シエロ・プラティナの罪 ⑥
4月1日、『マリアル・アカデミア』の5年生になったばかりのシエロは校舎へと向かって歩いていた。そこで不安げに周囲を見渡している少女に出会う。
「教室ってどこかな?」
明るい茶色の髪は腰まで伸ばされて緩くウェーブを描いていて、その瞳は森の木々のように瑞々しい緑色だった。顔立ちは整っていて、少女の存在は人目を集める。それこそレクスのような自然と人を惹きつける魅力を醸し出していた。
「案内しようか?」
シエロが話しかけると、少女は慌てたようにシエロを見つめた。
「えっ、ああ! すみません、ええと、5年生のB組?に行きたくて」
「それなら俺と同じクラスだ。俺はシエロ・プラティナ、生徒会と剣術部に所属している。
困ったことがあれば言ってくれ」
生徒会では『マリアル・アカデミア』に慣れていないだろう『救世の乙女』をサポートすることになっていた。だから、ここで彼女に出会えたのは好都合だった。
「あっ、はい! 私は今日から入学するアンジュ・セラフです、よろしくお願いします」
そう言ってアンジュはシエロに手を差し伸べた。それにシエロが首を傾げると、慌てたようにアンジュは両手を顔の前で振る。
「すみません、偉い方は握手ってしないんでしょうか?」
「いや、握手しよう。よろしく」
そう言ってシエロが手を差し伸べると、アンジュは両手でシエロの片手を握った。
「よろしくお願いします、シエロさん」
大輪の花のような笑顔と触れた柔らかな手の感触に、不思議とシエロの心は浮足立った。春の匂い、花の香りが少女から漂う。
だから、その時に周囲の声がざわついてることに気づかなかった。「ミレディア様の婚約者になんてことを」、そういう声をシエロは聞きとめるべきだった。
アンジュは元気で優しく、よく笑う女性だった。5年生に上がってから、シエロはミリアとクラスが離れてしまった。離れたといっても隣だが、前ほど一緒には行動できなくなった。その分、何も知らないアンジュに教えることが多くなった。
生徒会長で第二王子であるレクスは、『救世の乙女』という存在に興味津々でよくクラスに話しに来た。普段から余り他人と関わらないマイザや誰とでも親しいラクシアも自然とアンジュに惹かれたらしい。他にもアンジュは色々な人と仲良くしていた。けれど、その色々な人というのは全部男性だった。
女性はみんなアンジュを避ける節があって、アンジュ自身はそれを悲しそうにしていた。だから、ミリアならとシエロは思った。
よくミリアとお茶会をしている庭園でアンジュの話題を出せば、ミリアはいつかのようにお茶を噴き出した。
「大丈夫か?」
「だっ、大丈夫な訳がないでしょう!? 今、私は婚約者を寝取られた扱いされてるんですが!?
何で寝取った平民の彼女と仲良くできると思うんですか!」
寝取るの意味が分からない。ミリアはため息をつく。寝取るは概ね盗んだっていう意味ですよ、そう付け加えたのでシエロは首を傾げた。
「アンジュは何も盗んでない」
「そうルパンが盗んだのは貴方のハートですよ、じゃねーですわ。
今まで女性と関わっていなかった生徒会の方々に、婚約者がいるシエロのクラスの殿方、全員が彼女に惚れているというか……そもそも、彼女の男性への距離が近すぎるんです」
それは悪いのかと聞くと、全くもってよくはないとミリアは答えた。だったら、誰かが教えてやればいい。
「他の女性を見ていれば、気づくことではあるはずなんですけどね」
「アンジュは平民の出自だ、そういうことに気づかないのは仕方がない。だったら、ミリアが教えてやればいい」
「嫌ですよ、今の私の立場でそれが出来る訳が……いや、ガス抜きも兼ねてどこかで言わないと、もう他の子たちを抑えられませんね。というか、シエロの方から言ってくださいよ」
「……それは、俺がアンジュに近づかないで距離をとるように言うのか?
彼女はまだ慣れていないから、生徒会の一員として親切にしないといけない」
シエロの言葉にミリアは眉を吊り上げて、軽いため息をついた。赤い瞳が微かな失望を伴ってシエロを射貫く。
「それは口実で、実際はお前が彼女の近くにいたいだけでしょう」
シエロはそれに応えることが出来ずに固まる。シエロと反対に、お茶を飲み干したミリアは立ち上がった。
「暫く会うのはやめておきましょう。私も婚約者を盗られたと泣いている子たちを慰めて新しい方を紹介するのに忙しいですし……何より、そういう貴方を見るのも楽しくはありませんから」
キューピットもメンタルケアも専門じゃないんですけどね。そう呟きながら、ミリアはシエロに背を向けた。
シエロはミリアを追いかけるべきだった。
それなのに、そこには冷めた紅茶だけが残った。




