第十一話 連創
かつて神々は、死の存在しない楽園を創り上げた。楽園の名はアースガルズ。
常しえの繁栄と万古不易な安寧の地。
神々によって先ず創られたのは、アダムという人間であった。彼は一人、アースガルズの中心にある果樹“善悪の知識の樹”の管理人として務めを果たしていた。やがて神々は、寂しそうなアダムのために、彼のあばら骨の一本をとって妻として、イヴを創造した。
あるとき、神から食べることを禁じられていた善悪の知識の樹の果実”禁断の果実”をヘビにそそのかされたイヴとアダムが食べてしまう。
その瞬間、アースガルズにいた動物たちは殺し合いを始め、土地は荒れ果てた。 神々はこのとき、アダムとイヴをアースガルズから追放し、永遠の命を喪失させ、地を耕し刈り取る苦労、子を産む痛みを与え、蛇は地に這いつくばって生きていかなければならない姿にした。
神々はなぜ、アダムとイブに禁断の果実を食べるなと言ったのか……。
人は妬み、企み、争い、そして差別する。自己と違う者への嫌悪は、ときに捏造された敵意となって他者を貶める。本能という名の闘争心が駆り立てる憎しみは、肌の色、国、思想、宗教……形を変えて存在し続ける人の本質と言えるだろう。過去の大戦や現在もある世界各地での紛争、身近で起こる無差別殺人や隣人へのいじめ……これらが徴憑する如く。
これもまた、知恵の実から芽吹いた豎子である我らの宿命なのであろうか。
物語は、人類の近未来へと続く……。
第十一話 連創
「答えは出たのですね、ヘイムダル」
「ああ、これこそが、まさに“エンラセ”さ。やっと理解できたよ。我らもその一部。抗う事など出来ない存在。分かるだろ?」
「ええ、神々とはよく言ったものですね。想像しただけで溶けてしまいそうなほど甘美ですわね」
「そうさ、だから、禁断の果実を口にしたイーリス達はもう止められないのさ」
「我らが望むビフレスト。それはまた、彼らによって紡がれる。あなたの言う”エンラセ”が、全く新しい創世記へのビフレストになり、大いなる進化へと続く……そう信じて」
日本海
米原子力空母CVN-80エンタープライズ管制室
CMC(アメリカ海兵総司令官)のロバート・ダンフォードは焦っていた。目の前の日本人に交渉の手札を全て握られていたからであるのも理由だが、それ以上にロバートを焦燥させる原因があった。狂信的な笑みを浮かべる1人の民間人の思惑一つで世界が終焉の時を迎えてしまう。その交渉役を自らが担っているという重圧。相手の出方を探るが一向に奥底を見せない。そんな泥沼の平原に足を踏み入れてしまったかのような状況が彼を苛立たせていたのだ。
「さて、現状についてもう一度説明させていただく。我が軍の砲台はすべて君たちのメガフロートに照準を合わせている。君たちとしてもあそこを潰されれば計画は頓挫するだろう。しかも、先ほど、我が軍の精鋭が日本に到着し、作戦行動に移行したとの報告があった。あと数時間で“キー”確保の連絡が入るだろう。つまり、この計画は我が合衆国の指揮下に置かれたも同然ということになる。だが我々は既に十数年にも及ぶ”ビジネスパートナー”だ。分るだろ?君たちをこの計画から無下に外すようなことはしない。個人的にもそれは望んでいないのだよ。以後は我々に技術的な協力さえしてくれればいい。どうかね?」
スーツを着た男は、室内に響き渡るような声で高笑う。
「おっと、失礼しました。あまりにも状況がお分かりでないので少々滑稽でしてつい。それとも閣下は、我々デュボットを見縊られておいでなのか……まあ、いいでしょう、お教えしておきましょう」
手に持った古地図のような紙を卓上に置くスーツを着た男。
「最初に申し上げておきます。実は我々デュボットはすでに“IÅ(イオ)振動体”の開発に成功しているのです」
ダンフォードは眉間にシワを寄せる。
「聡明な閣下ならこれだけお耳に入れればお分かりになるでしょう。さらに申しますと、“IÅ(イオ)吸収素子”の小型化にも着手し運用レベルにまで到達しております。手駒が閣下の手元にと申されたが、すでに“キー”が無くとも計画の遂行には何の影響もないのです。今からそれをお見せします」
自信に満ちたスーツを着た男は、ウェアラブルフォンで誰かに指示を出しながら、隣に立つ秘書らしき人物に目で合図を送る。秘書らしき人物は、徐に手に持っているアタッシュケースを開き交渉相手に中身を見せた。すると、室内にいたダンフォードや、他の政府高官らしき数名からどよめきが沸き上がる。
「しかしながら、より安定的で合衆国政府がお望みの成果をと申されますとやはり“キー”を使用したほうが確実でございましょう。ですので、我々は譲歩差し上げているのですよ」
部下であろう兵士の一人がダンフォードに近づき、耳元に手を添える。そして、ダンフォードの顔がみるみると青くなる。
「日本政府から、“意識喪失”案件で問い合わせが入ったよ。君、まさか……」
「これで、お判りでしょう。先ほど、富山にある当社の研究施設で起動実験を行いました。更に次の段階への実証実験には閣下も是非同席下されればきっとご満足いただける報告を貴国にすることが出来るでしょう」
ダンフォードは高官たちとの間でささやくような評議を行う。そして、徐に立ち上がったダンフォードは険しい表情を殺しながらスーツを着た男に握手を求めた。
「是非、立ち会わせて頂こう。ミスター城後」
「分りました。では向かいましょう。おっと、閣下。その前に例のウィルスを除去していただけないですか。我々のシステムを逐一攻撃してくる。もう必要ないでしょう」
ロバートは高官たちに目をやる。しかし、高官らは首を横に振ってみせる。
「何のことかね?我々はそのような攻撃を君たちにするはずがない。ましてやアトムスフィアは強固だ。我々が如何にデーブソートを操作しようと君たちに辿り着くのに10年はかかるだろう」
「おかしいですね。ではあの“ロミュテカ”と名乗るウィルスコードはどの国からですかね。ご存知ですか?」
ロバート達はまたも首を横に振る。
「分りました。これは、計画の遂行を急がねばならないかもしれませんね。“彼ら”にも気づかれている事でしょうしね」
日本海の時化った黒い波飛沫に打ちつけられるエンタープライズから、V-44輸送ヘリがゆっくりと離陸。薄墨色の空にゆらゆらと消えていくのであった。
“ロスト現象”発生から12時間ほどが経過。日本の総人口9900万人のうち、3分の2にあたる約6000万人が“ロスト”し、全国の医療、行政はほぼ機能を失っていた。政府は、国家危機レベルを5とし、最も有力な未知のウィルスによる大規模感染の可能性を視野に生き延びている人々の早急な隔離処置を実行すべく、熊本、岡山、長野、千葉、岩手、北海道の6カ所に緊急避難者シェルターの建設を進めていた。
数分間続いた海からの砲撃による激しい爆風をB-SABotを盾にして凌いだ神谷達は、砲撃の止んだ隙に数km離れた瀬戸内署まで退避していた。
瀬戸内署では、政府からの大規模災害の知らせを受けた神功が、いちはやく機能しない市役所の変わりに災害対策本部を立ち上げ、署や駐車場を解放し避難民を受け入れている。
「本署、特課の後藤と言います。こちらは神谷」
「署長の神功です」
「B-SABotによる連続殺人の件でこちらの方まで来てるんですが……」
「話は概ね連絡を受けていますよ。で、例の政府の施設ですが、我々も詳しくは聞かされてなくて、厚労省の湊さんに警護等を頼まれてたぐらいで……。私も実際にお会いしたことは無いんですがね彼には」
「そうですか。その湊と思われる人物は先刻起きた襲撃で死亡したのを確認しました。遺体などは回収できておりません。署長には厚労省の人間だと?」
「ええ、施設は、厚労省の研究施設で高度情報処理に関する研究をしてるとかでして。そもそもあの崖一帯は地元民でも近寄ることは無いですからな」
「あと1名、銀髪で年齢は10代だと思われる少年はご存じないですか?その湊という人物と一緒に現場で死亡といいましょうか、破壊された、おそらくヒューマノイドであろう者が居たんですが」
「ヒューマノイド?!B-SABotじゃなく?そんなものがあるんですかな?」
「はい。2040年にqAIの入ったSABotが開発されていたのはご存知だと思いますが、自我覚醒問題で禁止になって以降、日本も含めた各国が水面下で開発競争を繰り広げてまして、15年経った今では、その技術がどれだけの水準に達しているか、我々でも測りかねています。一見、人間のような挙動で何ら見分けのつかない者でもqAIの入ったSABotであるヒューマノイドと認識したほうがいいケースもありまして」
「で、その銀髪の少年も”それ”だと?」
「襲撃者によって胴体と首が切断されましたが、アクチュエータや配線などがむき出しになっていたので間違いなくそうです」
「皆目見当もつきませんな……で、施設を襲撃したのは?」
「それも、ヒューマノイドです。しかし、1名B-SABotを操作者が居ました。名前確か……を“ヨハス”と呼ばれていました」
「んー、管轄でありながら、すべて見識を越えた出来事で……お力になれそうにない……申し訳ない」
「あ、そんなことないです!では、保護した少女の聴取などお部屋をお借りしてもいいでしょうか?」
「どうぞどうぞ。私は、退避命令がでてるんで、署員の指揮を取らないといけない。時間はそうないですが、ご自由にお使いください」
「ありがとうございます!」
取調室前の廊下に置かれた長椅子に毛布にくるまれて座っているリホ。意識は戻ったものの、今だに混濁とした様子で重い頭を押さえ伏せている。そんなリホにそっと寄り添うように座った神谷は、落ち着いた口調でリホに語りかけていく。
「もう言葉は話せるのよね。ゆっくりで良いから知ってる事を教えてくれるかしら。まず、相手の少年は全剣会以外で面識、接点はないということでいいかな?」
「はい……湊……先輩もそう言ってました」
「あなたは何か心当たりある?」
リホは何も語らず首を横に振る。
「あと、あの“女の子”なんだけどね、アリスって言ったかしら。知ってる?」
神谷の問いかけにリホはまたも否な反応を返す。
「神谷さん、やっぱりダメですね。岡山市方面に退避という連絡を最後に本部との通信が途絶えたまま繋がりません。今は、所轄の警察に頼るしか手が無いですね」
本部との交信を試みていた後藤。角田の一報から12時間経過して、本部はおろか角田とも連絡がつかないでいた。ほどなく、署内に神功の放送が響き渡る。
「政府の指示で、この地域の住民を岡山市にある感染症防護シェルターに移動させることになった。現署員は管轄の家庭1軒1軒を回って生存確認を取るとともに、自衛隊の護送車に随時乗車するよう誘導を開始してくれ。感染の拡大規模、速度から考えて一刻の猶予もない。それぞれ、家族のことも心配であろうが、生き残ってるものは最後まで警察官としての誇りある職務に邁進してほしい。以上」
その言葉を聞いた署員一人一人の目には秘めた決意を感じさせる光が宿り、一斉に署から駆け出して行く。
「あの子……あの子はどうなったんですか?」
アリスという少女……激しい爆煙に包まれ消える寸前、最後に見せたあの微笑み。リホの脳裏に焼き付いて離れない。
「私たちも現場を離れるので必死だったわ。あの子がどうなったか分からないの」
項垂れるリホ。3名の沈黙が憔悴した体を重くフロアに縛り付ける。
「とにかく、俺は移動手段を確保してきます。神谷さん達は少し休んで……」
突然、1名の署員がロビーのドアを烈々と蹴破って駆け入るや、神谷達に息を切らしながら駆け寄る。
「すいません。署長から連絡を受けていたセーラー服の少女が表に来てるんですが、あ!?」
署員の言葉を遮るように建物全体が大きく軋み、地がぐらぐらと轟音を上げながら揺れ始めた。
「後藤君、リホさんを外に!何この揺れ、またミサイル?」
熊本県阿蘇市
阿蘇山火山防災計測事務所
鳴りやまない高音域な警報音。薄暗い所内が赤く振動する。
突然の現象に冷静さを保つので精一杯の職員達は、それでも尚、職務を全うすべく慌ただしく奔走している。地鳴りによる鳴動が机の上に置かれた物を全て床に蹴落としていく中、所長と思しき初老の男性が、卓上に投影されたキーボードを荒々しく叩きながら職員達に指示を飛ばす。
「君たちは私の車で早く非難しなさい。私は最終データを本庁に送信できたら村の様子を見ながら退避します」
「分かりました。中村、竹田と一緒にすぐに下山するんだ。僕は大田原所長と一緒に後から行く。それと、火口に飛ばしてるドローンは今どうなってる?」
「はい、今、中岳の上空で、えっと、そこのモニターに……えっ?これなんですか?今、何か……」
火口上空からの映像に全員の注意が向こうとしたその時、これまでで一番大きい空振が窓ガラスだけでなく建物全体を大きく揺らし、一同、床に伏せてしまった。
「で、でかかったですね、今のは……」
「ああ!人が居る」
「何処だ?!」
「ここです!画面の右下の……歩いてます」
「今、どの辺りを飛んでるんだ?」
「中岳上空250mやや西南西の位置に静止してます」
「画質が荒いな……もう少し寄れないか?」
「噴石が多くて無理です。でも、これ、人ですよね?」
「分からん……。ただ、動いてる事は確かだ。火口から遠ざかってるな」
「最初、噴煙の中から出てきたように見えたんです!あり得ないんですが……」
「よし、私が操作してもう少し寄ってみる。残るのは私1人で十分だから君は他の者と一緒に退避したまえ」
すると、事務所の出入り口を激しく蹴破り、息を荒げた所員が飛び込んでくる。
「所長!根子岳、高岳、中岳、烏帽子岳、杵島岳全ての山体崩壊が起きてる模様です。下村でも複数箇所の地面から大量の熱水が噴き出しています。ここも危ないです!早く避難しましょう!」
両手に持てるだけの資料をかき集めた所員達は、防護服を来ながら事務所を飛び出していく。そとは、既に噴煙で視界を奪われつつあったものの防塵マスクが無くても呼吸は出来るほどであった。しかし、至る所で大地が裂け、湧き出る熱水が無数の水柱を立てている。さらに、数センチほどの噴石が火山灰とともに降り注ぎ、足元を覆っている。
急いで駐車してあるレトロな軽トラックの荷台に数名の所員が乗り込み、所長の合図で事務所を出発する。っと、その時、事務所の裏山を覆うように大きな黒煙が広がった。その煙の波はまだ遠方ではあったものの、火砕流のごとく呑み込んだすべての木々を焦がし、焼き尽くしながら着実に広がっていくのが見える。
「もっと!もっと飛ばして!」
「でも、所長が……所長!」
下りながら速度を増す軽トラックから、小さくなっていく所長の影が見え、所員達は葛藤する……。その後ろ、遠方に思われた黒煙は数秒のうちに裏山を覆い尽くし、事務所まで約100mまでに迫っている。運転をする所員は振り向く事無くアクセルを踏んだ……。両手を大きく振り、戻ってくるな!急げ!と言わんばかり影が小さくなり、そして、黒い波に消されて行く。
少しでも非難が遅れていたら……。
先ほどまでいた事務所は黒煙に飲み込まれすでに視認できない。生き残った職員たちは、ただひたすらしがみついた車を走らせるしかなかった。
国立極地研究所 国際北極環境研究センター
スバールバル諸島ニーオルスン基地
「どうなってるんだ?!本部と連絡はまだなのか?衛星高度計の値もまだなのか!」
氷の上に置かれた水位メモリを見つめながら、大声で叫ぶ研究員。屋内にいる他の研究員もこの緊急事態に慌ただしく動いている。
「だめです!今朝から衛星回線も不通で連絡が取れません」
メモリを見つめる研究員はその声に焦りに満ちた怒号を返す。
「何言ってるんだ!今すぐ船をだして他国の基地まで行って回線を借りるんだ!1時間で35cmだぞ!!しかも、すでに5時間止まる兆候もない。このままだと”アウトバースト”(潮位崩壊)だ……。地球のほとんどの都市が海に沈むぞ!いったい、何が起きてるんだ……」
高度350km
ディープソート宇宙管理ステーション
LOQCサーバ管理棟
1人の人影が棟内の操作モジュール前を歩いている。
その人影は、管理棟内から地球を眺めつつ。ある装置の前に立つ。そして、何かの操作パネルにあるアタッチメントに額を付けると、その装置は脳波と網膜を同時にスキャンし、その者が装置の操作権限を有すると認証を行った。
認証が完了した人影はさらに下部にあったタッチパネルに自信が身に着けていたウェアラブル端末をかざし思考する……。
「Start up!Bio-cooling unit dropping.」
LOQCサーバ管理棟の外下部にあるハッチが開き、そこに接続されていた7つの棺のようなカプセルが次々と地球の四方八方に向けて噴出された。
程なく、そのカプセルは自由落下に移行し大気圏の高温で外郭が徐々に融解されはじめる。高度10km付近になると棺の外枠が剥がれ、次々とその中身が姿を現す。地球上空を落下するその7つの物体は、まさしく、全身、漆黒の外郭を身に纏ったB-SABotであった。
その様子を上空のステーションから眺めていた人影。それは、外見がまったく白磁ユウそのものである……。違いがあるとすれば少し眼差しに鋭さが増した程度だ。
その白磁に似た少年は、何かをつぶやいている。
「七人の天使が七つのラッパを手にした時、金の香炉を持った天使が現れ祭壇に祈りを捧げん。その祈りによって開かれし神への道はラッパの調べによって、多くの御霊を彼の地に還さん」
漆黒のB-SABot達はまるで翼のように大きく腕を広げ、すさまじい勢いで地球の各地に落下していく。




