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第54話『快活と約束の記憶』

ユエの過去回その1

 わたしの実家はパン屋だった。

 家の中にはいつも香ばしいパンの焼ける匂いがしていて、それがわたしにとって一番落ち着く香りだった。


 外は嫌いだった。

 わたしの好きなもの、好きなこと、好きなひと……何ひとつ無い。嫌いなものしか無いとか、いじめられてたとかいうわけではない。


 ただ、わたしは家族が、家が、香ばしい香りが、お母さんの作るラスクが……何よりも好きだった。だから、それが無い外は嫌だった。ただそれだけのこと。

 無関心と言ってもよかったかもしれない。だからわたしは、ずっと自分の殻に篭っていた。その方が楽だったから。


「おいおいユエ! そんな引きこもってたらモヤシみてえになっちまうぞ! 子供は外で遊ぼうぜ!!」


 そんなわたしを外に引っ張り出したのは、空海うつみ啓輔けいすけ――わたしのお兄ちゃんだった。

 当時12歳だったわたしに対し、お兄ちゃんは21歳。9つも歳の離れた兄妹で、一般的な兄妹とは少し距離感が違っていたと思う。


 お兄ちゃんは……とにかく明るくて、馬鹿みたいに元気で、子供みたいに腕白で、無邪気で、快活で、友達も多くて……わたしとは正反対の人間だった。


 お兄ちゃんは県内でトップクラスの名門高校を卒業したのに、なんと大学には行かずにバイクで世界を旅していた。

 そしてたまに帰ってきては、よくわからない民族のお土産を持って帰ってくる……そんな不思議な人だ。


「ほらコレ見ろよ! 何だと思う? 何だと思う!?」


「……ぜんぜん、わかんな」


「そう! トーテムポールだ! すげえだろ、ミニチュアの木彫りなのにこの作り込み! 魔法抜きの職人技だぜ!? なっ、すごいと思わねえか!?」


「すごい、の?」


「すげえんだって! ほらここの翼の部分とか……って、うおおおい折れたぁ!? せっ、接着剤ぃ! ジジイ、そこのアロ○アルファ取ってくれええ!!」


「うるっさいわ! ギャンギャン騒ぐな、関節に響くわい!」


 と、こんな感じでお兄ちゃんが帰ってくると、家の中はいつもの30倍ぐらい騒がしくなる。

 でも、その騒がしさが好きだった。そのあり得ないぐらいの無邪気さと能天気さは、見ている人を笑顔にしてくれる。


 お兄ちゃんは笑顔の魔法使いだった。

 わたしにとっては、どんな先生よりも、テレビに出てる偉い魔法の教授よりも、魔法界シャンバラの大魔導士よりも、よっぽどお兄ちゃんの方が偉大だった。


「……お兄ちゃん」


「おう、どうした妹よ! まさか恋の相談か!? ついにやって来たか……けど! お兄ちゃんはそんなの認めないぞおぉぉ!!」


「そうじゃなくて、えっと、その……」


「ふむふむ、その顔はアレだな! 「お兄ちゃんはどうしていつもそんなに楽しそうなのか」……ってとこだ! 違うか?」


「……っ、な、なんでわかった、の?」


「へへっ、妹の考えてることなんざお兄ちゃんお見通しだぜ? 俺は世界で一番ユエに詳しい男だからな! そして世界で一番ユエを愛してる男でもある!」


 お兄ちゃんは豪快に笑いながらそう言った。

 お兄ちゃんは友達が多いから、てっきりわたしの事なんて忘れてると思ってた。だから、その言葉は物凄く嬉しかったのを覚えている。


「で、質問の答えだけど……うん、アホだからかな!」


「あ、ほ……?」


「おう! お兄ちゃんインテリだけど、世界で一番アホだからな!」


 当時のわたしには全く理解できなかった。あのお兄ちゃんが、アホ?

 確かにアホみたいなことはしてるけど、それでも学力はトップクラスだった。お兄ちゃんは文武両道、容姿端麗、性格も良い、わたしの憧れだったのに。


「でも、お兄ちゃんは……」


「あ、アホってのは成績関係ねえぞ? 成績が悪いのはただのバカだから頑張れって話だ! そうじゃなくて、なんつーかな……考えすぎずに猪突猛進! 何事も全力投球で派手にずっこける! それが俺流のアホだ!」


「う、ん……?」


「んー、わかりやすく言うとな、あんまりウジウジ考えすぎんなってことだ」


 ウジウジ考える……わたしにはあまり関係無いことだ。その時のわたしはそう思っていた。別にわたしはウジウジ考えてるから引きこもってたわけじゃない……そう思い込んでいた。


「見ろよこの写真」


 お兄ちゃんは鞄から携帯端末を取り出すと、写真のフォルダを開いてわたしに見せてくれた。

 そこには世界中の景色が映った大量の写真が保存されていた。お兄ちゃんはその中の1枚を指差した。お兄ちゃんが体格の大きい外国人の男性と肩を組んでいる写真だ。


「コイツ、俺がアフリカで知り合った友達なんだけどな。この写真だとこんな笑ってっけど、最初はすげえシャイな奴だったんだよ。目すら合わせてくれねえの」


「それで、どうしたの?」


「殴った!」


「……へ?」


「いやぁ、酒の勢いでな! あんまりにもあっちの酒が美味かったもんだからグイグイ飲んでたら、すげえ酔っぱらっちまったんだよ。で、その勢いでドーンって」


 アレは飲み過ぎたなぁ、とお兄ちゃんは懐かしそうな顔で笑った。わたしとしては、全く理解できずにドン引きだったのだが。


「で、当然コイツはすげえキレたわけ。すげえ怒鳴られたし、すげえ殴られたし、すげえ蹴られた! そっからはもう取っ組み合いの喧嘩よ! 激し過ぎて店から締め出されちまったぜ!」


「ええ……」


「でさ、近くの道路で殴り合い続行。そしたらそいつ、喧嘩しながら何か叫び始めて、しまいにゃ泣いちまったんだよ! いきなりワンワン泣きながら殴りかかってくるからビックリしたわ!」


「なんで、泣いてたの……?」


「そいつさ、1週間前に父ちゃん事故亡くしてたんだ。これまた豪快な父ちゃんだったらしくてな……ガキの頃から叱られるたびにでっけえゲンコツ食らってたらしいぜ? で、俺に殴られてるうちにそれ思い出して泣いちまったんだとよ」


 話が予想外の方向に飛躍し、わたしはお兄ちゃんの話に聞き入っていた。

 

「それ聞いたら俺まで何だか悲しくなっちまって……一緒に大泣きしながら、朝まで飲み明かしたよ。そしたらそいつ、朝にはスッキリした顔しててな。これでやっと父ちゃんに胸張ってサヨナラできる、って笑ったんだ。その直後の写真がコレだ」


 よく見ると、その人もお兄ちゃんも目元が腫れていて、少し目が血走っているようにも見える。

 そして、2人とも底抜けに清々しい笑顔をしていた。


「俺はアホだったから、考えなしに飲みまくってこいつをぶん殴った。で、ダチになった。結果として、こいつは救われたんだろうよ」


 ほんとに結果論だけどな! とお兄ちゃんは笑った。

 そしてお兄ちゃんはわたしの頭に手を乗せ、ポンポンと撫でた。


「人生、何が起こるかわからねえ。俺みたいに外国人とマブダチになるかもしれんし、こいつみたいにポッと出の日本人に救われるかもしれん。必要なのはきっかけなんだよ。で、そのきっかけを作る秘訣……それこそが!」


「アホになること……?」


「その通り! たからユエもアホになっちまえ! 突拍子もねえ奇行で周りと差ぁつけろ! 家のことをウジウジ考える必要もねえ! ……俺は高校出た時、もっと早くそうしてりゃ良かったって後悔したからさ。ユエは後悔すんなよ?」


 衝撃だった。ウジウジ考えてなんかないと思ってた。確かにそれは合っていた……外のことに関しては。

 でも、わたしは家の中に逃げることばっかりウジウジ考えていたんだ。だからわたしは――


「……お兄ちゃん」


「おう、どうした?」


「今度どこかに行く時は、わたしも連れてって、くれる?」


 その言葉を聞いたお兄ちゃんは、一瞬だけきょとんとしてから、見たこともないぐらい嬉しそうな表情へと変わったのを覚えている。

 

「よぉし……よぉぉし! 約束だ! けどユエは初心者だからなぁ……まずはハワイ辺りにすっか! 青い海! 白い雲! 銀の砂浜! 全部お兄ちゃんが見せてやるよ!」


「うん、約束……!」


 指切りげんまん、嘘ついたら針千本、飲ます。

 小指を絡めて、2人で口ずさんだ。

 その声色を、そのリズムを、その温もりを、今でも覚えている。


 その日が、新しいわたしの誕生日となるのだ――わたしは期待に胸を膨らませて、はにかんだ。









 その翌日が、お兄ちゃんの命日になるとも知らずに。



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