シエロ・プラティナの罪 ⑦
シエロはミリアと会わなくなった。見かけた時は軽く会釈をしてくれるけれど、いつものように話しかけてはこないし、どうしてかシエロから話しかけるのも躊躇するようになった。
一歩引いた状態で見るミリアは、確かにレクスやマイザたちが言うような女性に見えた。強くて正しいを通り越して、冷徹に他人を裁くような、そんな雰囲気をまとっていた。
シエロは校内でも比較的一人で行動することが多い。だから、普段なら余り人が通らない道を歩いている時に、遠くからミリアの声が聞こえて、シエロは自然とそこに向かっていた。
「だから、私は何度もお伝えしたはずです。あの馬鹿シエロも含めて婚約者がいる相手に不用意に近づくのはおやめなさい」
「だって、そんなの」
鈴のような声が涙で濡れていているのが分かって、シエロは咄嗟に走り出した。校舎の陰になっている裏庭で、アンジュはその瑞々しい緑の瞳からポロポロと雨のような涙を零していた。
「アンジュ!」
シエロは大声をあげてアンジュに駆け寄り、その肩を抱く。シエロが大きな声を出したせいだろうか、校舎の近くからどんどん生徒たちが寄ってくる。
「だから、そこで手を振り払うぐらいの気概を見せなさい。
それが出来ないなら、部屋に閉じこもるなり、もう少しマシな選択を取りなさい」
「ミリア! アンジュは泣いている、弱い相手を傷つけるなんて君らしくもない」
涙を流すアンジュは昔のシエロと同じだ、それなのに。ミリアはアンジュを守るどころか攻撃しているし、部屋に閉じこもれなんて酷いことを言う。
騒ぎに寄ってきた生徒たちはそれぞれが口々に勝手なことを言う。
同じクラスの男性は「アンジュちゃんを虐めるなんて」と言い、
女徒は「ミレディア様、なんてお痛わしい。あの女狐のせいで」と言っていた。
「弱い? シエロ、お前は彼女が弱いと本当に思っているのですか?」
ミリアの赤い眼差しがアンジュへと突き刺さる前に、泣いている彼女を背に庇う。
「ああ、そうだ! アンジュは弱い、守るべきだ。間違えているのは君だ」
「……だったら、彼女が来てから傷ついた子は弱くはないんですか?
殿下や貴方に守られている彼女が弱いなら、弱くない子たちはどうなってもいいんですか」
ミリアの赤い瞳に深い失望が宿る。暗く深いそれにシエロが息を呑む、
「こらっ、何をやっているんだ!」
そう言ってやってきたのは、レクスだった。ミリアはレクスの姿を見てハッとしたように、その場でスカートの両端を持って礼をした。
「これは殿下、お騒がして申し訳ありません。私、ミレディア・スーパーノヴァがこの場を荒らしました」
レクスはアンジュの涙をそっと拭うと、ミレディアへ一指し指を突きつける。
「ミレディア、もしかしてアンジュを虐めてたのか?」
レクスの言葉に周囲が更にざわついた。ミリアは口端を上げて、笑みを形作る。
「口頭での注意を虐めていると称するなら、そうでしょうね。
これより先、アンジュ・セラフに関して誰かを糾弾したいというなら、何卒この私を通してください」
レクスがどういう意味だと聞けば、ミリアは言葉通りの意味だと伝えた。そして、丁寧に礼をしてその場を去っていく。
その場にいた女生徒は全員、そして一部の男子もミリアを追いかけるようにその場を去った。
去っていくその赤い瞳がシエロを見ることはなかった。
アンジュはミリアが怖いと言った。確かにミリアの口調は強いけれど、それは全部正しいことで……けれど、ミリアはアンジュに対してだけは間違ったことを言う。だから、シエロはアンジュをミリアから守らないといけないと思った。
マイザはミリアがこの『マリアル・アカデミア』を分断しようとしていると言った。ミリアが女生徒の婚約破棄を進めて、自分の勢力にそのまま取り込んでいるのだと言っていた。
レクスはアンジュが虐められているから守らないといけない、そう言った。そして、アンジュは生徒会に入ることになった。平民として街で暮らしていたアンジュの意見は生徒会で役立つとレクスは言った。それに、生徒は必ず何かのクラブに入る必要があった。アンジュは生徒会への参加をみんなと居られる時間が増えたと喜んだ。
それから、アンジュは教科書や持ち物を壊されたり、盗まれたりするようになった。それに陰口だってよく言われていて。けれど、シエロが言っている相手に目を向けると直ぐに黙った。直接言いもしないで、そういう風に悪口を言うのはよくないと思う。
ミリアはアンジュを虐める女生徒たちを庇った。シエロが陰口を注意しようとすれば、ミリアが前に出て彼女たちを背に庇う。
「この子たちには私から注意しておきます、それでいいでしょう」
「よくない。アンジュに酷いことを言ったし、見えないところで悪口を言うなんて余計に性質が悪い」
「はあ? 性質が悪いのはお前らの方ですよ、表立って言った子は殿下にご実家の事業を邪魔されて破綻しかけたんですよ。シエロ、お前いつからそこまで馬鹿になったんですか」
「違う。アンジュにはその守るべき実家さえない、後ろ盾も何もない。それなのに貴族という立場を笠にきて攻撃するのは駄目だ!」
「だから彼女は自分勝手に振舞えているんでしょう。守るべきものも何もないから……いえ、失礼しました。私の言葉はもう貴方に通じない、それを忘れていました」
そう言って、ミリアは陰口を言っていた女生徒の肩を抱いて、シエロの前から去る。その子は泣いていた、自分のせいで家が潰されたら、そう言って。
「だから、下手な行動をとるなと言ったでしょう。貴方の家は私が守ります、言いたいことがあるなら個人的に私におっしゃって、愚痴ぐらいなら聞きます」
ミリアが彼女を慰める声が遠くなっていく。優しい声音はもうシエロに向けられることがなくなったもので。
「怖かったぁ! シエロさん、ありがとう」
先ほどまで暗い表情をしていたアンジュは、にっこりと笑ってシエロの手を握った。彼女の笑みを見ると、シエロが覚えていた違和感が薄れていく。
レクスが言うとおり、虐めるのは駄目なことだ。シエロだって、兄たちに理不尽に殴られてきた。アンジュがそんな目に遭うのは絶対に間違っている。
間違えているのはシエロ自身だと、この時のシエロは気づけなかった。
気づけなかったから、災厄は既にミリアを蝕んでいた。




