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転生ヤンキー、異世界で天下一(てっぺん)をとる! ボンタン狩り編  作者: 知恵利一


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第四章 スケバン登場!

ノーマリータウンでの出会いと、スキルに隠された代償。

それでも善二は、願龍に会うため、てっぺんを目指して進むしかない。

そんな善二たちの前に現れる、新たな人物。

今度の相手は――スケバン⁉

第三章【スケバン登場!】開幕です。

 チェリーの背にまたがり、上機嫌に鼻歌を口ずさむピックル。

 その旋律は、どこか呑気で調子はずれだ。

 「まったく、普通ならスキル鑑定なんて五分とかからないのに。三十分待っても終わらないって……お腹空いてきちゃったわ」

 小さく腹をさすりながら、ピックルは不満を垂らす。

 《どうでもいいけど、なんでボクの背中に乗ってるのさ。飛べばいいのに》

 不機嫌そうに言うチェリーの声は、どこか呆れ混じりだった。

 「あんただってあくびしてたじゃない!」

 ピックルがムキになって言い返す。

 《それは眠くなってきたからで……ピックルに付き合わされるなんて思わなかったよ》後半だけ妙に小声になるチェリー。

 「――何か言った⁉」

 ピックルの眉がピクリと動き、チェリーの眉間が八の字に歪む。

 その空気に微妙な緊張が走った、その時――

 「ちょっといいかしら?」

 背後から、艶やかな女の声が響いた。

 ピックルとチェリーは同時に振り返る。

 そこに立っていたのは――セーラー服にロングスカート、髪は燃えるようなオレンジ色。高く結んだポニーテールが風に揺れ、紅の口紅が妖しく光る。その足元、ヒールの音が乾いた石畳に“コツン”と鳴り響いた。

 「何かご用かしら?」努めて冷静に返すピックル。

 だが、その声音とは裏腹に、彼女の背には冷たい汗が滲んでいた。――感じ取っていたのだ。目の前の女から放たれる、異質な圧。それは理屈ではなく、本能が警鐘を鳴らしていた。

 《お姉さん、キレイだね》

 チェリーが場の緊張を和らげるように呟く。

 「あら? アンタ、ウォッチャーでもないのに喋れるのね。しかも可愛いじゃない」

 女は優雅にしゃがみこむと、チェリーの頭をそっと撫でた。その手つきは柔らかい――だが、どこか支配的だった。

 「……申し訳ないのだけど、先を急ぐので失礼するわ」

 ピックルはチェリーの背を軽く叩き、その場を離れようとする。

 だが、女の声がそれを許さない。

 「待ちなさい。まだ質問はしてないわよ。なのになんで離れようとするの?」

 口角を吊り上げた笑み。その赤い唇が歪むたび、空気がわずかに揺らめく。

 ピックルの頬に一筋の汗が伝った。

 「そっ、そうだったわね。……それで、私たちに何か? ウォッチャーの存在を知っているってことはあなた――転生者かしら?」

 女は一拍置き、唇を歪めて笑った。

 「――ふふっ。まぁ、わかるわよね。なぜかこちらの世界では【スケバン】って呼ばれてるんだけど」

 その笑みは艶やかで、どこか哀しげでもあった。

 次の瞬間、彼女はすっと立ち上がり、ヒールの音を響かせながら光を遮るように二人を見下ろした。

 女はピックルとチェリーを見つめたまま、ゆっくりと紅い唇を動かした。

 「ねぇ……赤い髪のヤンキーっての、アンタら知らない?」

 その一言が、空気を凍らせた。風が止まり、周囲のざわめきが嘘のように消える。

 ピックルは一瞬で表情を引き締める。

 「あんた……何者?」声を発した瞬間、背中の羽が無意識に震えていた。

 女は楽しげに目を細めた。

 「何者、ねぇ……そうね。アタシも昔はちょっとした素行不良な女の子だったのよ。けどこの世界に来てからは、こう呼ばれるわね。女の転生者――スケバンってね」

 「赤髪のヤンキーを探してる理由は?」

 ピックルの問いに、女は首を傾げる。その笑みは柔らかいのに、瞳の奥には獣じみた光が宿っていた。

 「借りを返すためよ。彼――前にあたしのケンカを邪魔したの」

 一拍置いて、唇を舐める。

 「……ま、もっと正確に言えば――助けられた、のかもしれないけど」

 ピックルは息を呑む。その一瞬の言葉の綻びの中に、微かな人間らしさが垣間見えたからだ。

 しかし次の瞬間、彼女の目が鋭く光る。

 「でもね――あの時の借りは、ちゃんと返す主義なの」

 女の声が低く響き、ヒールの踵が石畳を強く打ち鳴らす。

 ピックルは思わずチェリーの背にしがみついた。

 《ピックル……逃げた方がよくない?》

 「そうね……だけど――あの目、本気で善二――かはわからないけど、誰かを探してる」

 女はふと夜空を見上げた。オレンジの髪が風に揺れ、星明かりに照らされる。

 「……咬噛善二。あの男には、まだ――借りがあるの」

 静かにそう告げると、彼女は踵を返し、建物の影へと歩み去った。

 残されたのは、風に揺れるポニーテールで結われた黒いリボンの残光だけだった。

 ピックルは小さく息を吐いた。

 「……やっぱり善二だったわね。あいつってほんとに、トラブルを引き寄せる天才だわ」

 《う〜ん。悪い人には見えなかったけどな〜》

 二人の嘆息が重なる。


 善二は噴水広場のベンチにもたれかかり、薄暗い空をぼんやりと仰いでいた。水面に映る月光が揺らめき、彼の赤い髪を淡く照らす。

 「……てっぺんか。……興味はねーけど、やるしかないよな」

 呟きは風に溶け、遠くの鐘の音と混じって消える。

 握りしめた拳には、決意という名の熱が宿っていた。それは、自ら選んだ覚悟を焼きつけるような静かな炎だった。

 ――その時。

 「……見つけた。咬噛善二……」

 背後から女の声が降ってきた。

 唐突な呼びかけにも、善二の瞳は一切の怯みを見せない。視線を向けた先、そこには一人の女が立っていた。

 (――女? 転生者か?)心の中で勘ぐる。

 セーラー服にロングスカート、オレンジに染まった髪色。その場違いな姿が、この世界の住人でないことを雄弁に物語っている。

 「どちらさんで?」

 軽く肩をすくめて返す善二に、女の唇がわずかに震えた。

 「――っ⁉ ……忘れたの?」

 その声は怒りと悲しみをないまぜにしていた。赤く塗られた唇が、わずかに噛み締められる。

 「前の世界で会ったこと、あったか?」

 善二の問いかけに、女の表情が一変する。その瞳には確かな憎悪の色が宿っていた。

 「――‼︎ オマエ……!」

 吐き捨てるような声は、鋼のように低く響く。

 「いや、知り合いならごめん! 俺ってすぐ忘れるタチでさ。名前言ってくれたら思い出すかもしれないから教えてくれ」

 焦りもなく、むしろ飄々とした善二。その余裕が、女の感情に火をつけた。

 「……城之内美柑じょうのうちみかん

 怒りを押し殺しながら、その名を告げる。

 「じょうのうち……みかん?」

 善二は反復し、記憶を掘り起こそうとするが――

 「……わりぃ、やっぱ知らん」

 その言葉が決定打だった。

 瞬間、美柑の体が閃光のように動く。空気が裂ける音と共に、鋭い蹴りが善二の顔面を襲う。

 「うわっ、あっぶね!」

 反射的に身を屈め、ベンチを蹴って飛び退く善二。

 木製の背もたれが粉々に砕け散った。

 「いきなりなにすんだ!」

 「忘れたなら――思い出させてあげる!」

 美柑が跳躍する。

 ロングスカートの裾が風を裂き、回転と共に踵が唸りを上げた。

 善二は即座に腕を交差し、直撃を防ぐ。

 だが、衝撃は凄まじく――地面を叩く音が炸裂し、噴水の水が宙に散った。

 突風が広場を駆け抜け、周囲の木々をなぎ倒す。石畳には深い亀裂が走り、悲鳴を上げた人々が蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。

 それでも、ひとりだけ逃げずに残った者がいた。

 ――スキル鑑定士。

 皺だらけの顔に、奇妙な笑みを浮かべながら呟く。

 「ほぉ……これがヤンキー同士の戦いか。いいもの見せてもらえるねぇ……」

 その目は、恐怖ではなく――純粋な興奮に輝いていた。

 「ちょっと待てよ! 本気でわかんねーんだって! だから普通に教えてくれ!」

 善二は両腕の痺れを振り払うようにぶんぶんと振り回した。

 だが、美柑の怒りは一片も収まらない。

 「――問答無用ッ!」

 咆哮と共に、彼女の身体が風を裂いた。

 次の瞬間、疾風のような回し蹴りが善二の脇腹を襲う。

 「ぐっ……はっ!」

 鈍い衝撃と共に血飛沫が宙を舞い、月光に赤く弧を描く。

 (……くそっ、あばらが何本かいったな……)

 だが善二は吹き飛ばされながらも、空中で身体をひねり、砂煙を散らしながら片膝をついて着地した。

 痛みを堪え、口角を上げる。

 「……あのさ、俺は――女には絶対に手を出さねーんだよ。だから気の済むまでやれ」

 その言葉と共に、善二は両手をだらりと下げ、完全なノーガードの姿勢を取る。

 その無防備な背中には、暴力ではなく覚悟の匂いが漂っていた。

 「……甘いわね」

 美柑は低く呟く。

 「……そこは、私も一緒」

 言葉と共に風が静まり、ロングスカートの裾がふわりと落ち着く。鋭かった瞳の炎が、わずかに揺らめいた。

 「――アンタ、鷲尾って知ってるでしょ」

 その名を聞いた瞬間、善二の表情が一変した。

 「……っ! なんでお前が鷲尾を知ってんだ?」

 美柑の唇が震える。

 「そいつの下っ端と……アタシは因縁があってね」

 その声音には、怒りでも復讐でもない――痛みが滲んでいた。

 やがて、美柑は静かに過去を語り始める。


 ――前の世界での出来事。

 美柑は【常光詩女子高等学校】通称――ジョシジョシに通っていた。地元でも名門と呼ばれるお嬢様校。そこにいても、彼女はどこか異彩を放っていた。

 成績は常にトップ、容姿も非の打ち所がなく、誰もが振り返る美貌。けれど、その完璧さの裏には、閉塞と孤独があった。

 周囲と同じであることが何よりも息苦しかった。

 与えられた未来を歩かされることが、何よりも恐ろしかった。だから彼女は、髪を染め、制服を改造し、誰も真似できない自分を選んだ。

 それが――新たな美柑としての始まりだった。

 だが、そんな反逆が一人の男の目に留まる。

 鷲尾――隣町の戦草寺高校を支配する不良グループの頭。彼女は知らず、その世界へと足を踏み入れる事件が起きる。

 ――ある日、美柑の親しい友人の【佐藤いちご】からの電話に怒りを滲ませていた。

 しかし、それは彼女の運命を狂わせる夜となる。

 いつも明るい親友の声が、その夜だけは違っていた。

 電話越しに分かる泣き声に混じる震え――そして言葉『しんちゃんに殴られた……頭から血が出てるの……』

 それはいちごの恋人である【更科心時(さらしなしんじ)】に暴力を受け、頭から血が出ているとのこと。

 受話器を握る美柑の指先が白くなる。

 「ふざけんな……!」

 次の瞬間にはもう、彼女の足は夜の街を蹴っていた。

 ――だが、その先に待っていたのは、地獄だった。

 埠頭の中――倉庫裏の薄暗い路地。酒と煙草の臭いが混じり合い、そこには十人近い男たちがたむろしていた。くだらない笑い声、缶の転がる音。

 その真ん中に、何もなかったかのように笑ういちごがいた。

 「――おい! いちご、これはどういうことだよ……」

 美柑の声は怒りと困惑で震えていた。

 だが、いちごはまるで別人のように口角を釣り上げる。

 「あっ、美柑がきたよ〜。おいでおいで〜」

 その手には、ビールの缶。アルコールの匂いが辺りに漂う。

 「いちご……オマエ――アタシを騙したのか?」

 絞り出すような問い。しかし、返ってきたのは無邪気な声だった。

 「だって、こうでもしないと美柑来ないでしょ〜。せっかくそんなに可愛い顔してんだから、彼氏作らなきゃダメだよ〜」

 「そうそう、こんだけ美人なら鷲尾さんに気に入られるだろ! よくやったな、いちご」

 そう言って彼女の頭を撫でた男がいた。

 「やだっ、しんちゃん……」

 いちごが甘えた声で抱きついた相手――それが、彼女の恋人、更科心時だった。

 だが、その心時こそが鷲尾の下っ端。そして、この卑劣な罠の仕掛け人だった。

 「――ふざけんなっ! いちご、アンタがそんなヤツだったなんて……!」

 美柑の声が夜に響く。怒りとも悲しみともつかぬ叫び。

 踵を返し、逃げ出そうとした瞬間――

 「おっと、どこ行くんだよ」

 目の前に立ちはだかったのは、見上げるほどの巨体の男だった。

 街灯の光に照らされたその顔。金のネックレス、タトゥー、そして狂気の笑み。

 「へぇ〜、こいつが美柑ちゃんか〜。いいねぇ〜タイプだぜ。へっはっはっ、でかしたな、心時!」

 「あざっす! 鷲尾さん」

 その名を聞いた瞬間、美柑の心臓が冷たく跳ねた。

 鷲尾――地元の不良たちの間で、名を聞くだけで背筋が凍る男。

 奈落に突き落とされたような感覚の中で、美柑は唇を噛み締めた。

 「……っ」

 鷲尾が下卑た笑みを浮かべながら、彼女の腕を掴む。力強く、逃げ場のないほどに。

 「――‼︎」咄嗟に飛び退く美柑。

 「やめろ! それ以上近づいたら、ぶん殴る!」

 「……いや〜たまんねぇな〜。俺ってドMだから、尚更興奮してきたぜ」

 その吐息混じりの声に、背筋を這うような嫌悪が走る。鷲尾の眼が、獲物を見つけた獣のそれに変わっていた。

 「このっ!」

 振り上げた脚が閃光のように走り、鷲尾の顔面を狙う。

 しかし――蹴りは空を裂いた。

 風だけが残り、夜の闇が再び美柑を飲み込んでいく。

 「……でもまぁ、躾はしてやらねぇとなぁ」

 鷲尾の口元が歪むと同時に、アルコール息が夜気を濁らせた。

 次の瞬間、美柑の身体が宙を舞った。乾いた音と共に頬に焼けつくような痛みが走る。

 「――っ!」

 左頬を伝う血が、夜の闇に朱を滲ませた。

 (コイツ……女でも容赦しねぇのか……)

 美柑の胸に冷たい戦慄が広がる。抗えば抗うほど、現実の残酷さが牙を剥いてきた。

 「とりあえず、その綺麗な御御足を――拝ませてもらおうか」

 鷲尾の手が伸びる。獣のような笑みと共に、美柑の足首が乱暴に掴まれた。スカートが一瞬でたくし上げられ、冷たい夜風が肌を撫でる。

 「やめろっ……離せっ!」

 必死にスカートを押さえつけようとするが、巨体の腕力の前では、その抵抗など紙のように脆かった。

 生地が裂ける音。太腿にまで走る亀裂と、羞恥が心を焼く。

 (くそっ……! こんなヤツに……!)

 その瞬間――

 「ぐっ……ぶはっ⁉︎」

 乾いた破裂音が夜を裂いた。鷲尾の身体が、まるで見えない拳に撃ち抜かれたかのように吹き飛んだ。鈍い衝突音が夜の路地に響き、砂煙が舞い、周囲の男たちは一瞬何が起きたのか理解できず、息を呑む。

 その中央に、赤髪の男が立っていた。

 学ラン。幅広のボンタン。そして、炎のように逆立つ赤い髪。その男は、ただ一言も発さずに――夜風の中、ゆっくりと顎を上げた。

 街灯の逆光を背負い、乱れた学ランの裾が風に揺れる。

 表情は影に隠れて見えない。だが、その目だけが――確かに怒りの火を宿していた。

 「……てめぇ、どこのもんだ」

 歯を軋ませながら立ち上がる鷲尾。血の滲んだ口元を拭い、拳を鳴らしながらにじり寄る。

 善二は一歩も動かない。その瞳は氷のように静まり返り、拳をゆっくり握りしめるたび、関節が鳴る音が夜に溶けた。

 「……そこの女に、何してやがった?」

 低く抑えた声。怒鳴りもしない、淡々とした響き――だが、底に潜む熱が異様に重い。その一言で、鷲尾の背筋がわずかに粟立った。

 「ハッ、見りゃわかんだろ? 女の――」言葉の続きは、拳で遮られた。

 善二の拳が一直線に鷲尾の顎をとらえ、鈍い音とともに、巨体がよろめき、壁へと崩れ落ちる。

 「ぐっ……がはっ……!」

 鷲尾は歯を食いしばりながら立ち上がろうとするが、テンプルを打ち込まれ、足がふらつき、視界が歪む。それでもなお、唾を吐き捨てるように笑った。

 「……てめぇ、いいパンチすんじゃねぇか……!」

 善二は静かに近づき、鷲尾を睨み据える。

 「俺はな……女を殴る男が、この世で一番嫌ぇなんだよ」

 その声には怒鳴りも力みもない。ただ、真っすぐな信念だけがあった。

 鷲尾が最後の意地で拳を振り上げた瞬間、善二の体が自然に反応した。半身をひねり、顎を狙って放たれた一撃。空気が裂け、鈍い音が響く。

 鷲尾の身体が数歩よろめき、崩れ落ちるように地面に倒れ込んだ。


 静寂。

 逃げ出していた周囲の不良たちが、息を潜めて見つめている。風が止まり、遠くで犬の鳴き声が聞こえた。

 善二は拳を下ろし、荒い息を整えながらその場に立ち尽くした。手の甲に残る血と痛みが、現実を突きつける。

 「……チッ、やっぱ、こういうのは気分わりぃな」

 呟きながら、美柑の方へ歩み寄る。

 倒れ込んでいた彼女の傍に膝をつき、手を差し出した。

 「大丈夫か?」その声は驚くほど優しく、

 街灯の下で見上げたその横顔には、確かに光が宿っていた。

だが、美柑は顔を背けるようにして言い放った。

「――だっ、大丈夫だよ! 余計なことしやがって……アタシ一人でも……」

 そこまで言うと、言葉が喉に詰まり、声が出なくなった。張りつめた強がりの奥で、何かが崩れそうになっていたからだ。

 「……そっか、余計なことしたな」

 赤髪の男は静かに差し出していた手を引っ込めた。その仕草には、怒りも後悔もなかった。ただ――少しだけ、寂しさが滲んでいた。

 「鷲尾さんっ! 大丈夫っすか⁉︎」

 血相を変えて、地面に転がっている男に駆け寄ったのは、いちごの彼氏――更科心時だった。

 倒れた鷲尾を見て、怒りの矛先を善二に向ける。

 「テメェ! 鷲尾さんにこんなことして、タダで済むと思ってんのか⁉︎」

 善二は眉ひとつ動かさず、ただ短く答えた。

 「……知らねぇよ。文句あんなら、いつでも相手してやる」

 「へぇ……それなら名前、言えるよな?」心時の目が細くなる。

 「……和泉高の咬噛善二だ」

 名を口にする善二の声音は低く、迷いがなかった。

 その名を聞いた瞬間、心時の口元にゆがんだ笑みが浮かぶ。

 「余裕ってやつか……。その余裕が命取りにならなきゃいいがな」

 背後に漂う不穏な気配。

 その中で、美柑は黙って善二の背中を見つめていた。

 (……和泉高の、咬噛……)

 その名を、そしてその背中を――無意識のうちに心に刻みつけていた。

 「おいっ、アンタ……借りは必ず返す」

 美柑の言葉に、善二は肩越しに一瞥をくれる。

 「別に借したつもりはねぇよ。……とりあえず、ここに長居すんのは危ねぇだろ」そう言って再び手を差し出す。

 しばしの沈黙のあと、美柑は俯きながらその手を取った。

 力強く引き上げられた瞬間、自分の中の何かが音を立てて変わっていくのを感じた。

 二人は無言のまま、背後の喧騒を背に歩き出す。

 道中も終始無言の二人。

 やがて、車のライトが流れる明るい通りへ出る。夜風が頬を撫で、遠くで信号の電子音が鳴った。

 「……ここまでくれば、大丈夫だろ?」

 善二がそう言うと、美柑は小さく息を呑み、か細い声で、やっと言葉を返した。

 「――あっ……ありがとう」それは、夜風に溶けて消えるほどの声。だが、確かに届いていた。

 「じゃあな」短く言い残し、善二は歩き去ろうとしたが、不意の言葉がその足を止める。

 「ちょっと待って! あ……アタシの名前は――城之内……みっ……美柑」

 「そっか――覚えておくよ」善二はそう告げると、再び歩き出す。

 その背中が闇に溶けて見えなくなるまで、美柑はただ立ち尽くしていた。

 ――これが、二人の最初の邂逅だった。

 そして、美柑はその夜、初めて知った。

 誰かが本気で怒ってくれることが、こんなにも優しく胸を熱くするのだと。


 ――それから数日後。

 放課後のチャイムが鳴り終える頃、美柑は一人、校門をあとにしていた。

 向かう先は、あの日、自分を救った少年――咬噛善二の通う和泉高校。

 (もう一度……会って話したい)

 その想いだけが、彼女を突き動かしていた。

 だが、彼の学校は自分の通うジョシジョシから電車で三十分。

 ホームに立ち、夕暮れの風に髪をなびかせながら、彼にかけるべき言葉を何度も心の中で繰り返す。

 「……ありがとう」

 「……あの時、怖かった」

 「……助けてくれて、うれしかった」

 どの言葉も、伝えようとするたびに胸が詰まった。気づけば、電車の車輪が止まり、目的の駅名がアナウンスされていた。

 外へ出ると、空はすでに夜の帷を降ろしていた。スマホの地図を頼りに、河川敷へと足を進める。川面に映る街灯の光が、揺れながら伸びていた。

 その時――。

 前方から複数の人影が見えた。

 不良グループ。そして、その中心に――見覚えのある金髪頭。

 (――あれは……鷲尾⁉︎ なんでこんな所に……)反射的に、美柑は土手の影へと身を潜めた。

 風に混じって、連中の低い声が届く。

 「おい、心時! さすがにアレはやりすぎだろ! アイツが死んだら、ケジメはテメェがつけろよ!」

 (……死んだら?)心臓が一拍、痛みのように跳ねた。

 その言葉が、耳の奥で何度も反響する。

 彼らの足音が遠ざかるのを待ち、美柑は息を切らしながら、彼らの来た道を辿った。夜の河川敷を駆け抜ける足音が、冷たい風に吸い込まれていく。

 そして――見つけた。

 「……っ!」

 街灯の明かりが照らす草むらに、血に染まった学ラン。

 うつ伏せに倒れている咬噛善二。

 その傍らには、小さな子犬が寄り添うように横たわっていた。

 「――はっ……!」美柑の呼吸が乱れる。目の前の光景を拒むように、足が止まった。

 それでも震える膝を押さえ、一歩、また一歩と近づく。

 やがて、膝が地を打った。

 「……おい……咬噛……返事しろよ……」

 その声は、風よりも弱かった。

 しかし、どれだけ呼びかけても、返る言葉はない。

 夜気が冷たく、川面の音だけが響いていた。

 彼女の前にあったのは――すでに事切れた、二つの命の抜け殻だけだった。


 やがて風が止む。

 ただ、川面を撫でる微かな波音だけが、夜の沈黙を縫っていた。

 美柑は震える手を伸ばし、善二の隣に膝をつく。

  その顔は穏やかで――まるで、誰かの夢を見ているようだった。

「……なんで、こんな……」喉の奥で押し殺した声が漏れる。

 胸の奥が焼けるように痛い。涙は出なかった。ただ、息を吸うたびに心が軋んだ。

 ふと、美柑の目に映ったのは、彼の右手だった。血に濡れ、無骨な指先が漢を語る。

 ――その手が、自分を救った。

 ――その拳が、あの日、闇を打ち砕いた。

 美柑はそっと、その拳を握った。冷たかった。けれど、その奥にまだ、熱が――確かに残っていた。

 「……やっぱり、アンタ……馬鹿だよ……」震える唇が、かすかに笑みの形を作る。

 頬に一滴、ようやく涙が伝った。それは後悔でも哀しみでもない。

 ――感謝の涙だった。

 彼の拳を包んだまま、美柑は空を仰ぐ。夜空には、無数の星が瞬いていた。まるで、彼の魂がそこに昇っていくのを見送るように。

 「アタシ……どうしたら……教えてよ咬噛」

 誰に届くでもないその言葉を、夜風が静かに攫っていった。

 やがて、美柑の手の中から、善二の拳の温もりが完全に消える。

 それでも彼女は、いつまでも離さなかった。

 ――その拳が、自分の中の何かを、確かに燃やした気がしたから。

 だが、その誓いは、あっけなく瓦解した。

 背後から冷たい気配が這い上がる。空気が一瞬、凍り付いたように感じられた。

 「あれっ? オマエ……美柑って言ってたか?」

 振り向くとそこには、忘れ去りたくとも忘れられない顔だった。時間が濃縮されたような表情――それは確かに、あの夜の記憶そのものだった。

 「更科心時……」

 「おいおい、フルネームで呼ぶなよ。心時――でいいぜ」

 不気味に口角を吊り上げるその男は、笑いの隙間に死の匂いを含んでいた。その目は冷たく、まるで他人の運命を弄ぶために生まれてきたようだ。

 「オマエ……なんでここに!」

 美柑の眉間に深い皺が刻まれる。驚きと怒りと、以前のいちごとの、あの記憶が混じり合っていた。

 (こいつは、いちごの……)

 美柑にはあの夜の出来事である首謀者が、コイツであるとわかっていた。

 「身構えんなって。……そこの咬噛の様子を見に来ただけだよ」

 心時はヘラヘラと薄ら笑いを浮かべ、みるみる距離を詰めてくる。

 足音が土へと軽やかに落ちるたび、彼女の背筋に冷や汗が滲む。

 「――それ以上来るな! きたらぶっ飛ばす!」

 「敵意剥き出しだな〜。野獣かよ――おっかねぇ」そう言い終えるや否や、心時はポケットからバタフライナイフを滑らせ取り出した。

 刃先にはすでに赤い痕がこびりついている。

 光が反射して、鋭く光る。

 「――⁉︎ そのナイフ……まさかオマエが…・」

 言葉が走るように吐かれ、血の気が一気に引いていくのがわかった。

 「そうだよん。そこに転がってるヤツはオレが刺したのさ――アハハハッ」

 狂ったように笑う心時の声が、夜の闇に不気味に冴え渡る。その笑いは、軽薄ながら残酷さを含んでいた。

 美柑の胸の中で何かが砕け散った。

 「オマエーーーー‼︎」

 喉の奥がはち切れんばかりに叫ぶと、彼女は我が身を顧みず飛びかかった。

 ヒールを履いたままの跳躍は野性的で、足は鋭く振り抜かれた。

 だがその蹴りも心時の頬をかすめる程度に終わる。

 「……あぶねーな。テメー……マジで死ぬか?」

 心時の声は低く、くぐもっていた。そこには笑いではなく、確かな殺意が宿っていた。

 美柑の胸は高鳴り、世界が一瞬だけ狭まる。

 夜風が吹き抜け、刃物の冷たさと人の熱が混ざり合った。

 ――刹那、美柑は低い姿勢から素早く距離を詰めた。

 だが、目の前にあったはずの心時の影は、忽然と消えていた。

 「残念だったな……オマエもここで終わりだ」

 いつの間にか背後に回り込んでいた心時は、ぎらりと冷たく光るナイフを握りしめたまま、美柑の脇腹へ深く突き刺した。刃の冷たさが肉を裂き、鋭い痛覚が全身を貫く。

 「なっ、……なんで。いつの間に後ろに」

 視界が追っていたはずの存在が、なぜ気づかれずに背後へ回れるのか。理屈が追いつかない恐怖が、彼女の肢体を硬直させる。鼓動が早鐘のように鳴り、世界の輪郭が歪んでいく。

 「ぐふっ!」鮮烈な衝撃とともに、喉から血が溢れ出す。オレンジの髪が震え、夜の空気に赤い粒がちらついた。

 「そりゃ致命傷だな――クククッ」

 心時の笑いは薄ら寒く、残酷な余裕に満ちていた。人の命を弄ぶ彼の声音が、夜の静寂に刺さる。

 美柑は悔恨と怒りと無力感に押し潰されそうになりながら、その場に膝をついた。血の温もりが手のひらを染め、足元の世界が遠のいていく。

 意識が暗闇に沈む寸前、ひとつの思念だけがはっきりと残った――この巨悪だけは、絶対に許さないという、消えない信念が。



 ――そして現在。

 美柑は、あの日の一部始終を震える声で善二に打ち明け終えた。夜の広場は静まり返り、二人の息づかいだけが柔らかく響く。

 「……なるほど――思い出したよ」

 善二は静かに頷き、言葉一つひとつを反芻するように耳を傾けた。過去の断片が脳裏でゆっくりと拼ながれていく。

 「……でもな……そこに俺を攻撃してくる意味がわからねぇーよ! 恨みがあるならわかる。けど、それは俺じゃなくない?」

 善二の声には混乱と苛立ちが混ざる。記憶の齟齬が、今の状況をさらに歪めていた。

 「忘れられたのが気に食わない……のよ」

 美柑は息を整えながら、言葉をぎこちなく絞り出す。頬は赤らみ、恥ずかしさと強がりが薄く透けて見える。

 「だからって、殺気放ちながら攻撃するかよ」

 善二は眉を寄せる。彼の口調は多少投げやりだが、その内側には心配と苛立ちが溶け込んでいる。

 「アンタなら軽く躱わすと思ったから……つい熱くなって」

 美柑の声音は弱く、どこか恥ずかしさを孕んでいた。

 「……いや、ギリだったけどね」善二は顔を引きつらせて苦笑する。

 あの夜の生々しい痛みが、二人の距離を一瞬だけ縮めた。

 「――だが、更科心時……あの野郎、女にまで手を出しやがったのかよ! クソ野郎が……!」

 拳をぎゅっと握りしめ、善二の血管が浮き上がる。唇を噛みしめ、今すぐにでもぶちのめしたい欲求を必死で抑え込んでいた。

 「アタシだって、アイツの顔面にヒールの痕を残したいわよ。でも今となっては、それも叶わない」

 美柑の表情が陰る。復讐の渇望と喪失の冷たさが、その横顔に影を落とす。

 「まだあきらめるには早いぜ! なんせなんでも願いを叶えてくる龍がいるみたいだからな」

 善二の声が跳ね上がる。言葉は荒くとも、その奥には本気の期待が揺れていた。

 「――っ! なんでも願いを叶える龍?」美柑が重ねて繰り返す。語感に驚きが混ざる。

 「……って、それ――ドラ◯ンボールじゃん」

 不意に二人とも苦笑交じりにツッコミを入れる。緊張の隙間に、ほんの一瞬の軽さが差し込む。

 「言ってくれるな――察するんだ」

 善二は半ば呆れたように返すが、その瞳は真剣だ。

 「だから俺は願う――生き返って現世に戻らせてくれと!」

 その言葉は力強く、確かな決意が宿っていた。

 「そうか! それならアイツに復讐できる!」

 美柑の瞳に、希望の光が戻る。その希望が彼女の内側で小さく瞬いた。

 「それで? その龍はどこにいるの?」

 美柑は善二の隣に腰を下ろし、まるで戦友と肩を並べたような表情で問いかけた。

 善二はベンチの背にもたれ、ピックルから聞いた話を淡々と語る。


 「四大陸の番長を倒す……ね」美柑は顎に指を添え、眉をひそめた。

 「……あのさ――番長っていつの時代設定なのよ――ここは」

 「俺だって知らねーよ! 転生者をヤンキー、女ならスケバンって呼ぶ世界だからな……」

 そう言いながら、善二はふと何かを思い出したように言葉を切る。

 「そういや〜お前さ――」

 「オマエじゃなく、名前で呼んでくんない?」遮るように美柑が言う。

 「は? なっ、名前? 城之内?」

 「上の名前は堅苦しいから、下でいいよ」

 「……みっ……美柑」

 「――っ!」

 お互い下の名前で呼び慣れていないのか、言葉を交わした瞬間、二人はなぜか同時に視線を逸らした。顔が火照るのを誤魔化すように、互いにまったく別の方向を見る。

 「そっ、それで? 何を言おうとしたのよ」

 美柑が咳払いを一つ挟み、話を戻す。

 「あぁ、――こっちに来たってことは美柑にもウォッチャーがいるんじゃないか?」

 「監視者のことね。――いるわ。アンタの後ろに」

 「……え?」善二は思わず振り返る。

 そこにはてんとう虫を彷彿とさせるような生物が、ふわりと羽ばたいていた。

 「うわっ! いつの間に」善二は反射的にベンチから跳びのいた。

 「ごめんなさい、ビックリさせるつもりはなかったのです」

 柔らかな声で話すそれは、上品な仕草でお辞儀をする。

 「はじめまして、私は美柑のウォッチャー――禍虫族のテンテンと申します」

 善二の顔ほどの小さな体ながら、姿形は人間の女性のようだった。白いワンピースに赤い羽根、その羽には黒い斑点が淡く光を反射している。

 「あっ、あぁ……ずいぶんと礼儀正しいウォッチャーだな」

 「アタシとは正反対なヤツだろ? 清楚で女の子らしい感じでさ」

 「そっ、そうだな。真逆だ」

 その瞬間、美柑の視線が鋭く突き刺さる。

 「はぁ⁉︎ 誰が粗暴な女だよ!」

 「誰もそんなこと言ってないだろ⁉︎」

 二人のやり取りを、テンテンは口元に手を当てながら優しく微笑んで見ていた。

「 まるで夫婦漫才みたいですね」

 『――どこが!』

 声を揃えて反論する二人に、テンテンの羽音だけが軽やかに響いた。

 「で、これからどうすんだ? 目的が同じなら一緒に行くか?」

 思いがけない善二の提案に、美柑の肩がわずかに跳ねる。頬がじわりと赤みを帯び、大きく見開いた目が彼を映す。

 「なっ! ……あっ、アンタがどうしてもって言うんだったら――アタシは別にかまわないけど」

 精一杯の強がりとは裏腹に、声の端には緊張が滲む。

 「どうしてもってわけじゃねーけど、一人で行くより、その方が楽しいだろ」

 善二は曇りのない笑顔で、ごく当たり前のように言ってみせた。

 美柑はほんの一瞬、言葉を失う。その自然体が、妙に胸をざわつかせた。

 「それなら――」

 「善二―‼︎」甲高い声が広場の入り口付近から響き渡った。

 振り返ると、チェリーの背に乗ったピックルがこちらへ向かってくる。

 「おーピックル――どこ行ってたんだ?」

 「どこって、スキル鑑定が長かったから、チェリー連れて散歩に行ってたのよ」

 《ボクは別に行きたいって言ってないんだけどね》

 ピックルがふわりと降り立つと――

 『――⁉︎ あーー‼︎』

 美柑とピックルが同時に叫んだ。

 「オマエたち、もしかして善二のウォッチャーだったのか?」美柑の目が見開く。

 「そうよ。あんたが途中で振り返って行っちゃったから。……べっ、別に隠してたわけでもないし」ピックルは口を窄めてそっぽを向く。

 それを見た美柑は、「チッ」と小さく舌打ちした。

 「なんだ――お前らすでに会ってたのか。なら話は早い! ピックル、これからこの美柑が同行することになった」

 「――はぁ⁉︎」ピックルの声が見事に裏返り、広場全体に響いた。

 「なっ、アタシはまだなにも――」言い終える前に、善二は「腹減った」の一言を残し、さっさと歩き出す。

 「……まっ、あいつの決断したことなら、ウォッチャーの私は別にかまわないわ」ピックルが肩をすくめる。

 「……ん〜」美柑は腕を組み、にらみつつ天を仰ぐ。

 「別にいいんじゃないかしら? 彼の言ったように目的は一緒なんだし」テンテンが穏やかに補足する。

 「あら? あんたがこの女のウォッチャーなの? 見たところ禍虫族みたいだけど」

 「はじめまして。可愛らしい妖精族のウォッチャーさん」

 「可愛らしいなんて……ホントのこと言われても〜」ふにゃりと頬を染めるピックル。

 《――ねぇ、善二行っちゃうよ》すかさずチェリーが冷静な一言を放つ。

 「それでは、意見がまとまったところで、私たちもいきましょうか?」

 テンテンは小さく羽ばたきながら促した。

 「おいっ、アタシはまだ……」言いかけた瞬間、既に全員が善二の背を追って歩き出していたことに気づく。

 「……あ〜くそっ! ……まぁ、いいか」頬を染めつつも、どこか嬉しげに美柑は溜息をつき、小走りでその背中を追いかけた。


 ――レストラン【バーミガストン】

 磨き込まれた床と整然と並ぶテーブル席。宿場町には似つかわしくないほど洒落た雰囲気が漂っていた。

 「なんだ――あんな居酒屋みたいのより、まともな店あんじゃねーか」

 席に腰を下ろすなり、善二がぽつりと呟く。

 「ここは新しくできた店ね。前回のヤンキーの時にはなかったから」

 ピックルは興味深そうに店内を見まわし、壁の装飾や照明に目を泳がせている。

 全員がメニューを一通り確認し、呼び鈴を鳴らす。

 「んじゃ、俺はハンバーグステーキの照り焼きソースで」

 先陣を切るように、善二が店員へ告げる。

 「それじゃー私は……キノコとスライムのドリアにしようかしら」

 「スライムって、あのスライムか? それって食べて大丈夫なのか?」思わず目を丸くする善二。

 「当たり前でしょ。食えない物出してどうするのよ。これは食用スライムを使ってるから大丈夫なのよ」

 「スライムに食用とかあんのかよ……」善二は呆れ顔で目を細めた。居酒屋で食した物が前世と変わりなかったため、こちらの世界でもそれが当然と思っていたからだ。

 続いて美柑の番。

 「アタシは――グリーンスネークの蒲焼御膳、ブルースネークの茶碗蒸し付きで」

 「おめーはゲテモノ好きか⁉︎」

 予想外のチョイスに善二は椅子ごとひっくり返りそうになる。

 「それでは私は――“俊敏なる怪鳥のダンスはそよ風のごとく”でお願いいたします」

 テンテンはまるで詩でも紡ぐかのように優雅な口調で告げた。

 「一人だけ優雅だな! そんなもの載ってたか? 天天のそれは何なんだ?」

 「簡単に言いますと、バジリスクのもも肉をミントで味付けしたものになりますね」テンテンは柔和に微笑む。

 それを聞いた瞬間――善二の中で嫌な予感が再燃した。

 「あの……店員さん――ハンバーグの肉ってなんの肉なの?」

 「そちらで使用されております肉は、国産ミノタウロスの胸肉にございます」

 「…………」善二は両手で頭を抱え、ぐらりとテーブルへ突っ伏した。

 (なんで俺だけファンタジーらしからぬメニューを選んだ気でいたんだ……)


 ――数分後。

 テーブルに彩り豊かな料理がずらりと並び、立ち上る香気が食欲を一気に加速させていく。

 仲間たちは早速舌鼓を打つ中――ただ一人、善二だけがミノタウロス製のハンバーグを凝視していた。

 「……これ、美味いのか?」

 未知の肉に対する警戒心が、眉間に深い皺を刻ませる。

 その隣で、美柑が盛大に感嘆の息を吐いた。

 「なにこれ……! 旨すぎる! 噛んだ瞬間に香りが広がって、身がとろける! ほら善二、アンタも早く食え、世界の色が変わるぞ!」

 蒲焼――というより芸術的な鰻重のような蛇重を貪欲に頬張りながら、至福の表情を浮かべる美柑。

 (……少しは女らしく食い方を考えろよ)善二は心の中でだけツッコんだ。

 一方のピックルも負けじと夢中だった。

 「はぁぁ〜っ……っんまい! このスライムドリア、濃厚クリームの奥から野草の旨味がふわ〜っと来るのよっ。無限に食べられるわね……!」

 妖精とは思えぬ勢いで小さなスプーンを躍らせる姿を横目に――善二は観念したようにナイフを持ち上げる。

 刃が肉へ沈む瞬間――”じゅわり”と音を立てて、琥珀色の肉汁がとろりと溢れ出す。

 香ばしい匂いを前に、思わず生唾が喉を鳴らした。

 一片を口へ運び――目を閉じた瞬間。

 「……ふんぐっ‼︎」その表情が弾ける。

 「こっ……こいつぁ――とんでもなく旨ぇ……! 肉が舌に触れた瞬間に溶けやがる! 濃厚なのにくどくねぇ! こんな化け物級ハンバーグ、人生で初めてだぁぁぁ!!」

 店内中が振り返るほどの爆音リアクション。

 「ちょっと! 恥ずかしいじゃない! 静かに食べなさいってば!」

 制止しようとしたピックルは慌てすぎてスプーンを取り落とし、皿の端にクリームを散らした。

 善二の雄叫びがレストランの空気を震わせた瞬間――周囲のテーブルが一斉にざわめき始めた。

 「おい……ミノタウロスの肉であんな顔できるか?」

 「普通あれ、筋張って硬いはずだろ……」

 「噂のヤンキーじゃねーか? あの食べっぷり……只者じゃねぇ」

 店全体が一瞬で緊張と好奇心に包まれる。ひそひそ話しながらも視線だけはこちらへ突き刺さり、中にはスマホ――に似たこの世界独自の録画板【ルクスプレート】を向けてくる客までいた。

 ピックルは頭を抱え、耳まで真っ赤にしながら言葉を噛みしめる。

 「だから恥ずかしいって言ってるでしょ……あぁもう、目立ちすぎよあんた!」

 しかし当の本人――善二はというと、そんな視線すら気にする素振りもない。

 むしろハンバーグをもう一切れ運びながら頬を緩ませる。

 「……いやマジで幸せだなこれ。食った瞬間、人生の疲れが溶けてく……」

 呆れと感服が半々に混ざった美柑が、箸を止めて肩を竦める。

 「褒め方がもう告白レベルなのよね……」

 テンテンは微笑みながらグラスを手にし、柔らかく頷いた。

 「生命を奪う戦いだけがこの世界の全てではなく、こうして舌鼓を打つ時間もまた旅の祝福……ということですね」

 「……悪くねぇな。この世界の飯」

 善二がぽつりと呟いたその一言は、ひとつの宣言のように響いた。


 全員が食事を終え、まったりと余韻を味わっていた頃。別卓の客たちの盛り上がっている声が耳へと届く。

 「おい、知ってるか? 今年も例のヤンキー同士の戦い【ボンタン狩り】が始まるらしいぜ」

 「マジか⁉︎ 場所はどこだよ?」

 「クレイジータウンだ」

 「ってことは……別名【体育館裏】って呼ばれてる、あのイかれた町か」

 「ああ、ひと月後には腕に自信のあるヤンキー共が集まるだろうな。あそこは元々スラム化してて、壊そうが燃やそうが文句言う奴はいねぇしな」

 善二は耳をそばだて、目を閉じて考え込む。

 「……なぁ、なんでクレイジータウンが別名――体育館裏なんだよ」

 「それも察し――じゃないの?」

 美柑は追加注文していた、ホワイトスライムのパフェを嬉々として頬張りながら答える。

 陰鬱に聞こえる俗称が、妙に生々しい。

 さらに噂話は続いた。

 「しかも今年はよ――番長四天王のひとり、【鴉丸狂人からすまる きょうじ】が参加するらしいぜ」

 「アイツか……人間をサンドバッグにする趣味のぶっ飛んだヤツだろ」

 「見に行きてぇけど……巻き込まれて死ぬのはゴメンだな」

 「どうせアイツの一人勝ちだ」

 その一言に、善二の眉がぴくりと跳ね上がり――次の瞬間、勢いよく立ち上がる。

 「面白そうだな。早速、番長の一人をブッ倒せるってわけか! なぁ、その続き詳しく聞かせろや」赤髪を揺らしながら、善二は噂話の卓へと突っ込む。

 突然の乱入に客が目を丸くした。

 「あん? なんだ兄ちゃん。やっぱヤンキーか。ってことは参加する気か」

 「その前にひとつ聞く。四天王って、本当にそんなに強ぇのか?」

 「強ぇなんてもんじゃねぇ。一つの大陸を治めた怪物級だ」

 背後から美柑が追いつく。

 「アンタ――まさか参加するつもり?」

 「もちろん! 面白そうじゃねーか! お前はやらないのか?」

 「アタシは女よ。そもそもボンタンを履いてないでしょ」

 「あぁ、たしかに」まるで合点がいったとばかりに頷く善二。

 「――よっしゃ、ワクワクしてきたな! 早速行こうぜ!」

 鼻息荒く退店する善二。

 光の速さで置いて行かれた会計係と化したピックルは、伝票を掴んで慌ててレジへ。

 他の面々は半ば呆れ顔のまま善二の背を追う。

 「――善二! 本当に場所わかってんの⁉︎」

 美柑の指摘に、善二はようやく足を止める。

 「あっ……」と間抜けな返答。

 支払いを終えたピックルが、戻ってきて頬をわずかに引きつらせる。

 「まったく……クレイジータウンはこの町から東よ。考え無しにも程があるわ」

 「……東か。悪ぃ、案内頼む」

 方向すら知らなかった善二に、一同は揃って深いため息。

 「――あれ? チェリーは?」

 ピックルの一言で皆の視線が散る。

 「そういやぁ、飯の最中から見なかった気が……」

 善二がそう呟いたところへ――レストラン脇の路地からひょっこりとチェリーが姿を見せた。

 《ごめん、ちょっと可愛い女子犬がいたから、つい追いかけちゃった》

 「……やっぱお前、雄だな! 飯より女とは」善二はいやらしい目つきでにやりと笑う。

 「まったく……善二といい、チェリーといい、本気で手がかかるわね」ピックルは腕を組み、わざとらしく肩を落とした。

 その様子を意味深に見つめているテンテン。

 「そんじゃ、行くぞ! ボンタン狩りへ!」

 勢いのまま歩き出す善二を先頭に、一行は町の東へ進み始める――。


 ――道中。

 夜風を切りながら歩く一行の中で、美柑がふと善二へ問いかける。

 「そういえばアンタのそのスカジャン、それって最初から着てんのか?」

 「ああ、これか。これはでっけー三つ首の犬を倒したら手に入ったんだ」

 「――⁉︎ アンタそれ……ケルベロスじゃないの?」

 「――確かそんな名前だったな」

 美柑の足取りが止まる。その眼差しに驚愕と、わずかな戦慄が混じった。

 「……四大獣禍族の一体じゃん! アンタよく倒せたね」

 「う〜ん……俺の力ってより、出会った時にはすでに弱ってたらしい。上代龍平とかってヤツがそんなこと言ってたわ」

 「――‼︎ 上代龍平……」

 その名を聞いた瞬間、美柑の表情から血の気が引く。

 ようやく合点がいった――善二の羽織るスカジャンの禍々しい格の正体。

 あの獣を追い詰めたのが――上代龍平であること。

 「ん? なんだ? ヤツのこと知ってんのか?」善二も異変に気づき、訝しげに眉を寄せる。

 「知ってるさ……アイツと戦ったからね」

 「――マジか⁉︎ あの野郎、女に手を出したのか」

 「先に手を出したのはアタシの方だから」

 「だからって――」言いかけた言葉を、美柑が切り裂くように遮った。

 「アンタも甘いこと言ってんじゃねーよ! アタシが女だからって弱いとでも思ってんのか⁉︎ もしそうなら、それは優しさじゃなく舐めてるってことだよ!」

 怒りを孕んだ瞳が、真正面から善二を射抜く。

 感情よりも――誇りだった。

 善二は短く息を吸い、眉根を寄せたまま言葉を選ぶ。

 「……そんなつもりじゃなかったんだが、気を悪くしたなら謝る――悪ぃ」

 真正面からの謝罪。それは回避でも弁解でもない。一度噛み締めた上で差し出したものだった。

 美柑の瞳がわずかに揺れる。

 「……いいさ。それがあんたの性格なんだろ」視線をそらし、息を吐く。怒気は消えたが、胸の奥の棘だけがまだ燻る。

 善二は話を戻した。

 「で、上代とやってどうなったんだ?」

 「……まぁ~正直、手も足も出なかった。鳩尾に一発くらって気絶さ」

 「一発……」善二は眉を潜め、先ほどの広場での一戦を脳裏に再生する。

 ――美柑は弱くない。避けるのに精一杯だった自分が、その実力を誰より知っている。

 (それを一撃で沈めた……上代龍平……)

 好奇心とも違う。単なる敵意でもない。ぐつぐつと煮え立つ得体の知れない感情が、善二の内側でうねりを上げた。

 それは――この世界で初めて感じた明確な格の差だった。

 そして、善二の闘志が静かに、だが確実に燃え始める。

 「そういえば善二――あんたメンチ切りはできるのよね?」

 唐突な問いに、善二は当然だろと言いたげな顔を返す。

 「ちょっとアタシとやらない? これは喧嘩の初手として当たり前のことだから」

 「……ん〜、まぁ美柑がいいなら」

 気乗り半分でボンタンのポケットに手を突っ込み、足を少し開く善二。

 一方で美柑は数歩後ろへと間合いを取った。

 それを見て、善二は首を傾げる。

 「おいっ、メンチ切るんだったら普通近づくだろ? 逆に距離取ってどうすんだよ」

 「――はぁ? アンタ死にたいの? 避けれる自信でもあるの?」

 「避けるって――そんなダセぇことするわけないだろ」

 「なら始めるわよ――」宣告と同時、美柑の瞳が妖しく光芒を放つ。

 次の瞬間――

 “ビシュンッ!”

 一条の閃光が鋭利な弾丸のように善二の顔面を掠めた。

 「――んなっ!」

 横っ飛びの勢いで避けた善二の頬には冷や汗が伝い、顔色は一瞬で蒼白になる。

 「……なんだこりゃー!」


 地面に正座させられた善二の前で、美柑は呆れ顔を隠そうともしない。

 「まさかメンチビームを使えないなんて……アンタ、上代龍平以外のヤンキーと出会わなくてよかったわね」

 「メンチビームって……ゲームじゃあるまいし……」

 「――あん? 何かいった?」

 「いえ……なにも」(今の直撃してたら顎ごと吹っ飛んでたな……)

 そこからしばらくの間――説教が落雷のように降り注いだ。

 どうやらメンチビームは、この世界でのヤンキーの初歩スキルであり、ウォッチャーが転生者に最初に叩き込むべき基礎中の基礎らしい。

 テンテンも眉を顰めて言う。

 「ピックルちゃん――教えなかったの?」

 「……あ、うっかりしてました」

 転生導入のマニュアルすら完全に忘れていたらしい。

 《はぁ〜、呆れるね》

 「コラ! バカ犬! 殴るわよ」

 チェリーとの犬猿の仲は、こうして今日も健在である。

 「ちなみに実力差が歴然の場合、もうメンチの時点で勝負がつくわ」

 美柑が言うと、善二はなるほどと言わんばかりに、赤べこよろしく首を上下に揺らすしかなかった。


ここまで読んでいただきありがとうございます!

ついに登場しました、スケバン!

ヤンキーが異世界でてっぺんを目指すなら、こういう存在もいてほしい……ということで登場してもらいました。

善二とはまた違う信念を持つ彼女が、今後どんな形で物語に関わってくるのか。

バトルなのか、共闘なのか、それとももっと厄介な関係になるのか。

次回以降も楽しんでいただけたら嬉しいです!

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