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転生ヤンキー、異世界で天下一(てっぺん)をとる! ボンタン狩り編  作者: 知恵利一


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第六章 ボンタン狩り!

ついに開幕する、ボンタン狩り。

赤は喧嘩を売る者。

白は喧嘩を買う者。

命懸けのタイマンバトルが始まる中、善二、美柑、龍平、それぞれの戦いが動き出す。

そして善二の前に立ちはだかるのは、四天王の一角――鴉丸狂人。

寿命を削る力を背負いながら、善二は己の信念を拳に込める。

 クレイジータウン――別名、体育館裏。

 その日、町の喧騒はなくなった。

 いつもなら其処彼処に血生臭い匂いが立ち込めているはずが、人っこ一人いない。

 弱きものは隠れ、猛きものは身を潜め様子を伺う。

 「マジでこれを巻く日がくるとは……」善二の顔は引き攣っていた。その両拳には赤テープが巻かれていたからだ。

 “赤色は喧嘩売ります”

 ”白色は喧嘩買います”

 昔――ヤンキー間で流行った、いわば強さをアピールするための手段の一つだ。

 「ボンタン狩りのルール上、仕方がないのです」

 テンテンが何も知らぬ善二のために、ボンタン狩りの説明を始める。

 「ボンタン狩りは、いわば――淘汰の儀です。形式はタイマンバトル。赤いテープを巻いた方は白の方と、互いに一対一で闘うことになります。同じ色同士の争いは、基本的に禁じられています。……ただし、人数が減っていくと、その制限は自動的に解除されるようになっているのです」

 テンテンは、両手を胸の前で組みながら穏やかに続けた。

 「参加者には全員、リストバンドが装着されます。敗北したり……命を落とした瞬間、そのバンドが反応し、町の中央に設置された【電光掲示板モニターボード】へ信号を送る仕組みです。すると、掲示板の数字が減って――残っている人数や、赤と白、どちらの勢力がどの程度残っているかがすぐにわかります」

 ピックルが「……生き残りカウントってやつね」と肩をすくめると、テンテンは小さく頷いた。

 「最終的に残るのは、たった二人。その二人は、クレイジータウンの東端にある石畳の武道場【アスラ・リング】で、最後の決闘を行うのです。――そして、その勝者こそがボンタン狩りの頂点となり、優勝賞品の隻眼龍のメリケンサックが得られるのですよ」 テンテンの声が静かに余韻を残す。

 その場に一瞬だけ、誰も言葉を挟めない沈黙が落ちた。

 「……命懸けの争いってわけか」善二が腕を組み、低く呟く。その表情はどこか嬉しそうですらあった。

 「まるで祭りじゃなくて……戦争ね」美柑は息をのむように言い、視線を落とした。

 ピックルは肩をすくめ、ため息まじりに呟く。

 「まったく、向こうから転生してきたやつはどこまで血の気が多いのかしらね……」

 テンテンはそんな三人を優しい眼差しで見つめながら、そっと言葉を添える。

 「――けれど、どんなに荒々しくても、ヤンキーと呼ばれる人たちは誇りを持っています。仲間を想い、意地を通し、恐れず立ち向かう。だからこそ、彼らの戦いは美しくもあるんですよ」その声は、どこか祈りにも似ていた。小さな羽がふわりと揺れ、光を反射する。

 「……そういうことなら話は早ぇ。やることは一つだろ?」善二はゆっくりと立ち上がり、スカジャンのポケットに手を突っ込む。

 「ボンタン狩りでここら一帯のてっぺん取る。それだけだ」

 「……あんたって、ほんっと単純ね」美柑は呆れたように笑いながらも、どこか安心したように口元を緩める。

 「ふふっ、単純っていうのは、強さの証でもありますよ」

 テンテンの言葉に、チェリーも続く。

 《ま、確かに善二が考えすぎるタイプだったら、今ごろ死んでるだろうしね》

 「うるせーよ、バカ犬!」

 善二がチェリーに軽く突っ込みを入れ、場の空気が少しだけ和らいだ。

 しかし――その和やかな瞬間の裏で、町の中心部の方角から、雷鳴のような轟音が響く。

 テンテンの羽が小刻みに震えた。

 「……始まりますね。――ボンタン狩りが」

 夜風が吹き抜け、善二の赤い髪がわずかに揺れた。

 その瞳には、もう迷いなど一片もなかった。

 「とりあえず――アタシは関係ないから。町の隅の喫茶店で時間でも潰してるわ」

 言い終えると、美柑は踵を返し、テンテンを連れて歩き出した。その背中には、どこか戦場を遠ざけるというより、心を整えるような静けさがあった。

 「まぁ、ボンタン狩りは漢の闘いだからな!」善二は鼻を鳴らし、軽く首を回す。

 「足引っ張られても困るしよ」

 強がりにも似た笑みを浮かべながら、中心部へと続く通りへ足を踏み出した。

 その背中を見て、ピックルが肩をすくめる。

 「ほんっとに、こういう時だけ少年漫画の主人公みたいになるんだから」

 《ボクらも行くよ、放っておいたらまた死にかけるに決まってるし》

 チェリーがため息まじりに言い、ピックルもそれに頷いた。



 ――クレイジータウンの片隅にある、小さな喫茶店。

 外では怒号と爆音が飛び交い、ボンタン狩りの開戦を告げるように地鳴りが続いていた。

 だが、厚い窓ガラスに守られた店内だけは別世界のように穏やかで、心を癒すような音楽が流れていた。

 「ん〜、やっぱ紅茶はアールグレイよねぇ」カップを指先でくるくると回しながら、美柑はゆるく微笑む。

 その向かいでテンテンも小さなティーカップを両手で包み、ふんわりと香る湯気に目を細めた。

 「外は戦場でも、心までは荒ませない――さすがですね、美柑」

 「ふふっ、紅茶があれば大抵の問題は解決するのよ」

 そんな会話を交わす二人の前に、ウェイターが静かに現れる。

 「お待たせいたしました。当店自慢のスペシャルショートケーキでございます」

 運ばれてきたのは、淡い水色のホイップクリームに包まれた一品。その頂に鎮座する艶やかな苺が、まるで宝石のように輝いていた。

 『わぁ……美味しそ〜!』テンテンと声が重なり、美柑は目を輝かせた。

 「じゃ、早速――いただき――」その瞬間、背後から声が降ってきた。

 「すみません……あなた、スケバンですよね?」

 ――カチリ。

 フォークを持った手が止まり、微かに紅茶のカップが揺れる。

 鼓動がひとつ、強く跳ねた。

 なぜなら美柑然り、テンテンもリラックスはしていたが、油断はしていないからだ。

 外で闘争が起きている以上、自分たちも決して蚊帳の外ではないのだから。

 静かな喫茶の空気が、一瞬で張り詰めた糸のように変わる。外の戦場は遠くても、変則的な波がここまで届いていたのだ。

 「……なんか用? 見りゃわかるでしょ。いまアタシ、優雅にケーキ食べようとしてたんだけど」

 「ええ、勿論わかりますとも。それを踏まえた上で――少し、お話をと思いまして」

 挑むような声音に、美柑は顔を上げる。

 そこに立っていたのは、桜色のショートボブを揺らす女。着衣はチェックのブレザーにミニスカート姿。整った顔立ちに、品のある微笑。だがその奥に潜むものは氷の刃だった。

 「丁寧な口調のわりに、やたらド派手ね」

 「……ふふ。少し外でお話でもどうかしら?」

 「だから、見てわかんない? これからアタシは――」

 「美柑――避けてッ!」テンテンの鋭い声が空気を裂いた。

 刹那、美柑の顔面を狙ったハイキックが閃く。

 “ガッ!”

 反射的に腕で防御するも、衝撃は凄まじく、店のガラスを突き破って外へ吹き飛ばされた。

 「くっ……!」

 地面を転がりながらも、美柑はすぐに体勢を立て直す。

 「へぇ……今のを防ぐなんて、思ったより骨があるじゃない」

 破れたガラス窓から、ゆっくりと現れる女。ピンクの髪が風に靡き、その視線には狂気すら宿っていた。

 「……オマエっ! アタシとマジでやんのかよ!」唇の端を拭い、血の味を感じながら美柑は睨み据える。

 「そのつもりですわ。リーダーに言われましたの。――雑魚は任せるって」

 「へぇ〜、アタシを雑魚呼ばわりね。丁寧な口調のわりに、言葉に棘がある」

 すると女はスカートの裾を摘み、品よく会釈した。

 「申し遅れました。私――桜木真矢。セントミカエル女子高の出身ですわ」

 「……セントミカエルって、お嬢様学校じゃない。通りでその制服、見たことあるはずだわ。でもまさか――そんなキレたヤツがいるとはね。驚き通り越して吐き気がしてきた」

 「あなたのことも存じてますわ。常心詩女子高――通称“ジョシジョシ”。偏差値最底辺の女子不良校。そこに通う城之内美柑さんよね」唇の端を上げ、真矢はくすりと笑った。

 「ふふ……名前の響きは上品で可愛らしいのに、中身はまるで底辺。――哀れですわね」

 「……さすが頭の良いお嬢様学校の人間だね。人をイラつかせるのもお得意なの?」美柑の額に一筋の血管が浮き出る。

 「――さぁ、私と切り結びましょう」言葉尻と同時に、真矢の脚が閃いた。回し蹴り――その一撃は風を裂くように弧を描く。

 「このっ!」美柑は即座に反応し、自らも回し蹴りを放つ。

 二つの軌跡が交差した瞬間、空気が弾けた。激しい衝突音と共に突風が巻き起こり、ガラス片と砂塵が舞い上がる。

 「よくそんな、時代錯誤なロングスカートで立ち回れますね」真矢は髪をかき上げながら、冷笑を浮かべる。

 「アンタこそ、パンツ丸見えで恥ずかしくないの?」

 「見られて恥ずかしいものなど、私にはありません。美は人に見せてこそ価値があるものですわ」

 「……よくそんな恥ずかしげもなく言えるわね」

 互いの言葉がぶつかり合うたび、火花が散る。

 その光景を少し離れた位置から見ていたテンテンは、ふと眉をひそめた。

 (……おかしい。この真矢という少女――ウォッチャーの姿が見当たらない)

 周囲を見渡すが、どこにもそれらしき存在はない。

 (ヤンキーやスケバンには必ず、一人に対して監視者たるウォッチャーが付き従うのだけど)

 その思考を裂くように――地面から不気味な影が這い出た。

 「――っ⁉」

 テンテンの足首を黒い手が掴み、瞬時に地面へ叩きつける。

 「ぐはっ!」

 短い悲鳴が響き、それを聞いた美柑が反射的に駆け出した。

 「テンテンっ! 大丈夫か⁉」

 「……ええ。咄嗟に受け身を取りましたので、それほどのダメージではありません」

 黒い影はゆらりと立ち上がり、真矢の背後に集まる。

 「申し遅れました。彼が私のウォッチャー――鬼族の【淵鬼えんき】です」

 「ちいせぇくせに、受け身が上手ぇじゃねぇか」低く濁った声と共に、淵鬼が唇を吊り上げる。

 黒い肌に浮かぶ赤い紋様。額からは二本の角が突き出ていた。

 「……なるほど、鬼族ですか。粗野な言葉遣いにも納得ですね」テンテンは軽やかに宙へ舞い上がり、羽を広げた。

 「オマエら……覚悟しな!」美柑は拳を固く握りしめる。

 「やる気になったみたいですわね。それではこちらも――本気で狩らせていただきます」真矢が静かに右手を掲げた瞬間、空間が歪む。

 「スキル発動――【与一の弓】」

 虚空から一具の弓が出現した。

 銀の輝きを帯びたその弓身は、まるで神話の遺物のようだった。

 「それが……アンタの武器ってわけね」

 「ええ。それも――特別製よ」真矢は弓をつがえながら、艶やかに笑う。

 「避けられるものなら、避けてみなさい」

 “バシュンッ!”

 弦から放たれた矢が閃光のように走る。

 「その程度、当たるわけないでしょ!」

 美柑は体を逸らして回避する――が、その直後、左肩に灼ける痛みが走った。

 「なっ……なんで⁉」

 体勢を崩し、膝をつく。制服の肩口が赤く染まる。

 「美柑さん!」テンテンが駆け寄り、治癒の呪文を唱えようとする。

 「させるかよ!」淵鬼の腕が伸び、テンテンを薙ぎ払う。

 間一髪で避けるが、その衝撃波が地面を抉った。

「……邪魔ね、鬼族風情が!」テンテンの温和な性格と柔らかな瞳が怒りに染まる。

 真矢は追撃の矢をつがえ、連射する。

 二の矢、三の矢――音速を超える光が雨のように降り注ぐ。

 「甘く見ないでよっ!」美柑は跳躍し、空中で身を翻す。

 しかし、着地と同時に太腿と脇腹に矢が突き刺さった。

 「ぐっ……痛っ……どういう仕組みよ、これ……!」

 「教えてあげますわ」真矢は矢を軽く回し、愉悦に満ちた笑みを浮かべた。

 「この与一の弓は百発百中。標的を一度認識すれば、どんな回避も意味を成さない」

 「……なるほどね。それがアンタの能力ってわけ」美柑はロングスカートの裾を掴み、一気に引き裂いた。スリットが入り、動きやすくなった脚が露わになる。

 「まぁ……お綺麗な御御足ですこと」真矢はうっとりと呟く。

 「でも――そんな体で、まだ反撃できると?」

 「当たり前でしょ。アタシはまだ……本気を出してない!」

 次の瞬間、空気が震えた。

 美柑の周囲に旋風が巻き起こり、地面の破片が宙を舞う。

 「――⁉︎ この気配……なんで……あなたが番核を持っているの?」真矢の顔から余裕が消え、額に汗が滲む。

 「――番核発動!」美柑の格言と共に、風が爆ぜた。周囲が白く霞み、花弁のような光が舞う。

 「アタシの番核を発動させたわ。アンタを強者として認める。でもね――このまま黙ってやられるわけにはいかないっ!」

 真矢が怯えたように一歩退いた。

 「――ちょっと待っていただけますか? 私はリーダーに従って、足止めをするだけでしたの。だからこれ以上は何もしないわ! 約束します!」

 「足止めぇ? 参加者でもないアタシを? ……頭お花畑かよ!」

 「くっ……くそったれめぇ!」真矢は矢をつがえ、渾身の力で放つ。

 だが――その瞬間、空を裂く声が響いた。

 「四露死苦愛集ヨロシクアイシューッ!」ヤンキースキルの発動。

 突風が花弁のように舞い上がり、美柑の姿が空へと跳ぶ。そして、真矢を見据えながら叫ぶ。

 「――【釘刺し(ヒールピック)】‼︎」

 鋭いヒールが閃光と化し、真矢の胸元を抉った。

 「ぐっ――は、ぁぁ……っ!」

 血飛沫が散り、真矢の体が地面に崩れ落ちると同時に矢は音もなく掻き消え、空気が静寂を取り戻した。

 荒い息を吐きながら、美柑は血に濡れた足で真矢を見下ろす。

 「……足止めどころか、止まったのはアンタの方だったわね」

 その声には怒りも勝ち誇りもなく――ただ、戦いを終えた女の静かな誇りだけが宿っていた。

 「……はぁ、はぁ……あんたのどこがお嬢様なのよ」美柑は荒い息を整えながら、片膝をついた。

 肩と太腿、脇腹の矢傷からはまだ血が滲んでいたが、その目は一切の迷いを失っていなかった。

 倒れた真矢の傍に、黒い影――淵鬼がゆらりと現れる。

 「……チッ、やるじゃねぇか。スケバンのくせに番核持ちとはな」

 「止めを刺すつもりなら、相手になるわよ」美柑が拳を握りしめた瞬間、淵鬼は首を横に振った。

 「違ぇよ。オレはあくまでウォッチャーだ。お上の命令は転生者の観測と補助までだ」そう言うと、崩れた真矢の体を抱え上げる。

 「――真矢様、撤退だ。命までは取られてねぇ」

 「……っ、ま、待ちなさい……! 私は、まだ……!」

 震える指先で矢をつがえようとする真矢の手を、淵鬼がそっと押さえた。

 「負けを認めるのも、矜持ってやつだ」

 そのまま黒い霧のように溶け、二人の姿は消えた。

 残された風だけが、戦場の名残を撫でていく。

 「……ふぅ。あのタイプ、ホント厄介ね」

 美柑が肩を落とすと、テンテンが静かに近寄ってきた。

 「でも、見事でしたわ。あの女性もかなりのレベルでしたのに……あなたの勘と闘志は、まさに一流です」

 「ふふ……ありがと。けど、アールグレイもケーキも台無しよ。ほんっと最悪なティータイムだったわ」

 テンテンはくすりと笑い、彼女の傷口にそっと手をかざした。淡い光が灯り、裂かれた肌がゆっくりと塞がっていく。

 「……あの桜木真矢、悪人とは言い切れません。彼女の心にも恐れがありました。おそらく、リーダー――鴉丸狂人の支配下にあるのでしょう」

 「狂人……あの名前、善二が言ってたやつね」美柑の視線が遠くへ向かう。そこでは、街の中央に黒煙が立ちのぼっていた。

 「……善二、無茶してなきゃいいけど」

 風に髪を揺らしながら、美柑は再び歩き出す。

 「喫茶店の店内――めちゃくちゃだけど、まだケーキ頼めるかな?」

 くすくすと笑いながらテンテンは、浮き足立ちながら後を追った。



 「退屈だなぁ……」

 風に長ランをはためかせ、アフロ頭の男――榊重三郎はあくび混じりに呟いた。

 「狂人さんの命令じゃ、この町に入ってくる奴は全員ぶっ飛ばせって話だけどよ。四天王が参加するって聞いて、わざわざ突っ込んでくる物好きなんていねぇだろ」

 潰れたように薄い学生鞄を肩にぶら下げ、榊は顎を鳴らす。

 その持ち手には白いテープが巻かれていた。

 「……ん?」サングラスをずらし、視線を細める。

 「おいおい、マジかよ。ほんとに来やがったぜ」

 紺色の長ランを翻し、金髪の坊主頭が風を切って歩いてくる。

 幅広ボンタンのポケットに手を突っ込み、無造作に顎を上げたその男の隣には、小さな影――鬼マルが歩いていた。

 「へいっ! そこの坊主、待ちな!」榊は手を横にかざして道を塞ぐ。

 「ここから先はボンタン狩りの参加者しか入れねぇ。テープの色はどっちだ?」

 「……邪魔だ。どけ」無感情に吐き捨てながら、中指を立てる。その指には赤いテープが巻かれていた。

 「へへっ、赤か。なら問題ねぇな」榊の口角が吊り上がる。

 「オレの名は榊重三郎。四天王――鴉丸狂人さんの舎弟ってやつだ。どうせ死ぬなら、名ぐらい残してけよ。テメェ、名は?」

 「――上代龍平」ブラウンの瞳が細く光り、氷のような声が落ちる。

 「四天王の舎弟か? 下っ端に用はねぇ。そこを退け」

 「……ハッ。たまにいるんだよなぁ、こういう無謀なガキがよ」

 榊は肩をすくめると、「掃除する身にもなれってんだ」と吐き捨て――その瞬間、鞄が閃いた。

 “バシュンッ!”

 薄い鞄が顔面めがけて振り抜かれる。

 「――⁉︎」龍平はわずかに顔を逸らし、頬に赤い線が走った。

 「へぇ、今の避けるか。反射は悪くねぇな」榊はケタケタと笑う。

 「てめぇ、その鞄……中に何か入れてやがるな」

 「ご明察。――鉄板入り、殺傷能力高めの保証つきだぁ」

 「不意打ちとは卑怯なヤツっち!」鬼マルが地団駄を踏み、怒りに震える。

 「チッ……このチビ、うるせぇな。おい、猿魔えんま!」榊の背中から、影がずるりと這い出した。

 猿のような姿に、尻尾の先だけが炎の形をして揺らめく。

 「呼んだ?」

 「呼んだから出てきたんだろ! そこのチビを相手に遊んでろ!」

 「……はいはい、了解っと」猿魔はにやりと笑い、鬼マルのツノを掴むと――そのまま遠投した。

 「――鬼マルっ‼︎」

 「おっと、行かせねぇよ」榊が踏み込み、龍平の進路を塞ぐ。

 「……てめぇ、死にてぇのか」

 「ん〜、死ぬのはどっちだろうねぇ?」

 龍平のこめかみに血管が浮かび上がる。

 「――おらぁっ‼︎」

 一瞬で間合いを詰め、回転蹴りが唸る。

 榊は鞄でガードしながら後方へ飛んだ。

 「っと……あぶねぇ。意外に速ぇじゃねぇか」そう言って重みをもった鞄を横薙ぎに振るう。

 龍平は跳躍し、空中で体をひねる。落下と同時に踵落としを叩き込むが、榊は左腕で受け止めた。

 「くぅ……。やるじゃねぇか」痺れた腕を振りながら、鞄を左から右へ持ち替える。

 「本気出させてもらうぜ――【四次元鞄ディメンションバッグ】!」平たい鞄の口に腕を突っ込む。

 次の瞬間、そこから鉄パイプが引き抜かれた。

 「なっ……!」

 「驚いたか? この鞄とオレのスキルがあれば、なんだって取り出せるんだよ」榊が嗤いながら鉄パイプを振り回す。

 「ほらほら、オマエも何かあるんだろ? 見せてみなよ、能力をよぉ」

 「てめぇ如きに使うかよ、阿呆が」

 空間が凍る。

 わずかな風の流れさえ止まる。

 「このダボがァ――‼︎」榊が怒号と共に、鉄パイプを叩きつけた。

 龍平は腕を交差して受け止める――が、衝撃が重い。

 「こいつ……ただの鉄パイプじゃねぇ!」

 「気づいたか。オレのスキルは、鞄から出したモノの威力を倍増させる――武器強化だ」榊の目が狂気で輝く。

 「……そうか、なら少し本気出してやるよ」龍平の姿が、ふっと掻き消える。

 「なっ⁉ は、速ぇ――!」

 振り向いた瞬間、榊の腹に拳が突き刺さった。

 「ぐはっ・・・・・・!」胃液を吐き、膝をつく。

 「……相手が悪かったな」

 龍平が拳を引き抜き、止めを刺そうとした――その刹那。

 “パァンッ!”

 破裂音が響き、龍平の身体が一歩、後退る。

 「てめ……銃、だと……っ⁉」

 榊は腹を押さえ、血を滴らせながらも、にやりと笑った。

 「へへっ……これも鞄の中身さ。……まだ、終わっちゃいねぇぜ」

 「そんなもんまで引っ張り出しやがって……!」龍平の瞳に、濁った殺気が宿る。

 「――っ⁉︎ な、なんだ……この寒気……」

 榊の背筋が総毛立つ。だがそれは寒気ではない。龍平が放つ狂気そのものだった。

 「――番核発動!」低く押し殺した声が響いた刹那、血潮の底から噴き上がるような熱風が龍平の全身を包む。

 「なっ……! オ、オマエ……番核持ち――⁉︎」榊の顔色が音を立てて蒼白になる。

 「そんなもんまで出したってことは――覚悟は決まってんだよな?」龍平の声は静かだが、底に沈む殺意は露骨だった。

 「なっ……なめんじゃねー‼ こ、この銃は威力も速度も倍だ! 避けられねぇ! 当たれば……当たれば確実に死ぬんだぞ!」

 「……なら、撃ってみろよ」

 「くっ……そがぁッ‼︎」絶叫と共に榊が引き金を絞る。

 次の瞬間――炸裂音すら追いつかない速度で弾丸が飛び出した。

 「ヤンキースキル――【先読殺龍サキヨミゴロー】」

 弾丸が龍平の眉間へ到達する寸前、世界がねじれたように停止する。

 「へっ……? だ……弾丸を……指先一つで止めた……?」

 榊の視界に映ったのは、熱で赤く染まった弾丸を人差し指と親指で摘む龍平だった。

 「……撃ったな」

 その低声は、処刑台の鐘のように重い。

 次の瞬間、龍平の拳に淡い光が凝縮し始める。

 「ちょ、ちょっと待て! お、オマエの勝ちだ! もう何もしねぇ! 許してくれ! り、リタイアだ、リタイアぁ!」

 「ヤンキー名乗るなら――腹括れや」

 声は静謐。だが、眼だけは一切の慈悲を拒絶していた。

 「――【凄圧殴り(ステゴロ)】‼︎」

 空気が抉れるほどの風圧を伴い、拳が榊の腹へ突き刺さる。

 重い爆音と共に榊の身体は宙を舞い、数十メートル離れた岩壁へめり込むように叩きつけられた。

 「――雑魚が。中途半端にイキってんじゃねぇぞ」長ランを翻し、龍平は無造作に町の方へ歩き出す。

 「おいっ! オレっちを置いていくなってばぁ!」必死な鬼マルが追いすがる。

 「……なんだお前、生きてたのか。あのエテ公に潰されたかと思ったが……何してた?」

 「オセロっち」

 その言葉を聞いた瞬間、龍平の片膝がガクッと沈んだのは言うまでもない。



 善二はクレイジータウン中央――朽ちた噴水の前に佇んでいた。

 視線の先では、巨大な電光掲示板が無機質な光を放っている。

 カウントは〈3〉で静止していた。

 【赤2、白1】

 「ってことは――あと三人。赤テープが俺ともう一人。白が一人……ってわけか」

 善二は自らの拳を見下ろす。

 赤テープが巻かれた自分の拳が、不思議なほど静かに見えた。

 「赤がもう一人……誰だ? それじゃ、白テープは――」言葉を飲み込む。

 背骨に刃を押し当てられたような殺気が、背後から走り抜けたからだ。

 低く、ざらついた声が背後で落ちる。

 「――テメェが咬噛善二か。思ってたよりシャバそうだ」

 ゆっくり振り返る。

 そこに立っていたのは、夜の闇さえ歪ませる異様な威圧をまとった男。

 紫色のリーゼント、鼻背に走る横一文字の傷痕。目は嗜虐を湛えた獣そのものだ。

 「……誰だ、てめぇは」

 男は鼻で笑い、顎をしゃくる。

 「俺様を知らねぇ? おいおい冗談きついぜ、このモグリが」

 その瞬間、ピックルが善二の肩に張りつくように囁いた。

 「善二……こいつ、四天王の一角――鴉丸狂人よ……!」

 「コイツが……」

 善二の背筋を、冷たいものがゆっくりと這い上がる。殺気の密度が、他の連中とはまるで桁違いだ。

 狂人の短ランの詰襟には、白いテープが巻かれていた。

 「白テープか……つまり、やるには申し分ねぇ」善二は一歩踏み出す。

 狂人は口の端を持ち上げ、嘲る。

 「それにしても、前世あっちでテメェの名前なんざ聞いたことねぇな。……まさかオイ、高校デビューなんじゃねぇだろうな?」

 「――お前、なんか勘違いしてねぇか?」

 善二の声の低さに、狂人の目つきがわずかに変わる。

 「あん? なんだと」

 「高校デビューとか抜かす奴が――この世で一番ダセェんだよ」

 狂人の顔にわずかな苛立ちが走る。

 善二は続けた。

 「小中は義務教育で守られてる。何か起きても内輪で解決できる。だが高校は違ぇ。問題起こしゃ即刑事罰だってある。その中でビビらず粋がれるやつが――本物のヤンキーだ。親や先公に守られた中坊が籠の中でしかイキれねぇ! それこそ――シャバ僧だろうがよ。本物は高校に上がってからが本番だ!」

 狂人の表情から、笑いが完全に消えた。

 「……テメェは必ず殺す」

 「同意だよ。てめぇは仲間を捨て駒扱いしていると聞いた。そんなもん、見逃すわけねぇだろ」

 瞬間、二人の間で圧力プレッシャーが衝突し、街の空気がビリビリと震える。地面にひびが走り、電光掲示板が軋む音を立てた。

 狂人は舌で奥歯を鳴らし、不敵に笑った。

 「――ほう。剣正の言ってた通り番核持ちらしいな。いいじゃねぇか……咬噛。楽しませてくれよォ‼︎」

 その刹那、狂人の双眸が 煮え滾る瘴気 を宿したように赤黒く閃いた。

 (――来る。まずは視線の殺し合い《メンチ》だ!)

 応じるように善二の瞳にも 白雷にも似た奔流 が走る。

 次の一瞬、両者の視線は形を持ち――二条の殺意が光線となって衝突した。

 ドガァァァァンッ‼︎

 爆ぜた光の奔流は、荒れ果てた街並みを一瞬で呑み込み、朽ちたビルの壁面を削り、窓ガラスを粉塵へと変え、まるで戦場の衝撃波のように周囲を薙ぎ払った。

 「っ、きゃああああああっ‼︎」

 吹き飛ばされまいと、ピックルは善二のスカジャンの襟を命綱のように握り締め、必死に耐える。

 光と光が噛み合い、何度も音を割って爆ぜる――双方の気迫が互いの存在を焼き尽くそうとする、純度100%の殺意の応酬。

 「――いいねぇ、咬噛ぃ!」狂人は舌をだらりと伸ばし、狂気を愉悦に変えながら吠えた。

 「俺様のメンチをここまで真正面から受け止めた奴ぁ……テメェが初めてだぜぇッ‼」

 その顔は、理性を投げ捨てた獣――獲物を噛み砕く寸前の捕食者の笑み を浮かべていた。

 やがて――均衡が音を立てて軋む。

 善二の放つメンチが、重圧に押し潰されるように後退を始めた。

 瞳の奥に宿した光が、狂人の殺気の奔流に飲み込まれていく。

 「……くそっ、なんだこの圧は⁉︎ 呼吸が……潰されるっ!」

 「ギャハハハハッ‼ どうした咬噛ぃ! テメェの視線の殺気はその程度かよぉ」

 狂人は余裕どころか、愉悦すら滲ませていた。

 その笑みは、まるで相手の命を弄ぶ悪鬼そのもの。

 “バチンッ”

 唐突に、善二のメンチが 断線 した。

 わずか一瞬――ほんの一拍の瞬きが、死刑宣告となる。

 「――しまった! 瞬きしちまっ……!」

 次の瞬間、狂人のメンチビームが顔面へ直撃した。

 ドゴォォォォンッ‼︎

 善二の身体は弾丸のように後方へ吹き飛び、崩れた建物の残骸をいくつも貫き、砂煙を巻き上げて地面を滑る。

 「善二――ッ‼」

 ピックルは蒼白になって飛び、一切の躊躇なく羽ばたいた。風を切り裂き、善二の落下地点へと一直線に駆け寄る。

 「……ぬりぃな」狂人は熱の冷めた鉄のように呟く。

 「冷めるぜ、こんなんじゃよ」

 その声音には、期待を裏切られた者の失望すら含まれていた。



 「……中央で殺り合ってるやつらがいんな」

 遠雷のような爆発と地響きが、龍平の耳を震わせる。

 「行くっちか?」前を歩く鬼マルが小首を傾げる。

 「当たり前だろ」龍平は鼻で笑い、ボンタンに両手を突っ込んだまま歩を進めた。

 「立ってた方を――ぶっ潰せば済む話だ」

 その横顔は、戦いを待ち望む獣のように研ぎ澄まされていた。

 「……ちょっと待ってもらおうか」

 乾いた声が道路に落ちる。

 龍平と鬼マルの進行方向に、影が一つふわりと差し出された。

 砂埃を払うように短ランが揺れ、荒んだ風の中で男は立つ。

 「……短ランにボンタン? てめー、何者だ」龍平は無言で目線を滑らせる。

 足元から膝、腰、肩――そして目。

 その眼光は、静謐でありながら刃物のように研がれていた。

 「俺の名は――柳剣正。悪いが、ここから先へは行かせない」

 「へぇ……わざわざ立ちはだかるってことはよ、よっぽど腕に自信があるらしいな?」

 「手合わせすれば、嫌でも理解できるさ」剣正は腰を落とし、静かに構えを整えた。

 「……その前にひとつ言わせろよ」龍平の目が細められる。

 「てめー、テープもバンドもしてねぇじゃねぇか」

 「訳あって俺はボンタン狩りには不参加だ。それとも――バンドなしは相手にできない、なんて泣き言を言うつもりか?」

 「ふっ……いいねぇ」龍平の口元が、挑発に喜ぶ獣のように吊り上がった。

 「俺はな、ルールとやらに縛られて動くつもりはねぇよ。俺の前に立つモンは――何だろうと、ぶっ飛ばすだけだ」

 「それを聞いて安心した」

 言葉が落ちるより早く――剣正の姿が掻き消えた。

 「――ッ‼︎」

 龍平は常に気配を張っていた。だが、それすら置き去りにする速度。地面を裂く踏み込みと共に、剣正の拳が風を断ち切った。

 刹那、龍平は頭を逸らす。

 頬を掠めた拳圧は、紙一重で致命を逃した。

 「……ただもんじゃねぇな」龍平は舌を打った。

 「少なくとも、入り口で倒れたあのアフロ野郎よりは上か」

 「榊さんのことか。お前との戦いは一部始終見させてもらったさ。――だからこそ言う。番核、出せ。俺はあんな程度じゃない」

 「……まんざらハッタリでもなさそうだな」

 龍平の足元が震え、赤黒いオーラが噴き上がる。

 「――番核発動‼︎」

 言葉尻に世界が揺らいだ。龍平を中心に放射状の波動が奔り、剣正の足がわずかに後退する。

 「さぁ、てめーも番核を出せや!」龍平の瞳は怒気と闘志で灼けていた。

 「……申し訳ないが、俺は番核を持たない。だが――お前を満足させる力が、俺にはある」

 「番核なし……? ふん、じゃあ結末はアフロと変わらねぇぞ」

 「それはどうだろうな?」剣正の靴が石畳を抉るほどに踏み込む。

 (――はえぇ……!)

 龍平の強化された視覚をもってしても、ようやく捉える速度。

 剣正の拳は地を這い、裂けるようにアッパーへ繋がった。

 「くっ……!」龍平は反射でバク転し、拳の軌跡を逃れる。

 「てめー……何かしてやがんな?」

 「そりゃ、素の俺じゃ番核もちに敵うわけない。――だからこいつの力を借りてるまでさ」

 剣正の背後で、影が蠢く。

 四肢の輪郭がゆらぎ、闇から獣が立ち上がった。

 チーターを思わせる流麗な肢体、漆黒の毛並み。双眸は黄金色に光り、空気を震わせる気配を放つ。

 「こいつが――俺のウォッチャー、ソーディーだ」

 「そいつ……魔獣族っち!」鬼マルが叫ぶ。

 《剣正と、そこの小鬼が申した通りだ。余が彼のウォッチャー――魔獣族のソーディーである》

 低く響く声は、洞窟の奥底から響く咆哮のように重い。

 龍平の口角がわずかに歪む。

 「……面白ぇじゃねぇか。番核なしで、そこまでやれるってんなら――」

 地が震えた。

 「――本気でぶっ倒してやるよ、柳剣正」

 「ソーディー‼︎」

 剣正の咆哮に、黒豹のような魔獣が即座に呼応する。

 《強化魔法――スピーダー!》

 銀の紋章がソーディーの額から閃き、剣正の全身に浸透する。

 筋繊維が震え、血管が脈打ち、肉体そのものが軽くなる。

 「スピーダーは俺の基礎速度を底上げする――」言い終える前に、剣正の姿は龍平の視界から霧散した。

 「……なるほどな。バフ特化のウォッチャーか」

 龍平は目を閉じ、わずかに息を吐く。戦意の熱を静め、五感の雑音を落とす。

 「ヤンキースキル――サキヨミゴロー」

 世界が鈍色に沈み、龍平の意識だけが鋭く研ぎ澄まされた。その先読みは視線ではなく、未来の軌跡を捉える。

 剣正は龍平の頭上にいた。

 「くらえっ! 召天下メテオ‼︎」

 落星のような急降下蹴り。

 大気が悲鳴をあげ、地面が先にたわむ。

 「……なっ、しかし次の瞬間――龍平の影は、そこにはなかった。

 なんだと⁉︎」

 「ステゴロ――ッ‼︎」

 剣正が着地した瞬間。死角から龍平がにじみ出るように出現し、拳が閃光となる。

 “ドスッ”

 拳が沈み込んだ音は、肉ではなく岩盤を殴ったかのように重かった。

 「――ぐはっ!」

 剣正の身体は斜め後方へ吹き飛び、古びた建物を三層ぶち破って、瓦礫の中に消える。

 《剣正――! 貴殿の才は、番核に劣らぬ秘奥を秘めている!》

 ソーディーが影のように跳ね、剣正のもとへ駆けつける。

 瓦礫の間から、剣正が血を吐きながら這い出た。

 「……くっ……俺は、まだ……やれる……。だが、お前のそのヤンキースキル……代償も相当だろう」

 「番核を持たない素の状態で、俺の全力を耐えたのは賞賛に値する。だから特別に教えてやる。俺の能力は――相手の未来の動作を読む代わりに、視力を削る。使うほどに闇に沈み……最終的にたどり着く運命は失明だ。」

 「強力な番核の反動……か。まさに両刃の剣だな」

 「だから俺は、闘いを長引かせない。――次で決める」

 剣正はよろめきながらも立ち上がる。その眼には、揺るがぬ闘志だけが灯っていた。

 「俺も……抗ってみるか」ソーディーを振り返り、剣正は命じる。

 「全てのバフを……俺にかけろ!」

 《しかし……それでは、貴殿の肉体が――》

 「相手も命削って闘ってるんだ。――なら俺も、全てを懸ける」

 ソーディーは短く頷き、掌を広げた。

 《……了解した。スピーダー! パワーダー! ディフェンダー!》

 三つの魔法陣が剣正の全身に重なり、肉体が光を帯びる。筋肉が膨張し、血流が唸り、骨格が軋みを上げた。

 「その心意気や、上等だ」龍平もまた足元に重みを集中させ、爆ぜるように気を練り上げる。

 二人の間の空気が震え、地面が割れる。

 「いくぞ――これが俺の全力だ! 【召天下直殴(メテオナックル)】!」剣正は大地を砕き、稲妻のように踏み切る。

 「疾風迅雷――最速蹴り(サイキック)‼︎」龍平も迎撃の姿勢で足を振り上げる。

 刹那――二つの軌跡が一点で交錯した。

 閃光が爆ぜ、世界が白に塗り潰され、轟音が天地を飲み込んだ。

 爆心を中心に、街の廃墟が波紋のように瓦解していく。

 ――やがて、爆心地を覆っていた濃紺の煙が、静かに薄膜のようにほどけていく。

 瓦礫の奥で崩れ落ちた建物はまだ嘆くように軋みを上げていたが、その中心に――ただ一人、立つべくして立つ者がいた。

 ――上代龍平。

 右脚は血に濡れ、呼吸は乱れ、その足取りはわずかに震えている。

 それでも――仁王のように揺るがない。

 「……はぁ……はぁ……番核も持たずに……ここまで喰らいつく奴がいるとはな……」口元に薄く笑みを刻みながら、地に伏す男を見下ろす。

 「やれやれ……中々に奥が深い世界だ……」

 その眼差しには侮蔑はなく、誇張もない。あるのは、剣正という一人の男への純然たる敬意。

 「……龍平〜っ! 大丈夫っちかーーーー!」

 焦燥と心配の入り混じった奇妙な声が響き、鬼マルが四肢をバタつかせながら駆け寄る。

 龍平は顎をしゃくり、安心させるように片手を小さく振った。

 その背後、瓦礫の間から剣正の名を呼ぶ声が沈んで落ちてくる。

 《……敵ながら天晴れだ。貴殿――今一度、その名を伺おう》ソーディーは監視者の使命か、あるいは主と認めた者を守るように寄り添いながらも、龍平のその立ち姿から視線を外せずにいた。

 龍平は振り返りもせず、短く答える。

 「……俺は――上代龍平だ」

 ただそれだけ言い残し、背中を翻す。

 鬼マルを従え、瓦礫の街路を踏みしめながら歩き去るその姿は、敗北者への礼を尽くすように背中で語っていた。

 ――これで終わりではない。次に相まみえる時、お前はもっと強く在れ。

 龍平の靴音が遠ざかる。

 崩れた建物の残響が消えた後も、その背中の余韻だけが、長く、深く残り続けていた。



 善二は、己の奥歯が砕けかねないほど強く噛みしめていた。――悔しさ。屈辱。そして、生まれて初めて味わう敗北の予兆。前世あちらでは、メンチ切りで負けたことなど一度もない。視線一つで格下を黙らせる――それが咬噛善二という男の流儀だった。

 だが、この異界ではその絶対の自負が音を立てて崩壊しようとしていた。

 「……くそがっ! 相手の圧に押し負けるなんざ……情けねぇ!」拳を路盤に叩きつける。その衝撃で地面が蜘蛛の巣状にひび割れる。

 「――善二〜! あんた大丈夫?」

 羽音が高音で響くほど高速で飛来したピックルが、心底焦った声をあげる。

 「大したこたぁねぇよ……ただ、プライドが粉微塵になりかけただけだ」

 立ち上がった善二の拳からは、鮮血が滴り落ちた。

 「あいつのドス黒いメンチビーム……さすが四天王。格が違うわ」ピックルは震えを帯びた声で呟く。

 善二は拳を握りしめ、静かに息を吸い込んだ。

 「もう、なりふり構ってられねぇな」

 次の瞬間――善二の周囲に紅蓮の瘴気が立ち昇った。

 「――番核発動!」

 爆雷のような衝撃波が広場を揺らす。善二の身体から噴き上がるオーラは、先ほどの何倍にも膨れ上がっていた。

 「いくぜっ! バイバイララバイ――三倍ッ!」

 地面を蹴った瞬間、善二の姿は霧散する。

 数百メートル先で吹き飛ばされた位置から――瞬時に中央広場へ帰還した。

 “シュウゥゥ”

 着地の衝撃で足元が焦げ煙る。

 「待たせたな」

 狂人は鼻で笑った。

 「待っちゃいねぇよ。テメェの底はもう見えた。脅威にも値しねぇ」

 「どこまでも舐めやがる……その増長した鼻っ柱、へし折ってやらぁ!」

 善二は跳躍と同時に足を掲げる。

 「三倍――超ネリチャギッ‼」

 振り下ろされる踵が白閃を描く。

 「――爆怒暴威バッドボーイ・三倍、回し蹴り!」

 狂人もまた善二のヤンキースキルをコピーした蹴撃を見舞う。

 刹那、二人の脚が交差し――轟音が世界を裂いた。

 「……くっ! 全く互角ッ!」善二は回避のため高く飛び退き、体勢を整える。

 だが、その眼光は一切曇らない。

 「だが……なんとなく見えてきたぜ、狂人。――てめぇの能力の本質がな」

 狂人の片眉がピクリと動いた。

 「――あん?」

 「てめぇ……相手のヤンキースキルをコピーしてんだろ。だがその芸当、力だけじゃねぇ。代償までコピーしてる。――違うか?」

 善二は拳を握りしめ、静かに続ける。

 「俺の代償は寿命だ。予想が的中しているなら、てめーは今――この瞬間……三十時間の寿命を削ったってことだ」

 狂人は舌を鳴らし、唇を吊り上げた。

 「だからなんだ? 死ぬのが怖ぇとでも思ってんのか? 俺様はな、この世界の頂点に立ち、絶対的な強者になるんだよ! そのためなら死など超越する――それが世界の王ってやつだ!」

 「そんな妄言、漫画かアニメの中だけにしとけよ。滑稽だぜ?」

 善二は閃光のような速度で懐へ飛び込む。

 「バイバイララバイ三倍――鬼気一発ッ!」

 「まだ理解してねぇみてぇだなァ!バッドボーイ三倍――【瞬殺打ワンパン】ッ!」

 二人の拳が激突した瞬間――天地を揺るがすほどの衝撃が奔る。

 赤黒い火花と、白い閃光が交差し、広場全体が揺れ、空気そのものが悲鳴を上げた。

 「くそっ……!」善二の喉奥から噛み殺した怒声が漏れる。拳と拳――完全に同一の威力で相殺され続ける現状が、彼の苛立ちをさらに煽った。

 押し返せない。押し負けてもいない。それゆえに、互いの寿命だけが削られていくという最悪の膠着。

 「――おい、烏丸狂人」善二は拳を構えたまま吐き捨てるように言う。

 「能力をコピーしてドヤってるのはいいが、このままだとよ……お互いジリ貧じゃねぇか? 寿命を削り合って、どっちが先に地面に転がるか、そんな消耗戦続けんのかよ?」

 当然の疑念が脳裏をかすめる。

 コピーという能力が、同時に自分の代償まで背負っているなら――狂人もまた削られているはず。

 だが狂人は、不気味なほど余裕の笑みを崩さなかった。

 「まぁ、普通はそう思うよなぁ」狂人は嗤うように目を細めた。

 「だからよ――俺様には切り札がある」

 背後の影に手を伸ばしたその瞬間、空気がひりついた。狂人の手中から抜き出されたのは、禍々しい黒光りを放つ一振りのナイフ。

 「てめぇ……この土壇場で光もん出す気かよ! どこまで卑劣なんだ、この野郎!」

 善二が怒声を上げるが、狂人は首を傾げ、愉悦を滲ませた目で告げる。

 「待てや。これはただの刃物じゃねぇんだよ」

 ナイフは、赤黒い霧のようなオーラを纏い、金属音ではない“囁き”を発している。

 「こいつは――レジェンダリーアイテム【魂喰い(ソウルイーター)】だ」

 「レジェンダリー……? 俺のスカジャンと同格のアイテムってことか」

 善二が息を呑む。

 狂人は舌で刃を舐めながら、恍惚と語る。

 「この刃で斬られた瞬間から、相手の寿命を吸い取れる。一度で一時間。二度で二時間。三度で三時間……吸った分だけ、そっくりそのまま俺様の寿命に上乗せされる」

 「なっ……なんだと……!」善二の瞳孔が揺れる。寿命を削って戦う自分にとって、それは死刑宣告に等しい効果だ。

 「わかるか? テメェのちっせえ脳みそでも理解できるだろ?」狂人は舌を出し、ナイフを噛んだまま嗤う。

 「てめぇを相手にする時は、これ使えば完封できるって最初から計算ずみよ。つまり――全部俺様のシナリオ通りなんだよ」

 「……最初から俺への対策ありき、ってことかよ」

 「へへへっ、ご明察だ、咬噛ぃ」

 狂人はナイフを水平に構え、まるで捕食者が獲物を嬲るような目で善二を射抜いた。

 善二は歯を食いしばる。

 (くっ……あれで切り刻まれ続ければ、死に近づくのは俺の方だ……! どうにかしねぇと――)

 その思考を断ち切るように、 ――シュッ! 狂人のナイフが善二の頬を掠めた。

 「なっ……!」

 ほんの紙一重。血が一滴、頬を伝う。

 「考え事してる場合かよ?」

 狂人が耳元で嗤うような声を落とす。

 「今ので一時間、テメェの寿命は縮んだ。で、俺様の寿命は一時間延びた――ってわけだ」

 狂人の口元は、ぞっとするほど薄ら笑いを浮かべていた。圧倒的な有利。そして、狂気の確信。

 善二の背筋に、冷たい戦慄が走った。

 (――まずい。あのナイフを喰らい続ければ、本当に終わる)

 善二の背筋を、冷たいものが這い上がる。

 「動きが止まってんぞ、咬噛!」

 狂人が絶叫とともに踏み込み、漆黒のソウルイーターが残光を曳いた。思考する猶予すら与えまいと、狂人の軌跡が刃の軌跡へと変わる。

 「バイバイララバイ――四倍‼」爆ぜるように善二が横へ飛翔した。

 しかし――「バッドボーイ四倍」狂人も寸分違わず、蛇のように善二へ追随する。

 「……くそっ、どんだけコピー精度高けぇんだよ!」

 「逃がすかよ――咬噛!」

 鋭い閃光が走り、狂人の刃が善二の左腕へと振り下ろされた。

 次の瞬間、乾いた音が響く。

 「はっ! これでまた一時間もらっ――」狂人の言葉が凍りつく。

 善二の左腕――いや、スカジャンの袖には、斬り傷ひとつ無い。

 「……ありえねー。確かに肉ごと断ち切った感触はあった……なのに、なんでだ……?」

 「危ねぇ……マジでやられたかと思ったぜ」

 善二はスカジャンの袖を軽く引き、確認するように指で撫でた。生地はまるで刃を拒絶するかのように、無傷のまま輝きを宿している。

 「てめぇ……そのスカジャン、一体なんなんだ?」

 狂人の声に、焦燥が混じった。

 善二はニヤリと笑い、親指で肩口を弾いた。

 「これか? これは――ケルベロスを倒して手に入れたスカジャンだ」

 「ケルベロス……だと⁉ 四大獣禍族の、あの怪物を……?」

 狂人の表情が、はじめて恐怖の色に染まった。

 「そうらしいな。俺は知らねぇけど……ピックルの話じゃお前のそのナイフと、同じレジェンダリーアイテムって代物らしい。防御性能も――半端じゃねぇな」

 「そんな馬鹿な……! なんでテメェみたいな雑魚が、四大獣禍族を討てる⁉ この俺様でさえ、一度見て引き返したレベルのバケモンだぞ!」

 「まぁ、確かに俺一人の手柄じゃねぇよ。龍平とかいう奴が、弱らせてたらしいしな」

 「――龍平……だと……?」その名を聞いた瞬間、狂人の顔が引き攣った。感情の爆ぜる音すら聞こえるほどに。

 「なんだよお前……龍平を知ってんのか?」

 問い終わるより早く、狂人の瞳が豹変した。

 「てめぇぇぇぇ――‼」

 まるでスイッチが壊れたかのように狂人は発狂し、ソウルイーターを振り乱しながら善二へ突っ込んだ。

 狂気と殺意が渦巻き、刃が叩きつけられるたび、金属音ではなく怨嗟のような響きが空気を震わせた。

 (いきなり何だよこいつ……⁉ 本気でプッツンきてんじゃねぇか)

 しかし――刃はどれだけ暴れても、善二のスカジャンを貫けない。

 (肌に触れなければ問題はない)善二は腕をクロスし、微動だにせず受け切った。

 狂人はそれでも止まらない。血走った眼、剥き出しの歯、握りしめたナイフ。常軌を逸した乱舞は理性の断絶そのものだった。

 「……いい加減にしろよ」

 善二の眼が、底冷えするほど鋭くなった。

 「バイバイララバイ――六倍‼」

 赤黒い雷光が全身に走り、地面が爆ぜる。

 「【蹴滅離ケンメリ】――ッ‼」

 雷のごとき前蹴りが、狂人の腹部へ直撃した。

 「――ガハッ‼」

 狂人の身体はくの字に折れ、数十メートル後方へ弾き飛ばされながら、その口から血が雨のように散った。

 “ガフッ”

 (……くっ……そったれが……! バッドボーイの発動が……間に合わなかった……!)

 狂人は腹を押さえ、よろめきながらも立ち上がった。その足取りは重く、それでも眼光だけは爛々と狂気を燃やしている。

 (――これ以上まともにもらえば、確実に骨が砕ける……。だが……あいつは龍平を知っているのか?)

 狂人の頭に渦巻く疑念が、やがて一つの質問へと収束する。

 「おい、咬噛……てめぇ、龍平のことを――どこまで知ってんだ?」

 その唐突な問いに、善二は眉間に寄せていた皺をゆるめた。驚きというより、ただ意外といった表情で。

 「……いや。全然知らねぇよ。ケルベロス倒したあとに、偶然町で会っただけだ」

 「くっ……くくくっ。そうか……何も知らねぇってわけか」狂人の口元が歪む。

 その笑いは勝ち誇りではなく――どこか怨嗟じみた色を帯びていた。

 「……何が言いたい?」

 「アイツはな――四天王の一人だよ」

 「――っ⁉」善二の瞳が大きく見開かれ、息を呑む。

 心臓が一拍、強く跳ねた。

 「あいつが……四天王……?」

 「ああ、そうだ。よく無傷で会話なんざ成立したな。俺なら初見で拳を入れられてたかもなぁ」狂人の薄笑いには、はっきりと憎悪が混ざっていた。それは宿敵を見る目だ。

 「俺は……タイマンで一度――アイツに敗れてる」

 「……!」善二の血の気が引く。狂人ほどの怪物が、敗北を認める――?

 「ありえねぇ話だがな……咬噛。てめぇ……アイツを倒したのか?」

 「倒してねぇよ。何もしねぇまま、勝手に立ち去ったんだ」

 狂人の目が、怒りとも困惑ともつかない色で揺れる。

 「……どういうことだよ」

 「知るかよ! こっちが聞きてぇくらいだ!」

 二人の視線がぶつかる。

 狂人は拳を震わせ、善二は息を荒げながら睨み返す。

 その瞬間――龍平という名前が、闘いそのものへ別の火種を投じた。

 善二が息を整えようとした瞬間――狂人の呼吸が、どこかおかしかった。

 荒く、浅く、そして笑っている。

 「はぁ……っ……はは……はははは……!」

 善二が眉をひそめる。

 「……何が可笑しい」

 狂人は前かがみに肩を揺らしながら、何かを堪えていた。笑いを、あるいは――怒りを。

 「龍平……ッッ」

 その名が口から漏れた瞬間、狂人の背中に走る血管が浮き彫りになった。

 「アイツの名前を聞くとよ……胸の奥が……焼けるんだよ……‼」

 善二は直感した。

 これはただの怒りではない。

 ――怨恨。――屈辱。――復讐心。その全てが腐り、膿み、狂人の内側で黒炎になっている。

 「アイツに……俺様は負けた……手も足も出ねぇまま……プライドも……仲間も……全部壊された!」狂人の拳が震える。

 いや、拳だけではない。体そのものが震動している。

 ピックルが善二の肩を掴む。

 「善二……! これ、ただの怒りじゃない! 代償が――」

 そのときだった。

 「――うがぁぁぁ!」突然狂人はソウルイーターを自らに刺した。

 狂人の両目の白目が、沸騰した血のように赤黒く染まっていく。

 その様子を見て”ゴクリッ”と善二は息を飲んだ。

 狂人の口角がゆっくりと持ち上がる。

 「俺様の持つこのレジェンダリーアイテム――ソウルイーターを自らに刺す。斬りつけるんじゃないぜ。刺すんだ! するとどうなるか分かるか? このナイフは刺すことで初めて、今まで斬りつけ吸ってきた人間の寿命を、刺した人間へと還元されるんだ」

 狂人の瞳は徐々に輝きを失っていく。

 「だが人の寿命には限界がある。それ以上伸ばそうとすれば枷が外れちまう。それはいわばキャパオーバーだ。俺様が今までどれだけのヤツを斬りつけてきたか分かるか? ははっ――きゃはははっ!」

 「枷……? 何言ってんだ――こいつ」善二の背筋に氷が落ちたような感覚。

 すると狂人の背中が大きく反り返り、首の後ろが、まるで爆発するように盛り上がった。

 「俺様はな……死ぬのは怖くねぇんだよ……怖ぇのは……タイマンで負けることだけだ……!」

 言葉と同時に――狂人から噴き出した赤黒い濁流が、光すら呑み込んだ。

 【暴走形態・狂鳴(きょうめい)――っ!】

 皮膚が裂け、血と狂気が混ざり、赤黒い獣性が立ち上がる。

 「この形態になったら行き着く先は死よ! だがな、俺様は負けて生きながらえるより、勝って死んだ方がマシなんだよ‼」

 「善二! ダメ! 今のこいつは……人間の生存限界を突破してる!」

 ピックルの言葉に善二は息を呑む。

 狂人の瞳は――もう、人のものではなかった。

 「龍平……咬噛……どいつもこいつも……俺様を……!」狂人の爪が地面をえぐる。

 「ナメるんじゃねぇぇぇえええええ!」

 その瞬間――狂人の姿が完全に消えた。

 “ズガァァァン”

 善二の腹部に凄まじい衝撃波が走り、体がコンクリ壁へ叩きつけられ、そのまま粉砕した。

 善二が血を吐きながら崩れ落ちる。

 「……くっ……速ぇ……! 今の俺の限界――六倍より、遥かに……!」

 狂人の声が、耳元で囁く。

 「咬噛善二……テメェから寿命なんてチンケなもんじゃねー! 直接死を与えてやるよ……」

 善二は膝をつきながらも拳を構えた。

 「上等だ……その狂気……全部まとめてぶっ飛ばしてやる!」

 狂人の暴走と怨念が混ざり合い、世界の終わりのような殺気が満ちた。

 (かといってバイバイララバイ六倍でもついていけない……どうすれば)

 善二が逡巡の思考を働かせている間にも、狂人の攻撃は止まない。

 「咬噛ぃー! もっと血反吐撒き散らせや!」

 反応する間もなく、善二のテンプルに憎悪の一撃が沈む。

 「ガッ! ……っ!」視界がぐらつき膝が震える。

 瞬間――間髪入れず狂人のアッパーが打ち込まれた。

 【猛槍突き上げ(タケヤリアッパー!)】

 数メートル浮き上がった善二の体は、もはや抵抗の意思すらなく、糸の切れたマリオネットのように崩れ落ちた

 「ギャハハッ! もう……負けねぇ! 俺が最強だ!」

 「善二っ! 今すぐ手当てを!」

 「うるせー小蝿が」

 羽虫を叩くように裏拳でピックルの小さな体は、放たれた弾丸のように弾き飛ばされた。

 「……ピックル」

 「チッ! まだ息あんのかよ! ゴキブリかテメーは」

 そう言い放つと、善二の頭を踏みつける。

 「俺は……てっぺんを目指し、生き返らなきゃいけない!」

 「――なに⁉︎ テメーの望みは生き返えることなのか? 生き返ってどうする? あの何もない世界へ戻って何をする?」

 「……親孝行だ」

 「――なっ、んだと? 親孝行? この世界を統べるとか、新たな世界を作るとかじゃなくて、生き返って親孝行だと?」

 狂人の顔色が変わった。

 「ふざけたこと言ってんなよ! 善人ぶりやがって! ヤンキーが親孝行? なんでテメーみたいのがこの世界へ来たんだ! ふざけやがって! ふざけやがって!」

 狂ったように善二の頭や背中を踏みつける狂人。

 「……親を悲しませたくない……そんな奴がいたっていいだろ! テメーの腐った固定概念を俺に押し付けんなよ!」そういうと善二の体からは、今までとは別のゆらめきが空間を揺らした。

 ボロボロになりながらも立ち上がる。力はとうに限界を超えている。それでも目標を、信念を持つ者は倒れない。

 「あっ……あれだけ痛めつけて……立ち上がれんのか?」

 狂人の目には驚愕の表情が現れていた。

 「――バイバイララバイ……八倍」

 「なっ! テメー自分の寿命がどれだけあるかわかってやってんのか⁉︎」

 「知らねぇよ。俺が死よりも恐れるのは、母親が俺が死んだことを知って絶望に打ちひしがれることなんだ! 母さんはいつも気丈に振る舞っているが、支えがなければ脆くなる一面がある。それがある限り、俺は前世へ生き返らなきゃいけねぇんだ!」

 「はっ! 親なんか俺様から見たらクズだけどな」

 「……俺は思うよ。……お前は可哀想な奴だ」

 「――なっ!」狂人の表情が一瞬で狂気に変わる。

 「死にさらせや! 咬噛!」

 鋭い蹴りが善二の顔面に放たれた。

 ――刹那「――八倍【韋駄天】」善二は大地を蹴り、狂人の一撃は空を裂く。

 そのまま善二は狂人の背後をとった。

 「【背面鉄槌撃(トールハンマー)】善二は腰を掴むとその体制で高く跳躍し、そのままバックドロップの要領で地面へ狂人を叩きつけた。

 「――ぐはっ!」口から鮮血を飛び散らせる狂人。

 「【殺加蹴苦(サッカーキック)】!」続け様に後方へ振りかぶった右脚を狂人の顔面に放つ。

 爆ぜた音とともに地面を抉るように狂人は弾け飛んだ。

 土煙立ち込める中を、善二の攻撃を平然と受けてなお、立ち上がり迫る狂人。

 「咬噛ー! 許さねぇぞ! 俺様をここまでコケにしやがって――許されねぇーんだよ!」

 「こいつ! 完全にバケモンの領域だ。……こっちは限界超えた八倍使ってんだぞ!」

 善二の体はとうに悲鳴をあげていた。

 倍々に上げてきた力が徐々に抜けていく。

 (このままではマズい! どうする!? 死を覚悟したものに失うものがないように、こいつのこの力は命を賭した最大の代償)

 「俺は……生き返らなきゃいけない。だが、このままでは勝ち目がない。願いを叶える前に死ぬのは絶対に避けなくては」

 善二は目を閉じ、息を整える。

 ――“すぅ〜、はぁ〜”。

 「決着つけてやるよ! 烏丸狂人!」

 「アンタ……、まさか……」ピックルの顔からは血の気が引く。

 「バイバイララバイ――十倍‼」善二を中心に地面が深く陥没した。

 赤黒いオーラは、狂人の放つ狂気のオーラに匹敵するほど膨張していく。

 「そうこなくちゃな! 咬噛ー!」

 地面を激しく蹴り上げ、凄まじいスピードで迫る狂人。

 「バッドボーイ――十倍……【悪魔之一撃拳(ディアボロナックル)!】

 「やっぱ男は拳で語り合うしかないよな! 十倍――鬼気一発!」

 両拳が重なり合った瞬間、その場の大地は無に帰し、激突の余波は、もはや衝撃という言葉では足りなかった。

 光が爆ぜ、大気が悲鳴をあげ、地面は波打つ海のように隆起しては砕け散る。

 狂人と善二がぶつかり合った中心は、まるで 世界の法則そのものが抉り取られたかの如く空白になっていた。

 ――そして。

 轟音の反響が消え、濛々と立ち込めていた砂煙が、少しずつ晴れていく。

 やがて――影が二つ、姿を現した。

 ひとりは膝を折り、地面に両手をつき、荒い呼吸を繰り返す男――狂人。

 もうひとつは、血まみれの拳を固く握ったまま立ち尽くす男――善二。

 狂人の胸には、深々と拳の痕が刻み込まれていた。

 「……ッ、な、なんで……テメェが……立っていやがる……」

 荒れ果てた地面を揺らしながら、狂人は震えた声を絞り出した。

 善二はゆっくりと歩み寄る。

 足はふらついている。呼吸は乱れ切っている。

 だが――その目だけは折れていない。

 「十倍の殴り合い……俺だって、死ぬかと思ったぜ」善二は口の端から血を垂らしながら、笑った。

 「だが――俺には負けられねぇ理由がある」握った拳を胸に押し当てる善二。

 狂人は顔を歪め、怒りと焦燥で爛れた瞳を向ける。

 「親孝行……親孝行のためにここまでやんのかよ……? てめぇ……狂ってんのか……!」

 「そうだよ。俺は狂ってる。――母さんに心配かけたくないってだけで、ここまで来ちまったくれぇにな」

 その言葉に狂人の瞳が揺れる。怒り、嫉妬、そして……理解できないという焦燥。

 「……テメェ……本当に……親を……」

 「大事にしてるよ」

 善二は迷わず言った。

 「だから……倒れてなんかいられねぇ」

 その瞬間、善二は拳を引き絞り、最後の一歩を踏み込んだ。

 「――これで終わらせるっ‼︎」

 迷いも躊躇もない、てっぺんを目指す男の拳。

 狂人は目を見開き、なぜか一瞬――安堵したように笑った。

 「……はっ、そうかよ……。お前……俺とは違って……誰かのために殴ってんだな……」

 次の瞬間、善二の拳が狂人の顔面を貫いた。

 ――轟音。――破裂音。クレイジータウンの大地が震える。

 狂人の体は、吹き飛びながら瓦礫を巻き込み、廃ビルの壁を突き破って沈黙した。

 しばらくの静寂。

 風の音すら聞こえない。

 ――ピキッ。

 かろうじて原型を止めていた電光掲示板のカウントが切り替わる。

 【赤2 白0】

 善二は膝から崩れ落ち、両手を地についた。

 「……ッ……はぁ……はぁ……あと一人……誰なん、だ……」

 意識が遠のいていく。視界に映るのは、倒れた狂人の影と――青空。

 「善二ーー‼︎‼︎」

 どこかで、泣きそうな声が聞こえた。

 それが狂人に殴られても、無事だったピックルの声だと安堵の息を吐く。

 が――善二にはもうその声に応える気力は残っていなかった。

 そのまま、静かに瞼を落とした。


ここまで読んでいただきありがとうございます!

第六章【ボンタン狩り!】、いかがでしたでしょうか。

今回はまさに、命と意地を懸けたヤンキーたちの激突でした。

美柑、龍平、善二。

それぞれが譲れないものを背負い、代償を払いながらも前へ進みました。

そして善二は、鴉丸狂人との死闘の果てに、ついに最後の一人へと辿り着きます。

物語は次回で最終章です。

最後に善二を待つ相手は誰なのか。

そして、彼は本当にてっぺんへ近づくことができるのか。

次回もぜひお付き合いください!

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