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第四十三話 仕事場


今日の記録。


散った魔力。


戻る場所。


循環への復帰。


自己操作。


その横に。


要確認。


そして。


別の欄。


北方国境外からの荷。

未加工鉱石・魔石を含む。

長期接触の可能性。


そこまで書いて。


筆が止まった。


北で見たものと。


同じではない。


症状も違う。


経過も違う。


けれど。


長く触れ続けるものが。


身体の魔力へ影響する。


その可能性を。


無視する理由もなかった。


そして。


もう一つ。


ルーエルは先ほどのネロを思い出す。


自分の魔力を感じ。


こちらの魔力と区別し。


誘導に合わせて動かした。


一度だけ。


偶然かもしれない。


記録の端に。


小さく書く。


魔力操作――適性、不明。


二つとも。


まだ。


答えではない。


でも。


次に見るものは増えた。


それでいい。


今日は。


ここまでだった。


*


数日後。


ルーエルは荷役場にいた。


思っていたより。


うるさい。


荷車の車輪。


木箱を置く音。


人の声。


縄を引く音。


倉庫の大きな扉が開くたび、外の光が床を横切る。


治癒院とは。


まるで違う。


「エルヴェ先生」


案内役の男が呼んだ。


「こちらです」


「ありがとうございます」


中央治癒院からの調査。


北方で確認された症例に関連して、流通物の取り扱い状況を確認したい。


そう申し入れた。


ネロの名前は。


一度も出していない。


「先生」


聞き慣れた声がして。


ルーエルは振り返った。


ネロがいた。


いつもの鞄はない。


上着も違う。


袖を捲り。


手袋をしている。


診察室で見るより。


少しだけ。


大人びて見えた。


「こんにちは、ネロさん」


ネロの眉間に皺が寄る。


その横を。


大きな木箱が通った。


「先生、そこ」


「え?」


「邪魔です」


「あ、ごめん」


一歩下がる。


「そこも」


もう一歩。


「……どこにいればいい?」


ネロがため息をついた。


「こっち」


言われた場所へ移動する。


案内役の男が笑った。


「先生、こういう場所は初めてですか」


「ここは初めてです」


「ネロ、ちゃんと案内してやれ」


「俺、仕事あるんですけど」


「口は動くだろ」


「手も動かしてます」


言いながら。


ネロは縄を引いた。


木箱が滑る。


別の男が受け取る。


次。


また次。


止まらない。


ルーエルは。


しばらく見ていた。


診察室では。


座っている。


横になっている。


重りを持たせても。


こちらが止めれば終わる。


ここでは違う。


荷が来る。


運ぶ。


戻る。


また持つ。


その繰り返し。


一回の負荷は。


検査でかけたものと、それほど違わないかもしれない。


でも。


回数が違う。


「……そういうことか」


「何です」


いつの間にか近くにいたネロが言った。


「いや」


「またですか」


「うん」


ネロが嫌そうな顔をする。


「何回くらい?」


「何が」


「今の重さの荷。日に何回運ぶ?」


「数えてません」


「休憩は?」


「あります」


「どのくらい?」


ネロが周囲を見る。


「先生」


「うん?」


「診察しに来たみたいになってます」


「あ」


そうだった。


「ごめん」


「本当に」


ネロは小さく息を吐いた。


それから。


少し声を落とした。


「あとで答えます」


「うん」


ルーエルも。


それ以上は聞かなかった。


*


倉庫の奥。


鉱石の荷は。


木材や穀物とは場所が分かれていた。


「これが国内のもの」


案内役が箱を示す。


「こっちが輸入」


「開けても?」


「どうぞ」


蓋が外される。


中には。


布と藁。


その間に、鉱石が詰められている。


加工前。


色も形も。


ばらばらだ。


「魔石は?」


「隣です」


そちらも見る。


加工されたもの。


加工前のもの。


箱。


袋。


保管方法も。


一つではない。


ルーエルはしゃがんだ。


「これは?」


「国境の向こうからですね」


「北側?」


「ええ。最近増えました」


ネロが言っていた荷だ。


「触っても?」


「構いませんよ」


手袋を借りる。


一つ。


持ち上げる。


重い。


それだけ。


ルーエルは。


ごく薄く。


魔力を流した。


何も起きない。


もう一度。


今度は少し広く。


変わらない。


「……」


「先生?」


「何でもないです」


戻す。


次。


別の鉱石。


これも。


何もない。


案内役の男が不思議そうに見ている。


「何かありました?」


「いえ」


ルーエルは首を振った。


「今のところは」


少し離れたところで。


ネロがこちらを見ていた。


目が合う。


何も言わない。


ルーエルも。


言わなかった。


*


昼。


荷役場の端で。


ネロが水を飲んでいた。


ルーエルは隣へ行く。


少し間を空けて。


座った。


「仕事中にすみません」


「今さらです」


「そうだね」


「どうでした」


「まだ分からない」


「また」


「またです」


ネロが水を飲む。


「触ったんでしょう」


「うん」


「何もなかった?」


「僕にはね」


ネロがこちらを見る。


「じゃあ、関係ないんじゃないですか」


「そうかもしれない」


「……先生、それ好きですね」


「何が?」


「そうかもしれない」


ルーエルは少し考えた。


「そう?」


「そうです」


「でも、本当にそうだから」


「はいはい」


「ただ」


ルーエルは倉庫を見る。


「あれが原因じゃない、とはまだ言えない」


「何で」


「僕とネロさんは違うから」


ネロが黙った。


「魔力量も違う。流れ方も違う。それに僕は、今日初めて触った」


「俺は」


「長い」


「……はい」


「それから」


ルーエルは。


働いていたネロを思い出す。


持つ。


運ぶ。


戻る。


また持つ。


「触ってるだけじゃない」


「仕事ですから」


「うん」


魔力を使う。


筋肉を使う。


休む前に。


また使う。


「だから、これから記録しようと思う」


ネロが嫌そうな顔をした。


「何を」


「どの荷を運んだ日か」


「全部?」


「全部じゃなくていい」


「じゃあ」


「痛みが強かった日。痺れが強かった日。その日に何を運んだか」


「……覚えてたら」


「書いて」


「面倒」


「お願い」


「先生が?」


「僕が書いたら意味ないでしょう」


ネロがしばらく黙る。


「紙ください」


ルーエルは鞄から紙を出した。


「用意してたんですか」


「うん」


「最初からやらせる気だったでしょう」


「できれば」


「面倒」


そう言いながら。


受け取った。


*


午後。


ルーエルは。


もう少しだけ見ていくことにした。


荷の種類。


置き方。


誰が運ぶか。


手袋。


袋が破れたときの処理。


細かな粉が。


床へ落ちている場所もある。


「これは?」


「掃きますよ」


「いつ?」


「最後にまとめて」


「作業中は?」


「この程度なら」


男が肩をすくめた。


危険だとは。


思われていない。


実際。


ここにいる人間の大半は。


普通に働いている。


咳き込む者もいない。


倒れる者もいない。


手が痺れると騒いでいる者も。


見当たらない。


なら。


違うのか。


それとも。


条件があるのか。


「先生」


案内役の男が言った。


「こういうの、身体に悪いんですか」


「まだ分かりません」


「ならよかった」


「ただ」


男がこちらを見る。


「何か気になることがあったら、教えてもらえますか」


「気になること?」


「この荷を扱ったあとだけ調子が悪くなる人とか。手が痺れるとか、痛むとか」


男は少し考えた。


「今はいないな」


今は。


ルーエルは、その言葉を拾った。


「前は?」


「前?」


「今はいない、って」


「ああ」


男が倉庫の奥を見る。


「そういや、一人いたか」


「どんな人です?」


「もう辞めましたけどね」


ルーエルの手が止まる。


「どうして?」


「さあ」


男は首を傾げた。


「仕事がきつかったんじゃないですか」


「症状は?」


「症状?」


「辞める前に、何か言ってませんでした?」


「ああ……」


少し。


考える。


「手だったかな」


ルーエルは黙った。


「手?」


「痺れるとか。力が入らないとか」


遠くで。


木箱が置かれる音がした。


ネロが。


振り返った。


ルーエルと目が合う。


「その人」


ルーエルは聞いた。


「どの荷を担当していました?」


男は。


今度はそれほど考えなかった。


「メインはあれですよ」


指を差す。


倉庫の奥。


国境の向こうから来た。


加工前の鉱石。


「よく運んでました」


*


帰り道。


ルーエルは。


歩きながら手帳を開いた。


危ないので。


すぐ閉じた。


「先生」


隣から声がした。


「はい」


「前見てください」


「はい」


ネロは仕事を終えたあとだった。


今日は。


一緒に治癒院へは行かない。


診察の日ではない。


「さっきの人」


ネロが言った。


「うん」


「俺と同じなんですか」


「分からない」


「やっぱり」


「でも」


ルーエルは言った。


「会ってみたい」


「その人に?」


「うん」


「辞めた人ですよ」


「そうだね」


「探すんですか」


「できれば」


ネロが呆れたように息を吐いた。


「論文もあるんでしょう」


ルーエルは横を見る。


「知ってたの?」


「今日言ってたじゃないですか」


「ああ」


そうだった。


「診療もして」


「うん」


「急患にも呼ばれて」


「たまにね」


「それで、ここにも来て」


「今日は来た」


ネロが黙る。


少し歩く。


「……暇なんですか」


「忙しいよ」


「でしょうね」


「でも」


ルーエルは前を見る。


「見ないと分からないことがあるから」


ネロは何も言わなかった。


石畳を歩く。


しばらくして。


ルーエルは。


ネロの歩幅が少し変わったことに気づいた。


ほんの少し。


片側へ重心を逃がす。


仕事場では。


ほとんど分からなかった。


「ネロさん」


「何です」


「今日はもう寄らなくていいからね」


「どこに」


「治癒院」


「行きませんよ」


「そっか」


「……明日は行きます」


ルーエルは。


少しだけ。


目を丸くした。


「仕事のあと?」


「その約束でしょう」


「うん」


「じゃあ」


ネロは前を向いたまま言った。


「明日」


「うん。また明日」


分かれ道で。


ネロは片手を上げた。


それだけで。


人混みへ消えていく。


ルーエルは。


少しの間。


その背中を見ていた。


初めて来た頃は。


休むくらいなら。


診察を受けないと言っていた。


仕事がなくなるから。


そう言っていた少年が。


今は。


仕事を終えてから来る。


治療を受けるために。


自分の身体について。


知るために。


それは。


小さなことかもしれない。


でも。


ルーエルには。


そうは思えなかった。


手帳を開く。


国境外由来・未加工鉱石。


その下に。


長期取扱者に類似症状の可能性。要確認。


まだ。


原因ではない。


一人増えただけだ。


偶然かもしれない。


そして。


仮に鉱石が関係していたとしても。


同じ場所で働く大勢が。


何ともない理由は残る。


荷だけでは。


足りない。


ネロだけでも。


足りない。


ルーエルは。


手帳を閉じた。


調べることが。


また増えた。

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