40.酒場にて
その空気に詰まったようにシヴァは息を吐いた。まだ緊張が抜けきれない中、口が勝手に動いていた。
「――なあ。あのお姫さんが他の男とヤっても、アンタは好きでいられるのか」
ディアンの答えは、言葉ではなかった。これまでいた宿屋の床が崩れていく、手を伸ばしても届かない、瓦礫が降ってきて奈落の底に落ちていくところでシヴァの意識は途切れていった。
――と思えば、腕を掴まれて宙に浮かんでいた。
「お前、いちいち寝た子を起こすなよ、化け物を挑発すんな」
浮かんでいたと思ったのは、落ちるスピードを緩めたから。崩れ落ちる建物から二メートルもない、粉塵に袖を口に当てながら咳き込むと呆れた声が響く。
ディックと呼ばれていた枯草色の髪の男は背後を振り仰ぐ。
「派手にやってくれたよな、せっかくの穴場だったのに。後始末はいつも俺だし」
「な、なんなんだよ」
「解散、それぞれ持ち場に戻った」
その目つきが悪い男が顎をしゃくりあげて、シヴァに別方向を示す。
「で。もう少し情報だせよ」
***
――喧噪に溢れたありふれた酒場にディックはシヴァを連れて移動した。
ディックは奥の方に座り足を机に乱雑に置き、ビールを二つ頼む。
だがシヴァに目で制し、ビールには口をつけさせなかった。
「もったいつけないで、飲ませろって」
「飲むんじゃねえよ、話にならない。で、神と乙女がなんだって? 王座はまだ安定してないのか」
酒がないと周囲の客に怪しまれるから頼んだだけ。目の前にチラつかされ飲みたそうな顔から睨まれたが、それ以上にドスを利かせれば相手は黙る。
終わったらにしろ、と視線で言われたシヴァは仕方なく付き合う。
けれど周囲を警戒して口をひらかないシヴァにディックは薄く笑いを浮かべる。
「聞こえねえよ、結界がある」
「だったら初めから言ってくれよなあ」
「で?」
引き延ばすなとディックの目は脅しが入り、シヴァは気を呑まれた様子で緊張に一瞬息をのむ。
「……乙女が現れた以上、もう一度神官達は王座選定を行うしかない。けれどヘンシュはファズーンに忠誠を誓い、ジャイフもファズーンを擁立するだろう。――茶番だ」
「想定外の事態になることは?」
ジャイフやヘンシュが裏切る可能性もあるだろう、ファズーンは安穏としていられるわけでもないだろうが、椅子取り合戦は勝手にやってろといいたい。
なぜそこにリディアが巻き込まれる。
ディックは大きくため息をついて、肘をついてそれに片頬を置いた。
「ったく。他国を巻き込むなよ、自分らでやれっつの」
そして他人事のように面白そうな顔をしているシヴァを見据える。
「なんで、あんなこと言った」
「あんなこと?」
「うちのボスへの挑発だ、興味で言うはずもねえだろ」
誰にであれ下世話な質問だ。ディアンに対してはあんなことを言えば一瞬で吹き飛ばされる。わざわざ言うほど軽薄な奴を装っているが、慎重に生きてきたはず。
「――どんなに仲がいい奴らでも。不可抗力とはいえ、他の男にされたらいずれ仲は裂ける……それとも、アンタのボスは違うのか」
皮肉気に言うシヴァにディックは鋭くねめつける。
「それがお前に何の関係がある」
「女だって、まともじゃいられなくなる。鞍替えできる奴もいるが、あの姫さんはそんな性格じゃなさそうなんでね。自分を責めるだろ」
案外的をついた台詞にディックは黙る。ディアンは受け入れるというが、感情はついていかないだろう。何よりも、リディアは己を許さない。
「まるで、見てきたようなセリフだな」
シヴァは笑って髪をかき上げた。上向き加減の顔、たれ目から見下すのは自嘲の眼差し。何かあるな、とディックの眼差しにシヴァは語らない。
「助けた後に、断絶されちゃ困るんでね。俺の目的は姫さんがディアノブルを起こしてくれること。ただ、それにはアンタ達の助けがいる」
「目的がシンプルじゃねえな。ただの中間地点に見える。最終目的はなんだ」
シヴァはしばらくディックを見つめた後、口を開く。
「ディアノブルの塔の再建――つまり亡きアレスティア帝国の復活だ」




