45.妃嬪達の企み
「リディア、大丈夫ですか?」
キーファと黄妃はリディアを赤花宮から退出を促し連れて帰った。そして碧佳宮に着くと、リディアを支えて寝台へと身体を横たえた。
「きもち……わるい、めがまわる」
「シーリ、肌を隠すものを。碧妃様、緩めた服はそのままで」
ここの主のようにキーファは命じ、侍女たちはその気迫に慌てたように従う。見るからに具合が悪そうなリディアは目を閉じたままキーファの声に頷き、反論は一切しない。
リディアのドレスは花びらのように薄物を何枚も重ねたものだ。キーファや蒼妃のように詰襟で首を覆う東方のデザインではなく、デコルテを出し胸の谷間も見える。その上からローブで覆っていたのを、紅妃達にボタンを外され危ういところまで垣間見える状態になっている。
けれど、今は呼吸が大事だ。キーファは素早く胸元の留め金を更に外し解放させ、背後に立つシーリから掛け物を受け取り胸元にかけ、後頭部を支え持ち上げる。
「薄荷水です、飲んでください」
この地方では比較的よく飲まれるもの。薄荷の生茶葉にお湯を入れ漉したものだが、本来は大量の砂糖をいれる。かなり甘いものだが、飲み慣れないリディアには無理だろうと、キーファは砂糖を入れないものを冷やし用意させた。
「何も入ってません。安心して」
毒も入っていないと言外に含ませるとリディアは薄眼をあけて、口を開く。たぶん伝わっているだろう。
キーファは強引に流し込まなかった。清涼感溢れる水が美味しかったのか彼女はゆっくり口に含んでいく。
「ゆっくりでいいです。むせないように」
いつも力強い色を宿す緑の瞳は、視点があわず揺れている。伸ばされた手が震えていてキーファは重ねて支える。小さな手が器を頼りなく持っていて、守ってあげたくなる。
彼女は感応系魔法師というもので、全てにおいて感じやすい。薬が効きやすく市販薬も避けていたのを知っていた。今回は、あのような怪しげな香を十分に浴びてしまった。――恐らく酔ってしまったのだろう。
心配だが、横にならせるしかない。
何の薬で解毒できるのか、わからないのだ。最悪、師団の彼らに連絡を取るしかないが、まだ意識はあるので様子は見られるだろうと判断しながら、リディアの様子を注意深く観察する。
脈を取り、呼吸を確かめる。目はけぶっているが、指を眼前に動かせば瞳孔は収縮し、脳の動きは確かだとわかる。
「……私、なんで?」
「あれは、麝香。ちょっとその気になっちゃうのよ。紅妃の秘密のお遊びね。普通は楽しめるけど、リディアは効きすぎて気分が悪くなっちゃったのね」
「その気になって、どうするの……」
「女どうしで、楽しいことするのよ。私は呼ばれたことがないから知らないけど」
後ろで眺める黄妃が話す。かなり事情を知っていそうだ。――知らないと言いつつ、滑らかに動く口、他の妃達にも一目置かせるこの存在感。
この立ち回りのうまさだ。何らかの方法で情報は得ているに違いない。
リディア、と名を知っているのは聞きだしたのに違いない。
あからさまに敵意を向ける蓮嬪よりも何を考えているかわからない。キーファは彼女の前で迂闊な発言をしないように気をつける。
「あの香は、解毒しなくても大丈夫ですか?」
「しばらくめまいが続くだろうけど。ショック状態を起こさなければ様子見でいいでしょう。自然に体から抜けるわ」
「――二人は、大丈夫?」
リディアはうっすらと目をあけて二人に問う。心配そうに眉を寄せ、目が気だるげだ。開いた唇は乾いて苦しそうだ。
「私は平気です。――碧妃様。あなたは“たぶん”、薬には弱い体質だと思います」
キーファが記憶のないリディアにぼかして説明する。ちらりと黄妃は目を向けた。何かを感づいたのか、彼女の金の透かしの蝶の耳飾りが揺れる。
「――私も平気よ。具合が悪いのは、あなただけね」
「ごめんなさい……ありがとう」
「それより。海嬪とはずいぶん仲良くなったのね、羨ましいこと」
黄妃が艶やかな桃色の唇をとがらせる。ちっとも悔しそうではない。あきれているというよりも感心しているようだ。一体何を考えているのかわからない。その関心の矛先は、キーファにむけられる。
「海嬪、あなたは随分対応に慣れているのね。色々な状況を乗りきって来たみたい。ちなみにあの珈琲はどうしたの?」
リディアがまだぼんやりした目を向ける。キーファはあの時、皆が飲むことに期待している視線を感じた。ただの珈琲だ、飲む行為に目を向けることはないはずなのに。
何かがある、と思っていた。
「飲むふりをして、袂に入れた手巾に含ませました」
「ああ。賢いわね、あれは阿片入りよ」
目を驚きで見開いたキーファとリディアに黄妃は予想していた反応が楽しいかのように笑う。やだ、安心してと呟く。
「こちらではよく嗜むものよ。いい気分になるだけ、お仲間になるための一つの方法。でもリディアには向いていない様ね」
リディアから薄荷水の器を受け取り手を握ると、弱々しく握り返される。柔らかいリディアの手だ。好きな女性ならば緊張もするし嬉しくもなるはず。だが今は様々な感情が沸き上がる。
血液の循環が悪いのか、冷たいその手を温めるように両手で包み込む。
役得とは思わない、痛々しい。リディアは感謝するように、キーファに微笑した。余計に心配になる。彼女が強がる時は、辛い時だ。
以前は魔法を扱い、師団の団員達と対等に闘い、ここまで弱みを見せることはなかった。それが時には必死で、何度も頼って欲しいと本人に言っていたが、ここまで隙を見せられると、この後宮で生き残れるのか、大丈夫かと不安が拭い去れない。
彼女にとっては馴染んだ男達と張り合う場所でも、魔獣が跋扈する戦場でもない。慣れない女達が悪意をひそめ爪を研ぐ伏魔殿だ。
「――海嬪様、もうお戻りになりましょう」
キーファは落ち着かない様子の自分の侍女に目を向ける。夜も更け、黄妃と碧妃のいう身分が高い者達の場にいて、後宮の裏を聞かされ自分と主が巻き込まれていることに不安を覚えているようだ。
自分の方が背が高いため彼女を見下ろす形になる、それに笑みを浮かべて言いきかせる。
「もう少しいるわ。碧妃様が気になるから。あなたは先に戻りなさい」
要は知りたくない事情を知ってしまうことが嫌なのだろう。その場から解放させてやりながらキーファは黄妃にも目を向ける。
「黄妃様、あなたももう遅いからお帰りになられたらいかがですか?」
黄妃はキーファが暗に帰れと言っても引き下がらなかった。むしろ何か話がありそうだった。
「どうせ、陛下のお渡りがあるわけでもないし。リディアの様子をもう少し見ていくわ」
そういえば、ファズーンの来訪がない。まして彼の居る後宮で、あのような遊びが横行していていいのか。キーファが奇妙に思っていると見透かしたのか黄妃は笑う。
いつも笑っているが、その笑みは作ったもの。ここの妃嬪の笑みは誰一人信用できない。勿論自分の笑みもだ。リディアに向けるものだけが、本物だ。
「今日の陛下は皇太后様の誕辰だから、ご挨拶にお渡りよ。一晩、いらっしゃることはないの」
「そうですか」
「まあ。相手にされない妃嬪達が鬱憤を晴らしているのね。リディアは可愛いから、餌食にならなくてよかった」
黄妃は嫋やかな笑みで首を傾げる。そして扇を一度パチリと閉じて、その音でリディアの侍女達に下がるように申し付ける。
リディアよりも、黄妃のほうが主人としての貫禄がある。侍女たちは飲まれたように慌てて衣擦れの音をさせて下がった。




