18.投げたもの
痛みに叫ぶリディアの様子はいつもとは違っていた。ここ最近は、肩や肌に触れて爪を立てて縋り付いてくることもあった。だが、今日は拳を握りしめ、触れてこようとしない。
「リディア……」
寝台に華奢な身体を横たえ、拳をぐっと握り締めている。それを口に当てて、必死にこらえて声を漏らさない。
(……あの男のことを考えているのか)
ファズーンは憎々し気に思う。眉根を寄せ、怒りの波動のようなものを立ち上らせる。
「うっ……はっ、あぁ」
声が潜められる。
ふと思う、褥の中で奪う時も、リディアはこのように啼くのか。もっと上げさせたい。良い声を聞きたい。寄せられている眉根、そこに触れる。引き結んだ唇。痛みに震える身体。
「掴まれ」
何も聞こえていないかのように、動かず目も開けない。
「……嫉妬するというのは、甘えるということだ」
その前にした約束、それを果たせと言えば、うっすらと瞳が開く。翠が痛みに灰色がかりけぶっている。だが自分を見ていない。汗に濡れた額に、色気を感じる。
「このまま奪ってもいいのか」
痛みに同情していたわけではない、ただ儀式まで待てと言われてそうしただけ。待っていたのは酔狂だとも自覚していたが、待つだけの価値もあると思っていた。
ただあまりにもアイツを思うのであれば、痛みに苦しむ身体を押さえつけ奪ってもいい。
「好きに、すれば……?」
こちらを見ずに薄眼で呟くリディアに、ファズーンは目に鋭い光を宿らせ、ぐっと拳を握り締めた。――懐かない。だが、簡単に懐く女など、用はない。
寝台から立ち上がったが、リディアが手を伸ばしてくる様子はなかった。ただ目を閉じ横たわっている。
窓の外に目をやる。遠くには暗闇に沈む砂漠がある。宮殿を取り囲むのは水路、そして木々。ここは昔、海だったという。
それが干上がり砂漠となった一帯に塔が出現しそれを守るように図書館都市となった。土地の底には水が涌き、ヴァルハラとハラールは争うようにその周囲を囲み、領土を広げている。
塔と都市と水路とそして、植樹された森、そして砂漠。
その砂漠と森は、今では危険な動植物が潜む魔の地となれ果てていて、そこに逃げ込むことはできない。
何度か宮殿、そして外門まで抜け出したリディアが遠くの森の前で立ちすくんでいるのを見たことがあり、そこから連れ戻した。
懐から出した、エメラルドのネックレスを掲げる。リディアの身元を立証する唯一の持ち物、その名を刻んだもの。
それを窓の外にかざすと、強い風に頼りなげに揺れ、持っていかれそうな勢いだ。
ファズーンは手を振り上げ、それをためらいもなく深い森にむけて投げた。一度軌跡が見えた気がしたが、すぐにそれは消えた。
リディアに背を向けたままファズーンは戸口へと向かう。
「ジャイフ、薬はお前に任せる」
「――仰せのままに」
今晩はリディアには、鎮痛剤を与えていない。席を外したのは初めてだった。
内殿に戻れば、朝議の前にヘンシュが頭を垂れ、膝をつき待っていた。
「ヘンシュ|叔父上、どうされた」
血族で戦闘経験は自分よりもはるかに上。だが、将軍であった頃の自分にとって信頼できる副官だ。ジャイフ以外、後宮に入ることができないためあちらにいる時は傍にはいないが、こんな早朝から、何があったのかと問う。
「ハラール国が、何かを感づいているようです」
「リディアのことか? あの色気ジジイが今更また嫁が欲しいなど?」
鼻で笑えば、野太い苦笑が返ってくる。
ハラール国の現王は、御年八十にも届く老体だが、未だにそちらは健在だという。自分よりもよほど色魔ではないかと思うが、むしろ若い女性のエキスで生きているのではないか、という話さえもあながち嘘ではないかと言われている。
「――ヘンシュ。ジャイフが碧妃に何をしているか、探れるか?」
メルクリッサ神は、この地方のものならだれでも知っている。だがリディアの状態は、本当に神によるものか。
(違うだろう)
薄々はわかっている。その方法でリディアを手に入れるのも構わない。ただ、あれの行動の本意が見えないのも不本意だった。
「それから、ジャイフが碧妃に薬を与えたか確認させろ」
ヘンシュは武官のため後宮には入れない。入ることができるのは、ファズーンとジャイフ、そこに勤める侍衛達のみ。
だがヘンシュの子飼いに任せる。そう言えば、彼は頭を下げた。




