グリモワ・メルクリーオの罪 ⑨
気づけば周囲にはほとんどの人がいなくなっていた。ミレディアの死体もない、分家だか派閥だかの誰かが運んで行ったのだろう。聖堂の中にはすすり泣く声やそれを慰める声だけが残っていた。
グリモワはどこに向かっているのかも分からずに、ふらふらと歩き出した。少なくとも、ここには居たくなかった。
そして、廊下を歩いている時に銀色の男と遭遇した。ミレディアからグリモワに渡すようにと頼まれたという手紙は、手紙と呼べる厚さを優に超えていた。スーパーノヴァ家の印章で封緘されたそれを部室にもって行く。
私物化した歴史研究会の部室に訪れるのは、グリモワ自身を除くとたった一人だった。
部室に入ってくるなり騒がしく喚きたてるあの声を二度と聞くことはない。
彼女が持ち込んだ『災厄の王』の資料は今も部室の一角を占めている。
手紙の封を開ければ一枚の便箋と大量の紙が入っていた。このサイズを手紙というには無理がある。
まずは一番上にあった便箋を開いて読み始める。
『親愛なる知性 グリモワ先輩へ
今の状況ってどうなってますか? 世界、滅びてないといいんですけど。
一先ず、先輩が生きてこれを読んでいることを願って認めています。先輩が生きているのが私のお陰なら、感謝してくださいと言うところですけど。
感謝しないといけないのは、謝罪しないといけないのは、私の方です。
まずは、今まで協力していただきありがとうございました。貴方と研究するのは本当に楽しくて、一人では見つけられない事実を沢山発見できました。
そして、ごめんなさい。『災厄の王』の憑りつかれてからの経過は先輩が未確定って言っていた時に、確定してるんだよなって思っていました。だって、私の中には既に『災厄の王』がいて、嫌なことを頭の中で言ってくる上に、指先まで黒くなってしまって……詳しい事情も話さずに魔槍『グンニグル』の入手まで手伝っていただき、本当にすみません。
感謝の印を沢山送りたいところなんですけれど、私が持っているもので先輩に役立つものが思いつきませんでした。
グリモワ先輩、貴方は私を助けてくれました。そして、世界も救ったようなものです。
なので、自分の知性を堂々とひけらかして、これからも楽しく研究してください。
グリモワ・メルクリーオ様、末筆ながら貴方の幸福を願います。
追伸.個人的に『災厄の王』に憑かれてからの実体験を記録していたので同封しています。
可能な限り客観性を保ったつもりですが、個人的な体験記に留まることをお許しください。
貴方の研究と功績に役立つことを願って』
最後まで読み終わると同時に同封された大量の紙をその場に広げる。
「嘘だろ」
返事をする人はいない。日付順になったそれは、一から十まで丁寧に症状が書かれていた。自分の頭の中に響く『災厄の王』らしき声が言ったことを、自分の精神が正常かの主観的な記載。
自分が恐らく何に精神的なショックを受けて、それによってどれだけ症状が増えたか。
「馬鹿を通り越している、何のためにこんな。ああ、確かに実際に憑かれた人間の記録なんてない、世界に唯一だろうね。けどさ」
一部を読んだだけでも、『災厄の王』の声が彼女自身を徐々に蝕んでいったことが分かる。
「『災厄の王』に憑りつかれても、正気を保って記録する? そんなの君以外に出来る訳がない。こんな、世界中の全員が自分を嫌っているとか、お前は何をやっても無意味だとか、そんなこと言われ続けてなんで君は」
ミレディアがそんなだから、グリモワは彼女が苦しんでいることに気づけなかった。『災厄の王』は器になる人間に憑りついて、絶望へと誘う。器になった人間はその影響で悪行を重ねて。その結果、周囲との関係が断絶していく。
その記載は事実だったのだろう。
自分の頭の中だけに響く声に、世界が悪意に満ちていると言われ続けて、その状態で正常を保つなんて普通は出来る訳がない。
これは『災厄の王』の声だから無視していいなんて、そんな判断を出来る異常な理性を持つのはミレディアだけだ。
頭の中に響く声のせいで眠れなくなっても、魔槍『グンニグル』を手に入れてからは最終手段が自分にはあるからと眠れるようになるなんて。そんなのは決して正常な精神じゃない。
君は純粋な善意によって、馬鹿で愚かな人々を助けていただけなのに。
一番の味方だと思っていた婚約者に理解してもらえず、虐めの主犯だと誤解されて婚約破棄をされる。
その婚約者は第二王子たちと一緒になって、君が国家に反逆しようとしたといって国外追放しようとする。
自分が公爵家だから、強いから。そんな理由で矢面に立って、誤解を解くことも出来ずに、立場と責任に絡めとられていく。
そんな状態で『災厄の王』に抗い続ける。
自分が死ぬことでしか世界は救えない、君はそんな解決策しか見つけられなかったのに、笑っていた。
「ひっ」
小さな嗚咽が口から漏れる、君が命がけで残した貴重な資料が濡れていく。
けれど、それは元からあったシミと一緒だった。
「君だって泣いてたくせに」
あの時、舞踏会で婚約破棄された後で泣いていたくせに。泣いた痕をなかった振りをして、震える手を誤魔化して。そうまでして守る価値なんてこの世界にはないのに。
最初に読んだ私信の便箋をぐしゃりと握りつぶす。
「いいよ、分かったよ。全部まとめるし、世に出してやる。君が何をしたのか、何と抗ったのか。どうして絶望に落ちたのか。全部を正しく、君が救った馬鹿な奴らに理解させてやる」
自分たちが何を犠牲にしたのか、彼らは知るべきだ。こんな、こんな思いまでして救った世界に君自身の傷跡を残すべきだ。だから。
「でも、僕は幸せになんかならない、なってたまるか。君がいない世界で幸せになれる訳がないだろ、どうしてそんな簡単なことも分からないんだよ」
返事はない、分かっている。分かっているから、腕で目元を拭う。
残されたやるべきことが一つだけ出来た。




