37.妃のドレス
この国は、厳しい北の砂漠と東の峰に囲まれている。さらに西海には巨大な港を有している。様々な民族と文化がまじりあい、服装や家屋も独自の発展を遂げた。
妃嬪達が纏うのは出身国から送られてきた衣装が主だ。
蒼妃の出身の東の山向こうは、絹の名産であり彼女も長い筒状のドレスを着用している。それは四季や風景を一枚画に描くようなデザイン。
紅妃は点描やアラベスク模様の着物をきている。体の凹凸がはっきりとわかるようピタリと張り付き、色の艶、多彩さ、複雑さで格の違いを表すらしい。黄妃は、上衣が短く下は膨らませた長いスカートのようなドレスだ。
リディアは出自がわからないから、すべてファズーンが送ってきたものばかり。肌触りの良い無色の無地生地で揃えられているが、高級なシルク。
織り方に工夫がされていて、とても風通しがよく涼しい。一見、地味にも見えるが、生地に艶があり妃の中では一番の高級品だ。体に張り付かず余裕があるため流れるような生地は、リディアが動くとさらりと腰や胸元を水のように落ちていき、腰の細さや胸のふくらみを強調させる。
その上で細い金の鎖を腰に巻き、首には華奢な首飾りをかざる。生地には小さなダイヤや真珠やエメラルドが飾られて、実はものすごく豪華だ。
髪は軽く結い上げうなじと首を見せ、一本の櫛を挿す。エメラルドが一粒揺れている品のいいものだ。最近は簡素にするスタイルが定着したが、その一品がものすごく高価だとリディアは知っている。侍女とリディアとファズーンの中での妥協案だ。
どうして飾り立てるのが好きなペトラが納得したかというと、ファズーンがこのスタイルをお気に召したから。派手な格好よりも、それでくつろぐリディアを腕の中に抱きしめているのが好きらしい。だったら、飾り立ててやろうかと思ったけれど、それも幼稚だ。
――姫たちは寵姫や皇后の衣装の真似をする。
ファズーンの好みでリディアが飾りたてられていると聞き、真似をする女性達も増えているとペトラに聞いてリディアは疲れたように笑った。
そんな中で、空色の瞳の海嬪は、東方民族の筒状のドレスを着ていて体型がわかりにくい。
スラリと寸胴になるように仕立てられた衣装の筒襟は喉まで覆い、胸を押さえ、腰幅からお尻まですべて平らにするように補強する。
茶色の髪は、額をだし前髪は左右に分けて垂らし、後ろ髪は一つに結い簪でまとめ上げている。そのストレートの髪は、艶やかで美しい。
彼女はそっと目を伏せ、顔をあげる。その顔にはもう笑みが浮かんでいた。それは楽しげでもなく、侮蔑でもない。少し寂しげで、けれど何かを決意したような強い眼差しを宿していた。
「やはり、わからないんですね。リディア」
今度のその声は明らかに男性のものだった。
「……キーファ……?」
確かに男性だ。そして彼の声は冷静で“やはり”、ということからすでに予想していたということ。声の中に責める響きがないことが、リディアには寂しさが混じっていると感じてしまう。
つまり、あの人達と同じでリディアがなくしてしまった記憶の中の知人なのだ。
戸惑いと緊張を掠れた声で名を繰り返すと、彼は寂しげに笑った後、それを瞬時に消しつつまし気な笑顔を浮かべた。
「よろしければ、座ってお話しませんか?」
その声と話しぶりは、出会いがしらの海嬪のもの。使い分ける能力と彼の正体に困惑しながらも促されて、見事な牡丹の刺繍がされた敷布が載せられた丸椅子に座ると、キーファの侍女が器にお茶を運んでくる。
こちらはすべて東方様式だ。黄色の茶碗には蓋が載せられている。開ければジャスミン茶の香りがして、その茶葉を蓋で押さえながら茶をすする。
それを受け取りながら一口飲んで横の茶卓に置いた。それを待ったようにキーファが口を開いた。
「この度は、館を賜り光栄に存じます」
(――俺は、あなたを護りに来ました)
彼が二重の内容を話す。音にされた話と唇で語る話。音のほうは、当たり障りのない海嬪のもの、唇の動きで語る内容はキーファのもの。
それができるキーファも驚きだが、リディア自身も読唇術ができて、呆然とする。
どちらがすごいのだろう、というかなぜこんなことが彼も自分もできるのか。口を開きかけると、彼は目で制する。
(――侍女が聞き耳をたてています。このままで話します)
リディアは頷いて、口を開く。
「不都合があったら、何でも言ってね。それにしても、なぜ私の宮に? あなたが望んだの?」
彼の言っていることはわかる。けれどリディアにはその話し方ができない。
「あなたは――」
(はい、彼らの仲間です)
どう聞けばいいのか言いよどむと彼は聞きたいことを察し答えてくれた。
「碧佳宮の一部に住むように、紅妃様からご紹介頂きました」
「そう、でも私の宮でいいの? その……陛下もよく来るけれど」
バレる心配は? と目で問えば、彼は自信のようなものをちらりと目の端で見せた。
「私のようなものに陛下が目を留めることはないと思いますが――」
(――大丈夫ですよ。自分でなんとかします)
ファズーン自身についてはよくわからない。けれど鈍くはないし、容赦もない。リディアに対して当初は脅しをかけていたけれど、それを実行することはなかった。
ただ自分の後宮に男が侵入するなど、容赦しないだろう。
男とバレなくても、ファズーンの目に留まったら? 夜の相伴に呼ばれたら? 大丈夫なの? という目に、キーファは軽く笑う。
(心配しないでください。それよりも、身体の調子はいかがですか?)
眉を寄せてキーファに前のめりで問いかけようとしていたリディアは、慌てて姿勢をただす。見られていることを意識しなくては。
顔合わせにしては、距離が近すぎる。
「あなたは、東の出? お家の期待を背負ってかしら?」
「いいえ。北の砂漠を超えたところです、両親はなくなりましたが伯父の推薦をうけました」
(――俺が来た目的の一つ目。まずは後宮争いであなたを護ること)
「そう」
表向きの内容にそぐわないから目線だけでありがとうと伝えて、話を促す。
確かに、後宮では生き延びること、それが最も重要だろう。子を産んでも、王の寵姫になっても妬まれた暗殺されたり、捨てられる。人生の終焉を穏やかに迎えること、それだけを願わなくてもいけない――って、自分はそうするつもりはない。
キーファはリディアとの会話を目と口唇の動きで続ける。
「うまくやっていけるといいのですが」
(――二つ目は、あなたの記憶とあなた自身を取り戻すため)
真面目な顔で、リディアを見てくる、二人とも膝の上に茶器を置いたまま見つめ合う。到底和やかなお茶会になりそうもない。
「私は、こちらの作法がわからないの。それでもお役に立てるかしら」
「勿論です」
そして彼は綺麗な目を陰らせて伏せる。そして上げた時には、既に決意を宿していた。
(――リディア。あなたは、王と俺達のどちらを信用しますか?)
少し置いた後、彼は付け足す。
(――記憶がない今、あなたは俺達も王もどちらも同じ程度の存在のはず)
リディアは驚いた。確かに彼らについては記憶がない、それは偉そうなファズーンも同じだ。
自分が苦しむときには常に傍にいて、手を握り、声をかけてくれるファズーン。勝手に嫁としてリディアを幽閉しているけれど、傷つけてきたことはない。
ただ、ジャイフに操られているのかもしれない。そしてファズーンが語る自分は――自分じゃない。
「――海嬪、あなたを私は信じるわ。来てくれて嬉しい」
あなたを選ぶ、信用する。その思いを告げる。
(ならば、告げます。――あなたの夜に来る症状は、毒を盛られているからです)
彼は、一拍置いた後、強い光を宿した目で告げた。リディアは、顔には出さなかった。訓練を受けていたのかもしれないし。それ以上にやっぱり、と思ったのもあったかもしれない。
(言わないと師団の皆で決めました。けれど、あなたは知る権利がある。知るからこそ強くなれる)
彼はリディアをまっすぐに見つめてくる。
(三つ目――あなたを支えます。これからもずっと)
リディアが目を瞬くと、彼は顔を和ませた。
(すみません。いつも言ってることです、改めて伝えておきます。俺はあなたの味方で、護ります。――これから先どんなことがあっても)
「ええと」
表立って口にしていいのはどんな言葉だろうか。告白のような言葉に迷えば、彼は何事もなかったかのように話を続けていく。
(毒の後、飲まされるのは鎮痛剤。これはわかりますね)
頷くリディアに続ける。
(ただ最初の毒は、いつ盛られているかは不明、無味無臭で数ミリ単位、防ぐことは不可能です)
リディアは、強張る顔を必死に平静に戻す。水に盛られていたら? 水さえ飲まないのは不可能だ。
(しかも長期服用している、絶てば中毒作用をもたらします)
リディアは自分が持つ茶器を見下ろす。
(それには入っていません、保証します。ですが、あなたの宮で誰が入れているかさえも不明です)
リディアは頷かずただ茶器を見下ろしたままだった。ここで動揺を見せたらいけない。ペトラやシーリも加担している可能性もある。疑うと全員が該当者になってしまう。
「……私は、あまりこの生活がわからなくて。あなたに教えられることがまだないの」
ようやく言葉が絞り出てきた。
「私もそうです。煩わせない様、徐々に慣れていきます」
(解毒剤は必ず手に入れます。記憶も必ず取り戻します、ですから今のままの生活で……耐えてください)
「でも、姉代わりの私を頼って頂戴。一緒にここの生活に慣れていきましょう?」
リディアは茶器を置いて立ち上がり、持参した袋から出したひとつまみの樹脂香をだして、火の灯された盆に載せる。
火にあぶられ溶けた樹脂が甘い匂いを漂わさせる。
薔薇姫こと、紅妃からの贈り物だ。海嬪へ渡すように頼まれた。なぜ自分で渡さないのかはわからない。けれど、リディアが”姉として妹の海嬪へ”渡すように、とのこと。
「少し、甘すぎる匂いかしら? ”どう”?」
白い粉を纏う粒上の樹脂が、じゅっとあぶられて溶けだし、緩やかに匂いを放つ。薔薇のお香という名称なのに異なる匂いだった。薔薇から抽出していないけれどイメージ的なものだろうか。
瑞々しさも繊細さもないが、これはこれで慣れれば甘い匂いとして好むようになるかもしれない。
後宮では多種多様な香がくべられる。どの部屋、館でも香りだらけ。本人達も自分の香りをもち纏う。
キーファは特に感想を述べなかった。
「紅妃様からの贈り物なの、よかったら」
「――ありがとうございます、光栄です」
(――必ず、助けますから)
彼の目と言葉に、リディアは頷いた。




