44.紅妃の遊び
リディアを迎えに来たのは、紅妃の侍従達だった。お茶会の招待と言われて断れるはずがない。花籠に載せられて、入口で侍女は帰された。
赤花宮に入ると、いつもの通り霧のような香で部屋中がけぶっていた。それはいつも以上に焚かれていて、まるで火事の煙のよう。けれど、その煙は桃色で、おまけに妙に甘ったるい。
「こちらですわ、碧妃様」
紅妃の侍女がリディアを案内する。天井からたくさんの垂れ幕が揺らいで、時折燭台で炎が揺れている。
それをかき分けていくと、迷路に迷い込んだよう。頭がぼんやりとしてくる。リディアは鼻を押さえた。まるで、何かが仕込まれているかのような香り。
そして一番奥には、紅妃達が長椅子や絨毯に座り込み、膝を崩した格好でくつろいでいるのが目に入った。昼間の襟をきちんと締めた格好ではない。
襟を崩し、胸元がかなり開き、腰元には薄い布地のみ。紅妃の胸の金と紅玉の装飾具は立派でそれだけがよく目立つ。
彼女たちは艶然とした笑みを浮かべながら、リディアを招く。
「紅妃様……」
「碧妃は初めてね。どうぞ、こちらにいらして」
紅妃が赤い唇を開き、とろりとした目でリディアを隣に招く。その手も気だるげに揺れている。
「あら。碧妃様には刺激が強い遊びかしら?」
向かい側には蓮嬪だ。少し小馬鹿にした口ぶりだが、その彼女の目も焦点があっていない。けれど、それが妙に色気がある。
「あの、あそび……?」
刺激が強い遊び? 警鐘は部屋に来る前から鳴っていた。けれどここに来て確信する。危険なものだと、ただし逃げる方法がわからない。
「ふふ。もっとくつろいで。ここには私達しかいないのだから」
ほかにも見たことがある嬪妾達が並んでいる。全員で八人ぐらいだろうか。だろう、と推定で数えたのは、視界が揺らいで人数が上手く数えられないから。それに垂れ幕で姿が上手く見えない。
リディアは背筋をただし意識を明瞭にしようとする。ここはおかしいと思う、なのにすぐにぼんやりしてしまう。
お呼ばれされ、気に入られることは紅妃の試験だろう。皆と同じように退廃的な遊びにふけるのが仲間と認められること?
(どうしたら……いいの?)
「お招きありがとうございます、紅妃様」
まずは腰を落として挨拶をする。やはり他の妃がいない。蒼妃や黄妃の姿がないことにリディアが気つけば同時に、蓮嬪は声をたてて笑う。
「蒼妃ねえ。あのような根暗な方を呼んだら、場が辛気臭くなってしまうでしょ」
蓮嬪の嫌な笑い方だ。常に他人を小ばかにして、自分の優位を感じていないと安心できない。その優位が王に愛されているとか、そんな不確かなものにすがるなんてと気の毒に思うが、ここ後宮ではそれが全てなのだから仕方がない。
「ねえ、最初に会った時から本当に可愛らしい方だと思っていたの。肌も真白で綺麗。もっとよく見せて頂戴」
紅妃が言えば、侍女のアキがリディアの襟もとに手をかけて、留め金をはずしてくる。
「あ、あの……」
阻もうとしても、頭がぼんやりとして手が上手く動かない。
(この香が、――何か薬を――含んでいる?)
紅妃がリディアの頬を長く整えた爪で撫でてくる。逃げようとしても、意識がぼんやりとして動けない。白粉の匂いがして、軽く頬に口づけてくる。その指が今度は鎖骨を撫でる。
気がつけば、留め金は更に外されてくる。皆がみだらな格好でくつろいでいる。
「碧妃は水たばこはお好き?」
綺麗に装飾された細口の壺の様なものが回ってくる。玻璃硝子で綺麗な飾り壺の先端には長いパイプがついている。一口吸った女性が勧めてくる。確か梅嬪と呼ばれていた、その水たばこは皆で回し飲みするらしい。
これ以上余計なものは口にしたくない。なのに、断れない雰囲気だ。
(でも、ここで逃げても――いつかは同じ目にあわされる)
ならば、できるだけ被害を受けないようにやり過ごすしか――ない。
「碧妃、こちらをどうぞ」
そして紅妃が自ら入れてくれたのは珈琲だった。小さな銀の器に入ったそれを銀のソーサーごと渡されて、リディアは少しためらう。
――何か違う気がした。粉が浮かんでいる。
「あなたの国のとは違うでしょ? 気になさらないで、上澄みを飲むの」
「ああ……」
珈琲の粉を漉さない地方もあることを思い出した。苦手だけど仕方がない。
けれど、口をつけようとしても目が回り手が震えてくる。
(ここを、乗り切れば……)
「どうしたの、碧妃?」
「紅妃様自らのものよ」
(……何か、入っている?)
断れない。でも、身体がうけつけない。
その時天井から垂れ下がるひれが動いて、華やかな存在が入ってきた。
「――紅妃様、黄妃様と海嬪様がお越しですわ」
侍女を後ろに従えて、入ってきたのは黄妃とその後ろには海嬪――キーファだった。黄妃はいつものように扇で口元を隠し、目だけで笑う。
「こちらで、お集まりと聞いて。ご招待がなかったけれど来てしまいましたの、ご迷惑だったかしら、紅妃様」
「――いいえ、黄妃。でもあなたにはまだ少し早すぎるのではなくて?」
「あら、私は十分に殿方のお相手ができる年ですもの」
その言葉に、紅妃が持った器が揺れた気がした。
「それに、今日は海嬪を連れてきたの」
黄妃が後ろを振り返ると、優雅に海嬪が頭を下げる。付け髪とはわかっているけれど、長く艶やかな茶色の髪は豊かに結い上げられて、控えめに刺した銀の簪がよく似合っている。
スラリとした長衣は、姿勢の良い彼を引き立てて、中性的でいながら目を引く。控えめな化粧に栄える蒼い目が、この艶美的な空間の中で一服の清涼剤で救いのように見える。
「妃嬪の皆様方。よろしくお願いいたします」
そのハスキーな声と、目を引くたたずまい。黄妃に嫌みを言おうとしていた、蓮嬪が海嬪ことキーファに顔を赤らめているのが確かに見えた。
「来てくださって嬉しいわ、海嬪。こちらにどうぞ」
キーファがちらりとリディアに目を向け隣に座った。
ようやく意識が少しクリアになったが、まだ手の動きがおぼつかない。リディアが震える手で持つ珈琲のソーサーをキーファは優しく微笑んで手を添え助けてくれる。
「あら、碧妃様、飲んで頂戴。今夜は楽しむ夜なのよ」
「海嬪。あなたも羽目をはずして」
キーファはゆったりと視線を流して、妃嬪達を眺める。
「申し訳ありません。私はまだ慣れていなくてつい碧妃様のお手を取ってしまいました。私も、その飲み物を頂いてもよろしいでしょうか?」
キーファの笑みにのまれていた紅妃が慌てて注ごうとすると、キーファは微笑んだままリディアの珈琲を手にして、それを飲む。そして、彼女たちに負けないくらいの笑みを浮かべる。
「美味しいです。さすが紅妃様」
彼のその瞳には、何にも臆さない理性の強い光があった。




