シエロ・プラティナの罪 ①
暫くシエロ視点の過去編が続きます
物心ついた時には母はいなかった。シエロを産んだ母は幼い頃に亡くなったらしい。大きな屋敷には父とその正妻、腹違いの兄が二人に沢山の使用人がいた。
シエロは小さな部屋を与えられて、そこに籠っていることが多かった。部屋を出ると兄たちに殴られたり、追いかけ回されたりするからだ。使用人は最低限の世話をしてくれたが、誰も兄たちから助けてはくれなかった。
父は家を空けていることが多かったが、シエロに親切だった。お菓子をくれたり、外に連れ出しては衣服を買い与えてくれたり、他家とのお茶会にもよく連れられた。
他家の中でも、父の知人だというスーペルノヴァ家はシエロの家よりもずっと広かった。
そして、シエロはそこで運命の人に出会った。
シエロと同じ歳だという少女は、真夜中に見上げる空のように暗い髪色に反して、生命を溢れさせたような赤い瞳を持っていた。吊り目の瞳はシエロを見定めるように真っ直ぐと射貫く。
「お初にお目にかかります。スーペルノヴァ家の長女、ミレディア・スーペルノヴァです」
その強い瞳に、シエロはとっさに俯いた。
「お父様、私はこの子と庭で遊んできます」
ミレディアの父が頷くと同時に、少女はシエロの手を取った。軽やかな足取りは迷いなく広い屋敷を進んでいき、大きな扉から外へ出る。
目の前に広がっていたのは燦々と輝く太陽の光を受けて広がる庭園だった。色とりどりの花々は視界いっぱいに広がり、開けた場所には繊細な装飾を施された白いテーブルと椅子が置かれている。
「きれい」
「そうでしょう? 庭師がいつも手入れをしてくれているんです」
案内しましょう、そう言って少女の手がシエロを導いた。繋がった手が、目の前を歩く少女の背が、シエロの不安や躊躇を取り除く。
「これはウサギのトピアリーです」
「ウサギ?」
「ああ、見たことがないんですね。ウチで飼っているから、見に行きましょう」
シエロは話すのが得意じゃない。それは兄たちに大声で怒鳴られて殴られる理由でもあった。怯えて蹲ることしかできないシエロを、兄たちは弱虫だと言った。
少女はシエロに返事を求めなかった。手を引いた少女に連れられた屋敷内の部屋には、数羽のウサギがいた。少女が膝をついたので、シエロも同じように屈む。
「屋外で飼われていて環境がよくなかったから、室内に移動させてもらいました。
毛並みもよくて、元気そうでしょう」
ぴょんぴょんと元気いっぱいに跳ねているウサギを見ていると、自然と気持ちが緩んでいった。
「うん、かわいい」
「貴方も笑った顔はかわいらしいです。無理に笑う必要はありませんが……今が辛くても、この先に楽しいことはいっぱいありますよ」
ウサギは少女を信頼しているのだろう、ぴょんと膝に飛び乗った。少女はシエロの手を離して、ウサギをふわりと優しく撫でる。
「触りますか?」
シエロが何も言えないで、それでもそっと手を伸ばせば。少女の手がシエロに触れて、ウサギへと導いていく。
「この子たちは人間よりも弱い、優しくしてあげてください」
ミレディアの手がシエロを支えて、指先にふわりとした感触が触れる。そのまま小さくて柔らかい生き物をそっと撫でる。シエロを支えていたミレディアの手がそっと離れていく。
「上手です、そのままどうぞ」
シエロはずっとウサギのふわふわの頭や身体を撫でていた。少女は時折そこは触らないようにと言って、それ以外は何も言わなかった。
「あっ」
ぴょんと跳んだウサギが少女の膝から離れて、他のウサギたちの下へ行く。少女はゆっくりと立ち上がった。
「ウサギも飽きるものですよ。貴方だってずっと撫でられるのは嫌でしょう」
シエロは少女の言葉に応えられない。撫でられた記憶がないから、それが嫌かどうかなんて分からない。
強気な顔立ちの少女は、シエロに向かって困っているような、笑っているような顔をした。
「いつか、きっと貴方にも撫でてくれる人が出来ますよ。
今が辛くて苦しくても大人になれば自由になる、道はいつか開けます……なんて、今言われたってしょうがないですよね」
少女の手がシエロの頭へと伸ばされて、咄嗟に両手で頭を庇った。
「あっ、その……ごめんなさい」
シエロがたどたどしく謝ると少女は酷く悲しそうに微笑んだ。
「いえ、私の方こそはしたないことをしました。改めて聞きましょう、触れても構いませんか?」
シエロは応えられない、いつもそうだ。何も言えないシエロに、少女は何もしない。
だから、二人は向かい合ったままで、周りをウサギだけが動き回っている。
「……い、いたい?」
数分か、数十分か。長い時間の後で、シエロがやっと紡げた言葉は要領を得ない。けれど、少女は笑った。
「あら、私のようなか弱い少女に力があるとでも? けれど、そうですね。
今この時に貴方を傷つけないと、スーペルノヴァ家の長女ミレディアとして誓いましょう」
部屋中に響くような強く透き通った声だった。初めからそうだ、この少女はずっとはっきりと喋る。それなのに兄たちと違って怖くなかった。
「うん」
だから、自然とシエロは頷いていた。そっと近寄ってきた少女が手を挙げて、その手がシエロの頭に触れる。そして、ウサギにそうしたように優しく撫でていく。
「どうです、飽きるでしょう?」
「……全然、あきない」
何度も少女の柔くて優しい手がシエロの頭を撫でていく。優しくて温かいそれが触れたところが熱をもつ。シエロにとって初めてのものは、外から聞こえた足音と共に離れていった。
「お父様には内緒にしてください。殿方にこうして触れるのは、はしたないことですから」
少女はそっと唇の前に人差し指を立てた。二人がいた部屋に使用人が入ってきて、探したのだと言っていた。少女は微笑んで、シエロを見る。
「お父様たちの所に戻りましょう」
少女はシエロの前を歩くけれど、時折振り返ってはシエロが付いてきているか見てくれた。
だから、シエロはこの少女は自分を見捨てないだろうと思った。




