第四十四話 同じではない
第四十四話 同じではない
「お前、今度は荷役場に行ったんだって?」
朝。
診療記録を読んでいたルーエルは、顔を上げた。
先輩が立っていた。
「行きました」
「そうか」
机の上に。
包みが置かれる。
「何ですか」
「朝飯」
「食べました」
「何を」
「……」
「食ってないな」
先輩は向かいの椅子を引いた。
自分の分の包みを開く。
「食え」
「もうすぐ診療なんですけど」
「だから今食え」
中には。
まだ少し温かいパン。
ルーエルは諦めて、一つ取った。
「で?」
「何がです」
「荷役場」
一口。
食べる。
「国境の向こうから入ってくる、未加工の鉱石と魔石がありました」
「うん」
「ネロさんは、前から扱ってる」
「それで?」
「同じ荷をよく扱っていた人が、一人」
先輩の手が止まる。
「症状が出た?」
「手の痺れと、力が入りにくいことがあったそうです」
「似てるな」
「はい」
「会うのか」
「できれば」
先輩は少し黙った。
それから。
「一人増えたからって、答えにするなよ」
ルーエルはパンを持ったまま。
先輩を見る。
「しませんよ」
「ならいい」
先輩が立ち上がる。
「あとは?」
「何がです」
「北の報告」
「書いてます」
「診療」
「します」
「昨日は荷役場」
「行きました」
「寝てるか?」
「……」
「お前な」
「寝てます」
「何時間」
ルーエルは時計を見た。
「次の患者さん、そろそろ来ますよ」
「逃げたな」
扉が閉まる。
机の上。
残ったパンを見る。
もう一口。
食べた。
*
男に会えたのは。
二日後だった。
治癒院には来たくない。
そう言われた。
別に。
治してほしいわけではないから。
だから。
ルーエルが出向いた。
「本当に先生なんですか」
会って最初に言われたのは。
それだった。
「はい」
「若いな」
「よく言われます」
男は笑った。
三十代くらい。
太い腕。
大きな手。
荷運びをしていたと言われれば。
すぐに納得できる。
今は工房で働いているらしい。
「治してくれって頼んだ覚えないですよ」
「はい」
「じゃあ何しに」
「話を聞きに」
「俺の?」
「嫌なら帰ります」
男は。
少しだけルーエルを見る。
「……なにしにきたんだ。」
仕事だ。
「少しだけなら」
「ありがとうございます」
向かいに座った。
「荷役場にいた頃、手が痺れたことがあると聞きました」
「ああ」
男が右手を振った。
「これな」
「今は?」
「たまに」
「どんな感じですか」
「指先が変になる。あと、握ってるつもりなのに力が入らない」
「痛みは?」
「ない」
「脚は?」
「脚?」
「痺れたり、力が入りにくかったり」
「ないな」
ルーエルは記録する。
「仕事中だけでした?」
「最初は」
「最初?」
「荷を運んだあとだけだった」
男は。
指を握ったり開いたりする。
「朝には治ってた。そのうち、次の日まで残るようになって」
「仕事を辞めてからは?」
「だいぶ良くなった」
「どのくらいで?」
「一月……いや、もう少しかな」
「完全には?」
男が右手を見る。
「たまに残る」
似ている。
でも。
違う。
「どんな荷を運んでいました?」
「何でも」
「鉱石は?」
「ああ」
「加工前のものも?」
「もちろん」
「国境の向こうから来るものは?」
男が少し考える。
「運んでたよ」
「頻度は?」
「多かったな」
ルーエルの筆が止まる。
「袋が破れることは?」
「ある」
「素手で触りました?」
男が笑った。
「いちいち手袋なんか替えてられないからな」
一致する。
でも。
まだ。
「少し診てもいいですか」
「話だけじゃないのか」
「嫌ならしません」
「……ちょっとだけな」
「ありがとうございます」
右手に触れる。
魔力を。
細く流す。
男の魔力は。
流れている。
多少。
仕事で使い込んだ身体らしい偏りはある。
けれど。
ネロのように。
流路の外へ逸れない。
もう少し。
深く。
「何か分かりました?」
「まだ」
「先生なのに?」
「先生でも分からないことはあります」
「そういうもんか」
「そういうものです」
左手も。
診る。
腕。
肩。
魔力の流れ。
やはり。
ネロとは違う。
「何か変なものあります?」
「変なもの、という言い方なら」
ルーエルは手を離した。
「今のところは」
「じゃあ健康?」
「それとも違います」
「どっちなんだ」
男が笑った。
ルーエルも。
少し笑う。
「分からないことが分かりました」
「それ、金取ったら怒られるぞ」
「今日は取りませんよ」
「ならいい」
*
治癒院へ戻る。
二人分の記録を。
机に並べる。
ネロ。
元荷運び人。
同じ。
荷役。
長期間。
未加工の鉱石。
国境外から来る荷。
素手で触れる機会。
手の痺れ。
力が入りにくい。
違う。
ネロは。
腕だけではない。
脚にも出る。
負荷によって。
魔力が流路から逸れる。
休ませると。
戻る。
そして。
外から入れた魔力の位置を。
正確に識別する。
自分のものと。
区別できる。
誘導すれば。
自分で動かせる。
男には。
それがない。
ルーエルは。
紙の中央に線を引いた。
原因。
そう書いて。
しばらく見る。
線を引いて消した。
その横に。
関連。
と書き直す。
さらに。
条件。
同じものを扱って。
似た症状が出た。
なら。
無関係とは考えにくくなった。
でも。
同じものを扱う人間は。
他にもいる。
全員が。
倒れているわけではない。
そして。
二人の症状は。
同じではない。
「……何が違う」
声に出す。
答える人はいない。
鉱石。
魔石。
加工前。
粉。
接触。
期間。
魔力量。
流れ。
身体。
「エルヴェ先生」
顔を上げる。
若い治癒師が。
扉から覗いていた。
「次の方、来てます」
「あ」
時計を見る。
「すぐ行く」
紙を重ねる。
その前に。
一つだけ。
書き足した。
曝露のみでは説明できない。
*
その日の夜。
ネロが来た。
仕事終わり。
もう。
受付で揉めることもない。
診察室へ入って。
いつもの椅子に座る。
「仕事は?」
「普通です」
「痛みは?」
「少し」
「どこ?」
「右脚」
ルーエルは記録する。
「今日は何を運んだ?」
「鉱石」
「例の?」
「はい」
「多かった?」
「いつもよりは」
「痺れは?」
「帰る頃に少し」
ルーエルの筆が止まる。
一日。
二日なら。
意味はない。
でも。
積み重ねれば。
見えるものがあるかもしれない。
「ネロさん」
「はい」
「しばらく記録をつけてみようか」
ネロの顔が。
嫌そうになる。
「何の」
「運んだ荷と、症状」
「毎日?」
「できれば」
「面倒」
「うん」
ルーエルは紙を一枚取った。
日付。
荷の種類。
痺れ。
痛み。
それから。
症状が出た場所。
簡単な欄だけ作る。
紙を差し出す。
ネロは。
受け取らなかった。
「……書くんですか」
「うん」
「毎日」
「長くなくていいよ」
ネロの視線が。
紙へ落ちる。
ルーエルは。
待った。
「読めます」
「うん」
「字も書けます」
「うん」
「……ただ」
少し。
間があった。
「遅いです」
紙を見る。
「じゃあ、書かなくていい」
「は?」
ルーエルは紙を引き戻した。
欄を消す。
代わりに。
簡単な印を書く。
「鉱石を多く運んだ日は、ここに一本」
一本の線。
「魔石なら、二本」
二本。
「木材や穀物の日はいらない?」
「今回はいらない」
その横に。
丸。
三角。
ばつ。
「何もなければ丸。少し痺れたら三角。強かったら、ばつ」
「痛みは?」
「こっち」
同じ印を。
もう一列。
「場所は?」
ルーエルは。
人の身体を。
簡単に描いた。
あまり。
上手くない。
ネロが。
じっと見る。
「……先生」
「何?」
「これ、人ですか」
「人だよ」
「そうですか」
「何」
「別に」
「じゃあネロさんが描いて」
「嫌です」
「ならこれで」
紙を差し出す。
今度は。
ネロが受け取った。
「仕事場で使ってる荷の印があるなら、それでもいいよ」
「あります」
「じゃあ、それ使って」
「最初からそう言ってください」
「あ」
確かに。
ネロが。
小さく息を吐いた。
「先生って、頭いいのか悪いのか分かりませんね」
「一応、治癒師なんだけど」
「知ってます」
紙を折る。
鞄へ入れる。
それだけ。
ルーエルは。
何も言わなかった。
*
「今日、会ってきたよ」
状態を診ながら。
ルーエルが言った。
「誰に」
「前に荷役場で働いてた人」
ネロの目が。
少し動く。
「手が痺れた?」
「うん」
「同じでした?」
「似てる。でも、同じじゃない」
「じゃあ」
「だから、もう少し調べたい」
「またですか」
「またです」
ネロは。
小さく息を吐いた。
「いつ分かるんですか」
ルーエルは。
すぐには答えなかった。
「分からない」
ネロがこちらを見る。
「でも」
続ける。
「分からないからって、適当に決めたくない」
少し。
沈黙。
「……そうですか」
「うん」
ネロは。
右腕を差し出した。
もう。
言わなくても。
診察の順番を覚えている。
最初は。
診療を受けることさえ嫌がった。
休めば。
仕事がなくなるから。
そう言っていた。
今は。
仕事を終えて。
自分から来る。
そして。
自分から。
手を出す。
ルーエルは。
その手に触れた。
魔力を流す。
今日は。
試さない。
確かめない。
ただ。
状態を見る。
「先生」
「何?」
「さっきの人」
「うん」
「仕事辞めたら、良くなったんですよね」
ルーエルの手が。
少し止まった。
「かなり」
「……そうですか」
それだけ。
ネロは。
何も言わなかった。
ルーエルも。
すぐには言わなかった。
仕事を辞めればいい。
そんなことは。
言えない。
少なくとも。
今は。
「ネロさん」
「はい」
「仕事を辞める話は、まだしないよ」
ネロが。
こちらを見る。
「まだ?」
「続けたままで、できることを探す」
少し。
間があった。
「……はい」
短い返事だった。
でも。
肩から。
ほんの少し。
力が抜けた。
*
ネロが帰ったあと。
ルーエルは。
二枚の記録をもう一度開いた。
同じではない。
だから。
違う病気。
そう決めるのも。
まだ早い。
同じものが。
違う身体に触れれば。
違う形で現れることもある。
その考えを。
まだ。
仮説とも呼ばず。
紙の端に残す。
そして。
ネロの記録を見る。
外来魔力の位置識別。
自己魔力との区別。
誘導下での自己操作。
こちらも。
まだ。
名前をつけない。
ただ。
二つの問いがある。
何に触れているのか。
そして。
触れたとき、なぜネロの魔力はそう動くのか。
別々に見えていた問いが。
少しずつ。
近づいている気がした。
答えは。
まだ。
その先にある。




