お出かけ日和
5月の連休が明け、休み明けの学生を襲う中間試験にミレディアは勝利した。完璧とはいかないまでも、それなりの手ごたえはあった。これも何だかんだ試験勉強を手伝ってくれたグリモワ先輩のお陰である、足を向けて寝られない。
『プルート』と名付けた『災厄の王』に関しては特に動きはない。浸食は進んでいないと停滞を肯定的に捉えるほかない。未だに頭の中からそれらしき幻聴は聞こえないし、悪夢も見ていない。
前世ではミレディア自身が精神的なショックを受けることがある度に浸食が進んでいた。今世も前世と同じだとは思えないが、暫くは経過観察しかできない。
順調なのは学業と部活動で行っている大陸移動説の根拠固めぐらいだ。
相変わらずシエロはストーカーを続けているし、王子様ことレクスは隙あらば話しかけてくるし、腹黒ことラクシアも妙な動きを見せている。
体育の時間によく話しかけてくる数人の女生徒たちがいる。一緒に組もうとか、シエロと付き合っているのかとか、そういうことを言ってくる子たちは多分ラクシアの息がかかっている。
校舎の裏で彼と親しく話しているところを見かけた。余計な情報は漏らさないようにしているけれど、動きが読めない。
そういえば、体育の時間に嫌味を言ってきた女教師はあれ以来、特にミレディアに文句を言うことはなくなった。顔を青くしてミレディアに謝罪すらしてきた。これも誰かが手を回したのだと思うけれど。
誰がどう動いたところで、今のミレディアには暴力以外に有効な手札がない。友だちも一人しかいないし、情報操作に勝てるほどの権力も人脈もない。
誰がどう動いているかは癖で考えてしまうが、現状打てる手はないので無意味だ。今世では誰かと婚約している訳でもないし、避けたいのは退学ぐらいだ。
正直、国外追放に比べれば、退学は全然致命的ではない。聖女マリアらしき老婆からマリアル学園の案内状を貰わなければ、ミレディアは進学を諦めてどこかの寮住まいの会社で働いていただろう。
放課後に返却されたテスト用紙の点数を携帯にメモしてから、採点済のテスト用紙を通学鞄にしまう。なお、学内の成績順位は昼休みの間に廊下に貼り出されたらしく、こういう所は前時代的だと思う。
個人情報保護の意識はまだ薄いらしい。
人が多くて見るのが大変だったから、ミレディアはまだ自分の順位を確認できてない。ミレディアが席を立つと、当然のようにシエロが近寄ってきた。
「シエロ、貴方は自分の順位を確認しましたか? まさか、赤点はとってませんよね?」
「レクスから俺は123位だと送られてきた、赤点はなかった」
「それは低すぎません? 次からはせめて平均ぐらいは超えないと」
つい婚約者として示しがつかないと続けそうになって、別に婚約していないなと思い直す。
「すまない、次は勉強しておく」
こっちは呆れた声を出しているというのに、シエロはどこか嬉しそうだった。どMにしか見えないからそういう反応をやめてほしい。
ミレディアは通学鞄を持って、教室を出る。元々早足なミレディアに並んでシエロは歩いている。足が長い連中は歩くのが楽そうで羨ましい限りだ。
放課後になったお陰か、貼り出された成績の前にはまばらにしか人がいなかった。自分の名前を探して順位だけを見ると他の生徒の邪魔にならないように廊下から離れる。
「わざわざ成績を貼り出しているのは競争意識を煽るためでしょう。大学は推薦で行くつもりかもしれませんが、最低限の点数ぐらいは採らないと生徒会の一員として示しがつきませんよ。
まあ、貴方が幾ら生徒会の足を引っ張ったところで私には関係ありませんが」
「ミリアはすごい」
冷たい話し方をした自覚はあるのだけれど、どういう意図だとシエロを見る。
「いつもバイトをしているのに、42位になっているのは君が努力しているからだ。そういう君を尊敬している」
「はぁ、それはどうも。私にアドバンテージがあるなら、貴方も同じでしょう」
お互いに前世の記憶があるのだから、シエロも勉強の仕方ぐらいはミレディアと同じように身についているはずだ。
「違う、レクスもミリアより低い。それに学内でバイトをしているのは君だけだ」
「あの人、あの眼鏡にテスト対策してもらっていないんですか。私は生活の次に学業を優先しているだけです、他の方は部活や遊びを優先しているんじゃないですか? よく知りませんが」
シエロがいるせいで、女生徒は基本的にミレディアに近寄らない。正直、近寄りたくない気持ちは分かりすぎる。
他の生徒がどう過ごしているのかは実のところあまり興味がない。他人を羨む暇があったら勉強している方が効率的だ。
「そうじゃない」
悲しそうに口にしたシエロを置いて歩き出す。後ろから追いかけて来たシエロは隣に並んだ。
「私、貴方に褒められるのは好きじゃありません」
「……ごめん」
誰も謝れとは言っていない。つい隣を歩くシエロを睨んでしまう。何が厄介って、シエロは本当に悪いことをしたような顔をしていることだ。
これではまるで八つ当たりをしたみたいで、こちらまでバツが悪くなる。
「順位が一位以外であっても価値を感じません。それに、学内のテストで一位を取ったところで今の私に意味はありませんから」
ミレディアが推薦で進学することは不可能なので、成績は大学入試の指標程度にしかならない。当然、赤点にならない程度、特待生として周囲から馬鹿にされない程度の点数は……いや、これは伝わらないな。
「以前の私の成績を忘れましたか? これは気落ちしかねない程度の点数ですよ」
ハッとしたようにシエロが瞳を瞬かせて、首を横に振った。
「ミリアなら前みたいに、すぐに一位になれる。マイザとは競うことになるかもしれないけど」
「流石に満点と競いたくないんですけど……まあ、その程度は当然ですよ。私も勉強は得意ですから」
一位以外は、満点以外は価値がない? 自分の言葉が呼び水になって、遠い記憶が浮かび上がる。
—――――――――――――――
『実莉愛! このテストはなに、なんで満点がとれないの!? 何でこんな簡単な問題を間違えたわけ!!!』
『ごめんなさい、次は間違えないから』
『謝れば済むと思っているの!? こんなので入試で間違えたらどうする訳!!』
ビリビリという音とともに96点と書かれたテスト用紙が千切れていく、ヒステリックで甲高い叫び声が耳障りだった。
—――――――――――――――
「ミリア!?」
慌てたシエロが両肩を掴んで、こちらをのぞき込んでいる。白金の瞳は相も変わらず綺麗で、くっきりとした二重の瞼に整った鼻筋は憎らしいほどに美しい。
「すみません、少し考え事をしていたみたいで」
シエロの両腕が離れると同時に携帯を開く、時間は一分も経っていなかった。今の日時と思い出した内容をそのまま携帯に記録する。
今まで、こんな風に昔の記憶を思い出すことはなかったし、よりにもよってピンポイントで嫌な記憶を思い出すなんてあり得ない。
元々、脳の構造的に嫌な記憶は忘れやすいはずだ。ショッキングな出来事は別だが、一度目の人生で嫌だったことなんて突然思い出すことはなかった。
ミレディアが災厄の王『プルート』らしき記憶を見たということは逆もあるのかもしれない。『プルート』が自分の古い記憶を辿って、それを見せてきているなんて。
「一位以外は意味がない、は言い過ぎでした。貴方は上位20%ぐらいを目指したらいいかと」
昔の記憶を蘇らせるほどに落ち込んでいる感覚はない。感覚的には、記憶を『見せられている』或いは『共有している』が正しい。
「ミリア、今日は休んだ方がいい。家まで送るから」
「……もしかして白目とかむいてました?」
そんな一発アウトで心配される顔をしていたのだろうか。
「いや、君が固まるなんておかしいから」
「お前、私を何だと思っているんですか? 私だって考え込む時ぐらいありますよ」
口にしながら、ミレディアは歩き出す。
「別に嫌なら来なくてもいいですけど。私一人で本は持てますし、映画だって楽しみにしてたのは私だけみたいだし。シエロは、今からでも自主練でもしてきたらいいんじゃないですか」
部活がないからって、古本屋のバイトを無給で手伝うって言ったくせに。
無責任な奴は嫌いだと振り返って小さく舌を出す。今のミレディアは公爵令嬢ではないので、こんな安い挑発だって出来るのだ。
「行く!! 俺の方が楽しみにしてたし、本だって持つ」
そう言ってシエロは隣に駆け寄ってきた。燦々と輝く太陽に肌が焼ける、歩いていると僅かに汗ばむ程度には暑い。
隣を歩くシエロの頬は紅潮していた。肌が白いと紫外線や熱にも弱そうだ。バイト先についたら水分補給させよう、隣で倒れられたら面倒だ。
ミレディアはシエロの赤く染まった頬を見て、内心で誓った。




