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氷の騎士団長そっくりの推しぬいを作った結果、正体を探されることになりました  作者: あずきまんま


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第54話

 約束の休みの朝、私は鏡の前で三着目の外出着を体に当てていた。寝台の上には、すでに候補から外れた二着が並んでいる。一着目は落ち着いた葡萄色で、二着目は若草色。どちらも悪くはないのだけれど、袖を通して鏡を覗くたびに、何かが違う気がしてしまうのよね。


(だって、初めてなのよ。人目を気にしないで、カイル様と街を歩くのは……! 変な格好で隣に並んだら、一生後悔するわ)


「リゼット様、そろそろ決めないと、お迎えの時刻に間に合いませんよ」


 背後から、アンナの呆れ混じりの声が飛んでくる。振り返ると、彼女は腕に厚手の外套を抱えたまま、寝台の上の二着をちらりと見やった。


「分かっているわ。分かっているのだけれど」


「では、こちらにしましょう。紺の地に、襟元だけ白い毛皮の縁取りがあるもの。今朝は冷えますから、ちょうどいいと思いますよ」


 アンナが衣装棚の奥から取り出したのは、去年の冬に仕立てさせたまま、あまり袖を通していなかった一着だった。深い紺の生地は、光の当たり方によってわずかに青みを帯びる。私は受け取ったそれを胸に当て、鏡の中の自分と見比べた。


「……紺、ね」


「カイル様の瞳の色に近いから、と選んだのは、リゼット様ご自身でしたよ」


「アンナ!」


 思わず声を上げると、アンナは澄ました顔で外套を広げ、袖を通すのを手伝ってくれた。


(覚えてたの、それ……! 仕立て屋さんに頼んだ時、確かに小声で言ったけど、まさか聞かれていたなんて)


 着替えを終えて鏡台の前に座ると、アンナが髪を梳きはじめた。櫛の歯が髪を通るたびに、さらさらと小さな音がする。その心地よさに、私はつい口元を手で覆い、小さな欠伸を噛み殺した。


「昨夜も、遅くまで起きていましたね」


「少しだけよ。コーデリア様からご相談を受けた、フィオナ様と殿下の対のぬいぐるみ。型紙の下書きだけでも、先に描いておきたくて」


「少し、というのは、燭台の蝋燭を二本使い切ることを言うんですか」


 鏡越しに、アンナの目が細くなった。言い返す言葉が見つからず、私は膝の上で指を組み直す。


「今日は仕事のお話は抜きですよ。せっかくのお休みなのですから」


「分かってるわ。今日は針も型紙も、全部置いていくもの」


 そう答えながら、私は鏡台の脇に置いた小さな手提げに目をやった。中には、糸切り鋏と、数色の刺繍糸を巻いた糸巻きが一つだけ入っている。――これは仕事道具ではなく、お守りのようなものだから、数には入らないはず。


 アンナは何も言わずに、編み込んだ髪の先に紺のリボンを結んだ。


◇


 ヴァランタイン邸の玄関広間は、磨き上げられた石の床が朝の光を跳ね返していた。団服ではない外套を着て立つのは久しぶりで、どうにも肩の辺りが軽い。


「カイル殿」


 階段の脇の扉から、ヴァランタイン伯が姿を見せた。部屋着に近い簡素な上着姿で、手には読みかけらしい書簡を持っている。俺は姿勢を正し、一礼した。


「朝早くから、失礼いたします」


「いや。娘から、今日のことは聞いている」


 伯は書簡を脇に挟み、しばらく黙って俺を眺めた。披露目の壇上で杯を掲げていた時とは違い、その目にはどこか落ち着かない色がある。


「日が落ちる前には、送り届けてもらえるか」


「必ず」


「……それと、あれは夢中になると、寝食を忘れる。昨夜も書斎の窓から、あの子の部屋の灯りが遅くまで見えていた。どこかで、休ませてやってくれ」


 伯の声は低く、半ば独り言のようだった。俺は短く頷く。父親から直に娘を託されるという経験は、どんな任務の引き継ぎとも勝手が違った。


 階段の上から、衣擦れの音が降りてきた。見上げると、紺の外套を着たリゼットが、手すりに指を添えて下りてくるところだった。白い毛皮の襟が首元を包み、金の髪の先に同じ紺のリボンが揺れている。目が合うと、彼女は一段だけ足を止め、それから少し早足になった。


「お待たせしてしまった?」


「いや。今来たところだ」


 伯が咳払いを一つして、書簡を持ち直す。


「では、私は書斎に戻る。……気をつけて行きなさい」


 背を向けた伯の足音が遠ざかるのを待ってから、リゼットは小さく息を吐いた。その目元に、うっすらと影が差しているのを、俺は見逃さなかった。


◇


 目抜き通りの入り口で馬車を降りると、冬の初めの冷たい風が頬を撫でていった。石畳の上を荷馬車の車輪が転がり、露店の呼び込みの声が、どこからともなく響いてくる。焼き栗の香ばしい匂いが、風に乗って鼻先をくすぐった。


 カイル様は馬車の扉を閉めると、何も言わずに私の方へ腕を差し出した。団服の時とは違う、濃い灰色の外套の袖。私はそこにそっと手を添えて、並んで歩き出す。


(並んで、歩いてる……。人目を避けずに、真っ昼間の目抜き通りを……! だめ、落ち着いて私、まだ十歩も歩いてないわ)


 表向きは澄ました顔を保ちながら、心の中では叫び声が止まらない。以前なら、こうして腕を組んでいるところを見られるだけで、噂の火種になりかねなかった。今は、すれ違う人が振り返っても、隠れる理由がどこにもない。


 実際、振り返る人は多かった。露店の前で品定めをしていた若い令嬢の二人連れが、こちらに気づいて顔を見合わせる。片方が連れの袖を引き、ひそひそと何事か囁き合った。その手には、小さな布包みが大事そうに抱えられている。


「ねえ、あれ、氷の騎士団長様よね」


「隣にいらっしゃるの、プラッシュ工房の店主様じゃない? ほら、この間お披露目の……」


 聞こえてしまった声に、私は思わず外套の襟に顎を埋めた。


「……聞こえているな」


「聞こえているわね」


 カイル様の横顔を盗み見ると、表情はいつもと変わらない。けれど、私の手が添えられた腕を、心なしか自分の体の方へ引き寄せたような気がした。


 最初に足を止めたのは、目抜き通りの中ほどにある織物商だった。あの日、アンナと一緒に反物を買い求めた店だ。扉を押すと、上に吊るされた小さな鐘が鳴り、奥から店主の老人が顔を出した。


「いらっしゃいませ。おや、これは――」


 老人は私とカイル様を順に見て、目を丸くした。それから慌てたように前掛けの皺を伸ばし、深々と頭を下げる。


「プラッシュ工房の店主様。いつもご贔屓に。それに、団長様まで」


「今日は、ただ見て回るだけなの。仕事の買い付けではないから、気にしないでちょうだい」


「左様でございますか。どうぞ、ごゆっくり」


 店の中には、天井近くまで反物が積み上げられていた。光沢のある絹、厚手の毛織物、起毛の柔らかなビロード。棚の間を歩くだけで、布の匂いと、染料のかすかな匂いが混ざり合って鼻に届く。


(仕事の話は抜き、って約束したけど……だめ、この新入荷の起毛生地、手触りが最高すぎる……! 触るだけ、触るだけなら許されるわよね)


 指先で生地の毛並みを確かめていると、ふと、隣にカイル様の気配がないことに気づいた。振り返ると、彼は少し離れた棚の前で、一本の反物をじっと見下ろしている。淡い蜂蜜色の、ふんわりと柔らかそうな起毛の生地だった。


「カイル様? 何か気になるものでもあったの?」


「いや」


 短く答えたカイル様は、店主を呼んで何事か小声で告げた。老人は心得たように頷くと、その反物を棚から下ろし、奥の作業台で鋏を入れはじめる。ほんの手のひら二枚分ほどの端切れを丁寧に畳み、薄紙に包んで差し出した。


「お待たせいたしました」


 カイル様は代金を払うと、その包みを外套の内側に仕舞い込んだ。私が首を傾げても、説明する気配はまるでない。


(なに、今の……。カイル様が生地を買うなんて、初めて見たわ。しかも、あんなに小さな端切れを)


「何に使うの?」


「後で話す」


 それきり口を閉ざしたカイル様に、私はそれ以上食い下がることもできず、店を出た。


 目抜き通りをさらに進むと、焼き栗の屋台の前に人だかりができていた。カイル様は一度だけこちらを見て、無言のまま列の最後尾に並ぶ。団服を脱いでいても、背の高さと鋭い目つきは隠しようがなく、前に並んでいた商家の子らしい少年が、振り返ってぎょっとしたように肩をすくめた。


「……怖がられてるわよ」


「何もしていない」


「立っているだけで十分なのよ、あなたの場合は」


 小声で言い合っているうちに順番が来て、カイル様は紙袋に入った焼き栗を受け取った。一つ取り出して殻を割り、中身だけを私の手のひらに載せる。


「熱いぞ」


「ありがとう。……ねえ、殻、剥いてくれるの?」


「手袋を汚すだろう」


 当然のように言われて、私は焼き栗を口に運ぶふりをして顔を伏せた。


(剥いてくれた……。氷の騎士団長様が、往来の真ん中で、私のために焼き栗の殻を……! 無理、今日の記憶だけで一年は針を持てる)


 ほくほくとした甘さが、冷えた指先まで温めてくれる気がした。


◇


 やがて通りの先に、見覚えのある角が見えてきた。噴水広場へ続く道と、目抜き通りが交わる辺り。石畳の継ぎ目に、一枚だけ色の濃い石が嵌め込まれている。私が足を緩めるより先に、カイル様が立ち止まった。


「ここだ」


「……覚えているの?」


「あの石の上で、お前は荷物を落とした」


 指し示された先を見ると、確かにそこだけ、石の色が少し違っていた。私自身は、あの日のことを思い出そうとしても、目の前に迫った黒髪と、自分の心臓の音ばかりが浮かんで、足元の石のことなど何一つ覚えていない。


「すごいわ。わたくしなんて、逃げることで頭がいっぱいだったのに」


「俺は、しばらくここに立ったままだった」


 カイル様は淡々とそう言い、色の濃い石を見下ろした。


「追うべきか迷っているうちに、人混みに紛れて見えなくなった。手元に、あれだけが残った」


 あれ、というのが何を指すのか、聞くまでもなかった。あの日、私の鞄から転がり落ちた、黒髪の小さな一体。取り戻す勇気もなく、馬車の中で胸を押さえていた自分を思い出して、私は外套の襟をきゅっと握った。


(あの時、振り返っていたら、何か変わっていたのかしら。……ううん、きっと、何も言えずにまた逃げていたわね、私)


「今日は、逃げないわ」


「そうしてくれ」


 二人で並んで、色の濃い石の上へ一歩踏み出す。ただそれだけのことなのに、足の裏に伝わる石の硬さが、妙にはっきりと感じられた。


 その時、ふっと視界が揺れた。寝不足のせいか、それとも外の冷たさのせいか、踏み出した足の置き場を、ほんの少し誤ったらしい。石の継ぎ目に靴の先が引っかかり、体が前へ傾く。


「――っ」


 声を上げる間もなく、肩に確かな力がかかった。カイル様の腕が、傾いた私の体を真正面から受け止めている。


「大丈夫か」


 低い声が、耳のすぐ上で聞こえた。あの日と、同じ言葉だった。


 顔を上げると、間近に紺青の瞳がある。あの日は、この目を見た瞬間に頭が真っ白になって、何も言えずに逃げ出した。今は、逃げる理由がない。


「……大丈夫よ。ありがとう」


 答えると、カイル様はすぐには腕を解かなかった。私の顔をじっと覗き込み、それから目元の辺りで視線を止める。


「昨夜は、何時まで起きていた」


「え?」


「目の下に、影がある。伯も、灯りが遅くまで点いていたと言っていた」


(お父様……! よりによって、カイル様にそれを言う?)


「少しだけよ。型紙の下書きを、ほんの少し」


「少し」


 カイル様は、アンナと同じ言葉を、アンナよりずっと低い声で繰り返した。


「無理はするな、と言ったはずだ」


「言われたけれど……だって、コーデリア様のご依頼は、フィオナ様と殿下の婚約のお祝いなのよ。先に形を見ていただいた方が――」


「隠して、平気な顔をしていたな」


 言葉を遮られて、私は口を閉じた。カイル様は黙ったまま、しばらく私の顔を見下ろしていた。通りの喧騒が、急に遠のいたように感じられる。


 やがて、彼は私の耳元へ、わずかに顔を寄せた。


「――悪い子には、お仕置きが要るな」


 囁かれた声は、いつもの硬さとはまるで違っていた。低く、短く、それでいて逃げ場をふさぐような響きがある。


(な、な、な……! 往来の、ど真ん中で……! 今の声、なに、反則……! だめ、立っていられない)


「お、お仕置きって……」


 震える声で聞き返すと、カイル様は私の肩から腕を離し、代わりに私の手を取った。手袋越しの指を、自分の外套のポケットへ、指ごと包み込むようにして仕舞い込む。


「日が落ちるまで、この手を離さない。寄り道は俺が決める。お前は、どこかで座って休む」


「……それだけ?」


「不満か」


「そ、そういうわけじゃないけれど」


 ポケットの中で、彼の指が私の指を軽く握り直した。外套の布越しに伝わる体温に、言い返す言葉がすべて溶けていく。


(お仕置きって、これ……? 甘やかしの間違いじゃなくて……? いや、でも、手を離してもらえないのは確かに困るわね。困る、困るけど、全然困らない……!)


◇


 噴水広場の端にある小さな茶屋で、窓際の席に腰を下ろした。カイル様が頼んだ温かい蜂蜜入りの茶が、湯気を立てて目の前に置かれる。宣言どおり、彼は私の右手を放さないまま、左手だけで器用に茶器を傾けていた。


「片手だと、飲みにくくない?」


「慣れた」


 呆れて笑うと、カイル様はわずかに口の端を上げた。窓の外では、噴水の水音が絶え間なく響き、その縁に腰かけた令嬢たちが、手のひらほどの包みを見せ合って笑っている。布の端から、丸い頭と刺繍の瞳がちらりと覗いた。


「あれも、お前の店のものか」


「たぶん、そう。あの縁取りの縫い方は、アンナの癖だもの」


 遠目にも分かる運針の癖を見つけて、私は小さく笑ってしまった。カイル様は窓の外に目を向けたまま、茶器を置いた。


「さっきの生地の話だが」


「あ、そうよ。結局、何に使うの?」


 カイル様は私の手を放さないまま、もう片方の手で外套の内側を探った。取り出したのは、先ほどの薄紙の包みだった。それを、そっと卓の上に置く。


「お前の一体を、作ってほしい」


「……わたくしの?」


「お前の部屋には、俺の一体がいるんだろう。俺の手元には、何もない」


 一瞬、何を言われたのか分からなかった。薄紙の包みを開くと、中には蜂蜜色の起毛生地が畳まれている。手のひらで触れると、柔らかな毛並みが指の腹をくすぐった。


 その色が、何に似ているのか。気づいた途端、私は思わず自分の髪の先に手をやった。


「これ、わたくしの髪の――」


「店で見た時に、同じ色だと思った」


 カイル様は、それ以上の説明をしなかった。ただ、蜂蜜色の生地の端を、指先でそっと撫でた。


「家族や恋人同士なら、互いの一体を頼んでもいいんだろう」


「そう、だけど……でも、それって、わたくしが自分で、自分のぬいぐるみを縫うということよね?」


「お前の手で作ったものがいい」


 真顔で返されて、私は言葉を失った。


(自分で、自分のぬいを……? 自分の顔を刺繍するの? 鏡を見ながら? 無理、恥ずかしすぎる……! でも、カイル様の懐に、私のぬいが入るのよね……? それは、それは――)


 卓の上で、まだ形になっていない蜂蜜色の生地が、窓からの光を受けている。あの日、この通りで私の手から離れた一体を、カイル様は長いあいだ懐に入れて、持ち主を捜し続けてくれた。今度は、私の一体がその場所に収まるのだ。


「……引き受けるわ」


 気づけば、そう答えていた。カイル様の指が、ポケットの中ではなく卓の上で、私の手を握り直す。


「ただし、夜なべは禁止だ」


「分かってるわよ」


「次に目の下に影を作ったら、お仕置きの続きをする」


「つ、続きって何……!」


 聞き返しても、カイル様は答えずに茶器を口へ運んだ。その横顔が、どこか楽しげに見えたのは、きっと気のせいではない。


 蜂蜜色の生地を薄紙に包み直しながら、私はふと、自分の瞳を何色の糸で刺せばいいのか分からないことに気づいた。カイル様の瞳なら、紺青の糸の太さまで覚えているのに。――自分の顔を縫うのは、きっと、今まで受けたどの注文よりも難しい。


お読みいただきありがとうございました!


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