第8話
フィオナ様のお友達五人分の依頼を引き受けてから、数日が経っていた。
放課後、自室の机に向かい、私は五人分の型紙を前にして一つため息をついた。窓から差し込む夕日が、机の上に広げた布地の色をじわじわと橙色に染めていく。
(対価をいただけるのはありがたいけれど……。それとこれとは別問題なのよね。物理的に、この量を一人でこなせるのかっていう)
マリー様、フィオナ様の時とは比べ物にならない数だ。髪の色も、瞳の色も、衣装の雰囲気も、それぞれ全く違う。手を抜くつもりは毛頭ないけれど、このままでは一体仕上げるのに何日かかるか、見当もつかない。
指折り数えながら、私は型紙を一枚ずつめくっていった。紙の擦れる音が、静かな部屋にかさりかさりと響く。
(一人あたり、少なくとも五日はかかるわよね……。五人分となると、単純計算でも二十五日……。ひと月近く……!?)
思わず天を仰ぎそうになった。もちろん学園の授業もあるし、マリー様たちの仕上げも並行してある。休む間もなく手を動かし続けても、追いつくかどうか怪しいところだ。
私は胸の内で、これまでのことを整理してみた。マリー様、フィオナ様、そしてこれから頼まれる五人。この調子で噂が広がれば、依頼はきっとまだまだ増えていく。
(一人でこっそり作る趣味の域は、とっくに超えているのよね……)
ペンを取り、紙の端に思いつくままの数字を書きつけてみる。かかる日数、必要な生地の量、道具の在庫。書けば書くほど、頭の中がすっきりと整理されていくのが分かった。
ならばいっそ、きちんとした形にしてしまえばいい。
(お店……。推しぬいを、ちゃんとお作りできるお店を持てたら)
思いついた瞬間、胸の奥がかっと熱くなるのを感じた。前世で何度も夢に見た「好きな物を仕事にする」という響きが、今の自分の状況にぴたりと重なる。窓の外では、夕焼けの最後の一筋が、屋根の向こうにゆっくりと沈んでいくところだった。
翌日の放課後、私はいつもの中庭にフィオナ様を呼び出した。柔らかな風が吹き抜け、ベンチの傍らの花壇から甘い香りが漂ってくる。
「フィオナ様、聞いてくださる? 私、お店を持とうと思うの」
「お店、ですって……!?」
フィオナ様の目が、大きく見開かれた。手にしていた扇が、ぱたりと膝の上に落ちる。
「推しぬいを、きちんとお作りするための専門のお店よ。そうすれば、依頼をくださる方にも、きちんとお応えできると思うの」
「素敵ですわ……! リゼット様なら、きっとうまくいきますわ!」
両手を合わせて喜ぶフィオナ様を前に、私は自分の言葉の勢いに、少し戸惑ってもいた。
(言っちゃった……。でも、不思議と迷いはないのよね)
思い立ったら即行動。それは前世から変わらない、私の性分なのかもしれなかった。
「場所とか、資金とか、決めなきゃいけないことは山ほどあるのだけれど」
「私にできることがあれば、何でもおっしゃってくださいまし。お友達にも、きっと喜んで力を貸してくれる方がいるはずですわ」
フィオナ様の力強い言葉に、私は胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。一人で抱え込んでいた不安が、少しだけ軽くなった気がする。
その夜、自室でマリー様たちの人形作りの続きに取り掛かりながら、私はふと針を止めた。
蝋燭の灯りが、こぽりと小さく揺れる。窓辺に目をやると、そこにはもう何も座っていない。以前はいつも、そこにちょこんと座って私を見守ってくれていたのに。
(あの子、今頃どうしているかしら……)
カイル様に拾われてしまった、最初の一体。あの日以来、ずっと手元にない。
(作り直せば……なんて、一瞬思ったこともあったけれど。それは違うのよね)
あの子は、あの子だから特別だった。同じ色の糸を使っても、同じ型紙を起こしても、あの夜あの時間をかけて生まれた「あの子」には、二度と辿り着けない。指先に残る糸の感触を確かめながら、私はそのことを改めて噛み締めた。
(そういえば、しばらく「おはよう」も「おやすみなさい」も、言えていないのよね……)
毎朝目覚めるたびに声をかけ、夜眠る前には頬に寄せていた、あの何気ない習慣。当たり前すぎて気づかなかったけれど、それがどれほど私の毎日を支えてくれていたのか、失って初めて分かった気がする。
小さくかぶりを振って、私は再び針を手に取った。今はまず、目の前の依頼に応えること。そして、お店を開くための一歩を踏み出すこと。
(あの子を想う気持ちは、ちゃんと胸にしまっておくから。今は、前に進むわね)
針の先が布を潜り抜けるたび、しゅ、と小さな音が静かな部屋に響く。その規則正しい音だけを頼りに、私はしばらくの間、手を動かし続けた。
◇
執務室の窓の外は、すっかり日が落ちていた。灯りに集まる羽虫の影が、窓辺でちらちらと揺れている。
「団長、まだ帰らないんですか」
書類仕事の合間、レイフが呆れたように顔を覗かせる。
「もう少しだ」
「もう少しって、さっきも同じこと言ってましたよね」
軽口を叩きながら、レイフは向かいの椅子にどかりと腰を下ろした。椅子の脚が、ぎ、と小さく軋む。
「例の令嬢の件、まだ何も掴めてないんですか」
「……ああ」
短く答え、俺はペンを置いた。あの日以来、街の職人や商人に何度か聞き込みを重ねてはいるが、これといった手掛かりは一つも出てこない。
「金色の髪、としか分からんのでは、捜しようがないのも当然か」
「珍しいですね、団長がそんな弱気なこと言うの」
「弱気なわけじゃない」
言い返しながらも、内心では否定しきれない自分がいた。積み上げた書類の端を指先で揃えながら、俺はしばし黙り込んだ。
「じゃあ、もう深追いはしない、ってことですか?」
「……いや。まだ調べる」
その一言に、レイフが片眉を上げる。
「へえ」
「気になっている、というだけの話だ。それ以上でも以下でもない」
「はいはい、分かってますよ」
からかうような笑みを浮かべつつも、レイフはそれ以上追及してはこなかった。立ち上がり、窓辺に歩み寄って外を眺める。
「まあ、団長がそこまで気にかけるくらいですから、よっぽど印象深い出会いだったんでしょうね」
窓の外を、夜風が静かに通り抜けていく。机の端に置かれた人形の瞳が、灯りを受けて小さく光った。俺はその横顔を、しばらくの間黙って見つめていた。
――今頃、どうしているだろうか。
そんなことを思いながら、俺はもう一度、書類の束に目を落とした。ペン先が紙をかすめる音だけが、静まり返った執務室に小さく響いていた。
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