36.海嬪
――部屋を訪ねると、女性が物珍し気に周囲を見渡していた。光源は窓からの日差しのみ。キラキラと小さなチリが照らされている中に、すらりと背筋を伸ばして立つ姿は物おじしていなくて、堂々とした存在感があった。
背はもともと百七十センチ以上あるのだろう、踵のある花靴を履いているため女性にしてはかなり高め。けれどあの不安定な靴に体重をかけても、体勢を一切崩さない。
彼女はリディアが入ってきて、身体全体で振り向いた。
思わず黙り込んでしまったリディアを見ている彼女は迫力がある。
「ええと、――ようこそ。海嬪、足りないものはないかしら?」
なんだか偉そうで、もの慣れない話し方。ちなみにリディアは嬪に“様”をつける必要はない。妃同士は同等のためつける必要はないが、敬意や挨拶の時には“様”をつけるのが通常だ。
赤花宮で会う蓮嬪はリディアに“碧妃様”と敬称をつけるが、口調がわざとらしいので“様”が侮蔑に聞こえる。
――海嬪は山岸の雪どけ水がたまった湖のように美しい水色の瞳をしている。その瞳がじっと見つめてきて、目を離せない。
どのように表現したらいいのだろう。
容姿は整っているのに、美しい、とは違う。美形とも違う、華やかさはない。
そうだ、格好がいい、といいという形容詞がぴったりだ。
女性のような嫋やかさはない。彼女、というより彼と呼んだ方が正しい、そう思ってリディアは内心自分の感覚に首を傾けた。
その姿勢の良さ、たたずまいの静けさや潔癖さ、そんなものを感じたからかもしれない。
彼女はリディアに首を振り不自由がないことを応えて、それから背後の自分の侍女に目を向ける。
席を外せ、という合図にリディアも自分の侍女のペトラを振り返る。彼女は外されたことに目を丸くして少し不満そうにしながらも、それでも下がる。
二人きりで残された空間に海嬪は黙ったままだった。
あまりにもじっと見つめるから、リディアも飲まれたように見つめ返す。その湖のような瞳に吸い込まれていく。
「――私は、キーファと言います」
ハスキーだけど、心地の良い声が唐突に名を告げる。空気を微かに揺らしただけの声は、あまり響かず、目の前のリディアにだけまっすぐに届く。おそらく侍女たちには聞こえない。
不思議な話し方をする人だと思った。
自分がなぜそう思えるのかわからないけれど、そのことと名を告げられたことに困惑しながら、リディアも少しの間の後、口を開く。
ここでは、妃になれば名を捨てると聞いた。けれど彼女は入内して日も浅いし、しきたりを知らないのか、もしくは親愛で教えたくなったのかもしれない。
(ただ、“キーファ”とは男性名だった気がするけれど)
キーファの向けるものは凝視に近く、リディアの反応を待っている。
「私は、リディア、というらしいの。よろしくね」
リディアの返答を聞いた途端に彼女の眉があがり、口元が強張った。その表情の変化は男性のようだ。それを見て、リディアも確信した。今までの自分の感覚と全て合致する。
キーファは男性なのだと。そしてあのディアン達の仲間なのだと。




