グリモワ・メルクリーオの罪 ⑤
山のように積み重なった資料、それを一枚ずつ手に取っては翻訳をして、要点だけを紙にまとめていく。ミレディアは週に数回は部室に来ては必死に翻訳と要約をしていた。
なお、その目元には隈を化粧で隠した痕があった。
それでも、これは翻訳のお礼と言いながら菓子を持ち込んでいた。
「そういえば、例のアンジュ・セラフと会ったよ」
「ええ、どうでした? 好きになりました?」
「予め聞いてなかったら危なかったかもね。血統や生育環境に特筆すべき点はなし、『救世の乙女』と判別された方法も不明。老婆から入学許可証を貰ったぐらいしか有益な情報はなかったよ」
グリモワは話しながらも翻訳を続けているし、それはミレディアも同じだった。お互いの視線は各自の資料にしか向けられてない。
「先生方も『救世の乙女』は学園長が選ぶ、学園長が何なのかは分からないとおっしゃっていましたね。多分、その老婆が学園長なんでしょうけれど」
『マリアル・アカデミア』の学園長、その正体を誰も知らない。学園長といっても実質な権限はない。ただ、学園長が『救世の乙女』を選ぶ。どういう条件で選ばれたか分からないけれど。
アンジュ・セラフにその素質は本当にあるのだろうか。
「君は、あの子に世界が救えると思った?」
「多分、無理かと。そもそも、ただの女の子に背負わせる重荷じゃないですよ」
ミレディアは特に悩まずに即答した。だから、グリモワは最初にミレディアが言ったことを今更に思い出す。
ミレディアは本当に、『災厄の王』へ『救世の乙女』以外で対抗する手段がないのかと思って研究をしている。
『災厄の王』が世界を滅ぼす、それを本当にあり得ることだと思って、彼女だけがそれに本気で反抗しようとしている。
「そっか。君は人にはよく寝ろやら食べろやら言うくせに、自分は無茶するよね」
「乙女の顔をじっと見て隠し事を暴くのは礼儀に欠くことだと思いません? それに、手を動かしてた方が落ち着くんですよ」
ぴたりとミレディアの手が止まる、そして見つけたと言った。
「なに?」
「見つけましたよ、先輩。『災厄の王』は器となる人間に入り込む? いや、現代語訳なら憑依、憑りつくか」
「見せて」
立ち上がって駆け寄ると、確かに大昔の研究者が遺した記録にはそう書かれていた。少し離れたところにいるミレディアは、呻きのような声を上げる。
「憑りついて、その人間を媒介に現世に顕現する、か」
グリモワが読み上げると、彼女は嫌そうに自分の髪を掻き分けた。
「媒介ね。器の条件とか、その対象がいなくなったらどうなるかとかは書かれてませんね」
「実例が少ない上に、数百年規模で間隔が空くから、仮説も実証もできなかったんだろうね」
珍しく落胆で顔を伏せる彼女に、いつものことでしょと告げる。研究なんてものは直ぐに結果が出ることの方が珍しい。確かに、そう言ってすぐに顔を上げた。いつも前向きな発言しかしないミレディアの珍しい落ち込みは、長くは持続しなかったようだ。
さっさと続きを解読し始めたミレディアは、次の瞬間には難しい顔をした。
「器となったら、悪行を重ねる? 悪行ね、ちなみに私って悪行をしていたりします?」
「してる訳ないでしょ、君が悪人なら全ての人間は悪だ。僕も含めてね」
ミレディアはそうですよね!と威勢よく答えた。
「私より先輩の方が性格悪いですもんね。流石難攻不落の男、素直で可愛い彼女でも陥落できなかったひねくれ者!」
「殴っていい?」
駄目でーすと元気な声が返ってくる。その時にはもうグリモワの視線は資料へと戻っていた。
だから、ミレディアの苦しみなんかちっとも気づかなかった。
大量の資料を読み解く内に『災厄の王』の情報は少しずつ判明した。器となる人間に憑依して、その人間を絶望に誘う。そして、その人間が絶望に落ちた時、『災厄の王』は身体を乗っ取って現世に顕現する。
手書きのスケッチは黒い大きな塊に手足が生えたような、不可解で恐ろしい姿を描いていた。
「この世界を滅ぼす……ね」
グリモワは一人でそのスケッチを見つめる。世界なんて滅びればいい、そう思っていた。
ミレディアが勝手に置いていった焼き菓子を摘まんで、口に入れる。砂糖は頭にいい、彼女はそう言い切っていた。
グリモワだけでは集められなかった資料、新しい事実が判明するのは。ああ、楽しいのだ。もうここまで来ると目を逸らすこともできない。
あーでもないとか、こうであるはずとか、思ったことをそのまま口に出して。新しい視点から別の解答を見つけて。そういうのはすごく楽しいことだった。馬鹿な奴らが沢山いるこの世界なんて滅びたっていいのだけれど。
それでも、君と過ごす時間だけは悪くなかった。
世界は滅んだっていいけれど。ミレディア・スーペルノヴァ、『導きの星』と呼ばれた本当は向いていないことをしている子。君だけは滅びなければいい。グリモワはどうしてかそう思う。
口に含んだ菓子の甘さは、頭にまで届いた。




