第七章 勝つ意味
ボンタン狩りは、ついに最後の二人へ。
狂人との死闘を越えた善二の前に現れたのは、四天王の一人――上代龍平。
かつて現世で交わった二人の因縁。
助けた者と、助けられた者。
憧れ、負い目、悔しさ、そして乗り越えるべき壁。
咬噛善二と上代龍平。
互いの誇りを懸けた、最後のタイマンが始まります。
戦いの余韻がまだ地表に燻っている中心広場は、まるで音という概念が失われたかのように静まり返っていた。
そこへ駆け込んできた美柑と、必死に善二の脇を離れようとしないピックルが、沈痛な面持ちで彼の状態を見守る。
「――フルヒーリング・オール!」
テンテンの澄んだ声が空気を震わせた瞬間、善二の全身は柔らかな光に包まれた。上空から舞い降りるように羽ばたき、テンテンはその身体へ治癒の魔力を降り注ぐ。
「テンテン……それ、治癒系でも最強クラスの魔法じゃん。アンタ、そこまで到達してたとはね」ピックルは感嘆の声を上げる。
「ええ。私は元々、補助と回復の専門職でしたから。それにこの魔法は……代償として、ひと月に一度しか使えないのです」
その言葉の通り、善二の体を覆っていた裂傷、瘀血、打撲、骨折の全てが瞬く間に回復していく。頬を伝っていた血の筋も綺麗に引き、失われていた血色が戻っていく。
「これで身体はもちろん、精神力まで回復しました」
閉ざされていた瞼が微かに揺れ、善二はゆっくりと上体を起こす。
「……ここは……? ……あぁ、狂人とやり合ったんだよな。で、あいつは……?」
「残念だけど、息絶えてるわ。あれだけ怪物じみた力を振り切ったんだから……代償の反動は常軌を逸したものよ」ピックルが静かに答える。
「そうか……。狂人――あいつは強かった。なんかまだ実感ねぇけど、俺……勝ったんだな。それにしても四天王ってのはやっぱ別格だな。こんなのが、まだ三人もいるのかよ」
そう言って善二はふと、別の人物を思い出した。
「――龍平だよ。あの野郎……四天王の一人だったんだ!」
その言葉に、美柑もテンテンも息を呑む。
「最初の町の宿屋で会った、あの金髪坊主っしょ? よく無事でいれたわねアンタ……」
「狂人も何か言ってたが……そんなヤベェやつなのか?」
「なんでも強い奴を探しては片っ端から潰すんだって。四天王の中でも群を抜いた危険人物よ」
「……そうか? 俺にはそう見えなかったけどな」
「――だとしたら、てめーの目は節穴だな、咬噛」
鋭い声音が、広場に突き刺さった。
「なっ……! 龍平!」
突如として現れた男に、場の空気が一気に張り詰める。
龍平は善二を一瞥しただけで、淡々と告げる。
「残ったのは……てめーと俺。二人だけだ。――もはやテープの色なんざ関係ねぇ」
そう言い残し、東端にあるというアスラリングへと歩み出す。
「さっさと来い。体は……完全に戻ってんだろ」
一度たりとも振り返ることなく、その背中は廃墟の奥へと消えていった。
「ちょ、ちょっと善二! もうやめときなよ! アンタじゃ勝てる相手じゃないってば!」
美柑の叫びは、善二の胸には届かなかった。
「……ふざけたこと言うんじゃねぇ! 勝てそうだから戦う? 負けそうだから逃げる? そんなシャバい真似、漢としてできるかよ!」
善二の眼差しは、完全に闘う者のそれだった。
「アイツと俺……どっちが強ぇのか。――はっきりさせる!」
善二は美柑の制止を振り切り、龍平の消えた方向へ一直線に駆け出した。
その背には、迷いはひと欠片もなかった。
アスラリングには龍平が仁王立ちして待ち構えている。
傍の鬼マルは善二が来たのを見て、そそくさとその場を離れた。
二人はお互いを見据える。
――しばしの沈黙。
それはやがてガンマンが銃を抜き出すように、お互いのメンチビームが放たれた。
衝突が破裂音と共に弾け、善二の足が地を離れた。圧倒的な光の奔流に押し負け、善二は地面へ叩きつけられる。
「……っぐ……!」
その善二を、龍平は冷ややかな眼差しで見下ろした。まるで答え合わせでもするような視線だった。
「やっぱりな。――てめぇは昔から変わんねぇよ、咬噛」
善二は眉をひそめる。
「……なんだと?」
龍平は鼻で笑い、しかしその声音はどこか遠い記憶を手繰るようだった。
「……中坊の頃の話だ」
あれは、龍平がまだ中学二年だった日のことだ。
人気のない近場の公園へ連れ込まれ、ひとつ上の先輩五人に囲まれ、逃げ場もなく殴られていた。
「てめぇは調子乗ってんだよ、龍平!」
顔面に飛んでくる拳。腹に突き刺さる蹴り。
屈辱と恐怖で肺が潰れかけていた時――ズドン‼︎ 一人の先輩が、壁に沈むように吹き飛んだ。
「……あ?」
次の瞬間、龍平の視界に映ったのは、夕陽を背負って立つ、赤髪の不良――咬噛善二。
その眼は、誰の威圧にも屈さぬ、圧倒的な闘志で満ちていた。
「おい、お前ら」善二は乱暴に短ランの襟を正しながら歩み出る。
「五人いんのに、たった一人相手に粋がってんじゃねぇよ」
先輩たちは叫びながら襲い掛かった――だが、善二はその全てを一蹴した。
拳が落ちるたびに鈍い音が鳴り、蹴りが放たれるたび、先輩たちは次々と地へ沈んだ。
そして善二は最後に龍平へ視線を向け、その場で一生忘れられない言葉を吐いた。
「お前はこれから先、地べたに手ぇついて、相手を見上げて生きんのか? 違うだろ。手は地面なんかにつけるもんじゃねぇ――向かってくる相手の胸ぐらを掴むためにあんだ。やられたら、やり返せ。弱ぇなら鍛えろ。誰にも負けねぇぐらい、徹底的に強くなれ!」
その言葉は、龍平の心に燻っていた小さな炎へ、薪を山ほど投げ込むような衝撃だった。
――燃え上がる。
――止まらない。
そして高校へ上がる頃には――龍平は学区一帯を制する最強と呼ばれる存在へと変貌していた。
だが、力を得た龍平の周囲から、人影は消えていった。
誰も寄らず、ただ道を開けるだけ。それは称賛でも尊敬でもない。畏怖だ。その冷たい視線は、心を潤すどころか、ただ孤独の色を濃くしていった。
そんなある日――龍平はかつての自分と同じ状況を目の当たりにする。
素朴な学生が、五人組の不良たちに囲まれ、殴られ、踏まれ、唾を吐かれ――
我慢は、もうできなかった。
「てめぇら……俺のシマで、なに好き勝手やってんだ。潰されてぇのか……あん?」
不良の一人が青ざめた声を漏らした。
「なっ……涼成高校の上代!」
「おい、お前――」龍平は血まみれの学生へ荒げずに言う。
「ここから逃げろ。こいつらは俺が片付ける」
その学生は震える脚で走り去った。
「ちっ……上代相手じゃ五人でも分が悪い……!」
「うるせぇ!」一人が叫び、ポケットから黒光りするスタンガンを取り出した。
「こっちはこれがあんだよ!」
「……腐ってる奴は、どこまでも腐りきってんな」龍平は学ランを脱ぎ、拳を鳴らす。
その音に、背筋が凍るような威圧が宿る。
「いくぞ! 全員でやれ!」
五人が一斉に飛びかかってきた。
だが三人は龍平の前に立つ間もなく沈む。残る二人が背後を取り、羽交い締めにした。
「よく押さえた! 今だ、上代にぶち込め!」
バチバチバチッ――
青白い電流が龍平の全身を駆け抜ける。
「ぐっ……はっ……!」
龍平は羽交い締めにしていた男ごと前へ崩れ落ちた。
「……やった、やったぞ! 上代を倒したぞッ! はははは!」
スタンガンの男が勝利の雄叫びを上げたその瞬間――ドガッと、何かが弾ける音が響く。
男の顔面は蹴りで鼻が砕かれ、金網へ叩きつけられて気絶した。
龍平が必死に片目を開く。
その視線の先に立っていたのは――咬噛善二だった。
「……また……お前かよ……横取りしやがって……気にくわねぇ」
善二は短く言った。
「それだけ喋れりゃ、大丈夫だな」
そして何事もなかったかのように背を向け、立ち去った。
その後ろ姿は、龍平の脳裏に焼き付いたまま消えなかった。
「……俺は、またあいつに助けられたのか……くそっ……気にくわねぇ……! 一人で倒せた……なのに、いいとこだけ攫っていきやがって……!」
その日以来、龍平は誰かに助けられることを心底嫌うようになった。正義感でも弱者救済でもない――あの日の悔しさが、彼の根幹に深く突き刺さった棘となった。
そして後に、ケルベロスを仕留めかけた瞬間に善二が獲物を横取りした――そう錯覚し、逆恨みする遠因にもなった。
龍平にとって咬噛善二は、憧れであり、壁であり、そして何より――乗り越えるべき宿敵なのだ。
「――これが、お前に負い目を感じ、見逃し続けてきた唯一の理由だ」
龍平は静かに告げた。
ケルベロス戦の時点ですら、その実力は善二を大きく凌駕していた。
だが――ひとつだけ、龍平の中に燻り続ける“しこり”があった。
かつてリンチに遭っていた自分を救った善二への、あの負い目。
龍平は卑怯者ではない。
だが善人でもない。
ただひとつ――受けた恩は必ず返すと、己に課した信条だけは裏切らない男だった。
そして今、ようやくその借りを返す機会が訪れた。胸の奥の負債を清算し、ようやく真正面から立てる。
「ここからは――遠慮も手加減も一切なしだ。全力でテメェを叩き伏せて、俺の力を証明する。乗り越え、俺はてっぺんを取る」
善二は鼻で笑った。
「てっぺんを目指す……? ギャグセンスが壊滅的だな。俺はこれから先――誰一人として負けるわけにいかねぇんだよ」
善二はゆっくりと立ち上がり、龍平を真っ向から見据えた。
放った言葉の通り、不屈の眼光で。
「はっきり言うぜ、龍平。俺はお前を助けたなんて、一度たりとも思ったことはねぇ」
龍平の眉がぴくりと動く。
〈勝手に助けられたと思い込んで、勝手に借りを感じて、勝手にチャラにしたいなんてよ――笑わせんな。そんなの、テメェの自己満だ」
「……なんだと?」
「気づけよ。てめぇが俺を見逃してきた理由――それは恐れだよ」
龍平の目が見開かれる。
「現世で俺と初めて対面した時からずっとだ。お前は心のどこかで咬噛善二という壁を作っちまっていた。乗り越えられねぇ壁を――自分でな!」
善二の声は雷のように響く。
「それをこの世界まで持ってきて、恩だの借りだの理由つけて誤魔化してんじゃねぇ! ダセェんだよ、上代龍平!」
「……ッ‼ こいつ……殺す」
「そうこなくちゃな! 俺を舐めたまま戦われても、一瞬でケリがついちまうからよ!」
言葉という殴り合いを経て――龍平の本気が、完全に引きずり出された。
地を割るような殺気がぶつかり合い、周囲の空気が悲鳴を上げる。
これが真のボンタン狩り――そして、咬噛善二と上代龍平。因果を断ち切るガチンコバトルが始まる。
先に仕掛けたのは、咬噛善二だった。
「番核発動――っ! バイバイララバイ八倍!」
爆ぜる赤黒いオーラ。
寿命を削る代償など、今の善二には思考の片隅にもない。勝負を、一気に終わらせるトップギアで踏み込む。
地を蹴り砕き、跳躍。
大気が悲鳴を上げるほどの速度で善二は天へ躍り――
「――八倍! 超ネリチャギだぁ!」
流星のような踵落としが、重力ごと叩き伏せる勢いで降下する。
その速度は、ピックルにも、美柑にも、テンテンにも――一筋の線にしか見えなかった。
対して龍平は、静かに瞼を細める。
「番核発動――サキヨミゴロー!」
龍平の周囲の空気が歪む。
未来の一手を読み切るヤンキースキルが起動した。
次の瞬間――善二の超ネリチャギは、空を切った。
轟音と共に地面が陥没し、粉塵が天地を覆う。
しかしその灰煙を裂きながら飛び出したのは――龍平の拳だった。
「――ステゴロ!」
黒鉄の塊のような拳が善二の顔面に突き刺さる。
善二の身体は、砲弾のように吹き飛び、廃墟ビルへ激突した。
「……ちょ、ちょっと……レベルが違いすぎない?」ピックルの声は震えていた。
「上代も四天王の一角……当然、化け物よ」美柑でさえ目を離せない。
だが、龍平は冷然と言い放つ。
「こんなもんじゃねぇだろ……咬噛!」
その声に応えるように、瓦礫を割って善二が姿を現す。血を拭い、ギラついた眼で龍平を睨む。
「……てめぇのその力、俺の八倍の動きを完全に見切っていた。鴉丸狂人ならともかく、普通なら有り得ねー。これは俺の推測だが、もしかしてお前は俺の動きがスローに見える……もしくは先を読んでる。だとすりゃ、代償も相当なもんじゃねぇか?」
龍平の瞳がわずかに揺れた。
「思ったより冴えてるじゃねぇか。その通りだ……俺の能力は相手の一手先を視る力。だが当然、等価交換――代償は視力だ」
善二は息を呑む。
「視力……削ってんのか?」
「サキヨミゴローを使うたびに、視力は0.01ずつ落ちる。いずれは光すら掴めなくなるだろうな」
龍平は嗤った。その笑みは、諦観でも、弱さでもない。むしろ誇りだった。
「安心しろよ咬噛。俺の元の視力は3.0だ。今はまだ――2.5ある。お前を叩き潰すには十分すぎる」
善二はわずかに目を見張り――そして笑った。
「……元が3.0って――日本人の域を超えてんぞ、てめぇの目は」
二人の笑みは、一秒後には殺意へ変わる。
そして戦場の空気は、さらに張り詰めていく――。
粉塵が薄れ、再び互いを射抜くように視線を交わす善二と龍平。
しかし、その戦場のわずか後方では――三人が息を呑み、恐怖と焦燥の間で揺れていた。
「……冗談じゃないわよ……化け物二人を同時に見るなんてさ……」
美柑は震える指でスカートの端を握りしめていた。普段の豪胆さは欠片もなく、視線は二人の闘争から離れない。
「善二……八倍まで使ってるのに……押されてる……!」
ピックルは両手の羽根を胸の前で固く合わせ、祈るように見つめていた。その小さな体は、風圧だけで吹き飛ばされそうなくらい震えている。
テンテンは静かに目を閉じ、戦況を冷静に解析していた。けれど、その表情には明確な焦りが混じる。
「……マズいですね……。龍平さんの未来視は、善二さんの攻撃手段をほぼ封殺している。しかも彼の視力はまだ十分残っている……八倍程度では突破できません」
「ちょっと待って、じゃあ……どうすんのよ!」美柑が声を荒げる。
テンテンは一瞬ためらい、小さく首を振った。
「……正直に言えば……今のままでは善二さんに勝ち目はありません」
「はぁ⁉︎ じゃ、じゃあ善二は……!」ピックルの瞳が潤む。
テンテンは視線を二人へ向け、苦い声で続けた。
「龍平さんは……視力という大きな代償を払っている。でもそれは裏を返せば、勝つためなら目を捨てる覚悟すら出来ているということです」
「……目を……捨てる……?」美柑の顔から血の気が引く。
「はい。あの方は……てっぺんのためなら、視力さえ代償にできる。それは善二さんと同じように――命を削る覚悟を持っているんです」
それを聞いた二人の喉が、ごくりと鳴った。
善二 vs 龍平 ――その闘いはもはや強さ比べでも、名誉でもなく、覚悟の勝負。
「……善二……アンタ、本当に勝てるの……?」美柑が絞り出すように呟く。
その瞬間。
粉塵の向こうから、爆ぜる音と共に二つの影が再び激突する。
赤黒い軌跡を描いて突進する善二。迎え撃つ龍平の眼は、ぎらつきながらも確実にそして少しずつ光を失なっていく。
テンテンの声が震えた。
「……時間との戦いです。どちらが先に――自分の限界を越えきれるか……」
三人はただ見つめるしかなかった。二人の闘いに、一切口を挟むことも、助ける術もない。
ただ――善二が倒れぬことを。龍平が止まらぬことを。この闘いの行く末を、ただ見届けるしかなかった。
善二は焦燥に駆られていた。八倍という極限強化を解放しているにもかかわらず、龍平の先読によってすべての攻撃が無為に終わる。
(――このまま八倍を連打し続けるなんて不可能だ……)
善二はふいに駆ける脚を止めた。
「……?」
動きを止めた善二を見て、龍平も瞬時に歩みを止める。
次の瞬間、善二の体から八倍のオーラがふっと消えた。
「てめぇ……何を企んでやがる?」
「このままじゃ、どっちかの代償が先に尽きる。そんなんで終わる勝負は性に合わねぇ」
龍平が鼻で笑う。
「咬噛――お前、その覚悟で戦ってんじゃねぇのか?」
「あぁ。そのつもりだ。だからこそ……ここで決着つけんだよ」
その瞬間、善二の周囲の空気が赤熱し、渦を巻いた。熱風が地を焦がし、まるで雷のようなビリビリとした放電が奔る。
「とっとと終わらせるぞ、上代! ――バイバイララバイ十倍!」
爆ぜるような膨張オーラ。狂人戦を超える重圧が空間を歪ませる。
それを察した龍平の口元に、薄く笑みが浮かんだ。
「ハッ……俺のサキヨミゴローは最強だ。どれほど速かろうが、未来視は覆らねぇ!」
「だからだよ。お前とは相性が悪い。未来が見えるなら――命で殴るしかねぇだろ」
「まさか……てめぇ……!」
「うぉらあああああ!」
善二の突進は音壁を砕く勢いで龍平へ飛び込む。
「チッ……!」
龍平の顔面の横数センチに、頬は切れ、凄烈な風圧が通り抜けた。
龍平の眉間に焦りが浮かぶ。
「未来視を……外された……? なら――当たる直前にカウンターを叩き込むだけだッ!」
善二が再び地を砕きながら突進する。
龍平はその軌道をその瞬間に読み切り、迎撃の構えへ移った。
「――【八龍頭突き(パッチギ)】ッッ!!」
――轟音。
龍平の渾身の頭突き。
二人の額が噛み合うように激突し、善二の体は空中を数回転して吹き飛んだ。ビル群へ叩き込まれ、壁面が大きく陥没する。
善二の額は裂け、大量の血が溢れていた。白目を剥き、意識は暗転している。
龍平の額からも鮮血が滴り落ち、体は崩れ落ちそうに震えていた。
善二はピクリとも動かない。
龍平は膝をつきながらも、気迫だけで立ち続ける。
「……これで……終いだ……咬噛。俺の……勝ち――」
その瞬間。瓦礫が爆ぜるように上空へ弾け飛んだ。
そこには白目のまま立ち上がる善二の影。
「――咬噛……⁉ てめー化け物かよっ!」
龍平は反射的に構えを作り直した。
「なんで……立てんだ⁉ お前をそこまで……突き動かしてるもんは何なんだよ!」
善二は、額から血を滴らせたまま、かすれた声で答えた。
「……負けらん……ねぇ……」
「はぁ⁉ 聞こえねぇぞ、咬噛!!」
善二の声が震える。怒りではなく――自分への叱咤だ。
「……こんなとこで負けてたら……これから先、どんなデカい敵が出てきても……俺のてっぺんなんざ……たかが知れてんだよ!!」
龍平の瞳が揺れる。
善二は拳を強く握りしめ、吐き捨てた。
「上代……てめぇは戦いの最中でもずっと能力を使い続けてる。代償は視力だ……それでも覚悟を決めてる」
善二は己の胸を拳で叩いた。
「けどよォ……俺は寿命削ることにビビっちまってた。日和ってたんだよ……情けねぇほどにな」
善二の全身が震える。恐怖ではなく、覚悟が沸騰している証だ。
「だから――俺も命賭けて向き合ってやるよ」
紅いオーラが善二の中心から吹き上がる。
「【限界突破】ッ!!」
刹那、周囲の空気が悲鳴をあげた。大地が裂け、空気が焼ける。
「バイバイララバイ……二十倍!!」
龍平の表情が凍りつく。
「――っ! ま、まずい……サキヨミ……!」
発動しようとしたその瞬間――善二の姿が消えた。
現れたのは、龍平の眼前。
「――な……!」
「【勝上凄殴】ッ!!」
マグマのような闘気を纏ったアッパーが龍平の顎を撃ち抜く。龍平の体は天へ向け弾き飛ばされ、意識が飛びかける。糸の切れたマリオネットのこどく、力無く落ちゆく。
だが――善二の追撃は終わらない。さらに下段に力を溜める。
「バイバイララバイ――三十倍……!」拳が光を孕み、空気が爆ぜる。
龍平はもはや抵抗すらできず、しがみつくように空中を漂う。
「あれを食らったら……死ぬ……! 間違いなく……死ぬ……!」
「善二! もうやめなさい! 勝負はついてるのよ!」ピックルの叫びは、リミッターカット中の善二には届かない。
美柑たちが善二へ駆け寄ろうとした瞬間――爆風が三人を吹き飛ばした。
善二の拳が龍平の顔面に到達する――寸前。
「――鬼気一発ッ‼」
――だが放たれるはずの拳は不発に終わる。
善二は力尽き、糸が切れたように崩れ落ちた。
同時に、龍平も制御を失った体で地面へ叩きつけられる。
静寂。
二人は動かない。
地響きさえ止まった世界に、ただ砂埃だけが舞っていた。
土煙がゆっくりと晴れていく。
その中心には、互いに昏倒したまま動かない善二と龍平――
ただ静かに横たわっていた。
「善二――っ!!」
真っ先に飛び込んだのはピックルだった。羽ばたく力が弱まり、今にも墜落しそうなほど震えている。
「お願い……アンタ、返事してよ……!」
震える手で善二の頬に触れる。しかし、反応はない。
「……くそっ、善二……!」
美柑も駆け寄り、血に濡れた彼の体を抱き起こした。
彼女のその顔は、普段の勝気さではなく、必死の思いに歪んでいる。
「こんなボロボロになるまで……やらなくてよかったのに……!」
美柑の声は震え、怒りと心配が入り混じったものだった。
テンテンは龍平のほうへ駆け寄り、その様子を確認する。
「……こちらも重症です。意識は完全に途切れています」
テンテンは眉を下げ、静かに首を振った。
「二人とも……これ、本気で殺り合ってた……」美柑が噛みしめるように呟く。
「前の柳剣正戦の時よりも……明らかに命懸けだったっち……!」鬼マルが龍平の側にしゃがみ込み、歯を食いしばる。
テンテンは善二の胸に両手をかざした。
「応急の治癒魔法を施します。しかし……さっきフルヒーリング・オールを使ったばかり。これ以上の大規模回復は……もう私には……」
「できる範囲でいい! 頼むテンテン!」美柑が叫ぶ。
「……はい」テンテンは小さく頷き、優しい光を善二と龍平へ注ぎ込んだ。それは傷口を閉ざすには足りないが、命の灯火だけは繋ぐ力だ。
「善二……アンタ……なんでそこまで……」
美柑は顔を伏せて、善二の手を握りしめる。
ピックルは善二の胸の上で泣きそうな顔をしていた。
「てっぺん目指すんだろ……? だったら、こんなとこで……寝てんじゃないわよ……!」
テンテンが静かに告げる。
「――二人とも、死んではいません。ただ、魂が限界まで擦り切れています。意識が戻るまで……しばらく時間が必要でしょう」
その言葉に、美柑もピックルも、鬼マルも――胸を撫で下ろすように大きく息をついた。
だが、次の瞬間。テンテンが顔を曇らせ、善二の胸に手を触れた。
「……これは……善二さんの寿命が……目に見えて減っています……!」
「え……?」ピックルが顔を真っ青にする。
「――リミッターカットと、バイバイララバイ三十倍……命を削る技を、短時間に立て続けに使いすぎました。今は安定していますが……このままだと……」
美柑が震える声で問う。
「このままだと……どうなるの……?」
テンテンは目を伏せ、静かに答えた。
「――善二さんの残りの寿命はもしかしたら、もう僅かかもしれないです」
一同に戦慄が走る。
「ふざけんなよ……! アイツ……生き返って……親孝行するって……言ってたんだぞ……!」美柑が声を震わせる。
「……善二……アンタ……」ピックルの声は涙を堪えるようにかすれていく。
静寂の中、風が吹き抜けた。
その風の先――アスラリングの中心部で倒れたままの二人は、静かに呼吸を繋いでいた。
しかし――それぞれが背負った代償は、もはや誰の目にも明らかだった。
激闘の死闘から、すでに一週間が過ぎていた。
宿屋の一室には、ピックル、美柑、テンテンの三人が静かに佇んでいた。
窓辺から差し込む朝光が、ベッドに横たわる善二を淡く照らしている。
そのとき――ずっと一定に刻まれていた寝息が、ふと途切れた。
「……ん? こ……ここは……?」
わずかに開いた瞼の奥で、ぼやけた視界が仲間たちの姿を映し出す。
「俺は……一体……」
「善二〜ッ! やっと目ぇ覚ました〜!」弾丸のように飛び込んだピックルが、勢いのまま善二の胸に抱きついた。
「ピックル……? 美柑に、テンテンも……」
「やっと起きたわね。……べつに心配してたわけじゃないけど」
「美柑さん、毎日毎日、食事も寝る間も惜しんで様子を見てましたよ?」
「てっ……テンテン!? アンタ余計なことを……!」
その光景に、善二は思わず笑みを浮かべた。
だが次の瞬間、善二はハッとしたように身を起こす。
「そうだ……上代とのタイマン……! どっちが勝ったんだ⁉」その拍子に胸元へ滑り落ちた金属の重み。視線を向けると――“隻眼龍のメリケンサック”が、静かに置かれていた。
「……これは……?」
「それね、上代龍平がアンタに置いていったのよ」
ピックルが息を整えながら、事の顛末を語り始めた。
「……アンタの最後の鬼気一発は、上代龍平には届かなかったの。当たる刹那で、アンタは力尽きて倒れた。龍平も地面に叩きつけられて昏倒。――要はダブルノックアウトよ」
「ダブル……ノックアウト?」
善二の目が驚愕に見開かれる。
「それじゃあ、なんで俺の手元にメリケンサックが……?」善二が再びそれを手に取る。
金属の冷たさが、妙に重く感じられた。
ピックルはため息を一つつき、言いにくそうに続けた。
「……これを聞いたら、アンタ絶対納得しないと思うけど」
「なんだよ。気になんだろうが」
「はぁ〜。先に起き上がったのは上代龍平の方だったのよ。それで大会側が彼の方を勝利者とした。でも彼は彼で納得いくものじゃなかったのね。アンタの胸に隻眼龍のメリケンサックを置いていった。最後に一言『俺は完全に負けていた。真の勝利者はお前だ』といってね」
「――は……? ふざけんな! そんなの納得できるか――ぐあっ!」
怒りの勢いで身を起こそうとした途端、全身に走る激痛が善二を再びベッドへ押し戻す。
「善二さん! まだ絶対安静です!」テンテンが慌てて彼の肩を押さえる。
美柑も深く息を吐く。
「あんたのヤンキースキル……本当に危険な状態なのよ。寿命の急激な削りで、身体が壊れかけてたんだから。残りがどれだけあるかなんて、誰にもわからない」
善二は悔しげに歯を噛みしめた。
「……くそっ。借りを作っちまったな……上代に。アイツ……あんなに強ぇとはな。でも次会うときまでに、俺は絶対もっと強くなってやる」
「はぁ……結局ヤンキーは脳筋の塊ね」美柑は頭を抱えながら呆れ顔を見せた。
ラスト章を読んでいただきありがとうございました!
善二と龍平。
二人の因縁、過去、そして互いに抱えていた想いをぶつけ合う、最後のタイマンでした。
寿命を削る善二。
視力を削る龍平。
どちらも一歩も引かず、自分の信念を拳に込めて戦いました。
勝敗の形はどうあれ、善二は確かにひとつの壁を越えたと思います。
ただ、物語はまだ完全には終わりません。
エピローグを投稿連続投稿です。
善二たちがこの戦いの先で何を選ぶのか、最後まで見届けていただけたら嬉しいです。




