シエロ・プラティナの罪 ②
少女と出会い、屋敷に帰ってから数日後。シエロの父はシエロに言った。
「シエロ、おめでとう! お前はあの公爵家の長女、ミレディアと結婚することになった。もちろん、結婚は成人してからだが、公爵家だぞ!」
シエロには父が喜んでいることは分かったが、それがどういう意味か分からなかった。
そして、父にはシエロが分かっていないことが、分からない。
「婿養子としてお前はスーペルノヴァ家の一員になるんだ、我が家にとっても栄誉なことだ。
お前もミレディア嬢の婚約者として恥ずかしくないように振舞いなさい、そうだ騎士の訓練もそろそろ始めないとな。
プラティナ家の人間として武功を挙げないと、しっかり者のミレディア嬢に見捨てられるぞ」
やっぱり父の言うことは分からなくて、それでも見捨てられるという部分だけが嫌に耳に残った。優しくて温かった少女、シエロが頑張らないとあの子に見捨てられる。それはとても嫌だった。
婚約の挨拶だと連れられた場所で、シエロは少女に再会した。大人たちが話している間、少女は作り物の微笑みを浮かべて話し、シエロはやっぱり黙っていた。
「お父様、シエロと二人で話してきてもかまいませんか?」
父親に許可をもらった少女は、シエロの側に歩み寄って手をとる。そして、以前のように少女に手を引かれて辿り着いたのは、あの広い庭だった。
花の香りに混ざって少女の匂いがする。兄の汗臭い匂いとも、父の腐った何かのような匂いとも違う。少女からは太陽のような匂いがした。
「シエロ・プラティナ、婚約が嫌なら言いなさい。先日の私の行動は軽率でした、お父様に私と貴方の相性がいいと勘違いをさせてしまいました」
「……婚約」
シエロが黙っていると、少女はその赤の瞳を瞬かせた。
「もしかして、婚約の意味すら教えられていないの? 貴方の家の教育はどうなっているんです」
「……ごめんなさい」
強い言葉に反射的にシエロが謝ると、少女は首を横に振った。
「いえ、責めてはいません。それに、自分が悪くないことで謝るのはおやめなさい。
他人へ貴方を攻撃する口実を与えるだけです」
「……うん」
「本当に分かりました? 自分が悪くない時は謝らない、復唱してみてください」
「自分が悪くない時は謝らない」
言葉をなぞれば、少女は満足そうに頷いた。そして、困ったように目線を庭へと逸らす。どうしましょうか、そう呟いた少女にシエロがかける言葉はなかった。
そして、少女の赤い瞳がシエロを見つめた。
「婚約というのは、大人になったらずっと一緒にいるということです。今の貴方にはそれの是非が、分からないかもしれませんが」
「……うん」
シエロに言葉の重さは分からなくても、目の前の少女が悩んでいることは分かった。ずっと一緒、一緒にいるということ。あの時に触れた温度がそばにあるということ。
それはとてもいいことに思えた。だから、シエロは軽率だった。
「君と一緒なら、いいと思う」
「……そうですか。まあ、暫くはこの私が貴方を守って差し上げましょう」
本当なら逆であるべきだと思う。だって、兄たちはシエロを弱いから誰も守れない、シエロの母が亡くなったのも弱かったからだと言った。兄たちに殴られるばかりのシエロは、確かに弱かった。
「まずは、我が家の家庭教師をシエロにもつけてあげます。勉強なさい。
あとは……貴方の家にもお邪魔しましょうか」
兄たちをボコボコに、そう小さな声で呟いた少女は思い出したように顔を上げた。
「そういえば貴方、私の名前を覚えていますか? 一度も呼んでませんが」
名前を呼ぶ、ただそれだけのことが少しだけ難しかった。シエロはあまり他人の名前を呼んだことがなかった。
「私はミレディア、誇り高きスーペルノヴァ家の長女です。呼びにくければ、婚約している間は家族と同じようにミリアと呼んで構いません」
太陽の下で少女が自らの胸に手を当てて、堂々と名乗る。強くて美しい少女がシエロの瞳に焼きつく。
「ミリア」
たった三文字の言葉はシエロの中に深く馴染んだ。
「ええ、お上手ですよ。シエロ、貴方は今この時よりこの私の婚約者です。
とーっても光栄なことなので、誇り高く生きなさい」
瞳をきゅっと吊り上げて、ミリアが笑う。
「誇り高く?」
「ええ、誇り高く! 誇りだけは捨ててはいけませんよ、譲れないものが一つあればどんな状況でも満足がいく人生になるでしょう」
太陽のように微笑むミリアに首を傾げる。シエロが分からなくても、ミリアは怒らないのだとこの時には分かっていた。
「いつか貴方にも譲れないものが見つかりますよ、きっと」
「うん」
本当はシエロにとって譲れないものはミリアだった。彼女がシエロの全てを作った、全てを導いた。
ミリアだけが夜闇に浮かぶ赤い流星、シエロにとっての導きの星だった。
けれど、馬鹿なこの時のシエロはそれに気づいてなかった。




