シエロ・プラティナの罪 ④
シエロにとって、ミリアはいつまでも正しくて強い人だった。シエロが社交界に参加するようになっても、ミリア以上に強くて美しい人はいなかった。
それは12歳になって、二人揃って『マリアル・アカデミア』に入学しても同じだった。シエロは剣術部に入り、ミリアは社交界の規律を学ぶ社交部に入って、別々のクラブに入ったけれど。
毎日顔を合わせていたし、週に数回はお茶をしていた。
「シエロ、私はお前と婚約していますが。
どうしても嫌になったら何とかできるようになるべく努力はしますので、言ってくださいね」
「ミリア以上に美しい人はいないし、一緒にいたい人もいない」
シエロの言葉に、ミリアはいつもの勝気な表情を崩した。
「まっ、まあ? 私は家の格も高いですし、性格も顔もいい自信はありますが?」
キョロキョロと目線をさ迷わせるので、シエロは真っ直ぐにその顔を見た。
「婚約解消なんてする訳がない。俺はミリアと婚約できてよかった、君だけだ」
とっさにミリアは両手で自分の顔を隠した。つい、ミリア?と呼びかければ、唸るような声が返ってくる。
「お前、顔がとんでもなくいいんですから、少なくとも他の女性にそういう発言をするのはやめなさい。戦争が起こります……いや、本当に好きな相手ができたらいいですが」
「だから、俺はミリアだけだって言ってる」
全くもって信じてくれないミリアへ繰り返せば、その赤い瞳は優しく細められた。
「別に、現時点では信じてますよ。けれど、人は変わるものです。
それに、私だって間違えることがあるし、シエロだってそうですよ」
「ミリアが、間違える!?」
「何を大げさに言っているんですか、当たり前でしょう。
だから、私が間違えた時はシエロが止めてくださいね」
いつかシエロの頭を撫でた手が、今度はシエロの肩を叩く。
「頼みましたよ、シエロ」
「……全く想像できないが、最善は尽くす」
深い赤、血潮のように赤い瞳がシエロを見つめる。信じてますよ、ミリアは確かにそう言った。
シエロは間違えた。ミリアは間違えなかったのに、シエロだけが間違えた。
『マリアル・アカデミア』に入学して少し経ってから、ミリアは真剣な顔でシエロを呼び出した。そして、シエロの凄く真面目なところを信頼して頼みます、そう言って一つの頼みごとをした。
「私の寮の部屋、机の2番目の引き出しに隠している手紙があります。これから先、私が長期間動けなかったり……それこそ死ぬことがあったら、机を壊していいので、それぞれの手紙を誰にも知られないように宛先の人に届けてください。
これは誰にも秘密です。いいですか、この先お前が私を嫌うことがあっても、憎むことがあっても。この約束だけは守ってください」
「分かった、約束する。でも、ミリアは死なない、俺が守るから」
真剣な顔をしたミリアの頼みを断れる訳がなかった。
ミリアは少しだけ笑って、お願いしますとだけ言った。
それからも、シエロはミリアと仲良くしていた。一年が経つ頃には王子であるレクスに誘われて、生徒会もクラブの兼任で入ることになった。
入学してすぐから生徒会長になったレクス、その手伝いをしている会計のマイザ、他にも男性の先輩が何人か生徒会に所属していた。
「ミレディアの婚約者は大変だろ、アイツは厳しいから」
第二王子であるレクスはミリアの親戚らしく、シエロにアイツの婚約者は窮屈じゃないかとか、よく婚約できるなとか言っていた。マイザは眼鏡の弦を触りながら、ミリアを警戒した方がいいと言った。
「スーペルノヴァ家は彼女が台頭してから、更に勢力を増している。6歳から動きだすなんて異常としかいえない、何か企んでいるかもしれません」
「というか、シエロは婚約者なのにミレディアが何をしてるのか知らないのか?」
「……それは、俺には難しいから」
ミリアは色々と教えてくれるが、シエロに難しいと思えば話を切り上げることがある。
「婚約者なのにミレディアの尻にしかれてるのか!? よくないぞ、男ならもっと相手を守ってやらないと!」
「……ああ、努力しよう」
「マイザ、シエロに色々と教えてやってくれ」
「それは構いませんが。レクス、そういうのを知るべきは貴方の方ですよ」
そいうのは難しくて、レクスがそう言うのでマイザはため息をついた。二人は対等で仲のいい幼馴染のように見える。なら、シエロとミリアはどうなのだろう。
だから、ミリアと庭園でお茶をしている時に、そのままあったことを全部話した。そしたら、ミリアは飲んでいた紅茶を噴き出した。
「ごほっ、ごほっ」
「大丈夫か?」
紅茶を喉に詰まらせて咽ているミリアにハンカチを差し出せば、ミリアは受け取ったハンカチで口元を抑えた。そして、呼吸を整えてからやっと話し出す。
「シエロ、お前諜報が向いてなさすぎませんか?」
「レクスにもマイザにも黙っていろとは言われなかった」
「いえ、そうでしょうが……ええと、私はこの場合、何を話せば?」
困っている様子のミリアに、シエロは少し考えてから口を開いた。
「みんなミリアを誤解している。だから、ミリアも生徒会に入ればどうかと」
「それは出来ません。今の生徒会、お前はともかく殿下と側近で固められているでしょう。
しかも男性しかいませんし、私が入ると角が立ちます。まあ、そういった意味ではシエロが入ってくれて助かりましたが」
ミリアは誤解されていることを伝えても平然としている。けれど、シエロはミリアが努力家であることも、正しいことを成そうとしていることも知っているし、誤解なんてされたくない。
「まあ、スーペルノヴァ家は血筋が王家と近い、ある意味では予備のようなものです。
なので、親しくしすぎてもよくありません……ああ、これ、レクス殿下たちには言わないでくださいね。あの方はこういった細かいことを気にされませんから」
「マイザはそういう細かいことが得意だ」
「ええと、あそこは代々王の側近を出しているから、余計にウチは目の敵にされやすいですよ。
これは別に言ってもいいです」
難しくてシエロが止まれば、ミリアは少しだけ疲れたように微笑んだ。
「スーペルノヴァ家の領地は広く、親しくしている家も多い。私が領地を豊かにしたり、新しい商売を始めたり、困っている貴族を助けたり。
そういうことをすればするほど、王政とのパワーバランスが崩れやすい。
王の側近ということは、王よりも強い貴族が現れたら失脚する。全てはバランスですよ、シエロ」
ミリアはいつも頑張っている。シエロはミリアの全部を知っている訳ではないけれど、ミリアのことを彼らよりもよく知っている。
「ミリアは、レクスたちの敵なのか?」
「まさか。私は敵が多いですが、彼らは直接的な敵という訳ではありませんよ。
私はただ、この国を豊かに……誰も食べるのに困ったり、病で亡くなったりしなければいい。そう思っているだけで。
けれど、だれもかれもが自分が損することばかりを許せない。
だから、困っているんです。みんながシエロのように素直ならいいんですけどね」
ミリアはシエロに嘘をつかない。お前は嘘がつけないので隠すことはありますが、嘘はつきませんよ……多分。以前、ミリアはそう言っていた。
そして、苦笑している今のミリアは絶対に嘘をついていなかった。ミリアは心から国を豊かにしたいと思っている。それはシエロには想像もつかないほどに大変なことだと思う。
「まあ、せっかく力があるのだから平和にしたいなんて。私みたいな矮小な人間には過ぎた願いかもしれませんね」
咄嗟にシエロは立ち上がって、大きな声で違うと言った。
いきなりシエロが大声を出したことに驚いたミリアが肩を震わせる。
「そんなことない、立派な願いだ。俺はそんなミリアを信じてる」
「そっ、それはどうも。ああ、いえ。その、ありがとう?」
ミリアは驚きで目を丸くしながらも、気恥ずかしそうに眼を逸らした。そして、ふと疑問が口を飛び出す。
「ミリアは、みんなが幸せになるためなら自分が損をしてもいいのか?」
「私財程度なら問題ありませんよ。私個人以外に関わるようなことなら考えて」
ミリアの言葉が不自然に途切れた。気丈な赤い瞳が揺れて、その手はティーカップの中身を意味もなくスプーンでかき回す。
「ミリア、どうかしたか?」
その手が止まる、そして血のように赤い瞳がシエロを見た。
「シエロ、貴方は誰かのために死ねますか? 私のためでも、他の誰のためでもいいですけれど」
「君を守るために必要なら」
ミリアがいなければ、きっとここにいなかった。兄たちに怯えて、強くなろうともせずに、部屋に籠っていたかもしれない。言葉を上手く紡げないのは今も同じだが、それでもきちんと言うべきことを言えるようになった。
「ふふっ。私も貴方を見習うべきですね、シエロ」
そう言って微笑んだミリアは紅茶を飲み干した。
だから、ここでもシエロは間違えたし、嘘をついたことになった。
ずっと、ずっと間違えてきた。




