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歴史研究会

 

 保険医が持ってきたレトルトのおかゆをグリモワ先輩の口に突っ込む前にチャイムが鳴ってしまった。


「弱った友人の食事介助は授業よりも大事なのでは」


 ミレディアがどうしても食べさせたくて授業に行くのを渋っていたら、『それどんな友だち? いなくても食べるからさっさと行きなよ』と先輩に追い払われてしまった。

 なお、そんな二人を見た保険医は滂沱の涙を流していた。結構な心配をかけていたようなので、グリモワ先輩は保険医に謝った方がいいと思う。まあ、先輩は親しくない人には無関心な性質であるのだけれど。




 誰もいない廊下を素早く歩き、ミレディアは授業が始まった自分の教室に滑り込んだ。一応先生には遅れたことを謝罪しながら、席に着く。

 ちなみに、シエロはそんなミレディアをジーっと見ていた。ついこっちを見るなと威嚇する。



 ミレディアに対しては軽い口頭注意だけして、先生は教科書の続きを読み上げ始めた。机から教科書とノートを取り出しながら、ついミレディアの頭はグリモワ先輩へ思考を偏らせる。



 彼は前世のミレディアが死んでから食事を食べる気力がなくなったと言っていた。そして、保険医のあの反応に今の彼の痩せた身体。つまり、前世のミレディアの死を起因とした摂食障害ということになる。

 流石のミレディアでもじくじくと良心が痛む。

 だから、ミレディアは出来る限りあの先輩に食べさせることを固く誓った。






 休み時間の度に毎回シエロを撒くのは大変なことだ。ストーカーというのは非常にしつこいからストーカーなのだ。けれど、グリモワ先輩はシエロを見たら逃げることだろう、気持ちはわかる。外見だけは圧倒的な美で輝いている上に、力で勝てない自分より上背のある男なんて逃げたいに決まっている。


 休み時間になると当たり前ように近寄ってきたシエロをどう撒くか考えているところで、教室のドアが開く。


 その先にいるのはグリモワ先輩だった。保健室から出られるだけの元気が出たのはいいことだけれど、ミレディアに用があったのなら悪手ではある。


「グリモワ先輩!」

 慌ててミレディアは教室の入り口に立つ彼の腕を掴んで廊下に出る。当然、シエロはついてくる。

 とりあえずミレディアは掴んだ先輩の腕を離した後、両手でシエロの身体をくるりと回して、その背中を教室に向かって思い切り押した。


「お前は戻って予習でもしてなさい!」

「ええっ、今のは」

「ストーカーです」


 シエロは体幹が強いので、ミレディアが思い切り力を込めても躓かない。一旦は教室に戻ったシエロに息をつく。けど、すぐに戻ってきそうだ。


「なんでストーカー??」

 先輩の戸惑いはもっともであるし、ミレディアだってどうしてこうなったのかと言いたい。そして、廊下にいて他人と話しているということは、もう一人の厄介者を引き寄せるということでもあった。


「何をしているんだ、ミレディア?」

 王子様ことレクス・アウルムはその存在自体が目立つ。光の反射を受けて輝く髪と瞳は、黄金と見紛うほどの美しさを放っている。廊下で話しかけてきた彼に内心で舌打ちをして、一歩前へ足を踏み出す。


「生徒会長、貴方には関係のないことです」

「ひっ」


 ミレディアの後ろでグリモワ先輩は嫌そうな声をあげた。レクスは嫌でも人目を引くので、周囲からの視線が集まってくる。目立つのが苦手な先輩にとってはものすごく嫌なことだろう。


「そうか? それで、後ろにいる人は誰なんだ」

 だから他人の話を聞け馬鹿王子、そう罵る前に後ろにいたはずの人がミレディアの腕を握る。


「えっ?」

 決して力は強くないけれど、振り払ったら勢いで先輩は倒れてしまいそうなので出来ない。

 だから、気づけばミレディアは振り返って、グリモワ先輩の後ろを歩いていた。


「馬鹿なんじゃないの、なんでそうなんだよ」

「なっ、私のような知性溢れる人間は馬鹿じゃないです!」


 レクスやシエロは付いてきていないらしい。腕を引かれたままに階段を降りて、人気のない廊下を奥へ奥へと進んでいく。


 そして、授業や実験では使われてない旧校舎へと歩いて行った。

 前を歩く先輩の顔は見えないが、声だけは怒っていた。




 足が止まった先は使っていない古びた教室だった。先輩は片手で鍵を差し込むと扉を開ける。

 腕を引かれたままにミレディアは教室へと入る。そして、先輩はぴしゃりと扉を閉めて鍵を閉めた。


「ここは?」

「歴史研究会の部室。部員は僕だけだし、魔法道具を含めた器具だってもう集められてはいないけど」

「前世より設備悪いじゃないですか」


 ついミレディアが本音を言うと、硬質な声が二人しかいない部屋に響く。


「君は前世で懲りなかったんだ。僕を……他人を庇って、助けて、それで何になる? その結果自分だけが死んだのに、今の君は公爵家の力さえないのに」


 長い前髪、その隙間から覗く黒い瞳がミレディアを射貫く。だって、だって、仕方がないじゃないか。


「貴方も私が悪いって言うんですか」

 頑張れば頑張るだけ敵が増えていく、助けて感謝される分だけ陥れられることを警戒しないといけない。見捨てることが出来ないから、最終的には王家の第二王子とまで敵対することになった。


「……別にそこまでは言ってないけど、無謀だって言ってるだけで」

「無謀? 今の私は前よりずっと物理的な力がありますし、失うものなんてこの身体ぐらいしかないので無謀じゃないです」

「それは余計に無謀なんじゃ、というか状況は? 生徒会の面子なんて、君だったら絶対に関わりたくない相手なんじゃないの」


 怒りを消して冷静に状況を確認し始めた先輩に、ミレディアは疑いの視線を向ける。


「対人技能ゼロのグリモワ先輩に話したところで、状況は解決どころか悪化しそうですけど」

「はぁ!? 立ち回りに失敗して国外追放された君だけには言われたくないんだけど」

「なっ!? 失敗って、あの馬鹿共が悪いんであって、私は正しく動いてました!」

「君に比べれば引きこもって関わりを断っていた方が僕の方がずっとマシなんだが」

「生存っていう最低限だけで比べるのやめてくれません!? 前世の私はきちんと頑張って、沢山の人に感謝されました! 優秀だったことに違いはありません!」


 ミレディアが胸を張って言うと、グリモワ先輩は深いため息をついた。全然間違ったことを言っていないのに、負けた気になるのは何故だろう。

 前世のミレディアはゲームのリザルト画面でいうならSぐらいの評価を貰えたはずだ。なんせ世界を救っているのだから。


「それで、『災厄の王』を含めた状況とストーカーやら何やらはどうなってるわけ」

「話すのは大丈夫ですけど、状況が込み入っていて授業に間に合わなくなります。あと、まだどこにも入部してないので、歴史研究会に入部させてください」

「この流れでそれ言う? 入部届、どこにあったっけ」


 何だかんだ言ってグリモワ先輩はこういうところで親切なのだ。一度目をかけた相手には甘い性質というべきだろうか。適当に机を漁って入部届を探し出して、ミレディアへ渡してくれる。


「今の時代に生身で授業に出る必要ってある? インターネットに大量の情報が存在している時点で、必要な知識は身につけられるでしょ」

「みんな先輩ほど頭がいい訳ではないんですよ。あと、情報過多で取捨選択できなくなります。デジタルリテラシーなんて言葉がある時点で、フェイクニュースが一定の信憑性を有している証左じゃないですか」

「馬鹿どもに併せて作られてる時点で非効率だけどね」

「今の私は貧乏なので、ネットに潜る時間もないですし。大学受験に必要な知識を効率的に学べるのは充分な利点ですよ」


 会話をしながらボールペンでクラスと名前を入部届に書いていく。


「へぇ、進学する気あるんだ?」

「金銭的な問題をクリアできれば、ですけど。母には邪魔されそうですから」


 書き終わった入部届をグリモワ先輩に渡す。


「なら、前世とは別の意味で詰んでるんだ。相変わらずツイてないね」

「政争よりは金銭的な貧しさの方がまだ打つ手がありますよ」


 運が悪いと言われれば、確かに合ってはいると思う。生まれる環境はガチャのようなものだ。


「面倒だけど、顧問に渡しとくよ。それで、空いてる時間は?」

「バイトがない明日の放課後ぐらいですかね……先輩は食べないとダメなので、この私が料理でも作りに行ってあげましょうか?」


 ミレディアは堂々と言う、今世にはインターネットという便利なものがあるのだ。料理ぐらい余裕である。


「君に料理が出来るとは思わないけど」

「失礼な、私に出来ないことはそうありませんよ!」


 口先だけの言葉だと思われたのか無視されたので、ミレディアは口元を引き結ぶ。女子力がないと思われているのかもしれない。

 黙って携帯を取り出した先輩に、ミレディアも携帯を取り出して連絡先を交換する。

 つまり、これが友だちの連絡先というわけだ、感無量である。


「好きにすればいいけど、君は出来ることなんて増やさない方がいいよ」


 軽い言葉使いに反して、先輩の声音は重かった。別にミレディアがわざと調子に乗って見せたところで、怒る人はでないのだけれど。


「嫌味ですか? 私は優秀なので、そんなに時間をかけずに新しいことを習得できるんですよ」

「その結果、際限なくやって目立ちすぎて敵が増えて。自分の首を絞めることになるんだから」

「みっ、耳が痛い」


 ついミレディアは呻く。今世での地元でも喧嘩が強くなりすぎて、つい他の子を守ってしまい、余計に敵が増えたことはあった。

 まあ、同世代の不良はミレディアの実力を知っているので下手に手を出してこないのだけれど。


「鍵、二つあるから。上手く使いなよ」


 手の平を差し出せば、グリモワ先輩はポケットから鍵を出した。チャリンという音と共に載せられた小さな鍵は軽いのに、どうしてか頼もしく思えた。


「ありがとうございます。私、今度こそ負けませんから」

「勝ち負けの問題? せめて戦わない方向に行きなよ」


 あの馬鹿王子どもが何をしようと、今のミレディアには背負うもなんてない。だから、負けることはない。それに『災厄の王』だって前世ではある意味勝ったようなものだから、今度こそ勝ち残ることは出来る。


 時計を見ればもう休み時間も終わりが近い。ミレディアは受け取った鍵を大事に懐へ仕舞ってから、教室のドアを開いた。


「先輩も出席数を間違えて留年しないでくださいね、同級生になったら何て呼べば分かりませんから」

「僕が間違える訳ないだろ。君と違って詰めは甘くないんだよ」



 ミレディアは授業をサボる気満々の先輩を置いて、一人で自分の教室へ向かって歩き出す。

 その足取りは軽かった。




 だから、それを眺めるグリモワ・メルクリーオの気持ちは決して明るくなかった。



お読みいただきありがとうございます!

次話からグリモワ先輩の過去編(先輩視点の前世)です。

お時間があったら、

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