↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
氷の騎士団長そっくりの推しぬいを作った結果、正体を探されることになりました  作者: あずきまんま


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
19/36

第19話

 園遊会から一週間が経っていた。


 あの薔薇の生垣の陰で交わした会話を思い出すたび、頬の奥がじわりと熱を持つ。名乗った瞬間の、低く確かめるような「ヴァランタイン嬢、か」という呟き。それから、独り言のように零れた「店主殿は、ヴァランタイン家の令嬢だったのだな」という一言――あの時の空気を思い返すだけで、今でも喉の奥がからからに渇いてくる。


(あれ以来、私、ずっとどこかで身構えている気がするわ……)


 朝から工房の作業台に向かいながら、私はぼんやりとそんなことを考えていた。手元では針が布地の上を行き来しているのに、意識はどこか上の空だ。運針の一つ一つが、いつもより浅く、粗くなっている気がする。


「リゼット様、次のお客様がいらっしゃいました」


 アンナの声に、私は慌てて姿勢を正した。案内されてきたのは、まだあどけなさの残る、商家の息子らしい青年だった。椅子に腰掛けるなり、膝の上で両手をきつく握り合わせている。


「あの……。人形を、お願いしたくて」


「かしこまりました。想っていらっしゃる方について、聞かせてくださいませ」


 促すと、青年はみるみる耳まで赤くした。


「その、お名前は……。ちょっと、恥ずかしくて言えなくて」


「大丈夫ですよ。お顔立ちや雰囲気だけでも、十分ですから」


 安心させるように微笑むと、青年はほっとしたように肩の力を抜いた。


「栗色の巻き毛で……。笑うと、八重歯が覗くんです。いつも明るくて、こちらまで元気になるような、そんな方で」


 ぽつりぽつりと語る言葉の端々から、彼がどれほど真剣にその人を想っているかが伝わってくる。実際に見てきた人の特徴を頼りに反物を選んでいく作業は、いつも通りに進んだ。それでも、不器用に想いを語る青年の姿に、いくらか気が紛れていく。


「仕上がりましたら、こちらからお届けにあがりますね」


「ありがとうございます。……あの、少しでも、いい方向に進むといいんですけど」


 照れくさそうに頭を掻きながら帰っていく後ろ姿を見送りながら、私は小さく息をついた。誰かの恋を後押しする仕事は嫌いではない。けれど今日ばかりは、自分自身の胸の内がざわついたままで、素直に喜べずにいた。


「リゼット様、また針が止まっていらっしゃいますよ」


 棚の反物を数え直していたアンナが、呆れたような声をかけてくる。私は慌てて手元に視線を戻した。


「ご、ごめんなさい。少し考え事をしていたの」


「園遊会の日から、ずっとその調子ですものね。何かあったんですか」


 鋭く指摘され、私は言葉に詰まった。あの日のことを、アンナにはまだ詳しく話せていない。名前を呟かれたことも、その後の失言も、うまく言葉にする自信がなかった。


「別に、何もないわ。ただ、少し気疲れしているだけよ」


 誤魔化すように答えると、アンナは訝しげな顔をしながらも、それ以上は追及してこなかった。かわりに手にしていた反物を棚へ戻し、こちらへ歩み寄りながら、声を落として続ける。


「園遊会で、団長様と何かあったのではありませんか。あの日から、ずっと心ここに在らずといったご様子ですもの」


 図星を突かれ、私は言葉に詰まった。あの薔薇の生垣の陰でのことは、アンナにもまだ話せていなかった。


「実は……。あの日、カイル様が独り言のように、『店主殿は、ヴァランタイン家の令嬢だったのだな』と仰ったの。すぐに『忘れてくれ』と取り消されたのだけれど」


「それはもう……。工房のリゼット様と、伯爵令嬢としてのリゼット様が、団長様の中で繋がってしまった、ということですね」


 アンナの表情が、みるみる曇っていく。私も、頷き返す以外にできることがなかった。


「ええ……。多分、そうなのだと思うわ。ご本人の口から零れた言葉だもの」


 もとより、工房で顔を隠していたわけではない。素性を大っぴらにしていなかっただけで、疑われてしまえば言い逃れのしようもない、ただそれだけのことだった。


(工房のことより、私が本当に怖いのは……)


 言いながら、脳裏をよぎるのは、街角でカイル様と正面から衝突した、あの日の記憶だった。工房のことは、もう繋がってしまったも同然だ。それでも、あの日の令嬢が自分だとまでは、まだ確かめられていないはずだ。もしそこまで辿り着かれてしまったら――そう考えると、背筋に冷たいものが走った。


 膝の上に置いた手が、無意識のうちに強く握られていた。工房のことは、もう半分知られたようなもの。残るは、あの日の令嬢の正体だけ。綻びが、少しずつ同じ方向から迫ってきている気がしてならない。


「リゼット様? 顔色が優れませんけれど」


「な、なんでもないの。少し、驚いただけよ」


 どうにか平静を装いながら、私は針を持ち直した。けれど、指先はもう思うように動いてくれない。針の先が布地を逸れ、危うく指を刺しそうになって、私は小さく息を呑んだ。


(落ち着いて、リゼット。カイル様だって、あの日のご令嬢が私だと、まだわかってらっしゃるわけじゃないはずだもの……多分)


 自分に言い聞かせながらも、心のどこかで別の声が囁く。今日また工房にいらしたら、あの日のことを何気なく尋ねられるかもしれない――そう考えると、途端に足元が心許なくなる。


 その日の午後、いつものように予約の合間を縫って仕上げの作業を進めていると、控えめな呼び鈴の音が工房に響いた。


 アンナが応対に向かう気配がして、少し遅れて、聞き覚えのある低い声が耳に届く。


「突然すまない。近くまで来る用があったものでな」


 顔を上げた先に、カイル様が立っていた。今日は鎧姿ではなく、以前と同じ落ち着いた色合いの上着を纏っている。園遊会の日以来、初めての来訪だった。


(来た……! また来てくださった……! でも、今日はいつも以上に緊張するわ……!)


 浮き立つ気持ちと、身の縮むような緊張とが、胸の内でせめぎ合う。それでも表向きは、どうにか穏やかな微笑みを作ることができた。


「ようこそいらっしゃいました。どうぞ、おかけになってください」


 促すと、カイル様は無言のまま椅子に腰を下ろした。窓から差し込む午後の光が、革張りの椅子の縁に淡く反射している。


「今日は、何かお調べになることが」


「いや。今日は、特に用件はない」


 あっさりとした答えに、私は少し驚いた。用もないのに訪ねてくる――それは、以前の任務ありきの態度からは、確かに変わった様子だった。


「それは、珍しいですわね」


「暇を持て余していただけだ。近衛の詰所にいると、レイフがうるさくてかなわない」


「まあ。レイフ様というと、いつもご一緒にいらっしゃる方ですわね。仲がよろしいのですね」


「あれは、ただの口うるさい部下だ」


 そう言いながらも、口元にほんの少しだけ緩みが差した気がした。園遊会の日から、こうした何気ないやり取りが増えている。それが嬉しくて、同時に落ち着かない気持ちにもさせられる。


「団長様は、お茶はお好きですか」


「嫌いではない」


「でしたら、少しだけお淹れしますね」


 アンナに目配せをすると、心得たように奥へと下がっていく。しばらくの間、私たちは他愛のない話を交わした。近頃の陽気のこと、街の露店に新しい品が並び始めたこと――どれも取り留めのない話題だったけれど、こうして静かに言葉を交わす時間そのものが、なんだか愛おしく感じられた。


「そういえば、先日の園遊会では、驚かせてしまいましたね」


 思い切って切り出すと、カイル様はわずかに目を見開いた。


「……自分から、その話をするとはな」


「避けて通る方が、かえって不自然な気がしましたので」


「そうか」


 カイル様は少しの間を置いてから、静かに続けた。


「悪くない時間だった。あの時のことは」


 それだけ告げると、カイル様は湯気の立つ茶器に視線を落とした。私はその横顔をどう受け止めればいいのか分からず、曖昧に頷くことしかできなかった。


(あの時のこと、って……。それって、私と話したことを、そう言ってくださったの……?)


 顔が緩みそうになるのを堪えながら、私はどうにか話題を変えようと、茶器の縁に指を添えた。


 運ばれてきたお茶を一口含んだところで、カイル様がふと窓の外へ視線を向けた。柔らかな午後の光が、通りを行き交う人々の影を長く伸ばしている。しばらくの沈黙のあと、思い出したように口を開いた。


「以前、街で人とぶつかったことがある」


 何気ない口調だった。それなのに、その一言だけで、私の心の臓は跳ねるように音を立てた。


「そ、そうなのですか」


 どうにか声を絞り出したものの、手元の針を持つ指先が、小さく震え始めているのが自分でも分かった。


「若い令嬢だった。荷物を落として、そのまま逃げるように立ち去っていった」


 カイル様は淡々と続ける。表情に大きな変化はない。けれど、その視線だけは、いつになくまっすぐにこちらへ向けられている気がした。


(うそ、うそ、それって……! もしかして、確かめようとしていらっしゃるの……!?)


 背筋を冷たいものが這い上がる。指先が震えを抑えきれず、持っていた針が作業台の上へ、かたんと小さな音を立てて転がり落ちた。


「あ……っ」


 慌てて手を伸ばすものの、拾い上げるまでの一瞬が、やけに長く感じられる。


「大丈夫か」


「だ、大丈夫です。少し、手が滑っただけで」


 拾い上げた針を握りしめながら、私はどうにか笑みを作った。頬の内側が強張って、うまく力が抜けてくれない。


「そのご令嬢は、見つかりましたの」


 震える声を押し隠しながら、どうにか話を先へ進める。カイル様は少しの間を置いてから、静かに答えた。


「いや。まだ、確信が持てずにいる」


 その一言に、私は息を止めた。確信、という言葉の重みが、胸の奥にじわりと沈んでいく。


「そう、なのですね……。早く見つかるといいですわね」


 どうにか絞り出した言葉が、自分でも白々しく聞こえて仕方なかった。カイル様はそれ以上何も言わず、ただしばらくの間、私の手元をじっと見つめていた。値踏みするような、あるいは何かを見定めようとするような、そんな沈黙だった。


 工房を満たす静けさの中、壁掛け時計の針の音だけが、やけにはっきりと耳に届く。永遠にも感じられた数秒の後、カイル様がふと視線を逸らした。


「長居した。今日はこれで失礼する」


「あ……。お気をつけて」


 一礼して見送りながら、私は膝から力が抜けそうになるのを、必死に堪えていた。扉が閉まる音を聞いてから、ようやく詰めていた息を吐き出す。


「リゼット様、今の……」


 様子を見ていたアンナが、心配そうに駆け寄ってくる。


「大丈夫よ、多分……。多分、大丈夫」


 自分に言い聞かせるように繰り返しながら、私は椅子に崩れるように座り込んだ。手のひらには、じっとりと嫌な汗が滲んでいる。


(今の質問……。ただの世間話、なんかじゃないわよね……)


 カイル様の言葉を何度も反芻しながら、私は自分の反応があまりにも露骨だったことを悔やんでいた。もう少し、うまく取り繕えたはずなのに。あの一瞬だけは、どうしても平静を保てなかった。


「針を落とされたところ、私からも見えていました。……あれは、さすがに」


 アンナが言いにくそうに言葉を濁す。私はがっくりと肩を落とした。


「分かってる。分かっているのよ、自分でも」


 両手で顔を覆いながら、私はテーブルに突っ伏しそうになった。せっかく積み上げてきた「工房のリゼット」としての取り繕いが、今日の一瞬でどれだけ揺らいでしまっただろうか。


「でも、リゼット様。もし団長様が本当に気づいていらっしゃるのだとしたら……。案外、悪いことばかりでもないのでは」


「な、なに、急に」


「だって、今日のご様子、以前とは随分違っていましたもの。用もないのに訪ねていらして、他愛のないお話までされて」


 アンナの言葉に、私は返す言葉を失った。


「それに、園遊会のことをお尋ねになった時のあの間……。あれは、リゼット様のことを思い出していらしたのではないかと、私には見えましたけれど」


「や、やめてよ、アンナまでそんな……」


 顔が一気に熱くなるのを感じながら、私は両手で頬を覆った。けれど、否定しきれない自分もいる。あの一瞬の沈黙の意味を、もう少しだけ考えていたい――そんな気持ちが、胸の奥で静かに育っていた。


「まあ、からかうのはこれくらいにしておきますね。それより、今日のところはゆっくり休んでください。顔色、まだ本調子ではありませんもの」


 アンナが温かいお茶を新しく淹れ直しながら、そっと微笑みかけてくる。差し出されたカップを両手で包み込むと、じんわりとした温もりが指先から伝わってきた。


 窓の外では、傾き始めた陽の光が、通りを行き交う人々の影を長く伸ばしている。その光景をぼんやり眺めながら、私はしばらくの間、動けずにいた。



 工房を出て、俺はしばらく無言のまま通りを歩いていた。


「団長、今日はやけに静かですね」


 外で待っていたレイフが、怪訝そうな顔で覗き込んでくる。俺は答えず、先ほどの光景を思い返していた。


 何気なく切り出したつもりだった。それなのに、あの反応は――針を取り落とすほどの動揺は、とても世間話に対するものとは思えなかった。


「団長?」


「……揺さぶりをかけてみた」


「揺さぶり?」


「街でぶつかった令嬢の話を、それとなく振ってみた」


 レイフが目を丸くする。


「それで、どうでした」


「針を落とした」


「は?」


「明らかに、動揺していた」


 言いながら、針を取り落とした時のあの慌てぶりを思い出し、俺は思わず口元を緩めた。


「団長、今笑いました?」


「気のせいだ」


 短く答えながら、俺は自分の中で何かが静かに固まっていくのを感じていた。声の震え、逸らされた視線、取り繕おうとして失敗した笑み――どれもが、確信を後押しする材料になっていく。


「団長、それ、もう本人に確かめてもいいんじゃないですか」


 レイフの言葉に、俺はすぐには答えられなかった。真実を知りたい気持ちはある。それでも、まだ何かが引っかかっていた。


「もう少しだけ、待つ」


「何をです」


「……分からん。だが、今すぐ問い詰めるのは、まだ違う気がする」


 自分でも歯切れの悪い答えだと分かっていた。それでも、あの怯えたような瞳を思い出すと、無理に暴き立てる気にはなれなかった。真実を突きつけて彼女を追い詰めるより、彼女自身の口から聞ける瞬間を待ちたい――そんな柄にもない感傷が、胸の奥に居座っていた。


「団長がそこまで慎重になるの、珍しいですね」


「そうか」


「ええ。いつもならとっくに詰め寄ってる頃合いですよ」


 からかうようなレイフの声に、俺は何も言い返せなかった。図星だった。


 夕暮れの空が、次第に橙色から紫へと色を変えていく。懐の人形に軽く触れながら、俺は次にどう動くべきか、静かに考え始めていた。答えはもう、目の前まで来ている。あとは、それをどう受け止めるかだけだった。


お読みいただきありがとうございました!


面白かったらぜひ【ブックマーク】とページ下の【★★★★★評価】で応援よろしくお願いします。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。