シエロという男
ミレディアは放課後や休日にバイトをしている。本来マリアル学園ではバイトが禁止されているが、特待生であるミレディアは特別に許可されている。というか、許可されないとミレディアは生活すらままならなくなる。この世界では中学からバイトが許されているが、小学生は当然働けないので電気が止まることがよくあった。
放課後や休日にバイトをして、バイトがない時は勉強をする。余裕がすごくある時だけスマートフォンでソシャゲをしているけれど、通信制限と無課金ユーザーという厚い壁があるので、偶にしかしていない。
Wi-Fiを家に導入したいところだけれど、あのクソみたいな母親にバレないように少しずつ貯金もしているので、節約は必須だ。母はお金をある分だけ使うし、ミレディアのものを自分のものだと混同している。
スマートフォンに入っている連絡先は母や伯父さんといった身内の他は、バイト先の人間ぐらいで……そう、ミレディアには今世でも友だちがいない。前世は公爵令嬢という立場もあり、ある程度交友関係のある人は多かったけれど、心から信頼できる対等な友人というのはいなかった。
ちなみに、最初の人生でも友だちはいなかった。でも、それは自分の責任というより母が子供の交友関係を制限してくるタイプだったからだ。
つまり、遊ぶ暇があったら勉強しろというタイプで、思い返せば教育虐待に近いものだった。
まあ、その結果成人した娘は失った青春を取り戻すように色んなゲームへ手を出し、最終的には乙女ゲームにハマるのだから、子どもの教育というのは程々にしておいた方がいい。
授業が終わってからバイト先に直行して、高校生が働ける夜10時までミレディアはポテトを揚げ続ける。ミレディアはMのマークが目立つ全国のチェーンのハンバーガー店で概ね週に3回働いている。最初は接客を任されたが、向いていないのでポテト担当に回してもらった。ポテトは熱くて油も飛びやすいから女子に不人気だが、客相手に愛敬を振りまくよりはずっとマシだ。
前世で公爵令嬢をやっていた頃は何とか作り笑いをしていたけれど、今のミレディアは貴族でないので苦手なことを強いられない。ポテト担当以外にバーガー担当も任せられつつあるので、ハンバーガーを一人で作れるようになる日は近い。
賄いを持ち帰りの袋に入れて、ロッカーの荷物を出してから店の正面出口から帰ろうとしたところで、出口のすりガラス越しに銀色の髪が垣間見えた。
ミレディアは静かに引き返して、裏口から出た。これで、正面出口に待ち伏せていたシエロは撒けただろう。というか、あのストーカーはこんな時間まであそこに立っているが何時からいたのだろう。あれだけ目立つ容姿なのだから、先に上がるバイトの先輩にシエロがどこにいるか聞けば、バイトの時間を調節すれば上手く撒けるかもしれない。
少し考えたところでシエロのせいでバイト代が減るのは耐え難いと思い直す。今のミレディアは前世や前々世のように裕福ではない。まあ、前々世は裕福な家庭であっても自由に使える時間はそうなかったのだけれど。
タイムイズマネーというが、今のシエロは時間を無駄に消費している。それこそ前世のシエロなら絶対にこんな行動を取らないはずだ。前世でミレディアが亡くなってから、シエロの頭がおかしくなるような事件でもあったのだろうか。
ミレディアが知っている限り、『マリアージュ♡ラブ』の乙女ゲームは悪役令嬢のミレディア・スーペルノヴァが亡くなってからはハッピーエンドになるはずだ。主人公かつヒロインのアンジュが誰のエンディングに入るかという違いはあるが、『災厄の王』と一体化した悪役令嬢が死ねば、どのルートでもバッドエンドにはならない。
アンジュにフラれた程度でシエロが精神的におかしくなるとは思えない。今のところシエロが直接ミレディアに対して危害を加える様子はないが、付きまとわれるのは迷惑だし、不快だ。
暗い帰り道をミレディアは軽やかに歩いた。なお、途中で出現した露出狂は見なかったことにして帰途につく。
家では晩御飯代わりに賄いのハンバーガーとポテトを食べながら宿題を終わらせて、残ったハンバーガーやサラダを冷蔵庫にしまう。母はスナックの仕事がまだ続いているらしく……マッチングアプリで会った男に会いに行っている訳ではないだろうな?
ミレディアはスマホで母へメッセージを送る。冷蔵庫の中身を温めて食べることを以外に、仕事に行ってるんだろうなと念を押す。
母からの返事はない。ため息をつく。母のことだから今の職場もどうせ長続きはしない。シャワーを浴びて、歯磨きをして、真夜中の2時にやっと眠る。
朝の6時に起きて、身支度を手早く終えてゴミを袋へまとめる。そのままゴミ袋を持って玄関を開ければ……嫌な慣れ方をしてきた。
「邪魔です!」
狭い廊下を占領しているシエロを押しのけて、ゴミ袋をゴミ捨て場に置く。なお、気の利かないシエロは黙ってついてきて、ミレディアを眺めている。
手伝うという器量の良さはこの男にはない。ゴミが散乱したゴミ捨て場の近くに太陽の光を浴びて輝くイケメンがいるのは酷く場違いだ。
生ごみの匂いの中にあっても、シエロ・プラティナという男は清潔感を醸し出している。
「挨拶ぐらいはしたらどうですか」
まあ、ストーカーに発する挨拶をミレディアは持たないが。
「いいのか?」
純金に勝るとも劣らないプラチナの瞳が瞬く、その白磁の肌には薄っすらと隈が出来ていた。
「いい悪いの問題ではないでしょう。というか、昨日はバイト先に来てましたよね?」
「……すまない」
「貴方のような人間が店先に立っていたら、立派な営業妨害ですよ。まず、何時からいて、何時までいたんですか?」
押し黙ったシエロにさっさと答えなさいと追撃する。
「マイザから、君が概ね10時まであそこでバイトをしてると聞いた。だから、9時から日付が変わる頃までいた」
「馬鹿なんですか!?」
それは流石に馬鹿すぎて、ついミレディアは本気で驚く。申し訳なさそうにすまないと謝罪を繰り返した馬鹿に内心で頭を抱える。というか、あの陰険眼鏡は新手のストーカーなんだろうか。
どうして、ミレディアがあそこでバイトをしていると知って……先生方にバイトの許可をもらうための届け出を提出したから、そこから漏れたのだろうか。
校内に信頼できる味方が少ないのは前世から同じではあるが、これは前世よりずっと酷い。
「自分の生活を犠牲にしてまで、貴方は何をやっているんですか」
ミレディアが睨みつければ、シエロはやはり無言だけを返した。前世の幼馴染といえど、何を考えているのかさっぱり分からない。まずもって、前世のシエロはそういうことをする人間ではなかった。
クソ真面目で不器用な男で、だからこそ昔のミレディアはこの男を信頼していた。その信頼もヒロインであるアンジュが登場してからは砕け散った訳だが。
目の前のシエロが前世のミレディアと共に過ごした幼馴染なら、ミレディアが死んだ後にこの男が異常をきたすほどの何かがあったのだろうか。けれど、それが今世のミレディアへのストーカー行為に繋がる理由が分からない。だって、前世のミレディアはシエロたちの前で死んだのだから、関係はそこで終了している。
シエロがストーカーをやめる様子はないし、この男は前世から頑固なところがある。殴り飛ばしてでもどういう目的でミレディアを監視しているのか聞く必要がある。
監視、あの陰険眼鏡や王子様はミレディアを監視しているようにも見える。けれど、シエロはミレディアを『守る』という言葉に執着しているし、嘘をついた様子もない。
行動はストーカーかつ監視だが、目的は『守る』であっているのだろう。
「高校生がバイトできるのは10時まで、それ以降に私が働くことはありません」
「……そうなのか、ありがとう」
「このぐらい調べたら分かることです。陰険眼鏡……周りの人間に聞くのではなく、自分で調べることぐらいなさい」
今の世界ではインターネットにスマートフォンという超絶便利なものがあるのだから、ストーカーをするにしてももっと効率的に出来るはずだ……そもそも付きまとうなという話ではあるのだけれど。
「ああ、ありがとう」
返事とともにプラチナの瞳が一層に輝きを増す。それは涙の膜が張っていた、表面張力を失った一滴の涙が白磁の頬を伝っていく。
「寝不足で情緒不安定になっているみたいなので、今日は付きまとわずに帰りなさい」
正直いって、怖い。ストーカーされている相手にいきなり泣かれるという状況は意味が分からない。シエロ自体が泣いていても絵になるイケメンだから許されているだけで、これがハゲ散らかしたおじさんなら通行人に通報されるだろう。
「いや、帰らない。すまない、懐かしくてつい」
「……会って一週間少しの相手に懐かしいはおかしいでしょう」
こいつ隠す気がないのか? だから、シエロは駄目なのだ。いつも考えていることを隠すことすら出来ない。
ミレディアはため息をついてマリエル学園へ向かって歩き出した。
シエロが前世を覚えているのは確定だ。
その前世がミレディアと一致しているのか、一致していたとしてミレディアが死んでから何があったのか。
この辺りは不確定のままだった。




