中の人
おかしなことになった。
格子に寄りかかったまま静かに眠る令嬢を見張りながら、セヴランは首を捻った。
牢の塔に収容されて数日、聖女候補殺人未遂の容疑をかけられた令嬢は、あらゆるものを拒絶していた。
椅子やベッドなどといった家具の搬入も、毛布などの最低限の物資も、水や食事さえ。
質問にも無言を貫くばかりで、こちらとしても歯がゆく思っていたのだ。
容疑をかけられているとはいえ、裁判も何も始まっていない。ただ、告発された段階である。
本来なら、牢に入れていい身の上でもなければ、そんな状況ですらない。
騎士や貴族たちの中には、現状を訝しむ声が多かった。
国王陛下の唯一の男児である王子殿下には、五人の婚約者候補がいる。そのうちの一人が、ミシェルだ。
とはいえ、ミシェルは身分的に釣り合うというだけで、どちらかといえば他候補者の相談役のような立ち位置だった。
そして半年ほど前から、王子殿下と聖女候補の令嬢との仲が取り沙汰されるようになった。
聖女とは、言うなれば教会のシンボル的存在。ご令嬢方の憧れの職だ。
人気職のため、候補生はかなり多い。
とはいえ、数年に及ぶ厳しい修行でふるいにかけられ、奉仕活動を続ける中でさらに数を減らし、試練を乗り越えた上で厳密な評価により選ばれるのが聖女だ。
つまり、当該の聖女候補の令嬢は、たかが数多いる候補生の一人に過ぎない。
候補と銘打ってはいるが、今のところ修行前の奉仕活動くらいしかしていないはずだ。何せ学生の身なので。
嫁ぎ先を見つけるための口実として、教会に登録し聖女候補という肩書きを欲する者もいる。
王子殿下が恋をした令嬢がどうかは知らないが、まあとにかく彼と彼女は恋仲になった。
そして、王子殿下はあろうことか陛下の留守中に、多くの貴族たちが集う夜会の場でミシェルを断罪した。
罪状は、聖女候補への加害と殺人未遂。日常的に罵り加虐した上、階段から突き落としたのだという。
目撃者として、複数の令息令嬢が名乗り出た。
ミシェルは婚約者候補として王子殿下の振る舞いを指摘する立ち位置であり、淑女らしく柔らかだが言うべきことを口にできる責任感のある令嬢だ。
婚約者候補でない令嬢と懇意になった王子殿下の方にも、非がないとは決して言えない。
しかし、王妃殿下が聖女候補の肩を持ったのが明暗を分けた。
庇護欲をそそり人懐こい聖女候補を、王妃は以前から婚約者候補の令嬢そっちのけで可愛がっていた。
それに対しても、ミシェルは何度か諫言しているし、陛下からも諌められていたが。
まあそんなわけで、王妃と王子はさっさとミシェルという邪魔者を塔の牢に閉じ込めたわけだ。
陛下と公爵が戻る前に刑を下そうとするのを、今議会の貴族家たちが総出で止めている。
王族に正式に命じられてしまえば、逆らうのは至難の業。
まして、陛下不在の今は王妃が名代であり、彼女の言葉は常よりも影響力を増す。
急いで陛下と公爵を呼び戻している間に、ミシェルにも状況説明を求めるも、頑なに口を閉ざすため辟易していた。
なので、まあ、多少態度に出てしまったのは認める。騎士としてあるまじきことだった。
ところが昨日、目覚めたミシェルが突然変わった。
纏う気配すら違ったため、思わず剣の柄で威圧してしまったほどだ。
自ら水を求めた彼女は、現状を理解できないと言う。嘘だと断じるには、あまりに色々なものが変わりすぎだ。
気だるそうで雑な話し方も、物怖じせず言い返してくる強気さも、飄々と掴みどころのない雰囲気すら。
「……記憶がないというより、まるで別人だ」
近衛隊の副隊長を務め、戦場も経験したセヴランは気配を読むのが得意だ。人を顔でも体格でもなく、気配で記憶する。
だから、察し違えるはずはない。今のミシェルは、以前の彼女ではなかった。
ひたすらじっと陛下や父公爵の帰りを待っていた令嬢は、今や牢の中で死ぬのが決定事項のように寛いですらいる。
投げやりで、諦観していて、それでいて自然体。こんな異常な場所にいるというのに。
底知れぬ強さと、言いようのないやるせなさを併せ持つミシェルの姿をした誰かに、目を惹かれてやまない。
ここから出してやりたいが、今はまだ時ではない。
身動ぎ一つせず彼女を視界に収めたまま、セヴランはあれこれと考えを巡らせた。




