第65話『透明人間と異形』
【ユエ視点】
感じる地面の固さと、埃っぽい臭いで目を覚ました。
生温い風が頬を撫で、いま自分が屋外にいるのだということを認識する。
「う……ぅん……」
妙な疲労感がのしかかる体を無理やり動かし、ゆっくりとまぶたを開く。
やはり外だ。しかもまだ夜……いや、かすかに空が白んでいる。だいたい4時前ぐらいだろうか?
「ろじ、うら……? なんで、こんな――」
と、ぼんやりとした頭を働かせて――ハッとした。
そうだ、こんな所で寝ている場合ではない。どうしてわたしは……ダメだ、頭痛でうまく思い出せない。
頭の中にモヤがかかったような感覚で、ここまで来た時の記憶が蘇ってこないが……そんなの今はいい。
「いか、な、くちゃ……!」
そうだ。はやく、はやく、はやく。
1秒でもはやく、わたしの目指す場所へ。
センパイたちに気付かれる前に、あの外道への復讐を完遂させなくては。
――なのに。
「ぐ……からだに、ちからが……」
走らなきゃいけないのに。
一歩でも足を進めなきゃならないのに。
わたしの体が、まるで 鉛にでもなったみたいに重い。
両足をバネに変形させようにも、うまく体を動かせない。
「ふ……っ、ぐ……はぁっ、はぁ……ッ」
体を引きずるようにして、かろうじて足を前に進める。
一歩一歩、まるで亀が歩くみたいなスピードだ。もどかしくて歯を食いしばるも、それすら力が入らない。
それでも、前に進むしかない。
目的地までの道筋を辿る。
辿って、歩いて、何度も転んで、何度も立ち上がって、そのたびにまた歩みを進める。
視界が霞んで前がよく見えない。だから、ただ脳裏にこびりついた道筋だけを辿り、歩き続けた。
だから、周りの状況に気付けなかった。
全身を土と埃にまみれた入院服に身を包んだわたしは、いつの間にか人気の多い大通りに出てしまっていた。
わたしがそれに気付いた時には、もう遅かった。
明け方の空はすっかり明るくなり、大通りは通勤や通学中の人々で溢れかえっていた。
「……ッ」
まずい。今のボロボロの格好では目立ちすぎる。
もし保護や通報されでもしたら、ロニの脅迫していたことが現実になってしまう。
そうしたらセンパイが、学園が、みんなが……!
最悪の未来を想像して、全身からサッと血の気か引く。わたしは狼狽しながら、かえって不自然なほどに周囲を見渡して――さらに気付く。
「だれも、気付いてない、の……?」
皆、わたしなんか見えてないみたいに普通に歩いている。こんなに怪しい自分が、道のど真ん中にいるのに。
まるで透明人間にでもなったような気分だ。誰も、わたしになんか見向きもしない。
わたしが唖然としていると、わたしの方に向かってスーツ姿のサラリーマンが早足で歩いてきた。
それを見てから、対応が一瞬遅れた。まずい、このままではぶつかる――
「っ……え……?」
反射的に目を瞑ってしまったが、なんの感触もない。
恐る恐る目を開けると……さっきのサラリーマンがわたしのすぐ後ろを歩いていた。
おかしい、今の進路だと確実にぶつかっていたはずなのに。もしかして……いや、あり得ないが……
「すりぬけた……?」
レイス系の魔人でもないわたしが? モノをすり抜けた? まさか、そんな……。
「……いや、いい。よくわかんない、けど……今は役立つ……!」
これなら誰にも気付かれずに奴らの所まで行ける。
もしかしたら魔力検知器だってすり抜けられるかもしれない。いや、すり抜けられる。なぜかわからないけど、そう確信できた。
人気の少ない路地裏なんかで遠回りせず、最短距離で目的地を目指した。
体の調子も少しずつ戻ってきて、ちょっとだけなら走れるようにもなった。これなら気絶していた分のタイムロスを取り返せる!
「はやく、はやく、はやくはやくはやく……!」
透明人間は街を駆ける。
わたしの復讐を終わらせるために。
他人を巻き込まないうちに、少しでも早く、速く、疾く。
もうどれだけ走っただろうか。もともと疲れきっていた体が悲鳴を上げ、あれだけ大量に人々が風景から再び姿を消した頃。
前方に黄色い看板と鎖、そして2人の騎士で封鎖されている場所が見えた。間違いない、アレが禁域の入り口だ。
わたしは足を止めることもなく、そこを目がけて走った。
騎士は全く気付く素ぶりを見せていない。やはり騎士たちもわたしの姿を認識できないようだ。わたしはそのまま一気に駆け抜けた。
「あと、もうちょっと……っ!」
悲鳴を上げる体に鞭を打って足を動かし続ける。
禁域は、見た目だけならわたしたちの住んでいる区域とそんなに変わらなかった。アスファルトの道路が続き、民家やビルが並ぶ街並み。
違っているのは生き物の気配が全くしないこと。奥に行くにつれて建物や道路が崩れていること。
そして。
――ビキッ
「――ッ!!」
ガラスの割れるような甲高い音と共に、空間がひび割れる。その中から現れる十数体の魔物。
そんな現象が、今わたしのすぐ側で大量に起こっている。閑散とした街はあっという間に魔物の巣窟となった。
「……っ」
わたしが透明人間状態じゃなければ、すでに3回は死んでた。
いや、もしかしたら今にでも透明化が解けるかもしれない。そうなったら復讐する前に無惨な結末を迎える事になる。
そんな恐怖を、奴らへの復讐心で無理やり塗り潰す。
そうだ、3年越しの恨みがやっと晴らせるのだ。だったら笑え。恐怖なんて3年前のあの日に置いてきただろう。
笑え。笑え笑え笑え。今のわたしは、震えて助けを待つだけの臆病者じゃないんだ。
ほら、奴らの根城まであとほんの少しだ。
あと10分、5分、3分、1分――
「はぁっ、はぁっ、はぁぁ……っ」
わたしが辿り着いたのは、半壊した教会。壁や天井が抉れ、周囲は更地同然となっている。
その瓦礫の中。わずかに残るのみとなったステンドグラスに照らされた場所に、そいつはいた。
「ククッ、随分と待ちましたよ……復讐者気取りのお嬢さん」
真っ赤なシルクハットとコート。骸骨のような痩せこけた顔。ギラついた目。不快な笑み。
見間違えようもない。こいつが、こいつこそがわたしの怨敵。この一晩で、何度も頭の中で殺すビジョンを思い浮かべた外道。
「ロニ・ラヴ……ッ!!」
「覚えておいでのようで助かりましたよ。改めて自己紹介する手間が省けました。そして言いつけ通りちゃんと1人で来たようですねぇ……」
「どの口が……!」
「いえね、少し疑ってたのですよ。何せ途中で監視できなくなってしまいましたからねぇ……まるでワタシのネガそのものをすり抜けられたような感覚でしたよ。いったいどんなタネが」
「そんなこと、どうでもいい……わたしは、お前を殺す、それだけだッ!!」
ああ憎い。こうして対面すると憎悪が止まらない。
今すぐコイツを引き裂いてやりたい。こいつ脳髄を引きずり出してやりたい。内臓を残さず抉り出してやりたい。手足をもいで、顔を削ぎ落として、生皮を引き剥がして、■■を■■■■して、■■■、それを■■■■で■■、■■■、■■■■――
「クハハッ、アッハハハハッ!! いい顔だ! やはりこうして直接向けられるとゾクゾクしますねぇ! いい、実にいい!! やはりアナタはワタシの見込んだ最高の素材だッ!!」
こいつの言葉なんかに耳を貸すつもりも、これ以上言葉を返すつもりも無い。
わたしは足をバネに、両腕を考えつく限りで一番凶悪な鎌の形へと変え、そいつに飛びかかる――
「――しかし、そうやって考えなしに飛びつくのは減点です」
鎌を振り下ろそうとした瞬間、わたしの体が異常な勢いで――恐らく重力魔法か何かによって――地面へと叩き落とされた。
「ッ!? がぁッ……!?」
「はい捕獲。まさか考えなしに、怒りに任せて突っ込んでくるとは思いませんでしたけどねぇ……」
「……ッ! 離せ外道ッ!!」
「離すわけないでしょう。最初からアナタを大人しくするつもりではありましたが、こんなにアッサリかかってくれるとは……クハハッ、怒りに支配された人間というのは獣以下ですねぇ! アハハハッ!!」
「殺す! 殺す殺す殺す殺してやる!!」
「まあまあ、そう声を荒げないでください。これから アナタに見せたいものがたるんですよ。きっとアナタも喜びますよ?」
嘲るように笑ってから、ロニは指をパチンと鳴らした。
すると、先ほど魔物が出現した時のように空間に裂け目が現れる。そして、中からのそりと歩いて出てくる「何か」。
全長3メートルくらいはありそうな「何か」は、上から白いボロ切れがかけられていて姿がよくわからない。
ただ、その「何か」からはひどく嫌な感じがした。
わたしの殺意が少し圧されるほどの悪寒。絶対にボロ切れの中身を見てはいけないと、本能が警鐘を鳴らしていた。
「コレ何だと思いますかぁ? ……まぁ、わからないでしょうねぇ。時間も勿体無いので早々に正解を発表致しましょう!」
ロニは「何か」にかかっているボロ切れに手をかけ――
「では、とくとご覧あれ!!」
ボロ切れが取り払われ、その中身が露わになる。
ソレは、人型の怪物だった。
体の至る所から毒々しい棘や触手のようなものが生え、その下には屈強な筋肉。それを覆っているのは、黒々とし爬虫類のような鱗。
背中からは岩のようなゴツゴツとした一対の翼が生え、その先端はまるで刃のように鋭く尖っていた。
一言で言うならば、異形。見ているだけで吐き気を催すような、不気味で、悪趣味で、醜悪な、怪物以下の「何か」だ。
普通の人ならばそんな感想を抱くことだろう。わたしも最初はそうだった――その怪物の顔を見るまでは。
その顔を見て――わたしは息が止まった。
「あ……ぁあ……うそ、だ……」
うそだ。なんで。どうして。
そんなばかな、でも、なんで、なんでなんでなんで。
いや、いや、いや。いやだいやだいやだ、こんな現実認めたくない!!
「いやぁっ、あああああぁぁぁぁぁぁッ!!」
「アハッハハハッ、ヒャハハハハハハッ!! その顔が! その絶望した顔が見たかった!! 目の前の現実を受け止めきれず絶叫するその姿ァ!! 最ッッッッ高ッ!! アハハハハハハハハッ!!」
もう、その高笑いすら耳に入らない。
殺意も、憎悪も、復讐心も、全てが取り除かれ、残ったのは絶望のみ。
だって……だってその怪物の顔は……!
「なんで……なんでなんでなんで……ッ!! お兄ちゃんッ!!」
あちこちが腐敗し、剥がれ落ち、縫合された――しかし間違いなく、お兄ちゃんの顔だった。




