第64話『純白の引金、路地裏の闇』
【ユエ視点】
おかしい。何かがおかしい。
病室から抜け出したわたしは、そんな疑問を抱かざるを得なかった。
なぜこんなに警備がザルなんだ? 隔離病室なんて呼ばれてるくせに、セキュリティが甘すぎる。
結界にしても、鍵にしても、警備にしても。まるで内側から脱走することが想定されていないかのようだ。
あるいは、誰かが意図的にそうしたのか。
「……今は、どうでもいい」
普通だったらこんな甘いセキュリティに不安を抱くところだが、今回に限っては好都合だ。
音を立てないようにしつつ、わたしは真っ暗な院内を駆け回る。
そして階段を降りて3階へと到達すると、近くにあった窓の鍵を開けて飛び降りる。
着地の瞬間、両足をスライム化させて衝撃を吸収。そのままバネ状に変形させて一気に駆け出す。
「確か、こっち……!」
ロニから送られてきた道筋を辿る。ご丁寧に、人通りの少ない裏通りばかりだ。
1人で来るのがわかっていて、わたしに都合のいい道を選んでいるのだろう。それがさらにわたしの神経を逆撫でする。
昼間でさえ薄暗い裏道は、真夜中だと少し先すら見えない完全な闇だ。スピードを落とさざるを得ず、わたしは軽く舌打ちする。
はやく、はやくはやくはやく、少しでも早くマグダラ教会の本拠地へと殴り込みに行きたいのに――
「……ッ!?」
「うおおっ!?」
と、そこへ曲がり角から突然人影が現れた。
お互い避けきれずに真正面から激突する。わたしの方は結構なスピードが出ていたため、相手の方はかなり吹っ飛ばされたようだ。
「……じゃま」
しかし、わたしにとってはどうでもいい事だ。ただでさえスピードを落とさなけれならないんだから、こんな所で謝ってるヒマは無い。
そもそも、なんでこんな時間のこんな所に人がいるんだ……と苛立ちながら立ち去ろうとした時。
「待ちな、嬢ちゃん」
背後から呼び止める声。わたしとぶつかった男だった。
無視して駆け出そうとするも、腕をしっかりと掴まれてしまって振り払えない。
「っ!?」
そう、振り払えないのだ。
スライム化すればすり抜けることも簡単なはずなのに、どういうわけかその腕を振りほどけない。
「はな、して……!」
「おっと、痛かったか? 悪い悪い」
意外にもアッサリ手を離され、少し拍子抜けする。だがそれもタイムロスだ。
こんなのに構っているヒマは無いし、コレのせいでセンパイ達に危害が及ぶかもしれない。先を急がねばと、闇のせいで姿も見えない男の側を通り抜けようとすると――
「……ロニんとこに行くのかい?」
瞬間。わたしは足を止めて腕を素早く刃に変形させると、男の首元に刃を突きつけた。
「……だれ? 敵? マグダラ?」
「おいおい物騒だな、最近の若者は! 安心しろって、俺はあんなカルトもどきのお仲間じゃねえ」
男は「やれやれ」と肩を竦めながら、なんと素手で刃の腕を首から避けた。
わたしが唖然としていると、男はコツコツと靴音を鳴らしながら暗闇から姿を現した。
わたしの目に映ったのは、20代半ばほどの細身の男だった。肌は浅黒く、髪は癖毛の黒髪。
肌と対照的な真っ白いシャツは胸元がはだけ、妙な気怠さと色香を漂わせている。その風貌は、どこかアラビア系の中東人にも見えた。
そして、何となくだが……九頭龍センパイに似ている。
顔つきは全くの別物なのだが、胡散臭い微笑や雰囲気がどことなく似ているのだ。
「実は俺もマグダラ教会のことは良く思ってなくてな。前からぶっ潰れねえかなぁ、とは思ってたんだ。そういう意味じゃ嬢ちゃんの味方かね」
なぜわたしがマグダラ教会を目の敵にしていると知っている? そもそも、なんでこいつはロニを知っている?
ロニの罠か? だったらここでコイツも潰すか?
「ハハッ、そんな怖い顔すんなって。ところで嬢ちゃん、どうやってロニんとこまで向かう気だ?」
「……走る」
「そいつは無理だな。距離的には行けなくもねえが、誰にもバレずに行くには障害物が多すぎる。例えば……ほれ、もうちょっと先に駅あるだろ。そこの魔力検知機はどうする」
「……っ」
「仮に無事禁域まで辿り着けたとしよう。そこからどうする? 禁域の入り口には警備の騎士もいる。そいつらをスルーできたとして、今度は魔物地獄が待ってる。禁域舐めてたら5分とかからず死んじまうぜ?」
「う……」
「おいおい無計画かよ! そこにつけ込む気だったんだろうなぁ、ロニの奴は……ったく相変わらず趣味悪ぃこった」
男は小馬鹿にしたように笑うと、
「いいぜ、協力してやるよ。要はそいつら全部スルーできりゃいいワケだ。ロニんとこに行けさえすりゃいいなら、できないこともない」
「ど、どう、やって……?」
男は意味ありげな笑みを浮かべたかと思うと、右手をズボンのポケットへと突っ込み――
「――コイツで、だ」
直後。
ズドン、という音がしたかと思うと、わたしはその場に崩れ落ちた。
「か、は……っ!?」
いま、何が、起こった? 男の右手には、純白の拳銃。
引き金には指。銃口からは煙。わたしの胸元に遅れてやってくる、熱、熱、熱。
いま、わたし、撃たれた……?
「う……ぁ……ああっ、があぁぁぁッ!!
熱い熱い熱い熱い!! なんだコレは!? 痛みは無いのに、撃たれたところが尋常じゃなく熱い!!
まるで細胞ひとつひとつが沸騰でもしてるみたいだ! こんなの知らない! 溶けてしまう!!
「だま、し、たな……ッ!」
「いやいや騙してねえって。ちっとばかし荒治療なのは否定しねえけど」
「なに、を、ほざいて……!」
「特殊な弾丸で嬢ちゃんの体内のネガに直接干渉した。上手く行けば、嬢ちゃんの体がネガに順応するだろうよ。そしたらめでたく血戦技能の覚醒ってワケだ」
「っ!? 血戦……技能、が……そんなの、信じら、れると……っ」
「信じるか信じないかは嬢ちゃんの勝手。もしかしたら覚醒しねえかもしれんが……ま、死にはしねえから安心しな」
そう言って悪びれもせずに笑う男を、地べたから睨みつける。
嘘だ。こんなので血戦技能が覚醒するはずない。そんな事ができるなら、この社会はもっと変わってるはずだ。
「コレは実験だ。俺の目的は血戦技能の保有者をもっと増やすこと。そんで物質界を大変革させるんだ。嬢ちゃんはその第1号ってワケさ」
「……ぐ、ぁ、ああっ……ああああぁぁッ!!」
「もう聞こえちゃいねえか。ま、小一時間もすりゃ治るだろうよ。健闘を祈るぜ、嬢ちゃん」
わたしが膨大な熱に耐えているうちに、男は夜の闇へと消えていってしまった。
それを追いかけることはおろか、立ち上がることもできずに蹲る。はやく、はやく、はやくマグダラの本拠地まで行かなくてはならないのに。
手足が痺れる。
熱はどんどん増していく。
視界は掠れ、意識がだんだん遠ざかっていく。
「いか、なきゃ……なの、に……」
地面を這いつくばりながらも前に進もうとする。
だが体が重く、腕には全く力が入らなくなってしまった。
「いか、な、きゃ……わた、しは……おにい、ちゃ……」
そこで、わたしの意識はブツリと途絶えた。




