一番迷惑なこと
シエロ・プラティナという男は、ミレディアより力という点だけ勝っていた。それは性別や体格によるもので、覆せない生まれつきのものだ。日光を浴びて宝石に劣らない輝きを放つ髪や瞳もそう、生まれ持った美貌だ。
但し、前世のシエロ、ミレディアが出会ったばかりのシエロは自分の才能を否定していた。シエロは前世で正妻の子どもではなかったから、腹違いの兄たちによく虐められていた。
乙女ゲームである『マリアージュ♡ラブ』において、ゲーム本編の悪役令嬢ミレディア・スーペルノヴァは幼少期にシエロ・プラティナの外見に一目ぼれをして無理やりに婚約していた。
ゲーム本編のミレディア・スーペルノヴァは非常に性格が悪かったので、本編のシエロ・プラティナはそんな悪役令嬢から離れたいと思っていた。
家の立場で動けない状態だった彼は、乙女ゲームヒロインのアンジュに恋をして、悪役令嬢であるミレディア・スーペルノヴァがアンジュを虐めたことを口実に婚約を破棄する。
けれど、それはゲーム本編の話である。
前世のミレディアはシエロに婚約を無理に強いたつもりはなかったし、婚約を望んだのは二人の生家だ。ミレディアの両親はシエロを気に入ったし、プラティナ家との縁を欲した。
スーペルノヴァ家の家系図に武勇に優れた一族はいなかったので、多くの騎士を輩出したプラティナ家は丁度よかった。プラティナ家の方も同じ、王族に最も近い公爵家のスーペルノヴァ家との縁を欲した。
政治的な理由での婚約だったが、シエロがアンジュと出会うまで、前世のミレディアはシエロと上手くやれていたと思う。けれど、もしかしたら。それはそう思い込んでいただけなのかもしれない。
「ミリア!」
ミレディアをミリアと呼ぶのは、前世の家族を除けばシエロ・プラティナだけだった。飛び込んできた男は走ってきて、止める間もなくミレディアを掴んでいる柔くて細い女生徒の両手を力づくで振り払った。
「きゃっ」
いきなり両手を振り払われて、女生徒はその場でよろめく。ミレディアはそれを呆然と見ていて、けれど。シエロがその右手を振り上げた瞬間に全力で地面を蹴っていた。
「危ない!!」
女生徒に向かって飛んできたシエロの拳を両手で受け止めて、足を踏ん張る。けれど、この男の全力をミレディアが受け止めきれるはずがなかった。逃しきれない衝撃で後ろに倒れて、尻もちをつく。
「ちっ、この馬鹿力が! 貴方たち、さっさと逃げなさい!」
屋上の硬い床で打った尻は痛いが、だからといって目の前でか弱い女子たちが馬鹿力でボコボコにされるのも忍びない。
立ち上がった時に足に痛みが走る、どうやら拳を受け止めた時に右足をひねったらしい。これだから純粋に力が強い奴というのは嫌なのだ。三人の女生徒たちは驚きすぎて固まっているので、また舌打ちが出てしまう。
「シエロ! 貴方、何をやってるの!? か弱い女性に向かって拳を振り上げるなんて」
自分で言いながらミレディアは、本当に何をやっているのだろうと思う。痛む足を引きずって、女生徒たちを背に庇って前に立つなんて、全く悪役令嬢らしくない。
それでも、これが自分の生き方だって分かっていた。
「ミリア! 今度こそ、絶対に俺が守る!」
「はぁ!? 現在進行形で私は貴方のせいで怪我をしたんですけど!?」
この馬鹿は何を言っているのだろう、全く。やっと状況を理解したのか、女生徒たちは屋上の出入り口へと走っていく。
「おっ、おれのせいで怪我を?」
「自分の馬鹿力を忘れましたか?
幾ら私が一般的な女性よりも強いといっても、いきなり貴方の拳を怪我なしで受け流せる程ではありません」
非常に残念なことに、本気で喧嘩をしたら負けるのはミレディアということになる。まぁ、ミレディアの方がシエロよりずっと頭がいいので、そういう状況になることはない。
「俺はまた、君を守れないどころか……傷つけたのか?」
「もしかして貴方の中でストーカーは傷つけるに入ってませんか?
付きまとわれる時点でとても傷ついていますが」
物理的な傷しか、傷つけるにカウントしていないのだろうか。
本当に今世のシエロは頭が悪い、前世よりずっと。
プラチナの瞳が大きく見開かれる、どうやら当然の事実に本当に驚いているらしい。以前も傷つけているのはシエロ自身だとはっきり伝えたはずだが、人の話を聞いていなかったのだろうか。
「……そうか、俺が、俺の存在がミリアを傷つけるのか。
そうだな、ミリアは強いのに、俺が間違えたから、だから駄目だった。俺がいなくなれば」
「ええ、そうですよ! シエロ、貴方が付きまとわなければ済むだけの話です」
やっとシエロはミレディアの言いたいことが分かったらしい。ミレディアの言葉に無言で頷いたシエロは、ミレディアに背を向けて歩き出す。
「えっ、どこに向かってます? そっち、柵しかありませんが」
意味が分からない。シエロは真っ直ぐに柵へと向かって歩いている。それこそ、投身自殺する人間しかそちらに用はないはずなのに。
一歩、一歩と男は迷いなく歩いている。ミレディアがその意味に気づいて走り出した時には、シエロの身体は柵に触れていた。
「シエロ!!」
ミレディアは傷む足を引きずって必死に走り出す。シエロの身体が柵を越えたその時、ミレディアの両腕がその右腕をしっかりとキャッチした。
「おりゃっあああ!!」
淑女らしくない大声とともに、身体全体を使って思い切りその右腕を引っぱる。シエロは抵抗しなかったのだろう、重たい身体は仰向けで屋上の地面へ投げ出された。
「こっ、この馬鹿!!!!」
全力を使い果たしたミレディアは、額からだらだらと汗を流しながら、肩で息をする。
「……どうして」
シエロが仰向けで転がっているまま問いかけるので、地団駄を踏むように地面に足を打ち付ける。
「このミレディア・スーペルノヴァが、お前が目の前で死のうとするのを許すと思いますか!?
誰がお前に死んでいいと言いましたか!?」
確かに前世のミレディアは、自分よりもヒロインのアンジュを選んだシエロを恨んだし、自分を信じてくれなかった彼に失望もした。
けれど、それは死んでほしかった訳じゃない。前世のミレディアは確かに絶望した、あの瞬間だけは自分の成した全てに意味がなかったと思った。
それでも、ミレディアの両親が、ミレディアを助けてくれた先輩が、スーペルノヴァ家の使用人や領地の人々が、そして、シエロが。大事なもの、大事だったもの、その全てが生きている世界を壊したくなんてなかった。
シエロはミレディアを選ばなかった。けれど、ミレディアの中には初めて会った幼い日のシエロも、一緒に過ごした時間も確かに残っている。それは決して不幸な記憶なんかじゃない。
ミレディアを選ばなかったシエロには二度と会いたくなかった。けれど、それは不幸になってほしかったという訳じゃない。
「ミリア」
眼下にいる宝石のような男の頬に、雨が落ちてく。ぽたぽたと落ちていくそれは、ミレディアが腕で目元を拭うと直ぐに止んだ。
「話しなさい、シエロ」
「でも、ミリアはきっと信じない」
「信じるかどうかは私が決めることです、お前の決めることじゃありません」
ふん、わざとらしくそう言って、ミレディアは横たわったシエロの腹の上に座った。腹筋だけは充分にあるらしく、硬い男の腹は座り心地が悪い。
「お前が話すまで私はここを退きません。お前が何を思ってこの私に付きまとったのか、どうして死のうとしたのか。一から百まで全部話しなさい」
「……重い」
「はあ!? この私は羽のように軽いですが!」
ミレディアが重いなんて、シエロの鍛え方が足りないに決まっている。いっそ、立って両足で踏んづけてやろうか。
「違う、俺の話は重くて引かれる。話さない方がいい、そう言われた」
「それこそ、今更でしょう。お前、一挙一動全てが重い上にドン引きですよ」
ほら、さっさと話しなさい。そう言って体重をかけてやれば、やっとその口は開き始めた。
前世からシエロは説明が下手だから、時間がかかるだろう。貴重な昼休みは刻一刻と消費されている。
話が終わる頃に昼食を食べる時間が残っていることを祈りながら、ミレディアはシエロの話に耳を傾けた。
次回から過去編(シエロ視点の前世回想)が始まります!
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