ジェシカの隠しごと
「ジェシカさん、おもしろい方だったな」
書類を回収したドナルドが思い出し笑いをした。
「ちょっとずれてるんだ」
ドナルドがジェシカのことを思い出したのは、彼が回収した書類の中にジェシカの服の注文書があったからだろう。
一緒に店を訪れたときには結局何も買わなかったけれど、あのあとユーグはこっそり彼女のための布を選んだ。
好みを聞かれたときには驚いた。ユーグの好みの服を彼女が着てくれるのかと思って、うれしくなった。それが勘違いだとわかって恥ずかしくなり、ユーグへの贈り物を探していると言われて、また浮上した。かなり振り回されている自覚がある。
「このデザインで良かったと思うか?」
「俺はあのときしかお会いしてないからわからんが、お似合いになるんじゃないか?」
ジェシカに贈りたいとアンに相談したところ、ジェシカがいつも使っている仕立て屋を教えてくれた。
好みを聞きたいのはユーグの方かもしれない。普段使いのワンピースだが、無難に今の流行の型を選んでしまった。
女避けのために必須だったから、指輪は見合いのあと適当に選んだ品だ。今ならもっと吟味しただろうし、何なら裏に名前も刻んだかもしれない。
相手に気に入ってもらいたくて贈り物を選んだことなど、あまりない。そのわずかな経験も、相手は家族や友人などだ。
「ジェシカさんには顔っていう一番の武器が使えないんだから、難儀なものだな」
ドナルドは笑って、ユーグの頭を小突いた。
ユーグは服を贈るときに、契約結婚の条件の撤廃も提案するつもりでいた。
事務仕事が早く片付いたため、ユーグは少し街を歩くことにした。近隣の店の偵察や、歩いている人たちの服装のチェックだ。もちろん変装は欠かさない。
メインストリートから一本裏に入ったところ、通り沿いのカフェの店内にジェシカを見つけた。
彼女は今日は休みだ。朝は顔を合わせなかったから、彼女が出かけるとは聞かなかった。
一緒にいる相手は若い男だった。
きっちり整えた明るい色合いの髪。服装から見ても貴族か中流階級の若者だ。
何やら一生懸命に話している様子で、ジェシカはうなずきながら真剣に聞いていた。
ジェシカは、ユーグが仕事に関わる話をしても嫌な顔をせずに聞いてくれる。それどころか、的確な質問をしたり、参考になるような知識を披露してくれたりもする。その反応は、今まで接したどの令嬢とも違った。しいて言うなら姉との会話に近いが、姉はこちらを言い負かそうと隙を狙っているようなところがあるのでいつも気が抜けない。ジェシカにはそれがなかった。知らないことを聞いたときなどは、素直に喜んでくれる。
そんな彼女と話す時間はユーグにとって特別なものになっていた。
今、それを自分ではない誰かが独占している。
魔術院の研究員は男性の方が多い。彼女が通っていた学校は男女共学だ。ジェシカに男友だちがいてもおかしくはない。
前から歩いてきた紳士が立ち止まっているユーグを不審そうに見た。ユーグははっとして歩き出す。
帰ってからジェシカに尋ねたら、きっと屈託なく教えてくれるはずだ。
「今日、夕方、街にいた?」
背中に当たるジェシカの柔らかな体を感じながら、ユーグは彼女に恐る恐る尋ねた。
初夜から、ジェシカは毎晩ユーグに抱きついて、肩こりを治していた。ユーグも何日かは抵抗したのだけれど、今ではもうあきらめている。
彼女を正面から抱きとめる余裕はなく、ユーグはいつも彼女に背を向けていた。
「ん、ええ……」
「カフェで男と会ってただろ。見かけたんだ」
「え?」
ジェシカはびくりと体を揺らした。
「何話してたか聞いた?」
「いや、外から見ただけだから。あれは誰?」
「魔術院の同期なの」
「仕事の話?」
「いえ、仕事じゃないんだけど……ちょっと魔道具の相談で……」
歯切れ悪く話すジェシカは珍しい。
彼女は言いたくないことを嘘でごまかすタイプじゃないのだろう。
「魔道具? 何か買うのか?」
「作ろうと思ってるの」
「すごいな、作れるんだ? どんな魔道具?」
そう聞くと、ジェシカは言葉に詰まった。
「えっと、ちょっと説明が難しくて……。出来上がったらでもいい?」
「もちろん」
彼女の挙動不審に気づかないふりをしてうなずくと、ジェシカはほっと息を吐いた。
「もう寝るわ。ありがとう。おやすみなさい」
彼女が離れたあとの背中は、いつも以上に寒かった。
翌日、ユーグは終業時間を見計らって魔術院を訪れた。
受付でジェシカを呼び出してもらうと、受付係はユーグの背後に声をかけた。
「あ、ちょうど今。ウィンドレイク主任! お客様です」
振り返ると、外からジェシカが帰ってきたところだった。パン屋のロゴが印刷された紙袋を持っている。
「ユーグ? どうしたの? 何かあった?」
ジェシカが驚いて駆け寄ってくる。
「いや、何もないよ。ちょうどこちらに用があったから、君が終わるところなら一緒に帰ろうかと思って迎えに来たんだ」
「そうなの? ごめんなさい。今日、ちょっと居残りしようと思って」
ジェシカは眉を下げて謝った。
「仕事、忙しいのか?」
「えっと、仕事ってわけじゃないんだけど、……あの、昨日の魔道具を作るって件。うちの屋敷は魔術研究室の登録をしていないから、新規開発は魔術院の中でしかできないのよ」
「へー」
そこへ第三者が現れた。
「ジェシカ、こんなところで……」
若い男の声に振り返ると、昨日カフェで彼女といた男だった。
「あ、ルイス。ごめんなさい。すぐに戻るわ」
「ジェシカ、紹介して」
ユーグは彼女を遮るように言った。苛立ちが声に現れている。ジェシカは戸惑った様子で、
「同期のルイス。魔道具研究課の主任研究員なの」
「はじめまして」
「ルイス、この人が私の配偶者。ユーグよ」
「はじめまして」
ユーグは握手を求めなかったけれど、ルイスもそうしなかった。
彼は、ぼさぼさのかつらともさもさのヒゲをつけたユーグを見て、鼻で笑う。
「ごめんなさい、ユーグ。ルイスっていつも失礼なの」
なんで君がこの男のフォローをするんだ、と言いたかったが、飲み込んだ。
「ジェシカ、どうするんだ? 魔道具の……」
「あ! あとで行くから、先に研究室に戻っていて」
ジェシカはルイスの背中を押す。
「ユーグ、せっかく迎えに来てくれたのに申し訳ないんだけれど、今日は遅くなるから先に帰っていて?」
「ああ、わかった。突然来て悪かったな」
「いいえ、私の方こそごめんなさい。ありがとう」
微笑んだジェシカの手を取ろうとしたら、彼女はすっと避けた。
「なぜ?」
「だって、今は……職場だもの」
「そうだな」
わかっている。
退勤時間のため、玄関ホールは人がひっきりなしに通っている。
彼女の甘い声を他人に聞かせるなんてとんでもない。
わかっているけれど、気軽にルイスに触れたジェシカが、ユーグには触れさせてくれなかったことが、心に杭を打ち込まれたように感じた。
「気を付けて。あまり遅くならないように」
それだけなんとか口にして、ユーグは身をひるがえした。




