19.ジャイフの嗜虐性
痛みは、いつも縦長の窓に月が見える頃に始まる。窓にはめ込んだ並ぶ五本の細い柱。寝台に横になると右窓の一つ目と二つ目の柱の隙間に見え、一度消えた後、今度は天窓から顔をのぞかせた頃、痛みは緩やかに軽度に消えていく。
その頃には、全身が疲労に侵されてぐったりと横たえるしかできない。
ファズーンが気ままに髪をなで、リディアの名を囁き、時には首筋の汗をぬぐう時でも、嫌だと手を跳ね除けられず、させるがままにしていた。
だが、彼はいなくなった。まるでリディアに対する躾のように。
痛みの合間に、黒髪の彼のジェニパーベリーとシトラスの香りがゆらゆらと記憶に溢れてくる。あの姿に感情が揺さぶられる。激しい痛みに時折意識が遠のく、なのにまた痛みに意識が呼び戻される。
(ま、だ……)
今日はまだ、薬を与えられない。これまでも欲しいとねだったことはない。いつも与えてもらっていた。いつになれば終わるのか、ファズーンがいなければもらえないのか。
気がつけば、ジャイフが頭上からリディアを見おろしている。天窓から差し込む月あかりを背後にしている彼の顔は影に隠れて、冷酷さを帯びていた。
ジャイフと二人きりにされたことはなかった。薬を調合し与えてくるのはジャイフだが、それを命じるのはいつもファズーンだ。
なのに今日はファズーンがいない。そしてジャイフは得体がしれない。
拳を握り締める。息が荒くなる。逃げなくては、と思う。腹を押さえて起き上がろうとしても、激痛にうごけなかった。
「痛いですか?」
顔を近づけてのぞき込んでくる。彼がそこまで近づいてくることはなかった。ファズーンの影で、意思を示したことはない。けれど、まるで彼を操っているかのようだと思っていた。
でもそれは言えない、痛みにぐっと身体をくの字にまげる。呻き声がでる。
「まだ薬はあげませんよ。せっかくの機会です、十分に楽しまなくては」
ジャイフの嗜虐性。それは感じ取っていた。
「それとも、縋り付いて願いますか? けれども与えるかどうかは私の気持ち次第です」
すでに空は明るみ始めていた。太陽の日差しが強く屈曲率が少ない砂漠では、朝日が出る前にブルーになることが多い。この色が好きだった、昔は。この国に来る前は。
「……あなたは、何のために……わたしを捉えたの」
自分を碧妃だとファズーンに推したのは彼だ。何かを企み吹き込んでいる張本人。そしてあの不気味な手を操っているのも彼。ファズーンは操られているのだろうか、それを自覚しているのだろうか。
「わからないでしょう。わからなくていいのですよ。私が、あなたにそれをしている理由を」
そして、彼はリディアの唇と唇が触れあいそうなほど近づき、吐息をかける。
「あなたは記憶を失ったのだから」
長い銀の髪がリディアの顔にかかる。頬を撫でおろし、彼の長い爪がリディアの首をひっかく。
「薬を欲しいと言いなさい」
「……」
「言いなさい!」
語調が強まる、その瞬間自分のほうが優位だと悟る。彼は、気が長い方じゃない。
自分は、耐えることに慣れている。けれど、時々意識がなくなる。死にそうな痛みに、耐えられないかもしれない。
(あの人に、もう一度会いたい)
もう一度、会わせて。この痛みに死ぬ前に。たくさんの拘束から助けて。
――助けに、来て。
そう思いながら、意識が闇に落ちた。




