。それは安堵なのか、不安なのか。
「子宝とか言われてびびってんじゃねえよ、それなりのことしてんだろ」
けっ、とシリルに吐かれて、ディアンが反論しようと口を開きかけてまた閉じる。悪いのか、と言いかけたが睨みにひるむ。
「キーファもどんどんやるようになってきたな」
「教わりました。あなた達にもですが、リディアからも」
キーファがそう言えば、少しだけ場に沈黙が降りる。
「その茶の内容物をもう一度調べろ、何が入っていたのか。長期の摂取で影響を与える場合もある、リディアの性質と飲食物、黄金の秘密、黄金の鍵との相互作用も調べろ」
そういえば、二人は黙ってうなずいた。
「紅妃の部屋で使われた麝香も調べがつきました。すぐに体外に排出され、さほど人体に弊害はないそうです」
キーファは紅妃の部屋の香炉から欠片を拝借していた。聞けば、トリップできる催淫作用のあるもの。宮殿ではよく使われるので紅妃が持っていても珍しくはないようだ。
リディアは酔ってしまったが、キーファは師団で訓練を受けていたので効果がなかった。
「そういや、リディア経由でキーファに渡された樹脂香だけどな」
紅妃からの贈り物だと、碧妃経由でキーファに送られた香のことをシリルが話す。
リディアが海嬪との会話の最中に香炉の中に入れ使って見せたのは、薔薇の樹脂ではなかった。
ルーバン・ジャウィと呼ばれるよく使われる甘い香りの樹脂香。彼女は含ませた物言いでキーファに渡してきた。
あれは”調べて”、という意味だとキーファは察していた。
(少しずつ、もとに戻ってきている……)
それは喜ばしいことだった。本来はキーファよりもリディアの方が経験値が上で、心配するのは失礼だろう。だが懸念の方が大きかった。
――彼女は優しい。過去の性格のままでも、女達が寵を得るためには何でもする華麗な宮殿の立ち回りには苦労しただろう。
少しずつ、女の策略の蹴落とし合いに適応しつつある。
けれど冷徹になれるのは自分のほうだとキーファは感じている。
紅妃でもジャイフでも殺せる。
そう思い硬い表情のキーファの肩をシリルが掴む。硬い手は万力のような力でキーファの肩を壊しそうだ。
「気張るな。殺すときを見誤るな」
「――はい」
シリルも、ここの人達も殺生は慣れている。ただ楽しんでいない、無用なことはしない。そこにいることにキーファはホッとした。
ここにいる限り、自分を止めてくれる、未熟な自分を導いてくれる。
「樹脂香は木の樹脂から作られる。だがこれは何の木かわからねえ」
これも首を傾げるしかない。魔法師団でもわからないことが多すぎる。
「紅妃も侮れない。ブツを山ほど隠してるのかもな」




