第5話
執務室に戻った俺は、懐に仕舞っていたそれを机の上に置き、改めて手に取った。
小さな人形。黒い髪、紺色の瞳、簡素な黒い衣装。誰の目にも明らかなほど、俺自身に似ていた。
自分の姿を模した人形を、両手の中でしげしげと眺める。こんな物を見るのは初めてだった。
「団長、また見てたんですか、それ」
執務室に顔を出したのは、副官のレイフだった。まだ二十代前半だというのに物怖じしない態度で、団長である俺にも遠慮なく軽口を叩いてくる、数少ない相手だ。呆れたような、面白がるような顔で覗き込んでくる。
「……気になる」
短く返すと、レイフは口元を緩めた。
「気になる、じゃないですよ。それ、どう見たって団長にそっくりじゃないですか。誰が作ったんです?」
「分からん」
言葉少なに答えながら、俺はもう一度、人形の顔を見つめた。
丁寧な作りだった。誰かが、相当な思い入れを持って作ったのだろうということだけは分かった。
そう思った瞬間、なぜか妙に落ち着かない気分になった。
「街中で、令嬢とぶつかった。その拍子に、こいつが鞄から転がり落ちた」
「令嬢? どんな方です?」
「金色の髪だった。それ以上のことは、分からん」
一瞬、あの令嬢の顔が脳裏をよぎる。金色の髪。焦った様子で頭を下げ、荷物を拾い集めていた姿。そして――この人形を見た瞬間、みるみる青ざめていった表情。
「これは……」
そう口にした瞬間には、もう令嬢は荷物を抱えて走り去っていた。
「怪我はさせていないと思うが……。名乗る間もなく、行ってしまった」
「へえ……」
レイフが興味深そうに顎に手を当てる。
「それはまた、気になる話ですね。団長そっくりの人形を後生大事に持ち歩いていた令嬢、ですか」
「……別に、気になどしていない」
「今、その人形を三分は眺めてましたけどね」
痛いところを突かれ、俺は思わず口をつぐんだ。
否定する材料が、見当たらなかった。
机の上にそっと人形を置き直す。窓の外は、既に日が落ちかけていた。
自分でも、この落ち着かなさの理由がはっきりとは分からなかった。
その夜、私室に戻ってからも、俺は結局、人形を執務室に置いてはこなかった。
理由をつけるなら、拾い主として、持ち主が現れるまで責任を持って保管しておくべきだと、そう自分に言い聞かせた。
机の端にそれを置き、着替えを済ませる。寝台に横になったが、なかなか寝つけなかった。
つくりものの瞳が、蝋燭の灯りを受けてわずかに光る。
――あの令嬢は、なぜこの人形を持ち歩いていたのだろうか。
そんなことを考えている自分に気づき、俺は小さく息を吐いた。柄にもない。
翌朝、演習場に姿を見せた俺は、いつものように隊列を眺めながら、若手騎士たちの稽古に目を通していた。
「エドガー、その足運びだ。腰が高い」
「は、はい! 申し訳ありません!」
指導を受けていたのは、入団してまだ1年ほどの若手騎士、エドガー・ホークだった。穏やかな顔立ちに似合わず、剣を振る姿には粘り強さがある。何度指摘されても、へこたれずに素直に受け止め、すぐに次の動きへ活かそうとする。見どころのある男だ。
「団長、少しよろしいでしょうか」
一区切りついたところで、エドガーが息を弾ませながら歩み寄ってきた。
「今日の講評、ありがとうございました。まだまだ至らない点ばかりですが、必ず期待に応えられるよう精進いたします」
真っ直ぐな目でそう告げる姿に、俺は小さく頷いた。
「励め。お前のような愚直さは、いずれ得難い強みになる」
「……! はい、ありがとうございます!」
顔を輝かせて一礼し、エドガーは持ち場へと戻っていった。ああいう真っ直ぐさは、悪くない。俺自身には、ついぞ縁のなかったものだが。
そんな様子を離れたところから眺めていたレイフが、俺の隣に並んだ。
「団長、今日はやけに不調なようでしたね。いつもより一本、槍の振りが遅かったですよ」
「……そうか」
「そうか、じゃないですよ。まさか、まだあの人形のこと考えてるんですか?」
図星を突かれ、俺は視線を逸らした。それだけで、レイフには十分な答えになったらしい。
「へえー。団長がそんな顔するの、珍しいですね」
「どんな顔だ」
「さあ。強いて言うなら……気になって仕方ない、って顔ですかね」
軽口を叩きながらも、レイフの目は存外真剣に見えた。
「本気で捜すなら、手伝いますよ。俺だって、あの人形を持っていた令嬢が気になりますし」
「……別に、そこまでする話じゃない」
「じゃあ、放っておくんですか? そのまま忘れて」
問われて、俺は答えに詰まった。
忘れる、という選択肢を、頭の中で思い描いてみる。うまくいかなかった。
あの人形を見た瞬間の、令嬢の青ざめた顔。荷物を拾い集めていた白い手。そして、名も知らぬまま、逃げるように去っていった後ろ姿。
どれもが、なぜか妙に鮮明に残っている。
「……大袈裟に事を構えるつもりはない。だが」
言葉を選びながら、俺はゆっくりと続けた。
「機会があれば、話を聞いてみたいとは思っている」
「機会があれば、ね」
レイフがにやりと笑う。
「その割には、随分と熱心に人形を眺めてましたけどね」
「……訓練に戻るぞ」
これ以上の追及を避けるように、俺は踵を返した。
背後で、レイフのくすくすという笑い声が聞こえた気がしたが、聞こえなかったことにした。
その日の午後、書類仕事の合間を縫って、俺は一人であの通りへ足を運んだ。任務のついで、という体裁を取ってはいたが、自分でも分かっていた。理由をつけているだけだと。
ぶつかった場所の近くには、織物商の店が軒を連ねていた。金色の髪の令嬢が、あの時、両手に反物の包みを抱えていたことを思い出す。おそらく、この辺りの店のどこかで買い物をしていたはずだ。
「いらっしゃいませ……って、団長様?」
一軒の織物商に足を踏み入れると、店主が驚いたように背筋を伸ばした。
「聞きたいことがある。数日前、この辺りで、金色の髪の令嬢を見かけなかったか」
「金色の髪の……。申し訳ございません、この通りには令嬢のお客様も多くいらっしゃいますので、お一人お一人までは、ちょっと」
店主は困ったように眉尻を下げた。無理もない、と俺は思う。手掛かりと呼べるほどのものは、何一つ持っていないに等しかった。
「そうか。手間を取らせた」
礼を言って店を出る。目抜き通りを行き交う人々の中に、あの金色の髪を探すように、無意識に視線が動いていた。
――我ながら、らしくない。
そう自嘲しながらも、足を止める気にはなれなかった。
執務室に戻ると、俺は机の端に置いた人形をもう一度手に取った。
答えの出ないまま、俺はしばらくの間その顔を見つめ、椅子に深く腰を下ろしていた。
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