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前世の仇

 

 ミレディアは授業を受けながら、鳴りそうになるお腹の音を誤魔化す。朝食は当然抜いてきているし、夕食はバイトの賄いがあれば食べられる程度だ。このマリアル学園において、昼食は食堂でのビッフェ形式で提供されるし、食費は学費に含まれているから特待生のミレディアにとっては無料だ。

 高級ホテルと同程度のビッフェが提供されるので、食費を浮かせられて非常に助かっている。


 ちなみに、前世のマリアル・アカデミアは全寮制であったが、今世は寮自体が存在しない。前世で寮があった場所には、部活動用の体育館や用具入れ、シャワー室に更衣室が設置されている。


 授業が終わると直ぐにミレディアは席を立って食堂へ向かう。当然のようにシエロがついてきているが、無視をするしかない。


 マリアル学園は食堂だけで一棟を使っているので、食堂は非常に広い。全校生徒が一堂に集まるので、広くなくては収まりきらない。あの王子様や陰険眼鏡に見つからないように、ミレディアは髪を結んでから早足で食堂に入る。



 前世ではミレディアの生家ことスーペルノヴァ家は公爵家だった。王国に三家しかない公爵家の中でも、王族の本家筋が途絶えた場合はスーペルノヴァ家が王位を継ぐ程度には王族に近い血筋であった。


 スーペルノヴァ家の本家、ミレディアの両親は子どもに恵まれず、一人娘のミレディアを何とか授かった有様だ。つまり、前世のミレディアは唯一の後継者だった。


 そして、伯爵家の三男であるシエロ・プラティナを婿養子に迎えるために、ミレディアとシエロは婚約をした。ミレディアはいずれスーペルノヴァ家をシエロと共に支えるつもりではあったが、まあ乙女ゲームの悪役令嬢である時点で叶わぬ願いではあった。


 前世の両親はミレディアにとてもよくしてくれた。だから、家を継げなかったという点においてだけは悪いと思っている。元々は現代日本の一般家庭に生まれた身だ、高位貴族なんてものは向いていなかった。

 けれど、向いていないなりに、前世の両親が育ててくれた恩には報いたいと思っていた。彼らはミレディアを自由にしてくれて、何でもやってみなさいと背を押してくれた。人格者であった彼らの下に生まれたのは、幸いなことだった。


 前世のミレディアが亡くなり正当な後継者を失ったことは、スーペルノヴァ家にとって痛手であっただろう。恐らく、その後に親戚筋から養子を迎えてはいるだろうが、前世の我が家が無事に存続していることを祈るばかりだ。



 前世で親ガチャの運を使い果たしてしまったのかもしれない。今世では、いわゆる夜職の母はすぐにお金を使い果たして家賃や水道光熱費に税金を滞納する。子どもの頃はネグレクトに近い状態で育った。自分に前世の記憶があって本当によかった、ミレディアは改めてそう思った。



 食堂には中等部や高等部も含めた全校生徒が集まるため、昼食の時間帯は賑やかだ。どうして中等部と高等部で昼休みの時間をずらさないか理解に苦しむが、学年を超えた交流を推進するためという表向きがあるのだろう。


 ほとんどの生徒が集まるので、あの王子様や陰険眼鏡には見つからずに行けるだろう。同じクラスのストーカーことシエロについては諦めるしかない、煩くないだけでマシだというべきだろうか。


「私と同じものを取るのはやめてください」


 シエロはミレディアに付きまとうだけでなく、ビッフェでわざわざ同じものを自分の皿に盛っていく。


「……すまない」

 珍しく今回は口だけの謝罪ではなかったらしい、次からはミレディアの隣のものを選んでいた。


「違います、貴方が食べるべきものを取るように言っているんです。栄養学は……学んでいないかもしれませんが、運動をするならバランスを考えて食事をとるべきです」


 この学園でどこまで食育を行っているか、ミレディアは知らない。中等部では教えているかもしれないが、少なくとも高等部のカリキュラムには組み込まれていなかった。


「ああ、ありがとう」

 クソ真面目で不器用な男が発した珍しい言葉に、ついミレディアは眉をひそめる。ミレディアの記憶にあるシエロは、もうそういう言葉を言わないはずだった。


 元々は素直に他人の忠告を聞き入れる人間でも、好きな相手が出来れば変わってしまうものだろう。前世のシエロは平民の出身である特待生、所謂乙女ゲームの主人公と関わるようになってから、ミレディアへの態度を変えた。

 婚約者として言うべき言葉を告げているだけだったのに、シエロはミレディアの忠告や注意も拒むようになった。思い返せば、彼への期待があった部分もあるだろう。


 結局、紡いだ言葉は空気を悪くするだけになったので、ミレディアも途中で対話を諦めた。



 まあ、今世ではそもそも話が通じないを通り越して、シエロは犯罪に一歩足を突っ込むような迷惑行為をしているわけだが。これでは前世の方がまだ話が通じたのは? 


 こんもりとお皿に沢山のおかずを盛り終わったミレディアが空いている席を探して座ると、当然のようにシエロはミレディアの隣に座った。普通に考えてそこは向かいに座らないだろうか、ミレディアの向かいの席も空いているのに。


 逐一細かいことを指摘してはこちらが疲れるし、何よりお腹が空いている。いただきます、そう告げてフォークを構えた時に頭上から声が降ってきた。


「ここ、座っていい?」


 皿やカトラリーが並んだトレーを持った男が軽やかに声をかけてくる。


 軽薄な声を前世の女性たちは甘やかだと評していた。朝採れの瑞々しいオレンジとレモンを混ぜたようなハニーイエローの髪に大きくて丸いラズベリーピンクの瞳、幼さを残した顔の輪郭。


 全体的に幼い顔立ちや振る舞いは、他者の庇護欲を刺激する。身長はミレディアより少し低い程度、その顔を見ると自然とミレディアの表情も厳しくなる。


「お引き取りください」

「そう言わないでさ。ボクたち、初対面でしょ」


 ミレディアはこの毒針を隠し持っている男を前世から知っている。前世の自分を陥れた男を忘れる訳がない。


「初めまして、ボクはラクシア・ラトゥーニ、中等部の三年生で生徒会の書記をやってるんだ。よろしく」


 天真爛漫な振りをした男の顔に唾を吐きかけたい気持ちを、食事の席だからと抑える。


「初対面なのにそんなに険しい顔して。もしかして、シエロ君とのデートだった? 先を越されちゃったな」

「失礼を承知の上で、もう一度言います。お引き取りください。

 一目で分かりました、私は貴方と相性が悪い。席は他に空いているでしょう」


 前世でミレディアの悪事の証拠を捏造した奴に振りまく愛想はない。許されるならフォークでその喉元を突き刺している。


「ミレディア嬢は、昔のこと覚えてるんだ?」


 死ねクソが、そう言いたくなるのを抑える。


「意図が分かりません、私には生まれてからこれまでの全ての記憶があります。記憶喪失になったことも、貴方とお会いしたこともありません」

「そっか」


 ラクシア・ラトゥーニは少し残念そうに肩を落として、トレーを持って立ち上がった。


「覚えていたら、昔の間違いを謝りたかったんだけどな。それはこれから態度で示すことにするよ」

 にこやかな男を睨む、この男がどういう悪辣なことを企んでいるのか今のミレディアには把握できない。男は微笑みを浮かべたまま軽く頭を下げて、ミレディアの前から去っていった。


 ラクシア・ラトゥーニが視界から消えただけで、強張った身体の力が抜ける。あの食虫植物のような男はミレディアの天敵で、乙女ゲームの攻略対象の一人だ。



 前世でのラクシアは、伯爵家であるラトゥーニ家の次男だった。マリアル・アカデミアの中等部で主人公たちメインキャラの一歳下。所謂、後輩キャラだ。ラトゥーニ家自体は伯爵家の中でも歴史が浅い、政治手腕によって地位を上げてきた貴族だ。


 ラクシア・ラトゥーニもその血族らしく、誰にでも人懐っこく、いたずらやからかいを混ぜながら接する。けれど、そのお腹は真っ黒だ。ラトゥーニ家の一族に弱みを握られてはいけないという情報は、一部の貴族の間で広まっていた。


 前世のラクシアはその人脈でミレディアの悪行を捏造して陥れた。ラクシアさえいなければ、ミレディアが国を追放されることはなかっただろう。



「……大丈夫か?」

 シエロの言葉にハッとする、つい前世の怒りを思い出して手が震えていた。ミレディアは隣の作り物のようなシエロの顔を見る。この男が自発的に話しかけて来たのは、今世では初めてではないだろうか。


「お見苦しいところを……忘れてください」

「体調が悪いなら、保健室へ連れて行こう」

「結構です」


 ミレディアは前世を利用することはあっても、そんなものに振り回される気は毛頭ない。だから、この年になるまで、こんな風に前世のことで怒ることはなかった。15歳になってから、これほどまで前世の宿敵に会うことになるとは思わなかった。


 ラクシアの他に、今世でまだ会ってない乙女ゲームの攻略対象はもう一人だけいる。所謂先輩キャラにあたり、ミレディアたちの一学年上の先輩だ。ミレディアは前世でその人と関わったことはあるが……ゲームの中でもフラグを立てないと攻略できないようなキャラで、現実でも引きこもりがちの人だったし。何より、恩はあっても恨みはない人だ。


 再会したところで害はないし、会えたら嬉しい方だ。多分、ミレディアが動かなければ会うこともないだろう。



 なお、前世で乙女ゲームの主人公かつヒロインをやっていたアンジュ・セラフは、現時点でこの学園で登場していない。


 特待生という位置では今のミレディアが前世のアンジュと同じ立ち位置になるが、彼女と違って救世の乙女の称号は戴いていない。


 乙女ゲームの主人公かつヒロイン、前世のアンジュは来たる『災厄の王』に対抗する『救世の乙女』に選ばれたので、特待生として『マリアル・アカデミア』の高等部へ特例で入学した。


 ミレディアがまだミレディアでなかった頃、一度目の人生でプレイしていた乙女ゲーム『マリアージュ♡ラブ』は、前世のミレディアが過ごした世界とそっくりだった。悪役令嬢であるミレディアの生き方や死に方はゲーム本編と違ったが、大まかな流れはゲームの通りだった。



 ミレディア・スーペルノヴァは今度こそ、平穏に生きて寿命で死ぬのだ。

 一度目の人生のように不摂生と過労が祟って死んだり、

 二度目の人生のように『災厄の王』と心中したりなんて真っ平ごめんだ。


 三度目の人生、環境は厳しいし、頼れる人も少ない。それでも、ミレディアが前を向き続ける限り、未来は明るい。


 ミレディアはこの時まで、そう信じていた。

 これから立ちはだかる数々の問題を必死の思いで捌いていくことになるのは、

 今のミレディアには思いもつかないことだった。



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