46.お友達宣言
黄妃もキーファも言葉を発しなかった。しばらくして、侍女たちの気配が遠くなった頃に彼女は椅子に座る。
閉じた扇は膝の上に置いたまま、要には金糸で黄玉の珠を複雑編みこんだ房がある。四妃達は彼女達しか纏えない宝石があるが、この扇の房も各自が自分の珠をつけている。
扇はどの妃嬪達も愛用している。顔を侍衛などの男性に見せないように、それから表情を隠すため。リディアは持ち歩いていない、顔を隠していたら相手の目がみえなくて、心がわからないから、と言っていた。
(本当は本音を隠しながら、相手を探るのが理想なのに)
リディアは、自分が顔を隠したままでは相手の本音が聞けない、という信条だ。当たってはいるが、ここの女達の言葉に耳を傾ける必要はない。
黄妃のように、こうやって何かを明かそうとするときほど危険だ。自己開示をするものは相手にも自己開示を求める。相手は見返りを求めている。
キーファはじっと黄妃を見つめ返す。彼女もキーファの内心はわかっているだろう。
「――海嬪、あなたと私は同じ」
「……どういう意味ですか」
「同じ匂いがするの。そういうのってわかるのね」
そして、彼女は少しだけ帯を緩め、前衣をはだける。キーファはその行為を止めなかった。焦りはない。本人が何かを明かそうとしている。
彼女の姿は衝立に隠れ、侍女達には見えない。ただ疑問だけがある。
「黄妃?」
唇に指をあてて、黙るように示した彼女の体型は女性とは言い難かった。まだ思春期前とはいえ、あまりにも胸が平すぎる。男のキーファは、過去の自分と重ねてしまう。
寝台の上に肘をついて半身を起こして驚いて目を見張るリディアより、キーファの方が理解が早かった。
「きみ……いや、黄妃、あなたは……」
「そういうこと」
黄妃は丁寧に衣を直して何事もなかったかのようにまた笑う。
「あなたは宦官、なのか?」
「それが切っているかどうかという質問なら秘密。それは君も聞かれたくないだろ、海嬪」
ハスキーだけど、声は男のものには聞こえない。ただ話し方を変えれば、印象が覆る。さらに今の眼差しは力強い男のものだった。
「ただ、正真正銘、妃だよ。官吏が化けているわけじゃない」
「どうして、そんなことを?」
リディアが呆然としながら答える。キーファはその背にクッションを入れて楽に寄りかかれるように手助けをした。そうしながらリディアの様子をみる。具合は先ほどよりは大丈夫そうだ。顔色も戻ってきている。
ただ、以前ならば警戒をして細くなる瞳や、緊張をはらみキーファを庇おうとする体、相手を探ろうとする声が、すべてない。
どこか人を信じきってしまうお人よしの危うさだけが前面に出ている。
リディアはこれまでの長い経験で、駆け引きを覚えてきた。その記憶がなければ、ただの女性に戻ってしまう。それを危惧して、キーファは会話の主導権を握る。
「その前に、なぜ明かしたのか、ということを教えてほしい。私は何も話していない。君にとっては益になったとしても、巻き込まれたくはない」
キーファがリディアを庇うように身体を前に出すと、黄妃は驚いたように目を丸くする。それさえもわざとらしい。予想していただろうに。
「いやだな。ただ仲良くしたいだけ。誰にも言えないのは窮屈だもの。それにリディアが気に入ったから」
「……」
キーファが黙ったままでいると、リディアがおずおずと尋ねる。
「ファズーン……は知ってるの? 誤魔化せるものじゃないでしょ」
「そこが、後宮の駆け引きだね」
リディアとキーファが理解できないというように眉根をよせると、黄妃は椅子の上で胡坐をかいて足の上に頬杖をついた。とても嫋やかな妃には見えない。
「僕は、陛下じゃなくて宰相に捧げられたの。忠臣からご機嫌取りにね」
「え」
「……リディア察してよ。宰相はそういう趣味、だから陛下は僕に近寄らないし、父親の趣味を知ってる紅妃も僕に弱いの」
呆然としているリディアが察して顔をこわばらせる、そしてキーファも拳を握り締める。
後宮内はなんて危うい勢力のバランスの上に成り立っているのだろうか。誰かが少しでも偏れば、そのほかも崩れる。
「……あなたは、それでいいの?」
リディアが問いかけて、悲しそうに眉をさげて「失言ね、ごめんなさい」とわびる。
ふと、リディアと会話した時を思いだす。授業が始まりしばらくした頃だ。
過去の先生や生徒達は、試験は満点なのに魔法が発現できない自分を腫れ物を扱うかのように避けていた。
けれど彼女は躊躇い気を使いながらも「自分も魔法を失った」とキーファの問題に踏み込み、今度はその言葉にたどたどし謝罪した。
――相手に何も言わないのは一番楽だ。言ったことを後悔したり気をつかわなくてもいい。けれどリディアは一度踏み込んだことで、責任を取るかのように「あなたが魔法を使えるようにしてみせる」とまで言い切った。
その時は、そこまではと期待はしていなかったが、踏み込んできてくれた、それを好ましいと思った。
――彼女は相手が抱える問題をそのままにしない。望んでしてることは構わないが、望んでいないことならば助けようとしてしまう。
黄妃もそう返されることを予想していなかったようで、「え」と放心して、次に感心したようだった。
「ならば。リディアが“友達”になってよ」
「え?」
今度はリディアが戸惑う番だった。
「リディア、待ってください」
やはり、黄妃の方が何十倍も上手だ。ここで彼の意図する“友達”は、危険だった。何を意味しているのかわからない。確かに少年の身で、犠牲になったのは同情する。けれど、ひとりひとりを気にかけていたらここでは身の破裂だ。
「後宮はね、そういうところ。でもリディアが心配してくれるなら、気がまぎれるかな」
「……そう、なら」
思案した後、リディアが頷いた。止めかけてキーファは彼女を見つめる。リディアは記憶を失い、自己を失い揺らいでいる。今は優しい性根がむき出しになっているように見えるが、それだけではない。
根底には、危機管理能力も残っているはずだ。
彼女のカンは団員の皆が舌を巻いている、彼女の行動にはきっと役に立つものもあるはず。
(それに、リディアに危機があれば自分が助ければいいだけ)
「海嬪はどうする? 君はリディアを助けに来たんでしょ。僕は君のことをばらさないけど。――ただリディアを逃がす手助けもしないけどね」
「どうする、とは?」
「君はどう行動するの? というそれだけの意味」
黄妃の問いは、キーファが正体を知ってどうするのか、ということ。何もしない、情報として利用する、その他自分がどうするかだろう。
(確かに、彼が男であるということと、複雑な勢力図が垣間見えた)
大事な情報だが、これで黄妃を追い詰めることはない。彼は別に攻撃してきているわけではない。自分が男というのは認めてしまった形になるがが、すでに確証は得ていたのだろう。
「何もしない。こちらはあなたのことを漏らしても何も益がない」
「そうだね」
「ならば、私達が知らないここの常識などの情報を頂けますか? ここで身を守るために」
「ふーん」
黄妃は胡坐を直して、横に膝を揃えて座る。そして扇を手にして口元を隠して目だけで笑う。黄妃と同じくとらえた気配に、キーファも男性として張りつめた空気を女性のそれへと直す。
「いいわ。あなたもお友達ね、海嬪」
「――ジャイフ様がいらっしゃいました、碧妃様」
ペトラが紗をあげて知らせるため駆け寄ってくる。彼女が見たのは、寝台に横たわるリディアを囲んで心配げに見守る黄妃と海嬪の”美女二人”だった。




