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忽雨  作者: ゆきのひ
二章 二人
16/26

16話 欲望

どこかでカラスが鳴いた。


夕方。先に目を覚ましたのは晴だった。

膝が痺れている。動けない、でも動きたくなかった。

規則正しい寝息を立てる晶の顔を見下ろし、そっと前髪をよけた。

綺麗な顔...猫みたいだ。起きている時のあの軽い笑顔が消えると、こんなにも幼く見える。

晴にはそれが、自分と同じ種類のものに映った。


「…ん、おはよう」

微笑む「膝、感覚ない」

「あ!ごめんっ......」ぱっと起き上がり、よろけて壁にもたれた。

「いい。起こしたくなかった」

「...ありがとう」照れ臭そうに晶が笑う。


ぐう、と間抜けな音が響いて、晴がお腹を押さえる

ぐう、晶もお腹を押さえる

──二重奏だった


「へへ」

晴が恥ずかしそうにお腹をさすった。

「買い物、いこっか」

と晶が言い、晴が頷いて言う。

「冷蔵庫もまだないけど」

「あぁ...」

現実に引き戻された。家はある。お金もある。しかし、生活用品が何もなかった。


近所のホームセンターまで徒歩10分。カートを押す晴と、その後ろをふらふらついていく晶。新婚の買い出しみたいだなと、晴は頬を赤らめた。


カゴにフライパンを入れながら晴が言う。

「包丁っている?」

「うん」

そう言った晶の脳裏に、何度か死にたくてそれを取り出した経験が蘇る。

晴は三徳包丁を手に取って刃を見ている。

「よく切れそう」

「そうだね」

(それ使って傷つけてほしい、晴のことも傷つけたい)

.....は、今何考えてた?一瞬、晶の中で何かがぶれた。思考と記憶の境目。包丁の銀色が視界にちらつく。

....幸せに、流されたいはずだと自分に言い聞かせた。


晴が振り返る。

「晶さん?」

「ん?」

何事も無かったように返事する。晶は、取り繕うのが上手すぎた。


晴は、じっと見た。何かを読み取ろうとするように。

けれど、読めなかった。

「大丈夫?」

「うん、いこう~」

と晶が笑う。


それから二人は皿を選び、箸を二膳揃え、バスタオル1枚と、タオルを四枚を買った。カップ麺とパンも買った。歯ブラシのコーナーで、色違いを一つずつ取る。

「ほんとに夫婦みたいだね♩」

と晶が微笑むと、晴はまた赤くなってしまった。


「今日、雨降るかな」

レジで袋詰めしながら晴が言った。

「降ってほしいな...」

晶が変わらない声で言った。まだ降ってもいない雨に、いつも死への希望を託している。

晴にはその言葉の本当の意味が分かる。雨に閉じ込められたいのではない。世界が閉じることを願っている。

いつか、願わずにいられる日が来るのだと、これからの幸せな日々を想像してしまった。


「帰ろう」晴が歩き出そうとする。

「うん、手。」晶が手を差し出した。

お互いの空いた手で、恋人繋ぎをする。


帰り道、空は曇っていた。まだ雨は落ちてこない。

繋いだ手に少し力を込めた。

「ん?」

晶が不思議そうに振り向く。晴が前を見たまま言う。

「どこにも行かない」

「うん。...ずっといっしょ」

消えそうな雰囲気のまま晶がそう応えた。


ぽつり。一滴がアスファルトに落ちる。

二人は空を見上げた。

「降ってきた」

「...うれしい」

と晶が笑う。

傘なんて持っていない、買ったものが濡れてしまう。

「走ろう」

晴は手を離さず走り出す。


晶は手の力を緩め、ゆっくり歩く。

晴は握っていた手に引かれて、足を止めた。

雨が二人を叩く。買い物袋から水滴が落ちている。

何も言わず晶を見ると、晶が口を開く。


「俺...幸せ。なのに、ずっと死にたい...どうしよう....晴くんが幸せに生きられるかもしれないのに、おれ、今もずっと一緒に死にたいままだ....」


濡れながら、晶の声を静かに聞いていた。

雨脚が強くなる。通行人が傘を差して追い抜いていく中、二人だけが立ち止まっている。


晴が一歩近づいて言う。

「一緒に死ぬのは、まだ取っておこう」


晶が首を横に振る。

「おきたい...けど、死んで欲しくないのに、殺しちゃうかもしれない...一緒にいない方がいいかもしれないのに、傍にいないのとか考えられない...これは...愛なのかな」


雨の中で晶に向き合った。

「愛だと思う」

そう言って自分の胸に手を当てる。

「僕の中にもある。同じ形かはわからないけど」


「きっと、同じじゃ、ない...」

苦しそうな顔で晶が続ける。

「俺のは、ぐちゃぐちゃで、汚くて、晴くんのとは全然違う。だから......逃げて。」


晴は動かなかった。

「逃げない」

「....じゃあ一緒に、雨に打たれたい...」

「うん、ずっと」

そう言って、びしょ濡れのまま晶を抱き締めた。


「うぅううう......」

抱きしめ返せずに晶は泣いた。


雨は二人に平等に降り注いだ。区別なく、差別なく。同じ温度、同じ速度で。


──晶の中の苦しみが、この雨に溶けて流れればいいのに。


そう都合よくはいかないことを、晴も知っていた。

抱きしめ返せない腕を気にせずに、ただ抱きしめている。


「...あいして....」

雨音に消えそうな晶の声を聞き逃さなかった。

「愛してる」

「ぅう"ーーっ..愛して...もっと...いっぱい...俺の中...いっぱいにして.....」


額を合わせる。息がかかる距離

「愛してる。晶。僕の全部で」


「うう"ううううっっすき、晴っだいすきっ」

そう言って抱きしめ返す。


やっと抱き返してくれた腕の力は、痛いくらい強かった。でも離さない。離れたくない。

雨の中、二人は動けなかった。買い物袋が水たまりに浸かっている。通り過ぎる人影はもうない。


「ごめん...びしょびしょ...」

申し訳なさそうに晶が言う。

晴は、自分たちを見下ろした。

「帰ろっか」

「…うん」

と晶は名残惜しそうに頷く。雨との別れを惜しむように。


───


びしょ濡れで帰宅した。鍵を閉めた瞬間、二人同時に笑い出した。玄関に水溜まりができている。


靴下を脱ぎながら

「....一緒に、お風呂」と晶が言う。


それを聞いて、顔に血が上るのが自分でもわかった。


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