空虚な生活
ハンバーグセットを食べ終えたミレディアは、次の注文をするためにタッチパネルを見る。健康を考えて追加の野菜、いや、デザートを選ぶべきだろう。
「シエロ、まだお腹は空いてますか?」
「空いてはないけれど、食べられる」
ミレディアはシェア用のサラダと分厚いパンケーキを追加注文した。届いたパンケーキは半分に切り分けてシエロに渡し、サラダは好きな分だけ取るように伝える。
完璧な采配である。自分の優秀さにミレディアが酔っているところで、シエロが口を開く。
「ミリア」
「今更ですが、どうして貴方は未だに私を愛称で呼んでいるんですか」
婚約を破棄された時に愛称で呼ぶなと言ったのに。
ファミレスの安っぽい内装の中であってさえ、シエロが存在しているだけでここが高級店であるかのような錯覚を覚えさせる。そんな破壊的な外見を持つ男は、プラチナの瞳に涙を浮かべた。
「ごめん、君にそう言ってもらいたくてわざと呼んだ」
「どМ……変質者に聞こえるから、そういう発言はやめなさい。というか、お前は別に叱られたくなんてないでしょう」
「ううん、嬉しい。君が返事をしてくれるのが、声をかけてくれるのが、教えてくれるのが。全部が嬉しい」
つまり嬉し涙ということだろうか、怖すぎる。ため息をつきながら、ミレディアは鞄から取り出した安物のハンカチ、具体的には百円ショップで買ったハンカチをシエロへ投げつける。
適当な狙いでも的確に空中のハンカチを受け取ったシエロは、安物のハンカチで涙を拭きとる。この顔面だけは綺麗な男が使えば、安物でもブランドがある高級品に見えてしまう。
「それで、さっき貴方が話そうとしていたことは?」
「今世でどう育ったらって聞いてくれたから、答えたくて」
時間差がありすぎる、というか確かにさっき言ったけれどあれは半分文句みたいなものだ。一応は目線で続きを促せば、シエロは頷いた。
「前世と大体同じで」
「正気で言ってます?」
反射的な言葉に、シエロは頷いた。内心で頭を抱えながら、詳しく話すように言う。
「母はいない。昔は父や兄たちも居る大きな家に住んでいたけれど、学園に入学してからは一人暮らしをしている」
「それだと、またお兄さんたちに虐められていたんですか?」
「虐められてない、俺が不気味だからって近寄って来なかった。それに痛いのは必要だと思う」
「変態発言にしか聞こえないので詳しく聞きたくないんですけど……痛いのは必要ってどういう意図で言ってます?」
「俺は罰せられるべきだ。俺は取り返しのつかない罪を犯したのに、普通に生きている」
つまり、シエロは正気ではなかったようだ。胸やけを抑えるように、サラダのプチトマトを口にする。トマトの酸味が脳内をクリアにしてくれる、既に情報過多ではある。修正するとして、一先ずは……ミレディアはすごく嫌な選択を取らざるを得ない。
「その罪や罰とかいうのは、前世のミレディアに対するシエロの言動を指しているんですよね」
シエロは真剣な顔で頷いた、馬鹿げているにも程があるのに本人は自覚できないらしい。
「そもそも前世なんてものは罪でも罰でもありませんし、前世の浮気のようなものを真剣に罪だと抜かすのは不要なことです。
けれど、どうしても気が済まないなら、その選択権は私にしかないはずです」
シエロの瞳が大きく見開かれた。そして、縋るように声にする。
「ミリア、君は俺を罰してくれる?」
「嫌ですよ、人をSMプレイに巻き込むのはやめてください。あと、お前の顔も身体も一つの財産ですよ、傷つけるのはやめなさい。
罰しはしないけれど、都合よく使いはします。お前のせいで帰り道すら安心して帰れませんからね」
シエロは感動したように頷いた、完璧にどМの言動だからやめた方がいい。
「それで、一人暮らしで家事やお金はどうしているんですか?」
シエロに家事が出来るイメージがない、全然ない。
「ハウスキーパーの人が週に3回きて、家を掃除したり、料理を作り置いたり、日用品を補充したりしてくれる。
あと、お金は家族カードを渡されていて、口座に現金も振り込まれる。足りなくなったら父に言えば、追加でもらえる……言ったことはないけど」
家族カードということは、クレジットカードが使いたい放題という訳である。シエロの生活は金銭的には恵まれているし、富裕層らしい生活ともいえるだろう。
「実家に帰ることはあるんですか? あとお父上と話すことは?」
「呼ばれないと、ない。父からは偶にテストの点数と剣術部の大会の成績、生徒会の活動を聞かれる」
シエロの生活は、精神的には全然恵まれていない。世界が変わっても、彼は家族からの愛情を貰えていない。
「そうですか。お友達、生徒会の連中でも、それ以外でも。遊びには行くんですか?」
「行かない。君が頑張っている時に遊ぶことはもうしない」
「それ何の話です?」
つい本気で意図を測りかねてミレディアが聞けば、シエロは本当に辛そうに瞳を揺らした。
「俺はミリアが一人で頑張っている時に、海に行ったり、レクスの家に行ったりした」
「ええと、学生なら遊ぶのも仕事の内ですよ。いいじゃないですか、海」
前世のレクスの家に行くということは……王家に訪問したということである。ミレディアなら完璧に身支度をして、侍従もかなり選んで訪問するので、遊びに行ったという言葉は一周回って恐ろしくすらある。あの第二王子は礼儀を気にしないが、王家に仕える人々はそうじゃない。
「俺は行かないし、誰も誘わない。それにミリアだって遊んでいなかった」
「ええと、前世の私は領地が豊かになるのが遊び以上に楽しかっただけですよ。それに市場調査を兼ねて買い物をしたり……この話やめましょうか」
前世で遊んでいた記憶は確かにない。だって前世の遊びにゲームはないのだからしょうがないじゃないか。領地改革や新規事業はある種のゲームなので遊び、グリモワ先輩と『災厄の王』の研究をしたのや魔法道具の検証をしたのは遊び……一般的にみると遊びではないので、苦しい言い訳にしかならない。
というか、今世では純粋にお金がないから遊べない。そうタイムイズマネーである! 暇があったら、働くか、勉強するか、そのどれかだ。後は、隙間時間に家事をちょこっとである。
「遊びにも行かないで、余暇は何をしているんですか?」
「部活に行くか、生徒会で行事の準備を手伝うか、家で鍛錬をするか」
「ええ……映画を見たりとか、本を読んだりとか、テレビを見たりとか。ゲームは、貴方はしないでしょうけど。そういうのは?」
「しない」
即答するなよ、そう思いつつも予想していた回答にため息をつく。
たっぷりのメープルシロップをかけたパンケーキを頭の痛い会話で疲れた頭に送る。甘さが染みわたって素晴らしい。
前世のシエロは正常だった。というか、前世のミレディアはシエロが一人になり過ぎないように気を遣ってやっていたのである。家族で過ごすような行事では、シエロを必ず実家に招いて家族の一員として扱った。だから、前世のミレディアの両親はシエロを自分の子どもように可愛がったし、使用人たちもシエロを未来の婿として丁寧に世話をした。
それは『マリアル・アカデミア』に入学してからも同じだ。剣術部でも部活仲間と仲良くできるように配慮していたし……まあ、あの馬鹿王子たちと仲良くなって生徒会に入ったのはミレディアの管理する所ではないのだけれど。
シエロが自分で選んだ友だちなのだから、仲良くする分には口出しをしなかった。その結果が今世の激ヤバなシエルである。ミレディアの管理下からシエロを奪い取ったのだから、前世のヒロインであるアンジュ・セラフにしろ、今の馬鹿王子たちにしろ。責任の一旦を担った奴らが、前世のシエロが自殺するのを止めて、シエロを支えるべきじゃないだろうか。
「まあ、出来ないことを考えても仕方ありませんね」
アイツらにそんな責任感が一ミリでもあったのなら、前世のミレディアはあんな死に方をしていない。何が悲しくて『災厄の王』と討ち死にしなければいけないのだろうか。
「ミリア?」
「一応言っておきますが、私は一度も前世を覚えているなんて言ってませんからね」
「えっ」
プラチナの瞳を瞬かせたシエロにミレディアは威勢よく言い切った。
「いいですか、私はなんか前世を知ってるなーっていう発言はしますが、一度も覚えているなんて言ってません。なので、前世の話をしてもミレディアは覚えているか分からなかった、誰に聞かれてもそう言いなさい」
あの馬鹿王子たちにミレディアの状態がバレると何をしでかすか分からない。
「分かった、約束する。前世の話をしてもミレディアは覚えているか分からなかった、そう言う」
「ほんとうに、絶対にお願いしますよ」
シエロはすごく嘘が下手だ、嘘をつくと顔に嘘をついていると出る。これはもう『マリアージュ♡ラブ』のゲーム本編でさえそうだ。シエロには嘘をついている時の専用の立ち絵がある。
但し、それは嘘をついた時だけだ。ミレディアは覚えているか分からなかった、ならギリギリ嘘ではない。多分、あの馬鹿王子たちなら信じる可能性は高い。
「それと、まだいくつか聞きたいことがあります」
「うん、何でも聞いてほしい」
屋上で前世の記憶を話してから、シエロの口調は幼い頃のそれへ戻っていっている。幼児退行というよりは、気を張っていた部分があったからだろう。前世を重いからと彼は隠そうとしていた。まあ、その状態でストーカーしていたのだから、余計に不審なのだけれど。
「……とりあえず、紅茶を飲んでからです」
紅茶でもなくてはやってられない。一先ずの小休憩として、ミレディアはドリンクバーへ紅茶を取りにいった。当然ついてきたシエロには何となくコーヒーを注いでやる。
前世で紅茶は親しまれている飲み物であったけれど、コーヒーはなかった。
席に戻って、ミレディアは優雅に紅茶を飲む。やっぱり紅茶を飲んでいると前世の気品が醸し出されている気がする。ここがファミレスであっても、ミレディアはきっと高級な紅茶専門店で紅茶を嗜む令嬢のような気品を纏っているはずだ、多分。
そして、コーヒーに口をつけたシエロは見事にむせた。実は少しこうなることを予想はしていた。
「あらシエロ、紳士たるものコーヒーぐらいはそのまま飲めないと、ってむせすぎですよ!」
シエロは予想よりビックリしたらしい。ミレディアは慌ててシエロに水を渡す。水を飲んだシエロは、真剣な目でミレディアに言った。
「君が淹れてくれたから、全部飲む」
「いや、貴方が飲んだことがないかもと思って、いたずらで淹れただけです。コーヒーには砂糖やミルクを入れて飲めば、苦みはマシになりますから」
まずもってコーヒーは学園のビッフェでも用意されている。シエロのことだから見知ったものしか飲まないだろうから、コーヒーも飲んだことがないかもと思っただけだ。
「いや、このまま飲む。時間がかかるかもしれない、すまない」
この馬鹿は昔から頑固なところがある。けれど、これではミレディアが飲めない相手にブラックコーヒーを無理やり飲ませる極悪非道に見えてしまう。
なので、ミレディアはシエロが口をつけたコーヒーカップを持ち上げると、そのまま一気に飲み干す。
「えっ」
びっくりした顔のシエロはちょっと間抜けだった。
口に広がる苦みは、一度目の人生で残業の合間に飲んでいたものと同じものだった。




