初めての外出
「ミック、これ、検証してもらえる?」
ジェシカは同じ班の研究員ミックに提出用の書類を渡す。
彼は「はーい」と軽く答え、机の脇に立つジェシカを見上げた。
「ジェシカさん、結婚したんすよね?」
「ええ、そう。女男爵になったわ」
「ルイスさんに話しました?」
「言ってないけど、なぜ?」
ジェシカが首を傾げると、「ああ、まあ、いいんすけど……かわいそ」とミックは頬をかいた。
「結婚生活はどうっすか? ていうか、相手どんな人なんです?」
「すっごく相性がいい!」
ジェシカの発言に周囲で聞き耳を立てていた研究員が何人もがばっと振り返った。そして、ジェシカが「魔力の!」と続けると、皆「なんだ、魔力か……」と戻って行った。魔力の相性を考慮しない魔術師はいない。
「肩こりがなくなったわ」
「肩こりですかー。まあ……それは、いっすね」
ミックは苦笑する。
「結婚指輪ももらっちゃったし、何かお返ししないと。ねえ、何がいいと思う? あなたも結婚してたわよね? 奥様から何をもらったらうれしい?」
「いや、うちとジェシカさんとこじゃ違うでしょ。そもそも、どんな人ですか? 魔力の相性以外で」
「大きな商会の支店長」
「うわぁ。なんていうか、さすが……でかい魚、捕まえましたね」
「うちの敏腕執事の伝手でね」
「ああ、あの……」
ミックは男爵家に来たことがあるから、デニスと顔見知りだ。
「本人に聞いたほうが早いんじゃないっすか? ジェシカさんが欲しいものを選んだら絶対ダメですよ」
「なによ、失礼ね」
「一緒に出掛けて、一緒に選べばいいんですよ」
「ふぅん、なるほど」
ジェシカは腕組みをする。
「ありがとう。参考になったわ」
というわけで、次の休みにジェシカはユーグを買い物に誘った。彼は特に理由を聞くことなく承諾してくれたから、ジェシカは少し意外に思った。
「その格好なの?」
玄関ホールに降りてきたユーグを見て、ジェシカは首を傾げた。
彼は長い前髪のこげ茶のかつらと、もさもさしたヒゲをつけていた。見合いのときと同じで、毎朝の出勤もこの格好だ。
「見た目は気にしないんじゃなかったのか?」
「だって、それって商会の制服なんじゃないの? 今日はお休みでしょ? それとも職場に寄るの? 急な仕事なら日を改めるわよ」
にやにやと笑っていたユーグは、ジェシカがそう言うと、慌てて首を振った。
「違う。今日は休みだ。それにこれは制服じゃなくて……」
それで、ジェシカは彼がこの国にやってきた理由を初めて聞かされた。
「大変だったのね」
客だと思えば無下にもできないし、女性相手なら力で振り払うわけにもいかないし、気を使うことだろう。
男女共学だった基礎学校では、学校祭や特別授業などのイベントごとに人垣に囲まれる人気の学生がいたものだ。もちろんジェシカは囲む方にも囲まれる方にもならなかった。
「ジェシカは俺に全く魅力を感じていないみたいだけどね」
「あら、私だってあなたは魅力的だと思ってるわよ」
「魔力だろ」
「そうよ。でも、何を魅力と感じるかは人それぞれでしょ」
ジェシカは笑ってユーグを見上げた。彼は驚いた顔で目を瞠っている――と思うのだが、前髪でよくわからない。
「お嬢様、ユーグ様。馬車が到着いたしました」
男爵家には馬車がないから、呼んでもらっていたのだ。ちなみに出勤時は、ジェシカは近くの停留所から王城行きの馬車に乗り、ユーグは商会から迎えが来る。
デニスに声をかけられて、はっとしたユーグがジェシカに手を差し出す。
「手袋? 珍しいな」
「魔力を遮る魔道具なの。ほら、あなたに触ったら気持ちよくなってしまうから」
「……君はもうちょっと言い方を考えるべきだと思う」
今日は休みと言っていたけれど、ユーグは一度商会に立ち寄ってほしいと言った。
王都の商業区画で馬車を降りる。
オンフィールド商会の支店は三階建ての建物だった。一階が店舗、二階三階が事務所らしい。
今のところの主力商品は、ミナリオ国の特産の染め物。だから客は個人ではなく、仕立て屋などの業者の方が多い。店舗の端では個人向けに、ハンカチやスカーフに仕立てた小物も販売している。
そんな説明をしてくれたのは、副支店長のドナルドだ。
ユーグの身内に会うのは初めてでジェシカは少し緊張したけれど、ドナルドは気さくに笑いかけてくれた。
店舗でドナルドも交えて話していると、ユーグが支店長だと聞こえたのか客の女性がちらりとこちらを見た。それからユーグの全身を見渡して、さっと視線をそらしていった。
なるほど、とジェシカがうなずいていると、ユーグも気づいたようで「変装の効果だ」とこっそり笑った。
「何か買っていくか? 布を買って仕立て屋に持ち込めばいい」
「そうねぇ」
落ち着いた色合いから派手なもの、単色や混色、柄の染付など、さまざまだ。
「あなたの好みってどんな感じなの?」
ジェシカが聞くとユーグは一瞬驚いてから、顔を輝かせた――と思うのだが、前髪でよくわからない。
「君の髪は明るいから、渋い色でも地味にはならないと思う。これと……。柄なら、すっきりした線か……」
彼はいそいそと棚を巡り、いくつか布を取ってきて、ジェシカの肩にかける。
「あ、違うの。私じゃなくて、あなたのものよ」
「俺?」
「きちんと説明してなかったかしら。指輪のお礼にあなたに何か贈り物をしようと思って、買い物に誘ったの」
「そうなのか……」
ユーグの前髪の下の頬が少し赤い。
「礼なんて気にしなくていいのに」
「私ばっかり申し訳ないわ。毎晩気持ちよくしてもらってるのに」
そう言い切る前にユーグはジェシカの口を手でふさいだ。
「魔力な! 魔力で肩こりが治るんだよな!」
素手で触れられた唇がとろけそうで、ジェシカは吐息を零した。ユーグが慌てて手を離す。
隣で一部始終を見ていたドナルドは壁に向かって肩を震わせていた。
そのあとも何軒か店を回ったけれど、ユーグは欲しい物を教えてくれなかった。
「ジェシカが選んでくれたものの方が、もらったときに楽しめるだろ」
そう言って、機嫌よく笑っていた。
彼との会話はとても楽しい。
店の商品を前にして、彼は素材やデザイン、値段などについてあれこれ話す。ジェシカは作り方や使い方、動作の仕組みについてあれこれ話す。彼の話を聞くのもおもしろいし、彼が自分の話を興味深そうに聞いてくれるのも楽しい。
普段は、ユーグとは晩餐と寝るときくらいしか顔を合わせない。ジェシカの休日は週に一度決まっているが、彼はまちまちだったし、たまに揃って休みでもそれぞれ違うことをして過ごしていた。こんなに長い時間一緒に行動したことなど、今日が初めてだ。
晩餐での会話でも感じていたが、外に出て同じものを見ながらする会話は格段に楽しかった。
結婚してよかったなとジェシカは心から思った。
ユーグへの贈り物は特別なものにしよう。
少し思いついたことがあり、ジェシカは心を躍らせた。




