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皇龍后龍  作者: 紅猫
第二章 ~銀竜都・龍殿~
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学ばぬ者に、知識無し

 母が、母ではないかもしれない。

 母だと思っていた人は、人ではなく、竜だったかもしれない。

 そうなのではないかと考え付いた風竜の男、ウルスラは、騎士団に帰って行った。

 実は、谷津波に巻き込まれたマリアを助けたのは、谷津波の被害調査隊として流域上空を飛んだ彼自身だったのだが。

 特にそのことには触れることもなく、後に別の人間――巫女長――に聞いて、感謝したマリアの言葉にも、仕事だから、の一言で片づけ。

 それはもう呆気無く、別れの言葉すらなく――マリアが起き出す前の白星も昇らぬ早朝と呼べるかも怪しい時間帯に――龍殿を出て行ったらしい。

 らしい、と言うのは、龍殿の誰にも挨拶をすることなく、姿を消したためだ。

 本当に騎士団に帰ったのか怪しかったのだが、その数日後に行われた叙位叙勲式で叙勲され、正式な騎士団長になったらしいから、帰ってはいるのだろう。

 しかし、それよりも問題なのは、やはり、ウルスラに投下されていった問題のほうだ。

 自分は、母の娘ではないかもしれない。

 では、一体自分は誰の娘で、何者なのか。

「……私が、竜なわけ、無いわよねぇ」

 無理を押して出していた声はようやくある程度治ったが、完治はしておらず、時折微かに引っ掛かるような音が混ざる声。

 これでもかと言うほどに乾燥した鈍い銀色の葉脈が走る葉を手揉みする、自分の手を見つめながら、マリアはぽつりと呟いた。

 庭の隅の作業小屋。

 庭園で取れる草を乾燥させ薬の材料とする加工小屋で、生け垣に隠されるようにひっそりと経っている。

 その小屋で、マリアは乾燥した草を揉んで粉にしていく。

 草を弄る手は、どこからどう見ても、人間の手だ。

 五本の指、肌色の皮膚、竜の多くに見られる硬い鱗も無いし、ウルスラのような獣的な体毛も無い。

 見慣れた両手。

「馬鹿じゃないの、貴女」

 隣から容赦なく突っ込んでくる蔑みを含んだ声は、あの女。

 耳に障る、耳鳴りを引き起こしそうな、甲高い声。

「自分が竜なのか人間なのかわからない竜なんているはずないじゃない」

 続いた言葉に、マリアは目を瞬いた。

「そう言うもの?」

「そう言うものなの。

白の国にある竜卵に、皇龍様がお選びになられた命が込められて、竜は生まれるの。

竜卵から孵化するときは本来の姿である竜体で出て来て、そのまま白の国で育つ。

人間の姿をとれるようになるのはある程度育って竜としての力がついてからだから、必然的に、自分が竜かどうかわからないなんて、ありえない」

 マリアと同じように乾燥した葉を揉んで粉にしながら、女は次から次へと言葉を連ねていく。

「ふーん……」

「って言うか、竜の生態なんて龍殿学舎で最初に教えられているはずなのだけど?」

 マリアの知らないことを繋げていく女の最後は、それらが学舎で教えられる基本的な知識だと言うことで。

「あぁ……私、学舎行ってないから」

「は?」

 今度は、女が言葉を失い、手元から顔を上げるなりマリアを見つめる。

 マリアはマリアで、特に気にすることはなく。

「だから、通ってないの、学舎」

 さも当然のように言い切れば、まだ山のようにある葉を籠から取り出して、粉にしていく。

 対して、女は不信感を露にするとマリアを睨み付けた。

「貴族だって貴族学舎に通うし、どんな最僻村にも学舎はあるはずよ。

その髪色が村での公然の秘密だったのなら、学舎の教師達だって共犯のはずでしょ。

なんで通ってないのよ……貴女が嫌がったとか、そう言うオチじゃないでしょうね?」

「必要無い、って言われたけど」

 マリアは手を止め、顔を上げる。

 女は額を押さえて盛大なため息を吐き出した。

 作業台の上に広がる葉の粉末を巻き上げる。

 窓からの光を浴びたそれは、真冬の空を舞う結晶のように煌めいた。

「……大有りよ……国色のことを教えるのだって学舎なんだから」

「へぇ、そうなんだ」

 宙を舞う粉末に意識を取られながら、興味も感動もない返事をすれば、マリアの視線にずい、と女が割り込んだ。

 その瞳は、責める、と言うよりも疑惑に満ちていて、眉間に深い縦皺を刻んでいる。

「貴女、ほんとに何も知らないの?

……ねぇ……まさかとは思うけど、貴女、も」

「話に花が咲いて、手が動いていないようですね、二人とも」

 女の声に割り込んだのは、非常に静かな声だった。

「!」

「あ、巫女長さま」

「粉を舞わせないように、と私は注意していたと思ったのだけど?」

 巫女長の静かな言葉に身を竦めるのは女のほうで、マリアは首を傾げるばかりだ。

「も、申し訳ありません……」

「今回の葉は、薬効が強いものではありませんでしたから良かったものの……次は気をつけなさい」

「はい」

「結構」

 しおらしく俯く女に、巫女長が言葉を重ねる。

 女の返事を聞くと満足そうに笑みを浮かべ、その顔のまま、今度はマリアに向き直る。

「貴女宛てです」

 そうして差し出された巫女長の手には小指サイズの木管。

「……?」

 初めてみるそれに、マリアは首を傾げる。

 小さな木管の表面には黒い染みがうねうねと記され、木管の両端を白い蝋が封じている。

「……ウルスラ様から?」

 マリアの隣で木管を覗き込む女がうねった黒染みを指さして言う。

「今朝、中央都リアシルヴからの早馬で届いたものです」

「中央都、ですか?

……ウルスラ様、もう砦の方へ発たれているはずですよね?」

「えぇ、叙位叙勲式で滞在している間にでも書かれたのでしょう」

「よく出せましたね、お忙しかったでしょうに」

「急ぎ知らせたいことがあったのでしょう。

遠慮せず、お読みなさい」

 巫女長が差し出す木管を、取り敢えず受け取る。

 しかし、マリアは知らなかった。

「これ、何?」

 掌に収まってしまう木管は両端の蝋に微かな光を反射させている

「何、とは、どう言う?」

「伝書は伝書でしょ」

「でんしょ?」

「伝書を見るのは初めてでしたか?

中に手紙が入っているんですよ。

その封蝋を、どちら側でも構いませんから割って、中の紙を取り出すのです」

 巫女長の言う通り、木管の封をしている蝋の塊にマリアは爪を立ててみた。

 途端に蝋は細かい粒子となって崩れ落ちた。

「……粉になっちゃった」

「術がかけられているのですよ、宛てられた本人でないと開けられないように」

「へぇ」

 巫女長の言葉に納得しながら、細い木管の中をマリアが覗き込むと、言葉の通り、細く丸められた紙が入っていた。

 あまり長くない爪を駆使して引っ張り出し広げると、木管の表面に記されいた黒染みに似たものの羅列が一列だけ並んでいた。

「走り書き、ですね」

「これ、何て書いてあるんですか?」

「……はい?」

 マリアはウルスラからの伝書の中身である小さな紙を巫女長に差し出した。

 しかし、差し出されたそれを巫女長が受け取ることはなく、マリアを見つめて固まってしまっていて、その隣にいた女までも硬直している。

「貴女、冗談きついわよ」

 漸く硬直が解けた開口一番、女は険しい表情でマリアを睨んだ。

「冗談って、何が?」

「何が書いてあるかわからないって……冗談でしょ?」

「だから、何で冗談になるの?」

「……本当に読めないのですか?」

「はぁ、読めませんけど?」

「「……」」

 二人の問いに、何故そんなに驚くのか理解ができないマリアは首を傾げるしか無い。

 そんなマリアを見た後、二人は見合って同時に深い深い溜息を吐き出した。

「私は、悪い夢でも見ているのでしょうか……」

「学舎に通っていないって言うから、まさかとは思ったけど……」

 この世界、天円の識字率は健常者の大人だけで言えば完全である……はずだった。

 たった今、文字が読めないと発覚したマリアを除けば。

「……で、何て書いてあるんですか?」

 二人の驚愕の理由が分からぬ当人、マリアは些か怒りを浮かべて、手に持ったままいた走り書きの文を二人の目の前に掲げる。

「立夏の日、内海で待つ」

 読んだのは女の方だった。

「内海は、砦と逆方向だけれど……どう言うことなのかしらねぇ」

「飛んでいらっしゃるんでしょうか?」

 首を傾げる巫女長に、女も同調して首を傾げると、二人でマリアが持つ小さな紙を見つめた。

「取り敢えず要するに、立夏の日に内海の岸に出ていれば良いってことなのよね、きっと」

「えぇ、その文から察するに、そう言うことなのでしょう」

 巫女長の返事を聞きながら、マリアは綺麗なのか下手くそなのかもわからない文を見直し、ふと我に返る。

「立夏の日って、いつ?」

「「…………」」

 巫女長と女の何度目かわからない溜め息が、小屋中に響き渡った。

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