20.シヴァ
空が白み始めている。ジャイフもファズーンの気配もない。起き上がるとまだ腹部には軽い鈍痛があった。それからめまい。
身体が揺れる、額を押さえて水が欲しいとシーリを呼ぼうとして気配に気がついた。
「だれ……っ」
窓辺に揺れる影、一瞬あの人達かと思った。黒髪のディアンと、枯草色の髪のディック。けれど匂いが違う、ジェニパーベリーの匂いも、ディックのマジョラムの匂いもしない。
口笛が響いた。――慣れている。男性が女性にするからかいを含んだものに、眉を顰める。
「勇ましいお姫さんだな、まあ騒がない方がいい、アイツらを呼びたくないなら」
リディアの寝台を見下ろす北側の窓辺の桟に腰を掛けて、半身をこの部屋に覗かせた赤毛の男がいた。
ひょうひょうとした話しぶりと乱雑な仕草に風来坊のような雰囲気があるが、言葉に訛りがない。丁寧な構文、抑揚のつけ方とアクセントから育ちは悪くなさそうだ。
まるで貴族の子弟が、街中で庶民を装って酒場に繰り出しているような。
彼は、リディアが騒ぐ様子がないと感じ、足を部屋におろす。その瞬間、リディアは顔をあげて、彼を見返す。まだ部屋への侵入を許したわけじゃない。
「――あなたと、あの人達とどっちがマシかしら」
アイツらは誰を指しているのかはわからない。ファズーン、ジャイフ。またはシーリ達も含んでいるのかもしれない。
いずれにしろ、誰もいない時を狙ってこの人は訪れた。それを想定して二人で話を進める。何の用か、自分には不利か有利か。
どこにいても知らない人ばかりだ。けれど、あちらも初めて会った口ぶりに、少しは安堵する。それならば強気に出られる、教えられるばかりの弱い立場じゃない、対等だ。
そう思って、自分のほうこそ待っていて受け入れるばかりじゃ、すぐに不利になるとリディアは立ち上がる。
けれどまだめまいが続いていた。よろめいて、寝台の円卓につかまる。息切れで目の前が暗くなってまた座り込む。
そしたら、その人物が支えこんでいた。
「綺麗だよな、アンタ。これじゃあ兄貴に執着されるのも無理もない」
リディアは目を剥いて彼を見上げた。勢いよく見上げたせいで、まためまいに襲われる。
「―――離して。座りたい」
彼はあっさりと離してくれた。ファズーンとは違う性格のようだ。けれど、心配している様子はなく、フーンと笑っている。この男も嗜虐性の指向の持ち主だろうか。
「ファズーンの弟?」
深く沈みこむような柔らかい寝台に座り込むと、その男もにやりと笑って、リディアの横に座る。寝台の弾力に跳ねたというようにさり気なく身を寄せてきたから、リディアは迷惑そうに彼を両手で押しのける。
すべて計算。“兄貴”と会話に忍ばせたのもそう。
「で。何の用?」
「俺についてお姫さまは、興味ない?」
笑う姿は、結構な美形。たれ目がちな瞳に、左目の下の泣き黒子。耳下の長さだが、肩上に伸ばした赤毛は無造作にクシャっと乱れているが、それもわざと。
ファズーンと似た左右の肩に麻布をかけているだけのラフな衣装。下は緩やかなパンツ。肌の露出が激しくて、その下の筋肉がよくわかる。ただ、ファズーンが武に長けているとはっきりわかる肉体に筋肉を纏わせているのに対して、こちらは半分ぐらいの筋肉だ。
あちらの方が、恵まれ過ぎた体格のせいだろうか。
「兄貴とは比べんなって。あっちは将軍だったつーの」
将軍。それでジェネラルか。彼らがしたファズーンの呼び名を思い出す。口をとがらせわざと作った表情をリディアは無視する。
「ファズーンはジェネラルだったの?」
リディアが興味を引かれたことにおや? と視線を瞬く。
「二度目。俺のことは興味ない?」
リディアの視線に気づいて、彼は左指で薄布をひっかけ下ろして、身体を見せつけてくる。
それに顔を赤らめることなく、リディアは顎を尊大にあげて、わざと観察する。
「胸筋は発達している。足よりも上半身を鍛えていた」
普通は恥じらうだろう、けれどこんな挑発は馬鹿らしい。確かにいい体格はしているけれど。
それよりも一番気になったことがある。
――それは、へそピアスだ。
金の輪っかは、流行りだろうか。それに何か記憶が揺さぶられる。
「お兄さんといいことしない?」
「しない」
でも流し目をされると色気も感じてくる。鍛えた腹筋に煌めくピアスが対照的で妙な魅力があるのかも。
「残念。娼館じゃあモテモテなんだけどなあ」
「じゃあ、そっちに行きなさいよ」
頬に片指をあてて目を笑みの形につくる。かわいらしさと目を弾く色気。それよりもリディアにはピアスの方が気になる。
お姉さま方とは引っ張って遊ぶのだろうか。
「あ、これ。興味ある?」
「……ない」
凝視していたのがバレてしまった。顔をそむけたけど赤くなり誤魔化した。
「……お姉さん方にウケるんだよな」
「やめて。引きちぎるわよ」
指でひっかけて説明するのを遮る。
「そういう遊びも。教えてあげよーか?」
流し目で「残念」と呟く顔は、全然残念そうじゃない。鍛えているのに退廃的な耽美な美形ならば、そりゃあモテるだろう。リディアは嘆息して続けた。
「兄者の影にいたチャラ男を装う弟。戦闘能力はそこそこ、兵を率いるのは苦手だけど、弱くはない。一対一の真っ向勝負はしない。むしろ数人相手の翻弄する立ち回りが好き」
言えば、彼は真顔になって、顔を引きつらせた。
「言って……くれる」
それから笑い出す。両手で体を支え寝台の上でのけぞる。くつくつと聞こえるような笑い声もわざとかもしれない。
「ちなみに、なんでそこまで読める?」
「経験。でも解答あわせはしなくていいわ。興味ないから」
口を開き唖然としていたが、平静を取り繕ったようだ。それでも汗がにじんで焦っている。彼はリディアの弱点を口にする。
「泣いてたのに結構気が強いんだ。それもいいな」
「もう帰って」
口説かれている気がしない。ただ馬鹿にされているだけ。顔をそむけて言うと、まあまて、と彼は宥める。
そして、真顔になり腰のポケットから碧いものを取り出す。しゃらっと鳴ったそれは、ファズーンが持っていたリディアのペンダントだった。
「何で、それをあなたが……」
「さあ、ね」
とぼける顔には、ファズーンのような覇気もジャイフのような禍々しさもない。ただ尊大さは同じ。軽くあしらえそうだけど、あっちがリードしている。踊らされていると思いながらも、それに乗るしかない。
「返して」
彼はリディアから離れ立ち上がり、頭上に放り投げる。
見上げていると、彼は素早くそれを空中で受けとめる。リディアが立ち上がり追いかけると、今度は高く掲げる。
「お嬢さん、足が見えてるよ?」
動けば薄絹が透けて太腿まで見えて丸見えだった。でもここで恥じらったら負けだ。リディアは、立ったまま睨みつけた。衣服を直すことはしなかった。
真顔になった彼は、からかうのをやめたようだ。
唐突に彼がそれをキャッチボールのように、下から上へリディアに放り投げた。もちろんボールじゃないから、自身の重みでリディアのだいぶ前で絨毯の上に落ちる。けれど、数歩進んだリディアは正確な位置でキャッチした。
しかも彼から目を離さず、顔をあげたまま。
「へえ」
今度は本気な感心だ。目をわずかに見開いた赤銅色の目を見つめた後、どうでもいいようにその顔から視線を外して、ネックレスを見つめる。
それは、ネックレスよりは長い。ちょうど胸、心臓のあたりに翠玉が当たるようにできている。花のつぼみを模した台座。鎖は細いが、頑丈で軽い。素材はわからない。
それをリディアが持った途端に淡く光り、文字を浮かび上がせる。
「リディア・マクウェル……」
口端にのぼらせて、呆然とする。
(ディアン・“マクウェル”)
――あの人と同じ姓。まさか兄妹、なんて馬鹿な想像はしない。あの人は、自分の夫だ。感覚はない、記憶もない。感情もない。でも、確かめたいと思った。何度でも、思い出すまで会いたい。
悪魔のように睥睨する瞳、見据え睨みつけるような眼差しに自分も見返したい、普通は恐れると思うのに怖くない。
目を閉じる。
――ごめん。ごめんなさい。
どんな声で、どんな思いで、自分が呼んでいたのかわからない。
「リディア・マクウェル 1-5-0000897250」
そして、先ほどの男が部屋の中央にある丸椅子に胡坐をかきながら、飾りの刻み文字と同じことを呟く。
パッと振り向くと、夜が明け始めた白んだ空の中に彼は赤毛を晒していた。
「1は第一師団。5は治癒魔法師、末尾に0は、特級魔法師」
眉を顰めるリディアに、あーあ、と彼はわざとらしく嘆いて、小卓の上の小皿からピスタチオを取り皮を爪で剥いて、指ではじく。それを放りあげて口で捉える。
「他国の俺の方が知ってて、本人がわからない。かわいそうだ」
「だれが、かわいそうなの? 私? それとも仲間の方?」
強気で視線を据えて問えば、また目を見開いている。これも演技なのかもしれない。
「私は記憶がないから、かわいそうなのかわからない。でも――失われた相手の方が辛いのかもしれない」
皆が驚き、何かをこらえていた。それほど思われていたのなら、自分が忘れてしまっていたことに罪悪感がある。ここにいる自分は嘘だ。
「確かにな」
「――そろそろ本題に入って」
平坦に言うと、彼は頷いた。いちいち芝居がかっているけど、本気でシーリ達が来る時間が近い。
「わかった、って。お姫さんは、グレイスランド魔法師師団の魔法師。しかもグランマスターは超絶エリート魔法師」
「魔法師……?」
彼は試したようだった。魔法、という言葉に困惑するリディアに、あちらもついた肘に顎を乗せ、ふーんと観察していた。




