グリモワ・メルクリーオの罪 ⑧
『災厄の王と救世の乙女』の研究はついに煮詰まった。春が少し遠い晩冬に成果をまとめたものが完成した。研究したところで未確定の部分はある、例えば『器になった人間はその影響で悪行を重ねる。その結果、周囲との関係が断絶していく』という推測の部分についてだ。
ミレディアはそれを未確定のままで置いておきましょうと言った。
「案外、『災厄の王』が本当に顕現したら分かるかもしれませんしね」
「その時は世界が滅んでない?」
グリモワの言葉に、ミレディアは笑った。
「誰かがえいって『災厄の王』を刺してくれるかも、じゃないですか」
どうだかなとグリモワは返してしまった。彼女の制服のシャツの下には、赤いペンダントの形をした魔槍『グンニグル』が隠されていることをグリモワだけが知っていた。
その頃、生徒会が5年生を聖堂に集めているという情報を耳に入れたのは偶然だった。聖堂は聖女マリアが『災厄の王』と対峙して封印した聖なる場所として残されている。
けれど、当時の建物は取り壊されて、建て直されている。それに『災厄の王と救世の乙女』が古い伝承と成り果てた今では、聖女マリアを崇める人もいない。
この状況で聖堂を使うことに嫌な予感がして、グリモワは他の生徒に混じって聖堂へ向かった。その中にいたアンジュに生徒会らしき人物を紹介されそうになって慌てて隅へと逃げた。
この期に及んでも目立つことは避けたかった。
ミレディアは堂々と聖堂に入って来て、中央に立った。彼女の視線は真っ直ぐにレクス第二王子を射貫いていた。ミレディア・スーペルノヴァ、公爵家の長女であり、『導きの星』とまで呼ばれるほどに他人を救うために努力し続けた後輩。
グリモワにとっては初めての理解者で、最初で最後の友だち。
彼女はこの国の第二王子が言い渡した冤罪に真っ向から反論した。
馬鹿な奴らは、本当に何も考えない木偶の坊の王子様が、ミレディアが王位簒奪なんてものを企てたからと言って、断罪する。
少しでも考える頭があれば、一欠片でも知性があれば、決して間違えない問題を間違える。
「ミレディア・スーペルノヴァ、お前を国外追放する! これは国王陛下の許可を得た、正式な命令だ」
ミレディア、君は愚かな人間を救うべきなんかじゃなかった。だから、この場で歩き出せないグリモワを、君の腕をとって逃げることすら出来ない情けない僕なんかと関わるべきじゃなかった。
ミレディアの強く輝く赤い瞳は、暗く深い絶望に染まった。その証として、瞳からは一滴の涙が零れ落ちた。
その身体から霧状の黒いものが噴き出し、宙に浮いていく。
その姿に全ての辻褄があっていく。彼女が身につけ始めた白い手袋に目の下に出来た隈。
「このままだと……彼女は世界を滅ぼす災厄になる」
ミレディアの手足が黒く染まっていく。ああ、そうかと思って。それでいいと思った。君は世界を滅ぼすべきで、君にはその権利がある。
『はっ、ハハハッ! やっと乗っ取ってやったぞ。絶望しまいと必死に抵抗していたが、お前たちが最後の一押しを成した。その功績に免じて、お前たちを殺すのは最後にしてやろう』
聖堂中に低く恐ろしい声が心を絶望に染め上げる。
「ミレディア・スーペルノヴァの名において、魔槍グンニグルの起動を承認します。目標設定はこの私、ミレディア・スーペルノヴァの心臓」
『なにっ!?』
「災厄の王よ。世界の前に、私と一緒に滅びましょう。」
いつものはっきりとしてよく響く透き通った声が聖堂中に響く。グリモワのような初めから世界に絶望していた人間にすら、希望を見せた彼女の声が全てを覆していく。
『そんな、そんなはずが!? そんなことがあっていいはずがない、世界から見捨てられたんだ! だから、お前は世界を滅ぼすべきだ!』
どうして君はそうなんだろう。誰にも助けられなかったくせに、それでも世界を救おうとする。
確実に起動した魔槍『グンニグル』がミレディアを殺す。こんなことのために渡したんじゃないのに。
彼女の死体はどさりと地面に落ちた。ミレディアの死体へと歩み寄る。自分の中にある理性と知性が現実を口にする。
「ミレディア・スーパーノヴァ、君は世界を救った。災厄の王に取りつかれ絶望へと誘われても、絶望に抗い続けた。その上で、自らが絶望に落ちた時のために魔槍グンニグルを用意した。
そして、災厄と成り果てる前に自らを魔槍グンニグルで刺し殺すことで、災厄の王を滅ぼした」
口にしたことで全てを理解して、全部が反転していく。
舞踏会の夜で震えた君の両手は、自分が死ぬことを恐れていた。そうすることでしか世界を救えないと、その事実を認めたくないと身体が言っていた。
魔槍『グンニグル』が必要だと言った時に、笑って安心したのは自分が最期まで人でいられると思ったから? そんなの、そんなのってないじゃないか。
「でも、だからなに!? 僕が、君が魔槍をこんなことに使うって知ってたなら、絶対に渡さなかった!! 君が、災厄の王に憑かれたなんて知ってたら、絶対に、絶対に! 災厄と化している途中で死んだら滅ぼせるなんて言わなかった!」
今まで出したようなことのない声が響く。
「災厄の誘いは正気で耐えられるものなんかじゃない、気づいたら君は孤立して、そんなの絶望するに決まってるだろ! だったら、世界ぐらい滅ぼして見せろよ! どうして、魔槍グンニグルなんか使ったんだ!」
息が切れる、そのまま力が抜けていく。僕が君に教えていなければ、手を貸してなければ、口から漏れた後悔は全部が全部、今更だった。君は死んだ。だから全てには意味がなかった。
初めて会ってから、これまでの君の全部が勝手に頭の中で繰り返される。君が自分で自分の首を絞めていくことなんて、分かっていたのに、知っていたのに。
僕が君を止められなかったから、行動できなかったら、気づけなかったから、理解しきれなかったから、『災厄の王』に成り果てる前に死ぬことが解決だと伝えてしまったから、死ぬための手段を与えてしまったから。
だから、ミレディア・スーペルノヴァは、最初で最後の友だちは死んだ。グリモワは自分の手で彼女を殺した。
友だちが死ぬまでの道筋を整えたのは自分自身だった。
グリモワ先輩の過去編は後2話で終わります




