第16話『暗躍する蛇、恐怖する兎』
管理室の扉の前には見張りが2人。
中にも最低でも1人はいると思われる。
さっきハユルちゃんは俺のことを心配してたみたいだけど……ぶっちゃけ管理室を奪還するのが一番簡単だ。
その方法は1つ。俺の魔人としての体質をフル活用する。
ハユルちゃんには俺が「再生特化のリザードマンの魔人」と言っていたが、あれは嘘だ。
いくら再生に特化してても、リザードマン程度では首をはねられたら死ぬ。俺の不死身の体質には程遠い。
しかし管理室の制圧に使うのは「不死身」ではない。
俺の「混じりモンスター」の特徴を象徴する、もう1つの能力――それは「猛毒の分泌」。
俺の肉体のあらゆる場所、分泌物、体液、吐息に至るまでありとあらゆる物が猛毒と化す。濃度や種類も意のままだ。
即死するレベルの猛毒は使わない。今回使うのは、ちょっと強めの睡眠ガス。
無色透明なのでガスを吸っているという自覚も無く、一定量吸うと一瞬で昏睡する。丁度、目の前の見張り2人がぱたりと倒れたように。
見張りの無力化を確認したあと、管理室に音もなく入る。監視カメラのモニターを見ていた奴が2人いたようだ。こいつらもガスで寝てるけど。
色々とセキュリティをいじる前に、外の監視カメラの様子を確認。もう東京騎士団が到着している。警察の機動隊も来てるのは、ハユルちゃんが通報してくれたからだろう。
これならシャッターを開いても大丈夫そうだけど、できればもう少しケガ人が出る可能性を減らしておきたい。
俺がいじったのはシャッターの設定ではなく――空調。
人質が固められている場所が風下になるように計算して、空調の設定を変えていく。
これで準備完了だ。管理室の仲間と連絡が取れないことに気付かれる前に、一気に決める。
決めると言っても、直接攻めに行くわけじゃない。
小細工に小細工を重ねて、確実に無力化する。これ以上あっちに何もさせてたまるか。
◇◇◇
【ハユル視点】
なんでこんな事になっちゃったんだろう。
なんでここで起こったんだろう。
なんで今日起こったんだろう。
気を抜くと押しつぶされそうになるほどの心細さを、そんな行き場のない怒りに変換して塗り潰す。
なんで私たちがこんな目に遭わなきゃならないんだ。
奴らは何が目的なんだ。
私たちをどうしたいんだ。
私は――どうして逃げることしかできないのか。
腹が立つ。
何もしていない私たちの平和を脅かす奴らにも。
九頭龍くんが命をかけて立ち向かってるのに、こうしてトイレの個室でガタガタ震えることしかできない自分にも。
自分が立ち向かったところで、かえって足手まといになることはわかってる。
だから九頭龍くんだって、私にはただ「逃げて」としか言わなかったんだ。
その無力感が、恐怖や怒りと同じくらい、私の肩に重くのしかかる。
「そうだ、通報……! 九頭龍くんに任されてたんだった」
震えるばかりで頭からすっかり飛んでいた。
そんな自分に怒りが再燃しそうになるのを抑えつつ、震える指で110番にコール。
気付かれないように小声で。声が小さい上に震えていたから何度も聞き返されたけど、なんとか通報はできた。
あとは、待つだけ。
でも、その「待つだけ」が私にとっては地獄にも等しい。
私の聴覚が、この静まり返ったショッピングモールの、すべての音を拾う。
すすり泣く声。
押し殺された怒りの声。
過呼吸。
嗚咽。
子どもを宥める母親の声。
しかし震えている母親の声。
下卑た談笑。
指が引き金に触れる金属音。
その全てが頭の中でリフレインして、私の心の中を恐怖という恐怖で埋め尽くしていく。
もし見つかったら?
さっき通報してた時の声が聞かれてるんじゃないのか?
それであえて泳がされてたら?
殺される?
死ぬ?
それよりもずっと酷い目に遭う?
死ぬ? 死ぬ? シぬ? ――父さんみたいに?
「いや……いやぁ……っ」
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて――
「助けて、父さん――」
その瞬間。
「――え」
すべての音が止んだ。
何もかもが寝静まったかのような、静かな息の音しか聞こえない。
「なに、これ……?」
気がつくと、私はその場から立ち上がっていた。
隠れていた個室から出て、何が起こったのかを確かめようとしている。
さっきまであんなに震えていたのに、この謎の現象を確認せずにはいられずにいた。
フラフラとしたおぼつかない足取りで、1階の広場が一望できる場所まで近づく。
ゾワリとした悪寒が走り、思わず私はぶるりと震えた。
そして、私が寒気を堪えて広場を見下ろしてみると――
「寝てる……?」
それは異様な光景だった。
人質も、テロリストも、全員がその場に蹲って眠っている。
誰1人として身動き1つ取らず、いささか緊張感に欠けるその光景は、かえって不気味ですらあった。
「何が起こってるの……!? どうしてみんな寝て……?」
食い入るようにその光景を眺め、呆然としていた。
だから私は気が付かなかった。気が付けなかった。
背後から迫ってくる悪意と、足音に。
「動くな」
その一言で、私は現実に引き戻された。しかし時すでに遅く。
後頭部に感じる硬い金属の感触で、私は自分の状況をはじめて理解した。
「抵抗せずに、質問に答えろ」
私は、銃を突きつけられていた。




